沖縄の県民投票は何を目的にするのだろうか。もとより沖縄の不幸な歴史は理解している。我々日本の繁栄と平和は、多分に沖縄のある種の犠牲のお陰をもって成り立っている。そこを前提に、県民投票の意味を問いたい。
嘉手納基地の固定化は許せない、辺野古移転も許せない。そのような県民の感情は理解できる。しかし国家は全体最適を判断し、行政において施行する。各住人の全部を理解し賛成してもらえる施策ばかりではない。現在、行政組織の施設建設の反対運動がよく報道されるが、「住民エゴ」でしかない。ごみ焼却場や刑務所などはまだ理解できても、少年更生施設や果ては、保育園までも反対運動の嵐だと聞いている。一方、待機児童問題に先頭きって抗議する連中かも知れない。
筆者もエゴの塊なので、近所になにがしかの施設が建設される事には反対するかも知れない。しかしそれに強権的に実行できるのが行政であり、選挙で選ばれた政治家の政治である。沖縄の基地を他のどの都道府県に移転しようとも猛烈な反対運動に合う。全体適正によって沖縄に基地があるのである。従って、沖縄には担当大臣を置くなど、特別に支援している。基地の周辺にはその関連業者として生計を立てている方達もいる。現実はその様に回っているのだ。
筆者は、国家行政施行法(仮称)など、法整備によって国会で十分に議論した上で、実行する場合には地元自治体の投票結果には左右されない法律が必要だと思う。何?今でもそうだ?じゃあ、なぜ県民投票などするの???
因みに、同性婚を認めろとの訴訟が出された。???
今や自由な世の中だ。何でも自由だ。いずれ、複数婚(妾を認める)など、なんでもありの世の中になる・・・。同性婚も含めて多くの人間にとって不快に思うという素朴な感情はどうしてくれるのだろう。インテリは、多様性を認めよと言うが、倫理観や家族像という内面には立ち入れないし、道徳観の崩壊の懸念はないのか?
「私は裸で表を歩きたい。」従って公衆わいせつ罪を廃止しろ!とかの訴訟が出て来ないか?
しかし、セクシャルマイノリティーの方々にはどうすれば良いのか、筆者には博識がない。
前半と後半は、論点が違う。後半は一部の方には許しがたい暴言かも知れない。お許しを・・・・。