アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

151 アチャコの京都日誌 再びの京都 22番 城興寺  大阿闍梨誕生 快挙 快挙

2017-09-20 17:59:45 | 日記

叡山の千日回峰行に成功した人が出た。(これがどれほど凄い事か、報道では伝わらない。)

記録に残る中で51人目。戦後14人目だと言う。(この場合の戦後とは太平洋戦争)

織田信長が比叡山を焼き討ちにして記録も含め全部焼失した為、その後の記録しかない訳だが、

500年余りで51人だから10年に一人のまさにまれに見る快挙だ。

「千日回峰行」の画像検索結果

これを快挙と言う表現で良いのか、最高の尊敬の念で称えるべきと考える。

オリンピックの金メダルをあれほど話題にすることに比べれば地味すぎるのではないか?

商業的な要素はなく、アスリート的な野心はない。

何が凄いか。1000日の修行は、実際には975日かけて行われる。残り25日分は一生かけて行へと言う意味らしい。

まず、比叡の山中を30㌔ほど260か所の礼拝場所を巡り6時間余りかけて行く。

深夜2時に出発するこの行を、3年目までは年に100日、その後5年目までは200日、計700日行う。

どんなアスリートでも山道を30㌔2日に一度のペースで5年間行えるか。しかも途中脱落は許されない。

行者は、短剣と紐を携帯し修行を断念する場合は、自ら自害する。自害する体力もなければ紐で首をくくり縊死する決まりだ。

懐には埋葬に必要な金銭のみ携行している。

これを満行すると、いよいよ最も過酷な「堂入り」が待っている。

「千日回峰行」の画像検索結果

不動明王をまつる明王堂に、足掛け9日間籠る。その間10万回のお経を唱え続けると言う。

行者は、事前に自らの葬式を終えて入る。不眠・不臥・断食・断水で、経を唱え続ける。

これを終えて、堂から出て来ると「阿闍梨」と呼ばれ、大勢の信者に迎えられる。

何人かの僧に抱きかかえられ死人のような表情で出て来るのだ。ここまでが自分の為の修行だと言う。(自利行)

「阿闍梨」の画像検索結果

そしてこれ以降は、衆生を救うため(他利行)の修行に入る。

6年目、60キロの行程になり100日行う。

7年目、年間200日間の内100日を、京都大廻の平場84キロの行程と、

あと100日は山中の30㌔余りの行程を巡る。

この度、その975日の満行者が出た。

 

「千日回峰行」の画像検索結果

 

その後2~3年以内に100日の五穀絶ちと7日間の断食を護摩行と共に自らの決断にて行う。

(これを火あぶりと言うらしい)

975日終了したところで、「北嶺大行満大阿闍梨」と呼ばれる。

これだけ文明が進んだ現代に、この事にどれほどの価値があるのだろうか。

地位や金銭を求めるのならこの苦労は、何も得られない。しかし命を懸けて行う僧がいるのだ。

宗教的プロパガンダ的側面も否定しないが、並大抵のことではない。

テレビでは、それでも豊田議員の「このハゲ―。」がまだ流されている。

宗教上の事なので取り上げにくいのか。マスコミのモラルを疑う。

個人的に英雄視してはならないが、大衆にもっと報道されるべきニュースだと思うのだが?


洛陽33所は、22番に来た。 城興寺

誠に地味なお寺だ。四国88か所や西国33か所にも、マイナーなお寺がある。

しかし、特に語るべき遺跡などなかった。ただ、藤原氏の歴史検証には重要なお寺だ。

藤原道長の九条殿が始まりと言われる。先の法性寺殿と同じく、摂関家の藤原氏の隆盛がうかがえる。

従って、歴史的価値は十分にあると思われる。

御本尊は、円仁(慈覚大師)の時代のものなので時代は平安初期にさかのぼる。

円仁は山門派の祖。


下の写真には、成興寺となっている。城ではない?

京都地下鉄、九条駅すぐにあるが、マンションの大きな壁に挟まれたお寺であった。


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150アチャコの京都日誌 再びの京都 見る影もない しかし そこに京都の矜持が?

2017-09-19 17:33:43 | 日記

見る影もない 

古来、このことばは、一時存在感を発揮した大きな人物や組織・団体が、現在に至り存在感を発揮出来ないか

今やそれどころかその可能性も見いだせない時に使う。

「先日、アントニオ猪木が単独、北朝鮮に赴き高官と会談した。帰国後、会見したが、その姿は

見る影もない ものであった。」

「政権政党であった民進党。以前の民主党は、前原さんが党首になった矢先、女性幹部の不倫報道に

より支持率が上がらない。今や 見る影もない。」

「入団当時の藤波晋太郎。いつでも三振が取れる球威を誇り、フォームの欠点などのアドバイスには

耳を貸さない傲慢ささえ気にならなかった。自信に満ちていたからだ。それが今や、一つのデッドボールで委縮し

ストライクが入らない。もう 見る影もない。トレードの可能性すらある。」

「私は、実はテニス選手だった。若い時はトーナメントにも参戦し若い人の指導もしていた。

しかし、今や 見る影もない。」

しかし、これは誤用である。私のようにその昔、さしたる存在感も発揮していない人間には使わない。

(自分で言うのは勝手だ。)

 

さて、洛陽 21 番 法性寺は、見る影もない寺だった。(その時はそう思った)

勿論現在の、住職のせいではない。長い長い歴史の中で埋没したのだろう。

平安初期、藤原忠実の創建。その後、歴代の藤原長者の所縁のお寺になる。

中でも藤原忠通は、道長・頼道の4代後の人で、一条家・九条家・近衛家・鷹司家の元になった人物だ。

法住寺殿と呼ばれた。東寺の寺域は現在の東寺や東福寺も及ばない広大なものだったようだ。

近くの東福寺塔頭 同聚院の「不動明王像」がここの創建当時の仏像らしい。(以前紹介したが凄い憤怒の顔が怖い)

また、写真の国宝千手観音も創建当時からの御本尊だ。いずれも当時の勢いを感じる雄大な仏像だ。

京都には往時の隆盛からは考えられない小さなお寺が多いが、ここはその格差が半端ではない。

伏見街道沿いにあるが、普通の民家並みの軒幅で、近くの交番で聞いてやっと見つけたほどだ。

門は閉まっていて、インターフォンを鳴らして出て来てもらったのが、お年を召したおばあさんだった。

あんじゅ様か住職の奥様か?

品格を感じる丁寧な対応で、安心したが「御本尊はどこで拝めば良いですか。」「どうぞそこで正面向いて拝んでください。」

玄関先ではあったが、正面方向に安置されているらしい。

 

法性寺

 

玄関先からは入れなかったので、往時をしのぶ歴史的な存在感はうかがえない。

 

HPから写真を拝借。国宝の立派な仏像だ。一般公開すれば人気が出るだろうが、お寺のポリシーがそうしないらしい。

それも一つの「矜持」なのだ。見る影がないわけではない。

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149 アチャコの京都日誌 再びの京都 福勝寺 解散総選挙 政策を見極めよ 

2017-09-19 07:49:44 | 日記

安倍首相が解散の意向を固めたようだ。

古来、首相の衆議員解散、日銀総裁の金融政策の決定(公定歩合変更)の二つは嘘が許される。

決定まで本当のことは言わない。 早速、野党や小池百合子が「大義無き解散」だと批判している。 馬鹿か?

 画像

主義主張や政策を訴えるチャンスだと思わねばならない。 特に政権を目指すものは、ここを千度と政策論争を行ってもらいたい。

プライマリーバランスをどう正すか・それに伴う経済政策・北朝鮮問題など国防政策・ 働き方改革を労働法からどうするか・

憲法改正など論点は多い。間違っても、「森友・加計批判」「不祥事議員」などの批判に終始することがないようにしてもらいたい。

批判のみで、自らの政策を明確にしない議員には投票しないようにして欲しい。(そういう候補者が意外に多い)

とにかく不祥事議員など選んではならない、それを見極める為に、よくよく政策を見て行こう。

政策と実行力を発揮してくれれば多少の行儀の悪さは目をつぶっても良い。

昔の政治家はみんな「女」がいた。田中角栄は行儀が良かったか?佐藤栄作に女はいなかったか?吉田茂は?


洛陽33か所 29番 福勝寺 に行った。

街の中に埋没した存在で、ひっそりと建っている。正門は常に締めていて本堂は月二回だけ開ける。

左近の桜。桜寺と呼ばれる。後西天皇の下賜。

弘法大師が開山だが、色々な変遷を経て現在地に移った。

近くの一条通は、最近「お化け通り」で有名に。

 

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148 アチャコ再びの京都 洛陽33か所 30番 椿寺 その前に恐怖の台風経験

2017-09-17 17:48:28 | 日記

 昨日の台風の最中、徳島から高松まで運転した。皆さん台風を甘く見てはなりません。

午前中は薄日が差すほどの、穏やかな朝、それならばと、四国88ヵ所巡りへ、

発心の地徳島へ、順調に8番まで来たとき、それまで小雨程度だったのに遂に突然大雨が降ってきた。

お寺の人が、「どちらからですか?」「奈良からです。」「直ぐに帰った方が良いですよ。」

「イイエ、泊まりは高松なんです。」「ええっ!台風に向かって行くのですか?行けますか?」

そうか、台風に向かうのか。当たり前の事に今頃気がついた。そう思った途端に、土砂降りが一層ひどくなり、風も出てきた。

まさに一瞬の出来事だ、急に不安に襲われ直ちに、高松に向かう。高速道路が通行止めになっていないか、気になる。

向かう途中、何度か巡回のパトカーや消防車に出合う。町に人も車も出ていない、スッカリ災害対策の模様だ。

「大雨」の画像検索結果

山越えの道に、風による倒木が吹き飛ばされ路上に転がるのと遭遇する。もう少し大きければハンドルを取られ大事故になる。

高速道路は、まだ、閉鎖とはなっていないものの、運転には限界の状況だ。

ワイパーは全開でも前方を注視しないと怖い。まばたきも出来ない。前のめりでハンドルを握る。

何より恐ろしいのが、対抗車線の車の水飛沫をまともに浴びる瞬間だ。数秒視界が無くなる、誠に怖い。

道路上は水はけが追い付かない。プールの中を走行するようだ。速度をかなり落とすがハンドルを取られる。

「大雨」の画像検索結果

遂には、自分の車のしぶきで前が見えない。なにか意識が遠のいたような不思議な感覚。この世にいる感じがしない。

高松市内は、完全に道路は冠水している。大きく水しぶきをあげて数少ない車が走り、数台立ち往生している。

「大雨」の画像検索結果

無事ホテルについたのが不思議だ。因みに横で、配偶者は高いびき。大物だ。かなわない。

写真は本文と関係ない。


出発の前日、洛陽33か所30番 「椿寺」 地蔵院に行った。

聖武天皇勅願の古刹だが、秀吉恩愛の、五色八重の散り椿が有名。椿寺の別名の由来はこれだ。

 

   散り椿 落ちてなお 咲く 未練かな

退職の日にわが感傷をうたった句だ。椿は花が咲いたまま花びらだけ落とす、

昨今の定年退職者もまだまだ咲いているのに、・・・。

本尊は地蔵菩薩。枝垂れ桜もきれいな寺。葉桜も良い。

忠臣蔵、討ち入りの義士を経済的に支援した功労者、天野屋利兵衛の墓がある。

「天野屋利兵衛は男でござる。」は、有名なセリフ。

北野白梅町に近い、今は妖怪通りで有名な一条通の西の端。

 

 

 

 

 

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147 アチャコの京都日誌 再びの京都 31番 東向観音寺 & スーパー女史登場

2017-09-16 06:54:21 | 日記

久しぶりにテニスの試合を見て来た。

デビスカップ国別対抗戦の入れ替え戦、ブラジル対日本。

シングル2試合。杉田祐一世界ランキング41位がストレート勝ちしたが、

添田豪が、フルセットの接戦で勝ったが、勝負の流れが激しく動き見応えがあった。

上が、杉田の勝利の瞬間。

下が、添田が松岡修三にインタビューを受けているところ。

大阪の靭公園。しかも解説者付きだ。

お誘いを頂いた、年齢不詳の女子。

とにかくスポーツを含むあらゆる芸能スポーツ情報に精通している。

ドラマなどは倍速で見ても内容が理解できるというスーパー女子。

小柳ルミ子が年間、600以上のサッカーの試合を見ていると言うが、それに匹敵する。

むしろジャンルの広さは他の追随を許さない。

ゴルフ・柔道・サッカー・相撲・バトミントン・卓球・レスリング(アマのみ)・ボクシング(プロのみ)

などはもちろん、最近は、将棋・囲碁・カーリングにまで及ぶ。

ドラマは、すべてのドラマを網羅し俳優の好みを問わない。ただし思想上の理由で、韓流は見ない。

プロ野球などは、各年代の優勝チームはおろかMVPや新人王まで脳内にインプットされている。

芸能情報については、不倫相関図を完全に把握しているし結婚・離婚の時期を正確に予想する。

最近は、芸能リポーターの批判を行い、その格付けを実施する。いずれワイドショーに出るかも?

その様なスーパー女史を傍らに、解説付きで観戦した。誠に便利が良い。

チャレンジやテクニカルタイムなど、なじみのないルールについて聞きながら楽しんだ。

ただし、試合に熱中するあまり会場中に響く大声で、「ガンバレーーーー!」と連発すると、やや引いた。

テレビの前でも絶叫しているのだろう。ストレスの発散なのだ。

さて、31番 東向観音寺に行った。

北野天満宮の神宮寺だ。神宮寺とは明治まで当たり前にあった神社内のお寺の事。

桓武天皇の勅願のお寺と伝わるが、菅原道真公が学問に励んだ場所と言う。

本尊の十一面観音像は道真自らの作。

境内には、道真の母の一族である「伴氏」の大きな供養塔があった。

洛陽31番の石碑。

室町の時代には、尊氏の保護が厚く栄えたと言うが、今は廃仏毀釈の時代を経てさびれている。

北野天満宮は、来月のずいき祭の準備で賑わっていたが、ここは訪れる人は少ない。

住職夫婦が親切で色々話してくれたのが救いだった。

 

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