6番 瑞泉寺
中京区木屋町三条下ル石屋町114-1
正式名 慈舟山瑞泉寺
創設 立空桂叔・角倉了以
宗派 浄土宗西山禅林寺派
本尊 阿弥陀如来
寺町通りを南に歩き御池通りにぶつかれば、東に曲がり鴨川を渡れば木屋町通りを南下する。三条大橋の南東に瑞泉寺がある。こちらは関白豊臣秀次の供養の寺である。江戸時代初期、角倉了以が高瀬川開削の折りに、地中から石碑を見つけたところ「秀次悪逆塚文禄4年・・・」と彫られている。筆者が晩年の秀吉を好きになれないのはこのような事からである。秀吉は自らの子が出来ない事を悟ると実の姉の長男を後継者として関白の地位まで押し上げた。孫七郎と呼んで可愛がった数少ない親族をここまで陥れるだろうか。しかも一族・妻妾もろとも斬首して三条河原に埋めたのだ。
秀吉存名中は、世間は遠慮して「畜生塚」と呼んでいたのが、鴨川の氾濫で崩壊した。高瀬川開削時に散らばっていた遺骨を角倉了以と僧の立空が、弔った。それが瑞泉寺の由来である。
木屋町通りから山門をくぐると、狭い境内に秀次供養塔と、殉死した家臣10名と妻妾たち39名に加え秀次の幼児の供養の為五輪の卒塔婆が建てられている。中央の石碑は「秀次悪逆」の文字は了以によって削り取られている。叔父秀吉こそが悪逆と言いたいが、太閤と称えられ現代においても英雄の秀吉の負の遺産である。
寺名の瑞泉寺は、秀次の法名瑞泉院による。
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