南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆合格良かったね

2020-03-15 22:14:48 | 

 4075 うっすらと霞がっかった東の空、サンライズにぼかしがかかっている。上空には雲がない、清々しい朝だ。コロナの騒ぎで先週土日は、体温センサーでチェックされたが、今日はされなかった。何故でしょうか。

スタート時も青空、終わりまで青空、時折、涼しい風が心地いいが、ほとんどは無風で暑かった。雨傘は日傘になっていた。快適のまま終了、もう、ゴルフの途中でスコールに見まわれる確率は、ほとんどなくなったと思う、10月までは。

孫の上の子が高校に合格したと知らせが入った。おめでとう、よかったね。家からちょっと遠い学校らしいが、通学が大変、自転車と電車、そして自転車?どうするのかな。彼女のドイツ時代や幼稚園のころまでは、私のウェブサイトに写真を沢山、紹介しているが、本人が気にするといけないから、小学校高学年以後は、妹も含めて、全く、紹介をしていない。

 

インドネシア、来てますね。コロナ、どんどん増えている。そして、全国に広がっている。月曜からの旅先、大丈夫かな。マスクは絶対してゆくぞ。スカルノハッタ、ドメスティック、ターミナル2大丈夫かな、インターナショナルのターミナル3は、ガラガラだとか。

https://www.youtube.com/watch?v=2O1mRvyqMcA

Penyebaran virus corona di Indonesia kian cepat dan sudah menjalar ke daerah di luar Jakarta seperti Bandung, Tangerang, Solo, Bali, Manado, Yogyakarta, dan Pontianak

インドネシアでのコロナウイルスの拡散はより速く、バンドゥン、タンゲラン、ソロ、バリ、マナド、ジョグジャカルタ、ポンティアナックなどのジャカルタ以外の地域に広がっている

Kasus corona terus bertambah di Indonesia. Hingga hari ini, Sabtu (14/3), jumlah pasien yang dinyatakan positif menderita corona sudah mencapai 96 orang. Padahal sehari sebelumnya, Jumat (13/3) jumlahnya masih di angka 69.

コロナ症例はインドネシアで増加し続けています。現在、土曜日(14/3)、コロナの陽性に苦しみを示す患者の数は96人に達しました。しかし、前日、金曜日(13/3)数はまだ69でした。

Total 96 Orang Positif Corona di Indonesia, 8 Sembuh, 5 Meninggal Dunia

インドネシアのコロナ・ポジティブの合計96人、8人が治癒、5人が死亡

ジャバベカ6に向かう新しい広い道、車の高さ制限のゲートが両端にあることは紹介してあったが、その片方が無残にぶっ壊されていた。1.9Mより高い車が突っ込んだのでしょう。かなり勇気がある運転手だったのでしょうね。インドネシアですね。

合格 乾季へ 急増

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(^_-)-☆ショッピング

2017-11-14 22:28:54 | 

 3223 先月末で、消えてしまうはずだった、私の最初のウェブサイト、http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/ と、dionがhttpに含まれるページが、どういうわけか、昨日まで開くことができた。そして、やっと、今日、開くことができなくなった。10年くらい前にスタートしたウェブサイトが消えてなくなることは、一抹の寂しさを思う。既に、案内したように、http://otaenplaext.net/newpage300.html

「遊心」として、アップデートして、アップしてあります。

 http://otaenplaext.net/welcome1.html これは、新たに「遊神2」として、気ままに書き込んでいます。これは、完全に予備としてのページです。これからも主な新規書き込み場所は、http://otaenplaext.net/newpage0.html

こちら、「太田勝夫 enpla ext indonesi new」です。

 中一の孫が、今日は代休、町へ買い物に連れて行ってほしいのというので、午後から出かけた。百円ショップで、彼女に手つくりアクセサリーの材料をいくつか買う、その中にUVレジンというものがあった、UVは、知っている、レジンも知っている。しかし、UVレジンは知らない。それ、何?

妹にもお菓子類、ガリガリ君が二個で百円、自動販売機の飲み物、すべて、100円、彼女、驚いていた。この店、過去、三回、買い物をしているが、消費税を取らなかった。しかし、今日は、しっかり、取られていた。曜日によって、変わるのでしょうか、聞かなかった。

 私は、酒を絞り用に、ペットボトル用の漏斗を買った。

 

 私は寒さ対策として、高校、大学と冬に勉強するときには、いつも羽織って、背中や腰から、風邪を引かないようにしていた。半纏(ハンテン)だが、綿入りだった。チャンチャンコと言っていた、袖なしの綿入り半纏も使っていた。私用に、綿入り半纏を売っている店を探した、「かわにし」という店にあった。妻には、ちょっと厚手の作務衣、孫達には、チャンチャンコって何?と聞かれたが、それを、買ってあげた。さっそく、それを着て、勉強机に向かっていた。

 

 靴、中一の女の子、24,5cm、気に入ったデザインで、その大きさのものが、なかなか見つからなかったが、店員を呼んで、一緒に探してもらって、やっと、見つけた。私に似て、甲高段広、そのサイズでも、紐をかなり緩めないと入らない。多分、片足一本立ちでは、誰にも負けないでしょう。

 

 今日の支出は、ディスカウントショップでしか買わなかったので、15000円ほどだった。

 半纏 ちゃんちゃんこ UVレジン

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(^_-)-☆君の名は

2016-12-18 22:35:56 | 

 2890 評判の“君の名は“ という映画を見に行ってきた。セノバという、総合施設ビルの中にある。昔の新静岡ビルだ。孫にせがまれて、ネットで前売りを購入した。画面は実に繊細できれいだと思う。いわゆるCGではなく、昔ながらの手書き風で、相当な人数と手間(時間)が掛けられた作品だと思う。日本だなと思った。

物語については、どうだろうか、何故、ヒットするのか、私には分からなかった。というより、話自体が私にはチンプンカンプン、男と女の子が入れ替わる、いつ戻ったのか、変わったのかも分からないし、隕石が落ちる位置もあり得ないし、最後には、ほとんど助かったと言っているが、三年前の報道では、500人以上犠牲になっていると言っているし、なぜ、東京で、何年後かに会えるのかも、不愉快なくらい、不可解。私にわからないのだから、小学生のアニメ好きの子供に、何が分かるというのでしょうか。創造力?想像力?が素晴らしい?前衛的設定?ま、とにかく、画面は綺麗だ。と、映画については、眠かった。

 

日本ですね。インドネシアではあり得ない。映画が終了。製作スタッフなどの名前が、真っ黒い画面に、白の小さい文字で流される。総勢何人でしょうか。数えようと思わないが、思っても、数え切れないでしょう。中国人と思われる名前も、あった。そんなことより、何が日本的かというと、音声や歌が流れない静か中で、文字だけが、下から出てきて上に消える。何分くらいでしょうか。少なくとも5分以上だと思う。皆さん、誰もしゃべらない、誰も席を立たない。じっとしている。全部終わってもまだ、そのままだ。何秒か後に、あかりが着きだした。やっと、誰かが立ち上がった。それを、皆さん待っていたように、立ち上がって、歩きだした。私としては、滅茶苦茶その時間が長かったし、窮屈だった。私が端っこの席なら、文字が流れ始める前に、席を立って外に出ている。

 

映画館から出て、車に戻るまで300mほど歩いた。途中、何屋さんでしょうか、店の前の行列を三か所見た。これも、日本だね。行列を見て、うれしくなってしまった。私なら、並ばない、というか、行列になっている店は避ける。

 

この橋は、駿河大橋、国道一号線だ。快晴、今日の富士はくっきりはっきりでした。

不可解 無理 綺麗

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(^_-)-☆せまがれて

2016-07-25 23:09:19 | 

 2747 上の子に、大人用というか、中学、高校用に自転車を買ってやった。インドネイアならこれが、バイクになる。5万円でした。それでも、高いと思うが、インドネシアのバイクなら12、3万円くらいする。よくみなさん買ってやれると思う。下の子には、今まで通りの子供用自転車で我慢してもらって、来年、大人用を買ってあげると約束し、納得させた。上の子の今までの子供用の自転車を使うことになる。薄暗くなると、自動的にライトが点く代物だ。錠も二か所着いている。

 

以前から、せがまれていた、近所にある、ラウンド1という、なんというのでしょうか、ゲームセンターやボーリング場、カラオケがある施設に行った。車で5分くらいの場所、この前は、以前から、頻繁に通過していて,そのたびに、“おじいちゃん、いつか、寄ってみようよ“と、言われていて、それを、実行した。

 

先ず、カラオケ、受付カウンターがあって、そこで、時間と飲み物の予約をする。私たちは30分頼んで、それは、15分ごとに、追加料金を払うシステムのようだった。飲み物はドリンクバーでセット料金になっていた。スナック、ポテトチップスやアイスクリームなどもそこで注文した。

買い物かごのような中に、マイクを二本と部屋番カードが入っている、それと、リモコンセットも入っている。それを、渡されて、部屋の方に行ってくださいというわけだ。2番という部屋、30番まで部屋があったが、それぞれの広さは分からない。私たちの部屋は、6人程度座れるスペースがあった。早速、歌い始める、孫も私も初体験、セッティングの仕方が分からない。モニター画面の下についているリモコンセットが分かりやすく、そちらで、予約を入れて行った。最初の歌は、なぜか”翼をください“だった。孫も私も歌える。彼女たち大声で張り切って歌っていた。ご機嫌である、大喜び、私も調子に乗って、”負けないで”“tomorrow”など。孫たちが知っていそうな元気な曲を歌った。びっくりしたには、上の子が“朧月夜”を予約していた。

大満足で1時間で10曲以上歌って出てきた。料金は2600円だった。3人分、飲み物、スナックなどを含んでなので、安いと思った。

 

プリクラ?写真編集ボックス?というのでしょうか、写真を撮って、いろいろ、編集するやつ、400円、人数に関係なし、これも、初体験、これにも夢中、何回かのポーズで撮影し、編集室に移り、文字や飾りや背景などを適当に書いたり、消したり、時間がかかる、黙っていれば、消したり、追加したり、きりがない、いつまでもやっている。編集を止めさせ、プリントを待つこと2分くらい、何やら、小さい写真が沢山出てきた。

 

午前中に注文してあった自転車を自転車屋に寄って受け取り、上に子はその自転車で家に帰った。孫と一緒におじいちゃんも十分楽しんだ一日でした。

カラオケ 自転車 初体験

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(^_-)-☆西伊豆半島

2016-02-29 22:47:20 | 

 2600 久しぶりに三津シーパラダイスへ、沼津のインターから南下し、沼津の町を通り、狩野川を渡り、なお南下する。ちょっと、40年以上前に独立した時の工場に寄ってみたくなって、本線からわき道にそれて、行ってみた。志下(シゲ)という地名だ。周りには干物の工場が沢山あって、ちょっと臭かった。今はどうか、季節ではないかもしれないが、臭くはなかった。50坪ほどの貸工場、並んだ、奥の方だ。ここで、ポリカペンダント用のPCチューブを冬でも曲げてもクラックが入らないチューブを工夫してつくった。おかげで、1ラインで、毎月4トン(900円×4000Kg=360万円)の原料を使い、700万円程売り上げた。また、オンラインでの6ナイロン面取りスパイラルチューブも日本で初めて作った。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage007.html

孫と一緒だったが、彼女たちにとっては、何の意味もないことは分かっているが、ここが、おじいちゃんが、会社を作った場所だよと、つぶやいた。

 

そこから、なお南下し、三津シーパラダイスへ、お決まりのイルカショーそして、餌やりなど、彼女たち、二回目だが、初めてのように、十分、楽しんだようだった。私も、十分、満足した。昼食は、彼女たちの希望でパスタ、大盛を注文、すごい食欲、数年前には、フライドポテトで十分だったのに。こいつら、遺伝子、四分の一かあと、眺めてしまった。

 

なお南下し、大瀬崎を通過、土肥に向かった。フェエリーで帰るためだった。14時半過ぎに港に着いたが、10分ほど前に出港したばかりだった。次は17時20分だという。さてどうしよう。すぐ近くの金山跡へ行ってみた。私は眺めていたが、砂金採り体験に夢中、時間を十分、つぶすことができた。老眼では見えない、小さな金をいくつか手にして大喜び、家について、第一に報告したことは、そのことだった。私は、何より金は重いってことを、比重の概念を理屈っぽく,おじいちゃんは物知りだぞと、彼女たちに話してやって、分かったかどうか、自己満足した。

http://otaenplaext.net/newpage107.html

フェリーの中も、追いかけっこで走り回っていた。そして、それを見ていて、おじいちゃんをするのも、そんなに長い期間は残っていないなと思う。二三年すれば、相手にされないだろうなと思う。

孫 元気 遺伝子

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(^_-)-☆登呂遺跡

2015-12-26 22:35:46 | 

 2535 年に二回、孫達が着るものを買ってやることにしている。子供服の安売り屋、中国人が観光バスを連ねて爆買いにやってくる、静岡駅周辺のデパートや老舗の服やは、目が飛び出るほど値段が高い。そんなところは駐車するにも満車が多くて、時間がかかる。郊外の安売り店のほうが、品揃いは多いし、安いし、駐車場も敷地内にあるから、無駄に時間を使うこともない。沢山買えるから、孫達も大喜びだ。しかし、私はいいと思うのだが、客は少ない、というより、ガラガラだ。外国人による、超高価なものを爆買いの世界から二、三キロ離れた場所では、安値でも閑散、変な世の中だ。

 

何も、羨ましいとは思わない、逆に、何か間違えていると思う。インドネシアにでは、バイクがあふれかえっていて、子供もバイクに乗って通学や遊びに使っている。そして、車は排気量が多いものを求める。日本はどうか、インドネシア人に、日本ではバイクは全くないといっていいほど、見ないし、車は、オートマで、1000ccくらいが多いよ、ランクルやパジェロを見る機会はほとんどないよ、と、言ってやるが、信じない。貧富の差が、どんどん広がっているのでしょうね。

 

静岡市街の南の方に、行ったので、ついでにと思い、登呂遺跡に寄って見た。私は、何年ぶりでしょうか、20年ぶり以上来ていなかったと思う。小学校のころには遠足で何度も来ていたし、個人的にも自転車で、何回か来ていた。安西5丁目の家から、静岡駅まで4Kmそこから、2Kmくらいもっと南、そのそばに女子商があったので、小学校のころは、珠算の検定試験や珠算選手権のために、高校になってからは、卓球の中部選手権のために、自転車で多分10回以上は、行っていて、ついでにというか、行きがかりで、友達と一緒に、登呂遺跡でぶらぶらしたことも何度もあった。弥生時代の遺跡として、当時から教科書にも載っていた。その後、どんな時だったか忘れたが、敷地内のある芹沢 介の美術館に何回か他人を案内したことがあった。

 

今は、駐車場や入り口が敷地の南になっているが、ずっと以前は、北側にあった。今回は孫達と初めてでした。孫達と同じ年のころ、ここに来ていたことを思うと、感慨深いものがあった。竪穴式住居と高床式倉庫は多分、何度も何度も作りかえられていると思うが、当然だが、それぞれ、第一号の一棟ずつしかなかった。今は、何棟かに増えていた。そのひとつの前で、火起こし体験を孫達はしていた。田植えや脱穀、土器つくりの疑似体験もした。彼女たちにとってはいい経験になったと思う。なかなか、もう帰ろうよとは言わなかった。あれもやりたい、次はそれと、動き回っていた。田んぼのあぜ道を歩くのも楽しそうだった。爺さんとしては、寄ってみてよかったと思う。

 

子供を連れて、2000年前の生活をちょっと体験するには、個人的になんとなく行ったほうがいい。団体で行くと、限られた代表だけの体験になってしまうでしょう。ボランティアの方たちでしょうか、懇切丁寧に指導してくれるし、一緒にやってくれる。いい体験メモリーになるでしょう。ここには、中国人などの爆買い団体は来ないようだ。

遺跡 体験 安売り店

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(^_-)-☆まだ、やれる

2015-01-13 23:20:56 | 

 2188 去年の1月4日にいって以来の“グリンパ“、昨年、帰国してから、ずっと、せがまれていて、適当な日が無く、もう、今日しかないので、行って来た。天候に恵まれ、途中、雪や凍結など、何の心配もなく、行くことができた。

一年ぶりのアイススケート、何とか、手摺の世話になることはなしに、滑ることができた。ただ、左右、片足で交互に滑ることができる距離が大分短くなった。普段、時々、片足立ちをしているが、震えが来て、長時間の片足立ちが次第にできなくなっているので、仕方がないと思う。

 

孫たちは多いに楽しんだ。一緒に私も楽しんだ。立体迷路やアスレチック迷路、その他にも、ぶら下さがったり、這いつくばって、くぐりぬけたり、駆けあがったり、下りたり、若いお父さんやお母さん連中と一緒に、動き回った。乗り物、遊具に乗ってスリルを味わうというより、頭を使い、体力を使い、平衡感覚を使う遊び方で、子供達も充分楽しめるこの場所を気にいっている。できれば、孫が行きたいと言ってくれるまで、年に一回は、行けたらいいと思う。

 

片道2時間、場内にいたのが6時間、8時に家を出て、もう、暗くなった18時に戻った。孫たちは、“楽しかった、ありがとう、また、連れて行って“といっていた。

 

それにしても、中国人の団体さんが、こんなところまで、押し掛けてきているとは、時代だなと思う。この辺りには、フジサファリパーク、こどもの国、忠チャン牧場、イエティ、そしてグリンパと言った、子供や若者が楽しめそうな場所が纏まってある。そして、何より、富士山の二合目なので、目の前の富士山全体を望むことができる。ここは、ちょうど宝永山の南になる。環境も眺望も素晴らしいと思う、また、この時期の富士山は、眺めが最高だ。海外からのツアーのルートになっていても不思議ではない。

心地よい疲れだった。インドネシアでもまだ、動ける

遊び 息抜き 満足

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(^_-)-☆アイススケート

2013-12-30 22:38:11 | 

 1809 いつ以来でしょうか、もう10年ほど前になるでしょう、最後にアイススケートをやったのは。ジャカルタのタマンアングレックのスケートリンク、PT.KITAGAWAの押出部門の従業員を主体に30人ほど、私が引率し、招待した。その前、メガまモール プルウィッで3回、タマンアングレックで3回彼らと一緒にやっている。皆さん、おおはしゃぎ、感激された。

 

ということで、孫たちも7才と9才、アイススケートをやってみたいという、今日以外にチャンスはないので連れて行った。昨日よりも寒い、出がけに庭の霜柱を潰して、ちょっと滑る真似をしてから出かけた。家を出て国道に出る50mの間、西へ行こう東へ行こうか迷っていた。静岡にはスケートリンクがない。浜松のスポーツセンター(屋内)へ行くか、富士山裾野の“ぐりんぱ“旧日本ランドへ行くか、結局、浜松へ行ったのだが、理由は、道の凍結が心配だったのと、池なので、手摺がない、小さい子供だし、初めてなので、手摺は必要だと思った。ということで、屋内リンクを選んだ。

 

アイススケート歴は高校の二年の時から、大学では、武田神社のすぐ東側の灌漑用水が凍ったので毎年、30日ほどは滑っていた。スピードスケートだった。今回のスケートは10年ぶりくらいだし、年齢も70だし。靴はフィギアーようだし、かなり、厳しい条件だったが、孫たちから、頼りにされながら、何とか、4時間ばかり、スケート靴を履いて、足が何度も吊りながら、くるくる回っていた。見渡すと最年長かもしれない。靴の中が痛い、最後はその痛さを我慢することができなくなってやめた。

 

孫たちは、ドイツでもやったことはなく、初めてだった。最初の30分ほどだけ、手摺から手を離すことができなかったし、離しても、私にしがみついて来ていたが、一時間名もすると、「お爺ちゃん、自由にやるから、付いてこないで」とまで言うようになっていた。私が彼女たちにアドバイスしたことは、たったの一つ、「歩くのと同じこと、右、左と歩くように、交互に片方の足に体重を乗せてなさい」ということでした。早い、直ぐに、手摺から手を離して歩けるようになった。その後は、私がもう帰ろうというまで、ちょっと休んで、またすぐにリンクに戻った、それを何度も繰り返していた。残念ながら、また、行けるという環境ではない。

 

彼女たちのおかげで、まだ、やれるなと思いながら、家に向かったが、右足の土ふまずが何度も吊って、親指が上を向いてしまって、アクセルやブレーキを普通に踏めなくて、高速道路の途中で休憩をした。

やれる こむらがえり 頼り

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(^_-)-☆皮膚科

2013-03-26 23:05:24 | 

 1530 花粉症は、どうしようもない段階まで、来ている。耐えがたいところまで来ている。

そんな状態で、孫の頭のてっぺんに湿疹の様なものがあるからといって、病院の皮膚科を予約してあって、娘は仕事、妻は何やら趣味の会で行けないから、私に、連れて行ってほしいという。会社で製品のサンプルを揃えようと思っていたが、後日にすることにし、市立病院へ行った。町医者では消すことができなくて総合病院を紹介してもらったらしい。

 

散々、待たされて、診察されたが、結論は、単なるあざで、心配する必要はないし、消す、適当な薬もない。ただ、頭だからということは無いが、アザの中に、何十年後かに、そこから、できものが、出来やすくなることはあるでしょう、という診断だった。そんなこと言われたって、そんな、将来の話を私に言ったところで、何の意味がないと思うのだが、ちょっと、変かな、と思いながら,聴いていた。孫には、何でもなくて、ただ色がちょっと、違って見えるだけだよと、通訳をした。本人が確認できる場所ではないから、本人は親が心配している理由もわかっていない様子だ。それに関して、医者が何を言おうと、あまり、関心が無いようだった。

 

それより、フケだ。隔世遺伝だか何だか知らないが、フケが多い。これは、本人もわかること、実際、気にしだしている。医者もアザより、フケの方が気になったようで、遺伝ですか、お爺ちゃんもフケ症ですか、と、聞かれた。その通り、自慢じゃないが、私も子供の頃、母親が心配して病院に連れて行かれたことがあったが、治らなかった。今でも、フケは多い、と、話した。お医者さん、治らないと思うけれど、治ったという人もいるので、その薬を出しましょう。出来るだけ、頭の皮膚に十分に刷り込んでくださいと。坊主頭なら出来るが、髪の毛の長い女の子の頭の皮膚に十分にすりこむのは、難しいでしょ、親がそれを、できるのか、疑問に思う。

 

どうも、今日、医者へ行ったことは、意味がなかったように思う。どうでもいいことで行って、どうでもいい、結果を得ただけだった。

 

駿府城跡、内堀の桜。市立病院の駐車場から出たところ。

受診 診断 処置

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(^_-)-☆X`マスイブ

2012-12-25 22:44:25 | 

 1440 ちょっとだけ遠出、富士山の麓、そり遊びに連れてゆく。ルートは初めて使う新東名、静岡から清水インターを過ぎた清水ジャンクションを北上して新東名に入って東に向かい、新富士で一般道にはいり富士山と愛鷹山の間の道の途中、富士山こどもの国へ向かった。途中、雪の気配は全くなし、富士山に雲は掛かっていたが頂上は見えていた。“頭を雲の上に出し“の状態だった。

 

 テレビコマーシャルをしているほどだし、三連休の最終日だし、クリスマスイブなので、大勢の客で込んでいると思ったら、さにあらず、閑散としていて、人がほとんど見えない、駐車場は広いが駐車している車は入口の近くに50台ほどだけだった。その駐車場の4分の3が空き、その駐車場の他に第二第三とあるらしい。

 目的はそり遊び、しかし、雪が見当たらない、入場料を払って、広いであろう場内を、それらしき場所方面へ登ってゆく、親子ずれの他の客も少しはいて、登って行っているので、同じ方面へ行く、やっとそれらしき場所が見えてきた、ちらっと、白い場所が見えた。

 

 ソリの遊び場は、二か所、一か所は10m×50m高低差5mほど、もう一か所は10m×100m高低差10mほどか、ざっと見て200人くらいの人がいた。そり遊びをしているのはそのうちの50人ほど、孫たちは、大喜び、レンタルソリ(2時間200円)を借り、早速、滑り始めた。もう、夢中、日本では初めて、人工雪なので、シャーベット状、それでも、大満足、登りは歩くしかないが、転ぶような急斜面ではないので駆け足でスタート地点に戻っていた。私は、何もすることがない、写真を撮るだけ、とにかく、寒くて仕方がない。ゴルフの時の寒さとは違うが、こちらのほうがはるかに寒い、手が、しびれてしまって、固まってしまっている。人工降雪機からの細かい氷が風に舞って降りかかってくる。

 

 そのうちに、黒い雲が広がってきて本物の雪が降り出した。それでも、彼女たちは辞めない。次第に風も出てきて、雪も横殴りになってきた。場内アナウンスでノーマルタイヤの人は早めに山を下るように言いだした。

 まだ遊びたい彼女たちを説得して帰路に就いたが、2時間一杯ソリを使った。もう、彼女たち大満足、帰りの来るもの中ではポカポカ温度で、すぐに眠ってしまった。家に着くまで1時間ほど、ずっと、眠っていた。

 私にとっては、大変つらい一日でした。とにかく、寒い、痛いくらい寒い、インドネシア体質なので、多分、他の日本人よりはるかに寒さをきつく感じるのだと思うが、それにしても、寒むかった。それでも、お爺ちゃんは、家の縁側で日向ぼっこやうたた寝をしているわけにはいかない。

寒!! 痛!! キツ!!

 

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(^_-)-☆ちょっとそこまで

2012-12-17 22:24:18 | 

 1432 今回、日本でも初めての日曜日、早速、孫にせがまれる。どこかへ、つれて行けと。じいちゃんが、何のために日本へ戻ったかというと、自分たちを車でどこかへ連れてゆくためだと思っている。そして、どこかへ連れて行ってと言えば、必ず、つれて行ってもらえると思っている。その通りである。

どこへ行ったかというと、伊豆半島の入り口までである。

 

この順番に富士山が望めるというと、あからさまに見える場所を通過した。静岡から、どこを通って、静岡へ戻ってきたか、三枚の写真からわかりませか、他のルートではこの三枚の写真を繋げてとることはできません。

 

思い出です。三津(ミト)シーパラダイスという、沼津の南、伊豆半島の西海岸のスタート地点的な場所、水族館というより、海の動物主役のアトラクションを見せる場所といったほうがいい、孫たちをつれては三回目である。

私が初めて行ったのは、小学校四年の夏休み、沼津港から竜宮丸という遊覧船で三津水族館といった場所でした。その頃はアトラクションもイルカだけだった。そのほかは確かに水族館、丘の上にはクジラなど海の哺乳類の博物館になっていて、特にクジラに関する展示が多かった。シロナガスクジラの全身骨格の標本には圧倒された覚えがある。捕鯨の技術の進化の経過や南氷洋の状態も紹介されていた。当時は捕鯨と言えば、冒険的な職業で、花形職業だともてはやされていたので、その展示も大勢の見学者が押し掛けていた。今はどうなっているのでしょうか、寂れているが、施設の名残はあるようです、そっちの方向へ行く人は少ない。

高校生の時の夏休み、同じクラスの仲良し四人組で伊豆半島をテントを担いで一周をしたときにもやはり、遊覧船で三津水族館に渡ったのがスタートだった。バスで南下し、一泊目は大瀬崎(オセザキ)の半島を見下ろす道端にテントを張った。夕方、寝ようとしていたころ、人がやって来たのか、通りがかりだったのか、その人「ここは私に土地だ、誰に断ってテントを張っているんだ」というようなことを言っていた。何も答えようがない、「どこでも、かまわないと思って、ここが、見晴らしがいいのでここで泊ることにした」というような返事をだれともなくしたと思う。他のことは覚えていないが、そこで、そのまま一泊した。

 

その後は、娘が小さいころ、まだ、長泉町に住んでいたころ一回、つい三年ほど前孫たちを連れて行った。何も感動はない、やはり、子供のころに来た時のことが一番印象深い。

 

東名高速道路、富士川サービスエリアを過ぎた直後、富士山と愛鷹(アシタカ)山と富士市を一望、

大瀬崎の半島を足元に駿河湾の向こうに富士山

土肥港から駿河湾フェリーで清水港に向かう途中、駿河湾洋上から左から清水、由比、蒲原、富士川、富士を望む、由比漁港から、一斉に桜エビ漁の船が、ボートレースのように全速力で最適漁場に向かっている様子に出会った。フリー目がけて突進してくるよう。   

ということで、東名沼津インターから南下し、沼津の町を通って三津、戸田、土肥、清水へと一周経路でした。他の土地の人から見れば、かなりの観光ルートに違いない、素晴らしい眺めの場所が多い。

9時に家を出て戻ったのが17時前、チカランからパンガンダランへ行くことを思ったら、ちょっとそこまでという感じでした。しかし、ガソリン、高速代、入場料、食事、ソフロクリーム、フェリー代合計2万円ほど、高い、インドネシアなら5千かからない。厳しいのはガソリン代、4千円で25Lちょっとしか入らない。インドネシアなら千円ちょっとである。

旅? 憩い 癒し 

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(^_-)-☆孫の誕生日

2012-11-02 22:17:34 | 

 1387 今年は、日本でちょっとの間仕事をしていたので、一緒の日数は他の年より多かったが、それでも、60日程度か、一緒の時はいい加減に遠ざかりたいと思うが、暫く、離れていると、顔を見たくなるものだ。

 アンジェリーナ 眞弓 孫の誕生日 6歳になった。早いものだね。来年は学校だね。先ほど、電話をして声を聞いた。元気そう。孫の声を聞くのは何よりも気分がなごむ、今度会えるのは12月に入ってからになる。

 

 試作が続いている。何点かの試作品が出来たので、こんなものです。如何でしょうか。使い道は何ですかと、インドネシア人が私に聞く。逆に私から彼らに聞く。ヘルメット、背中、バイクや自転車の後ろ、などの答えが返ってくる。それらは現在、反射素材を使っている場所です。それらは、光を当てればキラキラ光る素材を使っている場所です。彼らは、それと、同じだと思うのです。

 

 そうではなくて、光を当ててもキラキラ光らないよ。太陽でも部屋の明かりでも、明るければそれらを吸収して、暗い時にそれらの光を放つ、光が無い時の自分で光をだすんだよ、と、説明する。それでもどうも分からないようだ。実際にお目にかかったことが無いから、どんなものか想像できないらしい。一人、「時計の文字盤に使われているのと同じでしょ」そして、もう一人が、「猫の目のようなものでしょ」と、言っていた。「その通り、ホタルってインドネシアにいるの?小さい動物で夜、舞いながら、お尻からぼっと明りを出す動物だよ、それと同じだよ」というと、「クナンクナンでしょ」という、「そう、インドネシア語では、ホタルのことをクナンクナンというのか。そうだね、そう名前を付けたらいいかもしれない、“テープ クナンクナン”にしようかな、“テープ マタ クチン”より良いだろ」といった具合。結構、盛り上がった。

 

 その他の準備も着々と進めているが、次の試作品はウエイトバーと言って、布巻き上げ式のブラインドの重りというか、巻き上げの芯というか、ウエートだから、重りでしょうね。真っ白に近いPVCなので、変色が問題になることは、はっきりしている。こういう製品のデザインをする人は成形の難しさなどは考えない。PVCは茶色く変色しやすいので、白ではなく、黒とか赤や茶色にしてくれれば、簡単に出来て安くできるのに、また、どうしても白にしたいなら、PVCでなくてPPやPEなどにすれば、やはり安くできるのに、インドネシアでももっと早くできるのに、今まで出来ないという事はインドネシアの技術では難しいのです。それを、私がやろうとしているのです。楽しみです。

 蛍 猫の目 文字盤

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(^_-)-☆仕方ないか

2012-01-11 20:54:33 | 

1091 私は二種類のハンドホーンを使っている。日本用とインドネシア用です。インドネシア用は世界のどこにいてもその国の電話会社に自動的に接続して、どこでも受信できるし、送信も出来る。だから、日本へ持ってきている。私が日本にいることを知らない人はこの電話に掛けてくる、もっとも、インドネシアの人はSMSを送ってくることの方が多い。SMSは無料のことが多いので節約になるからである。

勿論請求はインドネシアの契約会社から来る。頻繁に掛けることは無いのでそんなに電話代がかさんでしまうことは無い。日本用は日本だけなので、インドネシアへは持っていかない。

 ところで、この二台の電話、家にいる時には、孫たちのおもちゃになっている。目覚ましの時間を設定したり、写真を撮ったり、ストップヲッチとして使ったりしている。壁紙というか、最初の画面を変えたりもする。アカンベーをしている顔が突然現れる時がある。

そして、どちらかが、一つのハンドホーンを隠してしまうことが在る。朝、出かける前に無くなっていることに気がつく、あるハンドホーンでミスコールをして探し当てる。昨日は二つとも隠されていて、妻を起こして、一緒に探した。これから、少なくとも一つはリックサックに閉まったままにしておくことにする。

 

PVCの二色成形の金型を改造することになった。もう、私はビブアップしているのだが、急ぐので日本で作るそうで、改良型の金型の図面を頼まれた。今の金型のどこが悪いのか、掴んではいるが、新しく金型の一部を作らなければならないので、只というわけにいかない、その、申請や待ち時間などを考えると、とてもじゃないが、続ける気がしなかった。しかし、私に依頼した人はあきらめるわけにいかないらしい。何十万掛ってもいいから日本で作るという。どうも良くわからない。直ぐ手配するらしい、図面が完成する前でも、材料の寸法がわかったら教えてほしいと云っていた。材料入手が2日程かかるので、空白の時間を失くしたくないから、材料を手配しておくのだそうだ。分からない、稟議を切らなくても、この人の立場なら、何の問題も無いらしい。ま、実質、一か月、やれるだけのことはやろう。“100%勇気、もう、やりきるしかないさ”

ハーペー モバイル ケイタイ

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(^_-)-☆休養できない

2011-07-31 22:23:47 | 

もうずいぶん長い間日本にいるような気がする。金曜日に、病院へよったので、家へ着くのがいつもより二時間ほど遅かった。パンダと熊の大きな縫いぐるみが入っている

大きいトランクを抱え込んだのをいち早く、小一になった孫が、見つけて、飛びかかってきた。直ぐに、娘と妻はそれぞれ、自分たちは行く処があるからと云って、帰ったばかりの私を放っておいて、というより、孫二人を私に押しつけて、出ていってしまった。足や喉が痛いのに、下の子を保育園まで迎えに行って、その後、上の子の自転車の補助輪を買いにちょっと離れた自転車店へ行った。結局それがなくて、注文をしてきた。

 06:00には起きて、上の子とを連れて、06:30のラジオ体操にやはり、ちょっと離れた公園まで出駆けて行った。これがまた、何十年ぶりかの夏休みのラジオ体操へ参加したことになった。60年近く前と同じようにスタンプ帳にスタンプをしてもらう。それが肝心なのは変わらないから面白い。ラジオ体操第一は、先月から会社でやっていたので問題なかったが、第二は忘れてしまっていて、ぎこちなかった。孫はもっとぎこちなくて見ていて可哀そうだった。ぜんぜん、知らないことを、いきなり本番になったようなもので、大変だろ言うなと感じたが、本人は、同じようにできないことを、あまり苦にしていないようで、安心した。自転車についても、同じで、日本の小学一年生のほとんどが、もう、自転車に乗れる。しかし、彼女は乗れない。そこで、私が自転車を買って特訓しようとたくらんでいるのです。鉄棒の逆上がりができないことも解消してやりたいと思っている。

 10:00から、12:00公民館で理科の実験教室があるので申し込んである。お父さん、上の子を連れて行って、手伝ってほしいと、娘から頼まれた。カイワレの成長実験や葉の変色実験、それらに加えて、長い紐と短い紐の揺れからの違いの観察など、盛り沢山。小学生の子供たちだけでは難しさも長時間もたせられない、内容だと思う、それも、いかにも、抜けたような、男の子と同じ仲間になってしまって、そのじっとしていない悪ガキの沈め役と孫の手伝いと、余計なことで、指導者の不備な点を補完する役割も自然にしてしまうし、全く、二時間も、余計なことをしたと思うが、貴重な経験を孫と一緒にしたと思う。パンガンダランのジャングルを歩きまわっている自分と別人だと思う。タイムスリップと云うか、他の宇宙へワープしたというか、面白い。

 雷混じりの雨と風、当然中止かと思われた、安倍川の花火大会が、強行され、それの会場まで送って行く役目を19:00前に、言い渡された。終ってからの迎えも、である。

 ほっと出来たのは、22:00である。びっしり、一日中埋め尽くされた行動は、もうずっと前から、この家にいるという錯覚をするには十分であった。

 

 ラジオ体操 理科実験 安倍川花火

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(^_-)-☆長期間の別れを覚悟

2011-04-05 23:34:12 | 

 成田まで娘と孫を送ってきた。目的は東京や成田の雰囲気を感じてくる事でした。22:00ターミナル2から出発なので、16:00に静岡発だった。成田エクスプレスが復活していないので良かった。19:40に成田第二着、19:49発で帰途についた。到着して、直ぐにお別れだった。21:13東京発こだまで静岡へ着いたのが、22:40。結構の強行軍で、見送ってきた。
 東京駅は殆どのエスカレーターは止まっていた。新幹線のエスカレーターだけが稼働していた。照明を落ちしているのでやはりちょっとくらいかなという感じ、鉄道は総じて間引き運転、総武線快速の18:00頃の列車は客車が膨らみそうなくらいの満員でした。ところが、成田エクスプレスはガラガラでした。海外へ脱出は済んだようだし、海外旅行の雰囲気ではないことが原因だと思う。なにもかも自粛という国全体の雰囲気がここにも有った。
 9日は成田付近へ一泊して10日09:00発のANAでインドネシアへ戻るが、そのチケット購入とホテルのリザーブをした。
 明日から8日まで、7月からの職場の雰囲気や技術の実力、開発中の技術の内容と進捗状況、役割配分、個人個人の力量などのチェックをする。私がコンビで仕事をする人間の目安を付ける。

排水口から排出されている水に高濃度の放射能が含まれている。その排水を止めようとしているかのように見える。しかし、本気ではないようにも見える。また、低レベルの放射能が含まれている水をためてあるタンクの水を海水に流し始めた。高い放射能が含まれている水をそのタンクへ移すためである。結局、今ある水は海水へ流してしまいたいのです。それを大っぴらにやるわけにいかないので、塞げないと言って、塞がないように見える。これなら、仕方が無いと思う人が多いと思う。前に書いた、乱暴な方法を、怒りを買わないような方法でやろうとしているように見える。
 とにかく、今は、水で炉を冷やすことを最優先にしているのだから、排水を止めてしまえば、掛けた水の行き場所が無くなってしまう。
ホウレンソウの収穫をしている。妻が買ったランドセル、婿の横暴で、使うことが無くなってしまった。
 背に腹 見送り 疲労

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