㉗ 平安京 27代 通算76代 近衛天皇
在位 1142年~1155年
業績(事件) 保元の乱
父 鳥羽天皇
別称 特になし
死因 病死
御陵 案楽寿院南陵
宝算 16歳
鳥羽天皇の第8皇子。異母兄の崇徳天皇と父鳥羽上皇との不仲から、3歳で即位した。母は、美福門院で鳥羽上皇の後半生の一番の寵姫である。前半生は有名な待賢門院を愛した。この辺りは前回説明した。崇徳天皇との不仲の原因にはおぞましい真実があったのであった。
因みに、待賢門院の子には後の後白河天皇がいるが、鳥羽上皇は当然愛する美福門院の子である近衛天皇の誕生を願った。後白河がこの時点で今様にはまるのもお分かり頂けると思う。(やっていられない…。気持ちだ。)近衛天皇に政治的功績はなく、鳥羽上皇の院政が続いていた。17歳で眼病で死ぬ。後に御霊に尋ねたところ、
「何者かが朕を呪うために愛宕山の天公像の目に釘を打った。このため朕は眼病を患い、ついに亡くなるに及んだ」
と語ったという。また、「近衛」の諡号も本来天皇を守るべき警護兵の名であり何か不思議な感じがする。さらに、中宮や皇后はいたが子はなさなかった。年上の女性を迎えて懸命の子作りを試みたが果たせなかった。どこまでも悲しい天皇であった。
母や鳥羽上皇と共に「案楽寿院南陵」に葬られた。