アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

495 アチャコの京都日誌 平安京天皇史 「平安京 第25代 鳥羽天皇」

2019-01-11 12:14:43 | 日記

㉕ 平安京 25代 通算74代 鳥羽天皇

「toba天皇」の画像検索結果

在位 1107年~1123

業績(事件) 祖父 白河上皇を越えられなかった天皇

父 堀河天皇 

別称  空覚

死因  病死

御陵 案楽寿院陵

宝算 54歳

 

鳥羽天皇の不幸は、

①賢帝と言われた父堀河天皇の早い崩御。②祖父白河上皇のあまりに長い執拗な院政。③祖父から押し付けられた絶世の美女で最初の皇后璋子との関係。④藤原摂関家との確執。⑤息子であり叔父?でもある崇徳天皇との争い。⑥後半生の愛妾美福門院得子とその子近衛天皇に先立たれた事、などである。

①   は、前回書いた。

②  は、白河上皇が76歳まで生き、そして鳥羽に退位と曾孫の崇徳天皇の即位まで口出しされた事だ。しかもその子(崇徳天皇)の遺伝子上の実父は、白河上皇その人である。日本史上最初に「院政」を確立した白河上皇については詳しく書いたが、ともかく異常な家族関係の中であった。

③  璋子との関係は想像するしかないが、二人は実は崇徳以外に6人も子を作っている。祖父の寵姫と閨を共にし、むしろ鳥羽天皇が情事の作法を教わったはずだ。どんな気持ちで交わっただろうか?想像を絶する。曾祖父白河上皇からすでに女にされていた15歳の璋子が17歳の鳥羽天皇の閨の主導権を握り、いずれの時からは鳥羽天皇がリードして愛を育んだと思われる。

④  は 、摂関家筆頭の忠実を重用しその息子忠通を白河上皇に近かった為に排除しようとしたことだ。この辺りの確執が保元の乱に関係する。

⑤  は、特に近衛天皇が長生きしていたら崇徳上皇との最終決戦もなかったかも知れない。勿論何より、鳥羽天皇自身がもっと生きていれば良かったのだが・・・・。

なお、皇后は最初の待賢門院璋子、後半美福門院得子、そして藤原忠実の娘泰子も迎えている。3人の皇后は異例である。ただし泰子入内は藤原氏との戦略性が強く、その時39歳の泰子との間には子はいなかった。源氏・平氏の多くの武将たちが、御所を幾重にも警護する中での崩御であった。その死は、摂関家から政治の実権を天皇家に奪還したものの、保元の乱を招き、いよいよ武家を主役に押し上げる事になった。死後、鳥羽離宮の案楽寿院陵に愛妾美福門院得子と、そして愛息子近衛天皇と共に眠っている。

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494 アチャコの京都日誌 平安京天皇史 平安京 第24代 堀河天皇

2019-01-11 11:18:12 | 日記

㉔ 平安京 24代 通算73代 堀河天皇

 「堀河天皇」の画像検索結果

在位 1086年~1107

業績(事件) 長生きしていれば偉大な賢帝へ

父 白河天皇 

別称 特になし

死因  病死(急性気管支肺炎)

御陵 後円教寺陵

宝算 29歳

 

歴史に「もしも」は、禁句だ。しかし歴史愛好家には「想像の遊び」が許されても良いだろう。清盛の長男重盛が長生きしていれば、「平家の政権はもう少し長持ちしただろう。」豊臣秀頼が大阪城で死ななければ、「豊臣家は一大名家として存続出来たかも知れない。」

さて、堀河天皇は、「末代の賢君」と言われる。「神皇正統記」にはその資質について絶賛している。即位後すぐに天皇親政を行い世は治まったとされる。「天が下治まりて、民安く世のどかなり」と「発心集」にも述べられている。しかし、8歳で即位し28歳で崩御している。後半は、父白河上皇の院政の影響が強くなったと言われている。と、すれば幼くして賢帝の兆しがあったのだろう。筆者は長く院政を続けた白河上皇を快く思わない風潮が、このような評価につながったのではないかと思っている。歴史書とは後世振り返って書かれる為、後の評価が強くニュアンスに現れる。保元平治の大乱の大本原因を作った白河上皇への評価は、厳しかったのではないか。筆者は、前政権の評価をおとしめて現政権の正当性を強調する事よりも、評価を現実以上に高める事の方が多いように思う。聖徳太子や、菅原道真などは神格化されているし、将門伝説や大石内蔵助などは典型例だ。もうお分かりだと思うが、日本人の根底にある「怨霊思想」が理由だ。不幸な死に方をした人を決しておとしめない。死人にむち打ちのは、最も卑しい行為である。つまり怨霊となって祟るからである。短いが堀河天皇の時代に大きな災害はなかった。しかし絶賛されるような政治的功績は見当たらない。父の院政を考えると政治手腕を発揮する間もなく早世している。もちろん公家や女官達には評判の良い人柄の温厚な天皇であったのだろう。

今や聖徳太子などは存在すら疑われている。神格化という歴史的作業は我々の教科書教育では理解できない。他に神格化された偉人、楠正成、源義経、坂本龍馬、・・・・・。これらの学者たちの研究を待ちたい。

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