いよいよ平成の最後の日を迎える。
NHK中心に天皇とその時代を特集している。しかし、象徴天皇制を取っている日本の「国体」、その歴史を国民はどれほど知っているか?筆者はその危機感から、本にして上梓することにした。
「令和元年に読む、平安の天皇たち」平安遷都から明治前夜まで を、出す。
思想的な意味と学術的価値はないが、それぞれの天皇とその時代を知ることで、日本の国が如何に独特の歴史を重ね高い精神性を保持して来たかが分かる。血統を繋げる事は並大抵ではない。何より「やる気?」が重要だった。その事を世に伝えたい。
また、31年間の平成を振り返る「特集」が氾濫している。筆者は、平成の変化を冷めた目で見ている。ITの進歩が如何に発達しても人間は結局、食って、寝て、恋をして、SEXして子を作る。その基本行動には変化はなかった。その以前の昭和はその事(生命活動)にリスクがあり、生と死が隣り合わせの時代であった。戦後のベビーブームのように生命維持本能のもとに全員が「肉食系」である必然性があった。バブル以降経済的な繁栄のピークを越えてあらゆるものが下降線をたどる。令和は、遂に生命活動をIT技術に委ねる事になるだろう。人工臓器を使用する事で死ぬことも出来なくなりその代わり子を作る必要性はなくなる。恋愛やSEXという面倒臭い行為は絶滅するだろう。快楽はロボット相手に何時でもリスクなく得る事になるのだ。自殺以外に死ぬ方法がなくなるので殺人は同意あれば推奨される事になるだろう。何千年、何万年築いて来た生身の人間の営みは、平成で終了している。遺伝子操作やゲノム解析技術などで越えてはならない一線を越えてしまった。その証拠に、LTGPの議論や夫婦別姓問題など、男と女で家族を作る当たり前の道徳観を否定しつつあるのが現状だ。男と男、女と女の結婚が許されるならば、人間とロボットとの養子縁組などが禁止されようはずがない。知らない間に本能的な感情が法律で制限されているのだ。男同士がキスしているのを見るのは嫌だとか、性的転換手術を自分の子どもにはさせたくないと言う感情は極く自然だったが今や大きな声では言えない。これが令和では一層進む。古典的な保守勢力が最後の抵抗を試みるが、惨敗するに違いない。結局選挙や国民投票しても巨大メガデータを支配する「資本」が勝つのだ。以上が、妄想だが否定できますか??