南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆Capek de!

2014-02-13 22:49:47 | 行動

 1854 ソチオリンピック、あまり、話題になっていなかった種目、選手がメダルに届いているようですね。オリンピックというものは多分そういうものだろうと思う。だから、期待が大きい、羽生選手や浅田選手がメダルに届いたら、立派のものだと思う。

インドネシアでは全く話題になっていない。残念だったねとか、よかったねとか、多分、サッカーのワールドカップなら、いってくれるでしょうが。

 

平日のジャバベカ1行きは、精神的に疲れる。渋滞がなければ、雪が15分、帰りが20分掛からない距離だが、この頃、行きに30分、帰りは50分掛かる、平均だから、一時間以上かかる時もある。行きは、まあまあ。帰りは怖い、MM2100など西へ行くときも同じだ。酷いものだ。帰り道は、三つの道から選択をするが、いずれも、渋滞は覚悟しなければならない、程度の問題だ。道のり遠くても、渋滞が少ない方を選ぶことが多い、時間的には変わらないかもしれないが、周りの車の接近が少ない方が、少しは楽だ。同じ時間に走って、他の道と比較ができないので、良かったのじゃどうかは分からない。

 

ということで、今日は、一番遠い道を選んだ、ジャバベカ2からカリマラン川沿いの道を東に向かい、デルタマスまで行き、デルタシリコン3や4の中を通って戻った。途中、チカランバラットとチカランティムール(デルタマス)インターの中間の新しいインターチェンジ(チカランプサッ)に通じるカリマランにかかる橋が出来あがっていた。

 

どうなるでしょうね、このインター、いつ頃から、使えるようになるのでしょうか。便利だと思うのに、思わせぶりが長く、あまり、期待をしなくなってしまっている。

明日も昼過ぎからジャバベカ1へ行かなければならない。挑戦距離はそう遠くないのにね。

 

今日訪問した会社がまた、分かりにくい場所だった。まず、聞いていた住所が移転する前の住所でした。グーグルマップで、その場所を確認した。聞いた住所にあった。それを信じてプリントアウトした地図を持って、捜した。工業団地の北の端、行ってみたら、それらしき工場、会社が無い。近所の人たちに訪ねた。確かにその辺りだがない。私が聞いた人も、その近くのセキュリティーに聞いてくれたが、どうも、この辺りではないらしい。

目的の会社に電話して、住所を確認したら、それは、二年前までの住所で、今は、ここだと、教えてくれた。しかし、私には、そこへ行くのに、どこを通っていたらいいか分からない。向こうの人は、一生懸命説明してくれるは、分からない。そこで、直ぐそばにあったカキリマのおやじさんと替ってもらって、聞いてもらった・そのおやじさん、見かけに寄らず、丁寧に道を話してくれた。そっちへ行って、直ぐの三叉路を左、次の四差路を右に曲がると両側に屋台の店が並んでいる、200mほど行くとみ時に緑の建物がある。そこだ。と。

 

行ってみると、その通りの通りだった。しかし、こんなところにあったの?というくらいに。工業団地を出てしまったような所にあった。セキュリティーが外に出て待っていてくれた。30分くらい捜してしまった。30分くらいのミーティング後、帰りは怖いに就いた。

 

でも、他人にたずねて、目的地にたどり着く、インドネシアに来ているなと実感する良い機会だと思う。あまり、不満では無い。自分の行動が面白い。チャペッ デー!

 

この先に訪ねる工場があった。ここはジャガベカ1の工業団地の中ではないような気がする。

 

カリマラン川沿いのインドネシアらしい風景、沈下橋とトイレとお墓売り。

捜す 訪ねる 行きつく

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(^_-)-☆どうなるの?

2014-02-12 22:38:23 | 能力

 1853 ハーバード大学や理研でSTAP細胞の研究や発見され、認められる可能性があるかもしれない、そして、それは、iPS細胞と何がどう違うのか、知っていたのでしょうか、山中教授をはじめ、世界中のiPS細胞の研究者は、全く、知らなかったのでしょうか。もし、知らなかったとしたら、あまりにも、kodok didalam tempurung ヤシ殻の中の蛙、井の中の蛙大海を知らず、ですね。論文を何度も、提出しても、受け付けて貰えなかったのですから、完全秘密裏に研究されていたとは思えない。スパイをしなければならないとは言わないが、どんなことでも、研究をしている方々は、もっと、他の研究者が、どんな研究をしているのか、世間を知る必要があると思う、そして、マスコミ関係者も、もっと、科学者が、今、どんな研究に取り組んでいるのか、紹介したらいいと思う。科学欄を充実させたらいいと思う。STAP細胞に関して、世間は全く知らなかった。発表されてびっくりし、何者だ?と、慌てて、情報を集め、深く知らない状態で、記事を書いてしまっている。比較の文章も、本当なのか、どの程度なのか、書いた本人が知っていて書いたものとは思えない。

報道がちょっと落ち着いた今になって、比較して、意見を言っているようだが、癌化のリスクのこと、作成効率のこと、安全性のこと、などなど、断定できるほど、確証はあるのでしょうか。

ただし、私がお思うに、ゴルフで遠くに飛ばせる人ほどスコアーがよくなる可能性があるように、STAP細胞の方が、遠くにボールが飛んでいるから、いろいろの可能性は大きい。

よくわからないが、全く異質の研究でしょうか、両研究を融合させる可能性はあるのでしょうか、両方をそれぞれ、独自に研究を続けるのでしょうか、それとも、iPS細胞の方は、隅に追いやられるのでしょうか。当事者、関係者は、情報収集の重要さを感じる事態ですね。これからどうなるでしょうか、私はどちらの恩恵も受ける可能性はゼロですから、どうでもいいことだが。

 

AFGANの“Bukan cinta biasa”の歌詞です。”普通の愛じゃない”数年前の歌ですが、カラオケで歌います。

Kali ini kusadari  Aku telah jatuh cinta Dari hatiku terdalam
Sungguh aku cinta padamu

Cintaku bukanlah cinta biasa ここがサビです
Jika kamu yang memiliki

Dan kamu yang temaniku seumur hidupku
Terimalah pengakuanku
Percayalah kepadaku
Semua ini kulakukan
Karena kamu memang untukku
Cinta ku bukanlah cinta biasa
Jika kamu yang memiliki
Dan kamu yang temaniku seumur hidupku
Cinta ku bukanlah cinta biasa
Jika kamu yang memiliki
Dan kamu yang temaniku seumur hidupku

Terimalah pengakuanku

 

 ジャラントールを使えば、必ず見る風景です。なぜ、インドネシアのトラックは路肩の外に出てしまいたがるのでしょうか。

 

 タマンセントサの中にあるコランブルナン(スイミングプール)がある場所です。 

 選択 共生 期待

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(^_-)-☆共通した気持ち

2014-02-11 22:42:02 | 行動

 1852 キタガワ時代の教え子とメンテナンス部門にいた人、二人で会社にやってきた。珍客到来である。彼らと話をするには8年ぶりだと思う。もう、彼らも40歳近くなっていて、それぞれ別の会社で、中堅としてやっているようだ。私よりはるかに、羽振りが良いようで、会社での自分の立場について、色々打ち明けてくれた。生活も安定している様子で、一時に、撤退や移転など、また、押出し部門の冷遇などの事は、既に遠い話になっている様子で、良かったと思う。それで、何が目的だったかというと、技術的なことです。押出成型の事は勿論だが、彼らが今関わっている管理に関することが多い。品質管理の製品ごとの管理のポイントについてが多い。

 

それはそれとして、世間話も合いま合い間にする。一般的に日本人は知らぬが仏の話だ。従業員のほとんどが黙認しているとか、協力している話だ。会社のものを持ち出してしまう話である。インドネシア人の本質、日本人の本質を着いている典型的な話だ。会社本位というよりインドネシア人社会本位という話です。

会社から物が消えるといことは、どの会社でも、日本人は気が付きます。それで、対策を講じます。典型的な音はCCTV(監視カメラ)です。これでもかと言わんばかりに、隅々まで、睨みを利かせようとする。しかし、ほとんど無駄です。効果は限定的です。従業員全員が加担するというか、協力しているのですから、映像をチェックして報告する担当者が見ないふりを磨るのです。そして、どうでもいい動きだけを報告するのです。これは、会社に対するささやかな嫌がらせだが、気が付いていなければ、厭がさせにならない、だから、自分たちの自己満足なためでしかないが、それが、インドネシア人にとっては必要な行為なのです。「どこの会社でもやっているよ」ということです。

 

点検の頻度を上げることも対策の一つです。しかし、報告は無くなっていないということにされて、無くなっているものは、経費で補充されます。原材料が抜かれるなんていうことは、日常茶飯事で、中には原材料会社に戻るということも在るから、やるなと思う。

 

そして、競争相手の会社に、日本人は負けまいとするが、インドネシア人はそうは、思っていない。それぞれの会社の秘密と言われる情報は、当たり前のように、筒抜けになっていて、インドネシア人の管理職同士は、定期的に食事会をするというか、情報交換会をするケースも多い。そして、お互いの会社の日本人の評価をし合うのです。どこの誰は、どんな事をやっている、などという話も、それぞれの会社の運転手同士だけの話ではなく、もっと、金額にまで、立ち入った話になるという。うまく立ち回れる人は、日本人からある程度のものを受け取りながら、情報を漏らさないふりをし、実際は、どんどん漏らしているというしたたかさもある。

 

日本人や日本企業にささやかな抵抗をしているのです。勿論程度の色々だし、例外の人もいるが、これは、インドネシア人の共通意識です。車上荒らしを側にいるセキュリティーが見て見ないふりをするのと同じ気持ちだと思う。

 

取り締まりでバイクを止められた男が振り切って逃げようとしたが、警察官に殴られ倒された現場です。

 

私が好きなことを知っていて来る途中で買って持ってきてくれたチェンペダック(Cempedak)を輪切りにしてみました。これでは実を取りだせないし食べにくい。何日か前の写真と比較してみてください。余計ですが、私は、最初、名前を聞いたときに、チンポダッコ、と聞こえた。実際、今、そういっても、最初何の事?という顔をされるが、すぐに、チュンペダックでしょ、と、分かってもらえる。

紛失 消える 共通意識

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(^_-)-☆一寸気(木)になる

2014-02-10 22:44:40 | 行動

 1851 クイズと言えば、インドネシアでは時間制限があって、その中で、いくつ答えられるかという形式が多い。変だと思う。20秒以内に五つの問いかけに答える場合、進行役が問いを読んでいる時間の合計が、同じになっていないので、公平でないように思う。それに、20秒の内10秒以上呼んでいる。それも非常に早口だ。答えは一問0,5秒以内にしないと全問に答えられないように思う。

 

昨日、立ち寄ったジャイアン(Giant)ジャイアントではありません。インドネシアでは有名なハイパーマーケットの一種です。食料品を始め、生活用品、電気製品、などなど、ミニデパートメントと言ったところでしょうか、ちょっとした町にはほとんどあると思う。同種の規模のチェーン店は他にもあって。ハイパーマート カルフール ロッテマレットなどがそれです。ちょっと前までドイツ系のマクロがあったが、最近は、見なくなった。大体、日本や韓国の食品のコーナーも在るようです。ラマヤナ、マタハリ、ヘローなどは、地方へ行けばその名も残っているが、ジャボタベック辺りでは、ほとんどこの名前は無くなっているようです。

 

雨季もピークになっている今、カユプティー(Kayuputih)白い木材、という意味の木の花が満開になっている。気付け薬として知られているミニヤック カユプティー(minyak kayuputih)の主原料になるのは、この木の葉です。前に書いたかもしれないが、子のほど長い葉をむしって、両手で揉むと、その匂いがする。日本のメンタムにそっくりな匂いだ。気を失った人の鼻に近づける使い方をよく見たことがある。鼻がス~~とするので、鼻詰まりの人が嗅いでいる。この花は、ウラッ(ulat)に、似ているという。毛虫です。木の色が白っぽいから、その名がつけられたことは明らか、木の皮は、剥がしやすい、切りが無く、剥がすことができる。

 

日本は大雪だったようですね。鉄道や空の便に大きな影響がったようですね。静岡平野はどうでしょうか。雪どころか雨も降っていない、曇りだそうだが、曇りの日は暖かい。くもりなら、おそらく真冬でも最低気温は5℃くらいだと思う。最高は10℃ちょっとではないかと思う。それでも、私にとっては、寒過ぎて、インドネシアが良いと思う。そのインドネシアのチカラン付近の天気、昼間、数時間、雨季とは思えない、日本の真夏の様な空になった。雨季に晴れえると日差しは乾季より強い。白い雲がすぐ頭の上に見える。洗濯をしたが、夕方には大雨になっていた。

ジャイアン カユプティー チュアチャ(cuaca)

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(^_-)-☆百人に聞きました

2014-02-09 22:46:36 | 知識

 1850 クイズ100人に聞きました(ニュー ファミリー スラトゥスnew family seratus)8チャンネルで夕方5時から毎日やっている。土曜日には、家にいれば見ることにしている。インドネシア語の勉強になることと、インドネシア人の知識や考え方とか、受け止め方が分かるからです。

 

今日の問題から二つ取り上げてみた。先ず、どんな恰好で寝るか?です。一位からTelentang(トゥレンタン)  Tengkurap(トゥンクラッ) Miring(ミリン) Duduk(ドゥドゥッ)ですが、意味が分かりますか、想像してください、日本人とあまり変わらないと思いますが、仰向け、伏せる、横向き(斜め)坐った状態、ですが、一番目と二番目の単語を知っている人は凄い。私が持っている辞書には載っていない。知らなかったが、番組を見ていると意味がわかる。

 

次は、ハイヒールの片方の足が折れてしまったらどうしますか?です。 Patahin sebelah(パターイン スブラー)  Lepas sepatu(ルパス スパトゥ)  Beli baru(ブリ バル)  Dibuang(ディブアン) Diperbaiki (ディプルバイキ) Ganti sandal(ガンティ サンダル)。片方も折ってしまう、靴を脱ぐ、新しい靴を買う、捨てる、直す、サンダルに替える。この答、全部意味が分かりました。ただし、インドネシア人の対策の取り方が分かるような気がします。直ぐにはどうするのか、聞いていないので、時間の流れは関係なく、どうするかを答えていて、それで、終わりになっていないが、それらの後どうするのかは、謎のままになっている。

それと、ここに出ている単語のeは、全て、“エ“としか聞こえない、また、受身のdiが頭に着けている単語が二つある。ということは、する人からでなく、された靴の方から見ている言葉だと分かる。ちょっと、日本人の思い方と違う。こういうことが分かる。

写真を出していないが、もうひとつ、犬に追いかけられたらどうする?Lari/Kabur(ラリ・カブール) Jongkok (ジョンコッ)Lempar batu (レンパル バトゥ)Diam (ディアム)Manjat pohon(マンジャッ ポホン)の順です、圧倒的に逃げるが多かった。座り込む、石を投げる、じっとしている、木に登る、でした。石を投げる人は石が側にあること、木に登る人は近くに手ごろな木があることが条件ですね。ディムは黙るという意味で主に使いますが、じっとしている、という意味のも使われます。

外国人にとっても、いろいろ知ることが多い番組だと思う。

 

日本から持ってきたドライイーストが無くなってしまった、もっと買っておけば良かったと思う。で、ゴルフの帰りに近くのジャイン(GIANT)に寄って、捜した。インドネシア語ではRAGI(ラギ)でlagiではない。酵母菌ですね。パンを作る時に使う、乾燥した粉です。勿論、インドネシアでも売っていますが、買う人は少ないようだし、知っている人も非常に少ないと感じた。店の人に聞いても知らない、通りがかりのご夫婦に聞いても知らなかった。小麦粉やケーキの材料や添えるものを売っているコーナーにあるはずだ。RAGIと書いてる箱や袋を捜したが見つからない、通りかかった綺麗な女性に聞いてみた。彼女は知っていた。ロティを作る時に使うものでしょ、と言いながら、一緒に捜してくれた。日本人ですか、パンを作るのですか、私は日本へ行ったことがあります、などと、しゃべるのが好きそうな人だった、日本人に聞かれたのがうれしかったようだった。結局、その辺りでは見つからなかった、今度は、レジまで行って、場所を教えてくれと頼み込んだら、そこの責任者のような人が出てきて、直ぐに案内してくれた。捜していた棚の背中合わせの棚にあった。インスタント イーストと一番上に書いてある、RAGIという文字も見える。買う人はほとんどいないから、と、いいながら、5箱しか置いてない中から、一つ取って、箱を開けて、中に4袋入っている事を見せてくれた。箱の外に11gと書いてある。それで、4袋? 一袋2,75gかと思いながら2箱買った。こんな日本人はいないでしょ、と、思いながら。

クイズ 参考 興味 

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(^_-)-☆務まらない

2014-02-08 23:10:14 | 体験

 1849 文章が間違っていて、理解しにくいかもしれませんが、日本語、英語、インドネシア語でウェブ サイトを作ってみました。とにかく、インドネシアでは、まだ、作られていないものだけ(例外はある)を作って行きたいと思っています。輸入している押出し成型品は輸入する必要がなくなりますよ。

http://otaenplaext.net/newpage52.html  PCカバー(LED直管ランプ用)

http://otaenplaext.net/newpage53.html  TP.ASKA 押出成形部門の紹介です。(ウェブ サイト)

 

私がインドネシアで始めて作った製品のほんの一部です。

 

昨日に続いて、今日、見つけた意見をかなりはしょって、見出しだけを抜粋してみました。

『仕事でうまくいかない人の5つの特徴は次の通りだそうです。
1.会社を批判し続ける
2.上司を否定し続ける
3.「自分は仕事をしている」と思い込んでいる

4.「できない」理由を見つけるのが得意

5.「ブーメラン」の意味がいつまでもわからない』

という文章があった。合っているかどうかは別問題だが、これらの事を見ると、仕事でうまくいかない人ではなくて、会社の中の他の人とうまくいっていない人の特徴を指摘している。そして、その前提が仕事の能力が低い人になっている。

仕事でうまくいっていない人の定義は?能力が実力通りかそれ以上には発揮されていない。仕事で成果が上がっていない。会社に対する貢献が足りない。そういう人の事でしょう。その原因の一つとして、会社の仲間や上下関係とうまくやっていけない、というのがあるとは思う。場所を借りるような、個人でする仕事、例えば、商品のセイルスをする人、勧誘をする人などは、同僚と仲良くなどということはほとんど無視していい。生産に携わる人はチームワークが重要な職場が多いので、それなりの気使いができる人でなければならない。仕事で合せるというより、仕事以外の事で他人と合わせる能力が必要とされる。リーダーとなれば、上に会わせるとともに下のレベルアップも考えなければならない。難しいですね。

 

というわけで、私の場合ですが、今は違うが、私の部門だけなら、上手くやってきた。就職して1年も過ぎないうちに、色々ある部門の中で、私が配属された押出し部門を自立させていた。その時は、三交替勤務の班長で部下は6人でした。中卒高卒で東北や山陰出身者ばかりでした。それでも、私の班から製品を立ち上げ、製品化し、次の日に出勤してきたときにその製品に不具合があってストップしていたラインをまた立ち上げる役目をした。そして、押出し部門は十分な利益を上げていた。しかし、三交替勤務を卒業し係長補佐というポジションで押出し部門全体の責任者になった時から、組合の委員長をしていたこともあって、部下からは、信頼されていたし、部下に不満は全然なかったが、仕事をしないで手柄だけを持って行き、自分ができないのに、あれやれこれやれ、遅いなどと、文句タラタラ、挙句に自分が引き受けてしまった仕事を渡しにやらせ、自分は手を出せないので出さない。期限までにできないときは、私に、誤りに行かせ、製品ができた時には自分が持って行く、その製品に公差に入っていない部分があって、客先から指定されると、私に文句をいう、そしては、私に製品を持って行かせる。そしてOKになれば、ご本人が製品の梱包方法や検査方法について打ち合わせに行く。給料は親会社からの出向ということもあり、歳も10歳以上上ということも在り、私の二倍以上だった。バカバカしくて会社を止めることにしたのは入社して5年目でした。実際に止めたのは7年目が終わった三月末でした。

自分で始めれば、順調そのもの、儲かる仕事がどんどん舞い込んだ。ほとんどが、日本では私が始めて作った製品でした。社長を止めた50歳まで、社員は良くやってくれたし、待遇も零細企業にしては人もうや止むように情況にしていた。取引銀行からの信頼も地域でNO1だった。

 

そして、その後、インドネシアでは、やはり、その会社のトップがそれなりに仕事してくれている人なら、十分な利益をもたらし、客先やインドネシア人から信頼されている私の存在も認めてくれていたが、仕事をしない人がトップになった時には、その人からはあからさまに排除された。その人たちが気の毒に思った。その人たちは『』内の事が当てはまる人達でした。私を排除しても、ご本人、そう長くいるわけでもいない、他の人に変わった時に、惨めな思いをする可能性が高いと思う。

 

通勤途中の大雨。

やる やらない やれない

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(^_-)-☆詐欺師

2014-02-07 22:41:43 | 変!

 1848 おれおれ詐欺に関して、つじつまがあっていないと思う、こんな文章があった。

『携帯の悪用防止カギ=振り込め詐欺。 警察を中心にした取り組みは一定の成果を上げているが、親心につけ込む「おれおれ詐欺」が10年前の水準に戻るなど深刻さを増している。

低リスクを可能にするのは、身元を偽って契約されたり転売されたりした携帯電話だ。同庁が昨年5月の事件に使われた電話を調べたところ、判明したほぼ全てが携帯だった。口座に振り込ませる手口が激減したのと対照的に、携帯は中心的役割を担い続けている。』

 

テーマとしては社会性がり、何とかならないものかという気持ちは伝わる。私も同感で、人の弱みに付け込む卑劣な犯罪だと思う、是非、撲滅させてほしいものだと思う。

他人の事は言えないかもしれないが、どうしたらいいという、提案というか、方法について何も書いてないことと、何故、こういう状態になっているかという原因についてもポイントがずれていると思う。おれおれ詐欺師に携帯電話を使うのを止めさせようというのでしょか。ホームテレホンではなくてモバイルホーンを使うようになったから増えていると言いたいのでしょうか。ハンドホーンの悪用防止を、どうすればできるのでしょうか。何を言いたいのか見えてこない。

“銀行の口座に振りませる被害が激減している”のなら、いったい、どういう方法で、お金を渡させているの?それを減らさなければだめでしょ。携帯に振りもませているの?そうじゃないでしょ。現金を手渡しする方法が急増しているのでしょうか。現金とは限らないが、金品の渡し方のランキングを公表しなければ駄目でしょう。心掛けなければならないことの第一に、現金は手渡し以外しないようにと、いっている人もいる。変ですよね。

 

それとも、振り込め詐欺が増えているのなら、“銀行の口座に振りませる被害が激減した”というのは違いなのでしょうか、やはり増えているなら、そこのところをなお重点的に監視する必要があるのでしょうが。

 

私が思うのに、一人で行動をしないこと大切でしょう。どんなに緊急な事態だと思っても、お金を準備する前に、身内なり、近所の人なりに相談することです。派出所でもいい、郵便局や銀行の人でもいいし、通りがかりの人でもいい、電話を掛けることができる人ならだれでもいい、とにかく自分一人で動いてはいけない。話が本当であっても、一人で判断してはいけない。緊急な事態だと思えば思うほど、誰かに手助けを頼まなければいけません。緊急事態に一人で何とかをしようといこと自体、大きな間違いでしょう。思い上がりでしょう。このことができなければ、一種の催眠術師『振り込め詐欺師』『おれおれ詐欺師』『勧誘詐欺師』の思う壺です。

 

家の冬の庭と夏の庭で。冬でも雪は降りません、降っても、年平均一日も降りません。霙が何時間か降るだけです。風花(カザハナ)が年に二回ほど舞うでしょうか。雨が降る日は暖かい。夏の真夏日(35度を超える日)は一日か二日だけです。去年は一日だけでした。寒暖の差は小さい静岡平野ですが、私はそれでも冬の寒さと夏の厚さには耐えがたいと思う。インドネシアが過ごしやすい。

催眠術 詐欺師 迷惑メール

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(^_-)-☆壊される

2014-02-06 22:53:22 | インドネシア

 1847 私は別にいらないのに、町内会長さん、熱心に私にKTPを取らせようとする。選挙の話をしていた。選挙人登録までしてやるとも言っていた。誰かに投票を頼むその準備だと勘繰る。今朝も、早くから電話が掛かってきて、分かっているのにゴミを出す日だから、早く通りに出しておいた方が良いよと言って来た。余計なお世話輪だと思うが、テリマカシというしかない。

昨日町内会長さんの家を夕方7時頃訪ねた、例の期限付きKTPを作るための写真や書類を届けるためだった。今から行くと電話をしようとしたがなっているのに取らない、何回か試みたがでない。今度は直接お宅に行ってみた。鉄格子の扉に鍵が掛かっている、10mほど先の家の中から明かりは漏れているのでどなたかはいると思うが、声を掛けながら鉄格子を叩いても応答なし、しばらく、繰り返し、あきらめて自宅に戻った、5軒先なので、30分後にまた同じことを繰り返した。そして、今日はもうやめにした。夜10時ころになって、その、町内会長さんが、訪ねてきた。外出中で電話に出られなかったとう。持って出ていないのかよ、何のためのHP? そして、用は済んだ。

 

インドネシアの中流階級の住宅の多くは、鍵を掛けた鉄格子の扉で閉ざされていて、そのすぐ中は駐車場になっていて、玄関までは最低5m離れている。訪れた人は、鉄格子を叩いて、来たことを知らせる。何度も叩く、応答があるまで叩き続ける。そういう方法しかない。叩く道具を持っていなくても、そこについている錠を持って叩くのです。私の家に偶にみえるお客さんもそうする。

 

インターホーンを鉄格子扉に付けてある家を見たことが無い。門が無くて直接ドアーをノックするような家でも、勿論、インターホーンを付けていない。何故、普及していないのでしょうか。HPが普及した今、SMSか直接話で、外にいることを知らせればいいと思うが、直ぐに通じない場合の方が多い。やっぱりインターホーンがあった方が良いと思う。一番考えられることは、直ぐ壊れてしまうか、直ぐ壊されてしまうからだと思う。大体、インドネシアでは不特定多数の人が触れるもの全ては、直ぐに壊されるというのが常識だ。公衆電話、今は、新設をしないようだが、ハルテ(バス停)、空港やターミナルに設置されているものも含めて、以前、見たことがある全てが壊されていた。

そして、一度壊れてしまえば、修理が簡単にできないし、自分で買って来て付け直すなどという家はあるはずが無い。自動販売機も似たような運命になるので、道端には設置できない。ホテルやオフィスビル、空港などしか見ることはない、それも、壊れたのか、壊したのか、使えなくなっている場合の方が長いような気がする。壊れたら、すぐに修理をすることもない。モナスの地下の歴史展示場にコカコーラの自販機があった。当時はどこにも自販機はなく、ここで初めて見つけた時には驚いた。1998年でした。そして、そのすぐ横に女性がイスに座っていた。

壊れる 壊される インターホーン

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(^_-)-☆財テク

2014-02-05 22:59:04 | 知識

 1846 いろいろのことがあるもので、今日は会社のトイレに閉じ込められた。勿論、会社内に人がいたから、電話で呼んで出してもらった。経緯はこうだ。そのトイレのドアーは、ちょっと強く押さないと、しっかり閉まらないので、いつも、半開きになっていた。私が入る時にはちょっと強めに押してドアーをしっかり締めるようにしている。今日も、同じように入って、用を足して、出ようとしたら、ドアーが開かない。外からロックされてしまったらしい。人を呼んで出してもらった。このドアーロックように押しボタン(ノブの中心にある)が外側になっているのだ。家やホテルの部屋のドアーは、外から、ボタンでロックできるようにするが、トイレのドアーは普通、内側からロックできるようにするでしょう。インドネシアらしい話でした。

 

一万五千円を超えていた日経平均が一万四千円近くまで急落しましたね。円が買われていますね。私は昨日、円を十五万円ルピアに替えました。これは、日本への往復航空券と二カ月の生活費になる。ルピアは、半年余り、徐々に下げていて、今は、対ドルで12000Rp以上になっていて、円が下がっている時も対円でも値下げをしていた。しばらく、112~115Rp,1円で落ち着いていたが、ここへきて円が上がったので、118Rp,1円くらいになっている。

 

何故、こういう傾向になるのかは専門家がそれらしい事を言っているようだが、結局のところは、予測は出来ない、理由は後付けである。評論家は後だしジャンケンをしているのです。今の状態はこうなっているが、明日や明後日はこうなるというなら、がらっと、流れが変わるとは言わないで、この傾向を引きずるでしょうというに決まっている。

 

私は、財テクと言えるかどうか、インドネシアで生活していることもあって、必要でもあるので、為替相場だけで、やっていると言えばいえる。そして、予測してやってはいない。結果から、それほど多い金額ではない売買をする。今すぐ必要の通貨でもない。昨日も一時に比べれば、ルピアが下がっているので、円を売ってルピアを買ったのです。今後もっとルピアが下がるかもしれません。そうなれば、ある時期にまた、円を売ってルピアに替えるでしょう。得のしそこないとは思わない、その都度、少し、得をした気になって売り買いをしている。逆に円が下がれば、手持ちのルピアを円に交換する。全く損をしていないと思っている。

 

商品相場や株には絶対手を出さない。先物取引の勧誘は頻繁にあったが、どう考えても、手数料が腑に落ちない。取引をすればするほど、仲介者を儲けさせるだけで、一般投資者が儲かる確率はかなり小さいはずだ。競馬や競輪などの賭け事と同じで、しょば代を払う分だけ、配当が少なくなっていると同じだ。その点、手数料は勿論払うが、為替の現物なら、結果を見て交換するのだからリスクはほとんどない。一攫千金とは、いかないが、すこしずつの満足観はある。

賭け事の関係は全く経験が無いというより、馬鹿にしていて、手を出す人の気持ちがわからない。パチンコは三交代していたサラリーマン時代に夜勤明けで、パチンコ屋の前で開店を待って、軍艦マーチと共に他のおっさんたちと争ってなだれ込んだこともあったが、付き合いと暇つぶしと、雰囲気に浸るためで儲けようとは思わなかった。チューリップの時代です。マージャンも学生時代とその時期だけ、付き合いでした。これらも40数年以上見向きもしていない。全てが、バカバカしいと思うから、他にやることがあるでしょ、と思うからだ。正月1日からパチンコ店の駐車場が一杯になっているのを見て、寂しく思う。

 

昨日の位置から全く移動していない、仕事をした形跡が無いロードローラー、大雨が続いているので、舗装の仕事ができない。穴は大きく深く広く、数も増すばかり、トラックは左右に揺れながら穴を乗り切っている、倒れてしまいそうな傾きだ。

投資 財テク リスク

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(^_-)-☆大学生の時

2014-02-04 22:48:33 | 思い出

 1845 高校時代については以前書いたが、大学生活についてです。定量分析や定性分析などをする機会が多かったので、穴だらけになった汚い白衣?をはおって学内を闊歩していた学生時代、先日、その場所に何十年振りかに行ってみたことは書いたが、本当は、本分なる勉強をほとんどしていなかった。ほとんど、遊んでいた。クラブは卓球部、一年の最初からレギュラーだったので、真面目に練習もしなかった。高校時代、やっていたどころか、運動もしていなかった人達が、大学へ入ったら、それほど、きつそうではない卓球部へでも入ってみるかとか、教育学部(当時は学芸学部といっていた)の人は、教員になった時に、何か運動部にはいっていた方が採用試験で有利などの感覚で大勢新入部員がいたが、そういう人を相手にする気が無かったので、練習はいい加減だった。上級生も似たりよったりで、私より上か同等の人は二人しかいなった。

で、同じ体育館でバドミントン部も練習していた。中に甲府二高(当時は女学校)バドミントン部にいた女子が二人新入部員として入って来ていた。二人とも上手で、いきなりレギュラーになっていた。可愛くて恰好もよかったので、直ぐに、話しかけて、練習はそっちのけで話をして、ちょっと、時になっていたり、卓球部の先輩、四年四年生に、私としてはかなり美人と思う人がいた。女性に中では一番上手で、他の女性部員では相手として不足だったのでしょう。私がいると必ず彼女から相手として指名された。髪を伸ばし始めたが、まだ坊主頭の私を可愛いと思ったのでしょうか、また、彼女が望む強さら、方向に打ち返すことができた私は練習相手として適当だったのでしょう。私はちょっと面倒だなという顔をしながら、結構、満足していた、彼女が部から離れるまで半年ほど続いた。後で知ったが、彼女には卒業した卓球部の先輩と既に婚約していたのでした。その先輩、結構、ハンサムで、休日や合宿などに現れて、何かと、指導をしていたが、地元にいる先輩は多いと思うが、その人以外は、だれも来ない。面倒見のいい人だなと思っていたが、彼女目当てだったのでした。

 

卓球ばかりでは付き合いが狭いと思って、書道部にもはいった。子供のころから書道は得意だったので、書道部にはいっても、あまり練習もせず、逆に教育学部の女性部員を指導していることが多かった。五十人ほど部員がいたが、工学部からは私ともう一人いただけだった。それでも、卓球部のキャプテンをしていたので、書道部では、部長の補佐をする機会が多かった。“学書展“といって、山梨県では相当権威のある、小中学生一般の人も対象に、書道展を山梨大学書道部が主催してやっていた。相当歴史もある展覧会です。各学校から出された書き初めを県の書道家の権威の方々にしんしてもらって、席書大会に来てもらう人を決めてもらい、席書大会会場は大学の付属小学校の教室を使った。300人くらいの児童生徒が山梨県中から集まった。学校対抗という賞もあったので、引率の先生も大変、燃えていたし、山梨大学の出身者が多かったこともあって、先生同士の争いにもなっていたようだった。賞に入った人たちの作品やや審査員の意見を載せるための小雑誌の広告費を集めて回ることもした。各、後援団体、例えば、県教育事務所や商工会議所やらへ出かけて行って、私が手書きした賞状に県知事とか教育長の大きな印鑑だけ押してもらった。

 

夏は合宿やら遠征で忙しく、冬は武田神社の右隣のある灌漑用水、竜が池でアイススケートを毎朝講義が始まる前に楽しんでいたし、長野ヘスキーをしに行っていた。愛宕山の展望台まで一週間に3回ほどは登っていた。ブドウの季節にはブドウ棚になっているブドウを手が届けば、とっと頂いて、食べながら行った。道端の垣根の外に、はみ出している柿やイチジクや枇杷やザクロなども大いに腹の足しにさせてもらった。合宿の時の牛カエル(食用ガエル)私は始めてその泣き声を聞いた。捕まえ食べてしまった、美味しかった。その後、泣き声を聞くたびに出動して食べていた。

家庭教師もいくつかやっていたし、奨学金も貰っていたし、頼めば親からも資金援助をしてもらえると思っていたし、自立の始まりでもあった。この時の生活環境が、今のインドネシアの環境とよく似ていると思っているので、この時も今も何の不自由も感じていなかったし、感じていない。勿論、友人にも恵まれた。この中で妻とも知り合った。思い出は、まだまだ、山ほどある、全てが、何のストレスも感じない自由で貴重は時間でした。人間関係などと言ったことは全く頭になかった。どうしてもやらなければならないなどということもなかった。自分がやれる事、やりたい事だけをやって過ごした四年間でした。そのままサラリーマンになってしまったので、務まるわけが無かった。

もう、50年も前の事です。当時の事は毎日日記を書いていたので大学ノートで5冊、今も残っている。

 

毎年の凸凹が今年も酷いことになっていて、たったの数百Mのこの場所通過するのに30分以上かかっている。やっとロードローラーが到着した、だからと言って、この強い雨の連続、舗装を修復するのか容易ではない。いつ直し始めるのでしょうか。

 

この通り、どこでしょうか、分かる人は相当、リッポチカランの裏道を知っている人です。

無菌 自由 自立

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(^_-)-☆注意報がない

2014-02-03 22:38:19 | 情報

 1844 そんなものインドネシアにはないと思う、聞いたことが無い、私でも予報ができる天気予報はあるが、注意報、警報の類は無いはずだ。現在、インドネシア全体が異常低温になっていることは明らか。それも、私の記憶では、数年前と十数年前に経験しているだけの異常さである。それ以上、長期の異常かもしれない。低温ばかりでなく、火山の影響や洪水で農産物の収穫が極端に落ちている。勿論、価格も急上昇している。その情報は伝えられているが、今後どうなるかの情報は出ない。

 

地方毎に、大雨洪水警報や注意報が出されても良いと思うし、異常低温警報も出されてしかるべきだと思う。バンダ アチェの大地震、津波を契機に、国家防災庁(BNPB-Badan Nasional Penanggulangan Bencana)を設置され、災害に対する予防や対策、援助に関して、効率的に対処するために作られた組織ですが、そのことで有効かどうかも疑問だが、予報を出す機構でもないようだ。

 

インドネシアで日本の気象庁に相当するのは、BMKG(Badan Meteorologi Klimatologi dan Geofisika. Indonesia)で、正式名称は、インドネシア気象・気候・地球物理庁です。

一応天気予報や洪水予報も出します。しかし、その地域別予想図を見ても、理解に苦しむくらい、奇妙に思う。これが注意報と言えないこともないが、確率というか、酷さを色で分けられている地図があるが、色が無い地域はどうなっているの?大洪水予報の地域で、どう見ても、ほとんど同じ環境のすぐ隣の地域が全く心配いらない地域というのか、何の色もない地域になっている。

 

基本的にインドネシア人は、予報や警報を期待していない、望んでいない。だから、予報や警報を出そうと思わない、出来たとしても、出すことは、国民にとって大きなお世話ということになる。で、それ以前に、予報や警報を出す能力がどこの組織にもない。

もし、予報や警報をだしても、当たる、当たらないは別にして、出された市民や行政は、どう対策や準備をするのでしょうか。何もしないでしょう、何もできないでしょう。そういう知恵も整っていない。

と、インドネシアは、被害が出たら、泥縄的に、それに対処するだけです。そういう世界、そういう社会なのです。

 

日本は、どうでしょうか、その、逆でしょう。国民が期待しているし、頼りにしている。出す方も、確度を上げようとしているが、なかなか上がらない、それでも、出さざるを得ない雰囲気になっていて、出す。すると、それに、踊らされる人も組織も多い、何年先に大地震がどのくらいの確率で起きるとか、起きても不思議ではないとか、面白いですね、インドネシアも日本もいつどこで地震や津波や異常気象が起きてもおかしくないというのに、考え方や取り組み方が全く違う。

 

インドネシアに一つだけ予測がある。レバランの交通渋滞予測です。ムディックとUターンの混雑状態である。

 

今朝、一羽が背中合わせの家に屋根の上に移っていた。

 

昨日は特殊だった、今日も雨の中、ぐしゃぐしゃになりながらのゴルフでした。何とか、三連チャンを乗り切った。雨の中、水辺のフラワーベッドに入り込んだボールを捜している。

警報 注意報 不必要

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(^_-)-☆風景が面白い

2014-02-02 22:54:36 | インドネシア

 1843 結婚記念日 1970年だった。だから、43年だと思うがそのうちの15年は一緒に住んでいない。何故、二月一日だったかというと、妻の学校の都合だった。横浜の小学校に勤務していたが、学期末で丁度良いということだった。一か月半ほど静岡から横浜に通っていた。一年、空白があって、静岡の東部の採用試験に合格し、再び、小学校の先生になった。それから、完全な共働きが始まった。夫婦共稼ぎの初期時代だった。スーパーで一週間分の買い物を夫婦で行くという風景はわたし達以外にはなかった。それから、私がインドネシアへ来てしまうまで続いた。食費は妻の負担だった。自動振り替え払いができる家の全費用は私の通帳から出てゆくことになっている。これのシステムは、私がインドネシアにいても変わらない。

 

インドネシアらしい雰囲気と言おうか、風景に当たった。インドネシアを凝縮した感じ。

 

雨季の真っただ中、全国各地で、洪水(Banjir)や崖崩れ(longsor)や道の陥没などで大きな被害が出ている中、本日は希に見る晴天だった、数時間続いた。その中でのゴルフ、インドネシアらしい風景である。黒さん、戸さん、野間ちゃん、小さん、佐さん、北さんダン ライン ラインニヤ如何でしょうか。

 

バイクの免許証はヘルメット着用の検問があった。やっているな、やっているなと思いながら車の運転をしていたら、突然、警察官が私の車を止めた。何も心当たりが無い、何か違反があったのだろうか、変だなと思っていたら、私の車の右側を通過しようとしていたバイクを止めて、私の前を通って、路肩へ連れて行かれた。そのバイクは、道の中央を走って、止められるのを避けようとしたのでしょう、警察官は、それを見逃さなかったようだ。

 

今朝、ゴルフに出かけようと五時半に家から出て車に乗ろうとしたら、右前のタイヤがペシャンコになっていた。それほど珍しくないパンクです。六時半にスタートなのでその一時間前に家から出て、二〇分くらいでゴルフ場に着く、準備して集合場所のレストランに入るのが三十分以上前、というのを、決まりにしている。ところが、タイヤの交換に二20分掛かってしまった。私から、遅れることを伝えようと、二人に二回ずつ電話をしたが、取らない。連絡を諦めていたら、私の到着が遅いので、そのうちの一人から電話が入った。ゴルフ場に到着したところだった。皆さんと一緒になったのはスタート時間の10分前だった。何とか間に合った。家に帰る前に、道端のタンバルバンに寄って、修理してもらった、1万7千Rp(150円くらい)でした。

 

昨日はキジャン(鹿)今日はコモド(有名なトカゲの一種)KBS(クブン ビナタン スラバヤ、スラバヤ動物園)で死んだ。ずっと以前から、この動物園の動物が死んでしまうニュースが続いている。誰かが毒を持っているのではないかと疑う関係者もいるくらいだ。1月に4動物が死んだと出ている。こちらのテレビは人でも動物でも死体をぼかしで映し出す。

 

久しぶりの晴れ、洗濯をしない手はない、一週間ぶりに裏の庭で洗濯をしようと出たら、なんと、“庭に二羽の鶏”がいた。いつどこから入ったのか、3M以上の塀で三方が囲まれている、そして上にはガラスを差し込んである。嘘のような本当の話、ミステリアス。どうしたらいいのか、どちらかの隣の家から、問い合わせも相談もない。誰も何も言ってこなければ、潰して食べちゃおうかな、そういう分けのもいかない。聞いて見ようと、訪ねたが両隣とも留守だった。日が暮れる前にもう一度確認したら、塀の上にいた。その後、塀の上のその位置で眠っているようだった。

充実 柔軟 対応

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(^_-)-☆知らなくていい

2014-02-01 22:42:35 | 思うこと

 1842 春節、中国正月、イムレックで休日でした。早朝から夕方まで家にいなかったので、中華系の住民が多い町内の雰囲気や催しがどうだったかは知らない。例年、バロンサイという獅子舞が、色々な芸をしながら、町内を巡る。多分、今年も、あったと思う。夜に入って、爆竹や花火の音がけたたましく続いていた。テレビでは、イムレック一色、アナウンサーも真っ赤な中国服を着ていた。

 

万能細胞って何?物の本に依ると、神経や筋肉、血液など体のさまざまの組織や細胞になる能力を持つ細胞。受精卵の一部を取り出して作る胚性幹細胞(ES細胞)や、人工多機能細胞(iPS細胞)がある。iPS細胞は皮膚などの体細胞に遺伝子を導入して作る。失った組織や機能を修復する再生医療や薬を作り出すこと、病気のメカニズム解明への応用にむけて研究が進む。ES細胞は受精卵を壊すため倫理面の課題や移植による拒絶反応など問題がある。iPS細胞は、癌化の可能性があることが問題になる。

STAP細胞はこれらの問題点が無いとされている。という話です。

様々、人のためになるらしいが、とにかく、どうなるのか、私には分からない。称賛に値する事だとは思うが、私のためになるとは思わない。なので、もっとよく知りたいと思わない。

 

全然違う話だが、春節、日本では旧正月というのでしょうか。日本では各地の中華街だけの事と思っていた。別に祭日のもなっていない。ところが日本以外のアジアの国々では、西暦の正月より重要視する傾向がある。子供のころから思っていたこと、それは、西暦での春節の日が決まった日では無い事、そればなりではなく、一月だったり二月だったりする事、それも、行ったり来たりすることです。イスラム暦のように、10日くらいずつ前に来るなら分かるが、一年が350日くらいになったり390日くらいになったりするように感じる。どんな暦なのでしょうか、全く、不便な暦だともう。去年は2月10日、今年は1月31日、来年は2月19日だと思う。なに暦というのでしょうか、太陰暦でも太陽歴のもない。

これも、変だと思うが、解明しようとは思わない、どうしても知っておかなければならないことではないと思う。

 

何だと思いますか。

知らない どうでもいい 分からない

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