44番 愛宕念仏寺
京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2−5
山号 等覚山
宗派 天台宗
開基 称徳天皇
中興 千観
本尊 千手観音
別称 千二百羅漢の寺
あだし野念仏寺と愛宕念仏寺
100寺巡礼の旅もいよいよ京洛西北の果てを目指す。祇王寺からさらに北に向かうと、途中、あだし野念仏寺がある。今回目指す、愛宕念仏寺といずれも念仏という文字があるが京都検定的には紛らわしいが無関係のようだ。あだし野念仏寺の方は、京都の葬送の地の一つ化野(あだしの)にあった無縁仏を空海が弔った事から始まった歴史の古いお寺である。その後、法然が念仏道場にしたことから念仏寺となり、江戸時代になって再興され、明治には近隣の石仏8000体を集めた事から有名になった。お盆には「千灯供養」が行われる。
そこをさらに15分ほど北に歩き、隧道(トンネル)の手前に今回の主役の愛宕念仏寺がある。おたぎ念仏寺と読む。苔むした石仏の羅漢様が迎えてくれるが、当地における歴史は浅い。称徳天皇というから奈良時代末期の創建である。当時は現在の六波羅蜜寺のあたりにあった為、鴨川の氾濫に度々襲われ荒廃していたのを、平安時代中期、天台宗の千観が復興した。しかし再び荒廃し1000年の後、明治時代現在地の嵯峨野にて復興を試みるが失敗し昭和になって清水寺管長大西良慶の声掛けで本格的に復興した。その際復興の支援策で「昭和の羅漢彫り」と称して境内に羅漢さんを奉納したのが、目標を大きく上回り1200体の多くになったのだ。従ってそれぞれ作者が違い素人が彫ったもので表情豊かな羅漢さんが見られる。
大西良慶は偉大だ。
この大西良慶師は、清水寺を法相宗興福寺の末寺に過ぎなかったのを、北法相宗という新しい宗派を立ち上げ独立本山にしたという大人物である。昔、徳之島の五つ子の命名をしたことでも有名だ。100歳を超えるまで辻説法を行っていた。因みに、清水寺には「中興堂」という建物がありそこに手厚く祀られている。
愛宕念仏寺は、普段訪れる人は少なくゆっくり本堂内や地蔵堂など内部を拝観できる。本尊の千手観音像や中興の千観像などをまじかに拝めるし、再建は昭和ながら寺の歴史を感じる寂れた感じは誠に落ち着く。羅漢様の一人一人をゆっくり眺めていると時間はあっという間に過ぎて行く。市内北限にある名刹である。