10番 法住寺
東山区三十三間堂廻り町655
別称 後白河上皇法住寺殿
創設 藤原為光
宗派 天台宗
本尊 不動明王(身代わり不動)
西福寺からすぐ南の六波羅蜜寺を訪ねて、東大路を南に向けて歩く。智積院や妙法院を左に見ながら七条通まで20分~30分かけて行くと京都国立博物館や三十三間堂が右手に見えて来る。平清盛が後白河上皇の為に1000体の千手観音像を寄進したのが蓮華王院(三十三間堂)だ。片頭痛持ちであった後白河の影響で周辺に頭痛封じの寺院が多い。追々紹介する。
さて、その昔源頼朝挙兵の後、木曽で源義仲が京を襲う。平家を追い出す大殊勲を挙げるがその後の後白河上皇からの論功第一は、頼朝であった。ブチ切れた木曽義仲は、ここ院御所を包囲した。ここで歴史の中心地に出て来るのが、法住寺である。創建は平安中期の藤原為光であるが、平安末期、この平家合戦の時に注目される。
往時の寺域に比べれば見る影もないが、本堂は自由に参詣できる。正面の本尊は不動明王像。義仲に襲われ火中から後白河が逃げる為に、身代わりになった事から「身代わり不動」と呼ばれる。その大祭は11月15日護摩供養と共に盛大に行われる。狭い境内に派手に護摩を焚く光景は必見だ。また、ぜんざいの接待などあるので筆者は毎年尋ねる。なお、その身代わり不動をカレンダーに直筆にて住職が書いたものが販売される。これも毎年楽しみだ。
因みに、忠臣蔵の大石内蔵助との所縁深く12月14日には「義士大祭」も行われる。
寺域東側の後白河天皇陵は宮内庁管轄となっている。必ず合わせて訪ねておきたい。