桓武天皇 ③ 長岡京
京都観光検定第1回 3級の第一問は、「平安京遷都の前の都はどこにあったか?」であった。4択なので間違いは少なかったが、平城京と答えた人が意外に多かった。
答えは当然、長岡京。さて、前回までで平城宮から遷都する理由が明らかになった。
・既存仏教勢力や天武系貴族を押さえる為・天智系の天皇即位を続ける決意表明・陸路しかない平城宮に限界があった事。
などが言われるが、特に、3番目については、長岡京が最適であった。桂川・宇治川・木津川などが合流し淀川に流れ込む分岐点である乙訓地方は、水運の便が良かった。
また、地下水にも恵まれ現在サントリーウイスキー工場がある事でも明らかなように井戸水の宝庫だった。古代、都の最大の問題は下水処理だった。特に平城京は糞尿処理に困ったと言われる。その点、長岡京は水事情が良く、発掘の結果各家屋に井戸があり、都全体に下水処理のシステムが張り巡らされたと言われる。
長く幻の都となっていたが、発掘が進みかなりの部分出来上がっていたと思われる。地元高校教師の中山修二氏の功績が大きい。
長岡京というが、都の大部分は向日市鶏冠井町(かいでちょう)に所在する。昔の乙訓郡である。今年の選抜高校野球で公立の乙訓高校は近畿大会でベスト4となり初出場したのが話題になった。
しかし、工事責任者の側近中の側近である種継が暗殺された。当然反対派の仕業が疑われた。しかも桓武天皇の弟で次期天皇の早良親王の関与が疑われた。捕らえられた早良親王は、乙訓寺で食を絶ち憤死する。結果、本邦最大級の怨霊となる。その怨霊を恐れて都建設を断念せざるを得なくなる。怨霊が政治を動かしていた時代だ。冤罪で死んだ高貴な方の地位が高ければ高いほど強い怨霊となるのだ。
崇道天皇と後から追号するがそれでもおさまらず長く祟りをなした。
遂に山城の地に都建設を託す。そこは四神相応の地であった。