南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆ポンパ

2012-10-31 22:12:27 | 環境

 1385 サニヨーではありません。ポンパ バキューム、真空ポンプのことです。某日本有名メーカーの物は2馬力25ジュタ、某インドネシアの物は3馬力10ジュタ、某インドネシアの家庭用2馬力は2.4ジュタ、何十年も前から使っていた日本製は10年ほど前に止めた。そして、10ジュタのインドネシア製をその後は使っていたが、それでも、高いと思い、今回は2.4ジュタの物を購入した。

 他の物も合わせて、購入しようと思いグロドックまで出掛けた。探しまくり、尋ねまくってやっとたどり着いたのがこの真空ポンプ、チカランやジャバベカ当たりでも探したが、丁度いいと思うものが無かったが、流石、グロドック、在った。

 行きは渋滞の中、延々と運転し続けて、9時に会社を出たのに、アンチョール経由で、着いたのが11時を回っていた。駐車スペースを探すのも大変、いつもながらの混雑ぶり、インドネシアの繁栄を象徴しているよう。ゴミゴミしているし、色々な匂いが混じって、独特の臭さ、皆さん,たくましく売っているし、買っているという感じ、私は、ここの人々の動き、この雰囲気は好きだ。

 一つの店で買い物をした後、その店の人に、他の買いたいものを言うと、それぞれを扱っている店の名前と場所を教えてくれる。近くなら、その店へ行って買ってきてくれる。皆さん、人懐こい。店の人が知らないと、他の客が知っていれば教えてくれる。勿論、歩き回って探す物も多いが、思いもよらず簡単に買えることもある。

 帰りは14:20くらいの出発だったが、JL、スディルマン経由で、気持ち悪いほど順調、15;30には会社へ戻った。しかし、コタ付近のいつもながらの競り合い、特に駅前付近はクランク道が繰り返されるので、割り込み割り込みの連続になる。あまり、気を使っているつもりはないが、それでも疲れる。

 グロドックは土曜日午前中だけ、日曜日はクローズ。だから、日曜日にしかジャカルタへは行かない私にとっては、平日にしかグロドックへ行けないのは非常に残念、だから、行きたくないと思うが、行かなければならない時がある。

 せっかく、数年前に新しいグロドックビルが生まれたにもかかわらず、業種別に区画を割り振らなかった。だから、もう一つ思う事は、色々な店が全く不規則な場所で商売をしている。ホームセンターなら、色々なコーナーがあって、目的の物は頭の上に表示を見れば、在るところが分かるようになっているし、表示が分からなければ、店の人に聞けがあるところまで案内をしてくれる。ところが、グロドックの場合は、目的別に区画整理をしていないので、行きなれない人には、何がどこにあるかわからないし、在る場所は全体に散乱しているので、全体を回らなければならない、また、一つの物をやっと買っても、次の物を買うにはまた全体を回らなければならない。勿論、既に書いたように一軒の店で世話をしてくれる場合もあるので、聞くことが大切だし、親しくなることが大切でもある。使用目的別コーナーに分けてあると、もっと、グロドックは発展すると思うが、ジョコウィさんが、提案し実施したらいいと思うが、どうでしょうか。

 明日はいよいよスイッチオンの予定である。ようやくここもできた。

 混雑 異臭 親切

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(^_-)-☆廃品売り?

2012-10-30 22:09:04 | 情報

 1384 すごい店に買い物に行ってきた。場所はジャバベカのプルタミナ天然ガス基地の向かい側、見かけは屑屋。実はトコバングナン(took bangenan)日本なら、ホームセンターです。日本のホームセンターに近い店もあるし、そのチェーン店もある。しかし、私が求めるウレタンの低発泡シート、3mm厚さとゴムシート、2mm厚は知る限りではここにしかない。グロドックへ行けば買えるが、タンブンからチカランの間ではここにしかないことは、10年ほど前から知っていて、仕事を立ち上げる時には必ずここへ買いに来ていた。今回も同じ行動でした。
この店、とにかく、どう見ても、いい加減に積み上げてあるだけだが、小物の商品の種類は大型ホームセンターに負けないのではないかと思う。建築に使うあらゆる部品というのでしょうか、電気関係のパーツも揃っている。私が求めるシートも厚さが1mmから10mmの間、1mm間隔で在庫がある。その在庫がどこにあるかは、店の一人の男性、写真の中で黄色いシャツを着ている人、こういう物、と、目に着く場所にあるものを、指していうと、サイズは?とか材質は?などと聞いてくれる。それらのことを答えると、あるよ。と、答えてくれる、値段は?と聞くと、奥のカウンターで聞いてくれと、言われる。奥のカウンターで価格を聞いて、戻ってきて、OK,買うから用意してくれと、いうと、その品物を奥の方の山の中から、出してきてくれる。私の場合はシートだから、買う希望の長さに切ってくれる。それを持って、また、カウンターへ行き支払いを済ます。
 お客さんは常時5人程度が来ている。どの山の中のどのあたりに何があるか知っているという。この程度の在庫は二階にもあるという。ちょっと中を覗いてみたが、二階へ階段が見当たらなかった。この中にきっとあるのでしょう。この山の中にも多くの商品が埋められているはずだが、どんな方法で出すのでしょうか。

 という具合で、仕事を始める時には、少ししか使わないが、また、非常に小さいものだが、なくてはならないものがある。そういうものは、一か所の店でそろえてしまう事ができないので、一つ一つ、置いてある店へ行って買わなければならない。面倒なことだが、無ければ、“画竜点睛を欠く“ことになってしまう。
 それにしても、地震でも来たら摘んである商品の下敷きになってしまいそう。
希少価値 屑屋 ホームセンター

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(^_-)-☆納豆

2012-10-29 22:11:46 | グルメ

 1385 昼過ぎ、いつものように洗濯が終わった後、思い立ってジャカルタの日本食品スーパーへ行ってきた。

 

 行きの途中と帰りの途中のジャカルタ。どこから高速道路を降りて、どこから高速道路に乗ったか写真を見て分かるようになっている。どうでしょか、分かりますか。

 

何を買いに行ったかというと、納豆とうどん。いずれも日本から持ってきたものは大分前に無くなっていて、インドネシアで買う事が出来るが、うどんはチカランでも売っているが韓国製、どちらも日本製はジャカルタへ行かないと手に入らない。そろそろ、どちらも食べたくなった。そこで、ジャカルタへ行ったのでした。14:30に家を出て、戻って来たのが16:30、スーパーにいたのは10分弱でした。

 納豆もうどんも日本から輸入したものは日本で買う、1.5倍の値段がする。高い。そこで、どちらも、開発商品と書かれているインドネシア製の物を買った。値段は日本で日本製の物を買うのとほぼ同じ、味や感触は私が期待する物と若干違うが、普通に食べられるので、これで充分である。12月の帰国まで持つように多めに購入した。うどんは冷凍保存する。

 

 うどんはそれほどでもないが、納豆はインドネシアでも旅に出ている時以外は、いつでも食べたいと思っている。チカランでも日本食レストランでマグロ納豆などのメニューはあるが、それでは、あまり食べた気がしない。

 

 実は、子供のころ、臭くいて食べる気がしなかった。家で家族が食べていても、私は食べなかった。納豆は子供が“なっと、なっとお、なっとっ”と言いながら、早朝に売って歩く物だった。私に友達もアルバイトをしていた。私は新聞配達の手伝いなどしていたので、彼らとよく会ったが、納豆売りはしなかった。匂いが嫌いだったし。

 

 しかし、小学校の5年の秋、担任の先生が皆で納豆を作ってみようと言い出し、希望者だけで作ることにした。何故、希望者だけかというと、約16時間の温度管理をしなければならないからだ。大豆と湯たんぽ、もう一つ肝心なのは稲藁である。それも、稲を刈ってから二週間ぐらい過ぎたものが良いと言われていた。まだ、緑色が残っているのも、何故かは知らないが納豆菌が付いているからだそうだ。大豆を茹でて、その稲藁で小分けにして包む。それらを毛布でくるむ。炬燵の中に入れる。そこからが何度だったか忘れたが、約60度?湯たんぽで一定の温度の保つ十時間以上である。学校の用務員室の一角を借りて、一時間毎に温度のチェックと湯たんぽの交換をした。私も夜9時ごろと明け方5時ごろ学校へ行って、その役目をした。見事に、粘り気のある臭みもある納豆が出来上がった。その日の給食時には皆で食べた、私も食べた。今までの食べず嫌いが嘘のよう、それ以来、納豆は欠かせなくなった。特に生卵と混ぜて熱いご飯にかけ、かき回してかっ込むのが一番おいしい。それは、その時から50年を遥かに超えていても同じである。朝食はそれだけの時もある。

 子供のころ好きだった食べ物は年をとっても好きのままで、しばらく食べていないと、食べたくなるものだ。黒はんぺんのフライ、ジャガイモをホクホクに茹でたもの、キャベツの千切りにとんかつソースをかけたもの、そして、納豆。いずれも、ごちそうではない。子供のころ、親から、お前は安上がりでいいなと言われたことがある。

 好物 安上がり 食べず嫌い

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(^_-)-☆一寸こだわり

2012-10-28 23:28:00 | 情報

 1382お茶 裕福になってきた証拠でしょう。最近は犠牲祭に殺す動物の寄付が異常に増えて、昨日、一日では殺しきれずに、朝の内にはまだ、かなりの頭数の動物が、道の両側のマスジッドの近くに繋がれていた。しかし、これらの動物も午後三時ごろには、いなくなっていた。いたのは。その肉を貰う為の人間様たちでした。もらって、三々五々家路につく途中でした。テレビでは、その肉の奪い合いの風景を流していた。全土各地で大騒ぎの場所が確認出来ないほど。多くあったでしょう。ま、こんなものでしょうね、インドネシアの程度は。

 

私がインドネシアで飲んでいるお茶です。静岡ですから、物心が着いた時にはこのようなお茶を飲んでいた。小学校の給食でも、脱脂粉乳は当然飲んだが、こういう色のお茶も普通に飲んでいた。中学校は弁当だったが、お茶だけは学校から出されていた。高校でもそうでした。家では、毎日、何回、何杯飲んだかわからない。

 

お茶は貰った物以外は静岡近郊のお茶です。静岡の北の方面に各地ブランドお茶があるし、牧のガ原や川根など大井川沿い、天竜川沿いの各地のもそれぞれ山地はある。静岡の東の地方、富士川沿い、富士山の麓、伊豆にもある。とにかく、皆さんは地元のお茶のフアンです。私も、静岡の北の方面のお茶も飲むが地元、丸子(マリコ)のお茶をもっぱら飲む、というより、妻が、近所のお茶屋で売っているお茶を買ってくるからである。私は、日本へ買えると、最近は、サリワンギも飲むようになったが、インドネシアへ戻るときには丸子のお茶を持ってきて、サリワンギではなく、日本茶を飲んでいる。味も重要だが色の重要、目でも満足しなければならない。

 

日本でも静岡の外へ出ると、緑色のお茶が出されることは全くと言っていいほど無い。子供のころ不思議に思った。何故静岡のお茶だけお茶らしい色をしているのだろうかと。

こだわりは、保管は冷凍庫にする。お茶は透き通った黄緑色でなければならない。内側が真っ白い茶碗を使う。日本でと急須を使うがインドネシアでは茶濾し器を使う、三回おなじ茶葉を使う、三回目が一番、私の好みです。

 

 インドネシアの日本食レストランで飲み物はお茶パナスです。お茶ディンギンを飲むことはない。勿論、色など分からない、茶碗の色がまちまちだからだし、本来の色も緑ではないことだけは分かる。おいしいとは思わないが、それでも、熱いお茶を頼む。食事の時にはお茶を飲みながらが、習慣になっているから。

 

 インドネシアらしい風景。

争う 怪我人 気絶

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(^_-)-☆犠牲祭

2012-10-27 22:22:41 | 矛盾

 1381 イスラムのお祝の日 イドゥル アドゥハ、私が一番嫌いな日です。何でこんな残酷な行事をあっけらかんとやるのでしょうか。皆さん、着飾って、マスジッドへ行き、その周りに、首を切って食べるための牛やヤギが繋がれている。何やかやと、お祈りした後、普通に皆の前で首を切ってそれらの動物を殺し、切り開き、皆さんに振舞う。こういう事をイスラムの初期には人間、捕虜を食べはしなかっただろうが、殺して、盛大に騒いだのでしょう。人の代わりに今は動物で代用しているのでしょう。どう子供たちに教えているか知らないが、残酷さをあっけらかんと見ていられる、あるいは、自分がその役目をすることを名誉と思うくらいに、当然の行為だという感覚を持たせる。戦闘的な意識、攻撃的なイスラムだと思うが。それを自分たちは何とも思わない世界を作り上げている。アラーの神がそうしなさいと言ったと伝えた将軍さまの巧みなところだと思うが、ジハードの考え方は、こういう行事にも表れていると思う。

 嫌な、行事である。

 

 日本の元旦の朝のように閑散とした通り、ほとんどの人はマスジッドに出かけてしまっていて、町は閑散としている。マスジッドの前にはお祈りの清掃をした男女が大集合、一部の道を塞いでお祈りの列が出来ている。

 前日の夜から明け方にかけて、大勢の人が大騒ぎをして、ゴミはそのまま散乱している、その傍に大勢な人が集まってお祈りをしようとしている。犠牲祭も気に食わないが、このゴミの風景も気に食わない。宗教以前に人間としてもモラルっていうものがあるだろう。ゴムぐらい片づけてからお祈りしたら、と思うし、宣教師や学校の先生は宗教について語る前に、「皆さん、ゴミを捨てないようにしましょう、ゴミが捨てられていたら、他人の物だから。そのままにしておくのではなく、拾って、決まった場所に捨てましょう。神様はきれい好きだったのですよ」と、お説教したらいいと思う。このゴミの山、インドネシア中のゴミの山を神様はどういう顔をして眺めているのでしょうか。動物の首を跳ねて歓声を上げ、その肉に寄って、たかって、われ先にと駆け寄る前に、身の回りのゴミを拾ったらどう。

 預言者と言われる神様と民衆の間の仲介者の誰一人として、ゴミの持ち帰り運動を提唱した人はいません。神はゴミについて無関心だったのでしょう。その当時がゴミが気になるほど無かったのでしょうか。そうでなくても、臭いもの、汚いものは人間の責任で無くしましょう、くらいのことは、言い残しておいてほしかった。コーランやバイブルや仏教経典に書いてほしかった。

 イスラム国家はどこでもそうですが、インドネシアでもイスラム教に対する批判はご法度です。しかし、人間の歴史も短いが、宗教の歴史などは遥かに短い、だから、宗教以前にもっと基本的な人間としても共通なモラルがあるはずだ。

 嫌い 平気 不感

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(^_-)-☆妊娠三カ月

2012-10-26 22:18:16 | インドネシア

 1380 二ヶ月ほど前から、盛んにニュース沙汰になっているが、何十年も前から、繰り返されていること、既に親になっている人達もやっていてその子供もやっていること。何世代に渡っても繰り返していること。今後何十年過ぎても、繰り返されるでしょう。犠牲者も何人か出る。その度に、文部省や学校関係の人達が対策について話をするが、何の効果も無い。今は大学生も大学同士の喧嘩が頻繁に起きている。一種の流行だ。収まっても、また、繰り返される。大学生や専門学校生の人数が増えているので、程度が低くなっている。それだけ、喧嘩の高校生化している。

警察が介入するが、そうすると、警察と学生との泥喧嘩になってしまう。全土で、頻発している。

インドネシアは今でも、リンチのようなものが頻繁に起きている。バイク泥棒が警察が来る前のボコボコにされるのは普通である。バスとバイクの接触事故でも、目撃者の誰かが、バスの運転手が悪いと言い出せば、群衆が運転手を引くずり降ろしてボコボコにするだけではなく、バスを滅茶苦茶の壊してしまおうとする。大勢で押して横倒しにしようとする。

もう一つ、不思議なことは、その現場に有名テレビ局にカメラマンがオンタイムできていることです。一部始終を撮影している。その一部が放映される。

 

Adjie Massaid  Angelina Sondakh  Reza Artamevia  Kompol Brotosenoゴシップ、ゴシップ。四人の関係をご存じの日本人はほとんどいないと思う、知っている人は、かなりのミーハーです。私もその一人かな。どうでもいいことですが、今、ホットなゴシップは Angelina Sondakhアンジー ソーダが妊娠三カ月という事です。何故、ホットかというと、私の記憶は確かではないが半年以上前に収賄の疑いで留置所暮らしになっているはず。その間、子供や家族や関係者が面会をしているが、外泊したことは無いはずだ。その人が妊娠三カ月、その二か月前に、彼女の新しい恋人という記事で乗っていたのが、Kompol Brotoseno(通称、セノ)という男性、勿論、その人との子供に違いないと言われている。KPKの職員、弁護士、法務省など関係者が適当な意見を言っている。こういう事は初めてではない、と、言いわけにも何にもならないことを言っている。

彼女は元ミスインドネシアで、国会議員である。若くして亡くなった元夫がAdjie Massaid

(アジー)さんで、有名な俳優、かなりのハンサムで、人気があった上に国会議員に転身し、主にスポーツ進行に尽くした。もし、この人が生きていれば、汚職の疑いが掛けられたでしょう。コルプシ(汚職)の疑いはスポーツ施設の建設に絡んでいたからだ。そしてもう一人、Reza Artamevia(レーザーさん)有名な歌手で、アジーの最初の妻。間に子供が二人いる。彼女が捨てられた形で離婚し、国会で知り合ったアンジーと結婚してしまった。一人の子供がいる。彼がなくなった時にはレーザーと彼女が引き取った子供二人も参列していた。というわけですが、レーザーさんの歌の一つに上田正樹という歌手とのデユエット曲があり、彼がインドネシアへ来て一緒に唄ったこともある。

 

というわけで、留置所にいる有名女性が妊娠三カ月というゴシップでした・

 

ハギノのナイフ式自動カッター付き引取機、新品に見えますか。

 

ラップトップのプロモ価格、350万Rp(3万円)ウインドウズ フィスタ7、完璧にインストールされていた。直ぐ、普通に使えます。保障1年です。ただし、ソフトは全てコピーです。ライセンスステッカーは貼られていません。べたべた貼ってあるものが何もないという事は、すっきりしていていいが、会社の中で使ってはいけません。会社の備品リストに入れては絶対いけません。場合によっては法外なペナルティー吹っかけられます。それは、予告なしで、突然やってきます。

 汚職 留置所 妊娠

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(^_-)-☆河南スタイル

2012-10-25 22:28:03 | 考え

 1379 Opa Gangnam Style  として世界を席巻した韓国の歌とダンス。私は日本では流行らないと思った。インドネシアでは何か催しがあって人が集まれば、ダンドゥットゥのダンスをする習慣があるので、当然のようにガンナムスタイルの音楽を流せばダンスが始まる。多分、カラオケでも盛んに流されてダンドゥットゥとともに女の子は踊っていると思う。しかし、日本人の客は立ち上がってそのダンスを一緒になって踊る人は少ないと思う。酔っ払った勢いでもあまり参加しないと思う。日本人には盆踊りや伝統的な夏祭りの踊りに参加することはあるが、その他の時に踊りまくるという習慣が無いと思う。外国人が何かの機会に町で踊っていてもそれに参加する人は少ないと思う。

韓国では日本で何故、ガンナムスタイルがヒットしないのか、ヒットしないことが、あたかも韓国嫌いの象徴と勘繰っている人もおおいらしい。K-POPはヒットしているし、韓国ドラマも、ヒットしている。なのに。何故?日本人の習慣に合わないとは、理解できないらしい。バブル期の渋谷界隈なら、道端で、また。歩行者天国で通りがかりの人が参加して群衆でダンスをしたかもしれないが、今は、そういう雰囲気になれる場所もないようだ。韓国の皆さん、そういう事情だから、世界中でヒットしたからといって、日本でヒットしなければ何かの陰謀だなど考えないでほしものです。

 

順調に準備は進んでいる。押出機の試運転は終わった。スクリューの回転方向も確認した。金型は作ってあるが、押出機のヘッドと繋ぐアダプター部分は現物合わせなおので、今作っているところ、来週の頭に受け取れるので、火曜日か水曜日には試作を始めることができるでしょう。そうなれば、関係各社に仕事が始まりましたと宣言することになる。押出成型品なら何でも、いつでも、出来るようになる。開業宣言は10月末日にする予定だ。

 

 それに先駆けて既に何点かの見積もり依頼が入っている。硬質PVCの話で余るやりたくないが、EJIPの某A社ではできないらしい。客先が困っているとのこと。

 

 仕事を始める時には必ず必要な物、ボルトやニップル、ホース、継ぎ手、各種スパナやレンチ、こまごまとしたものをそろえなければならない。規模は小さくても大きくても無ければ仕事ができないものです。毎日、買い物に走っている。こういう事をインドネシアで何回繰り返したでしょうか、それでも、以前は、ジャカルタのコタ、グロドックまで行かなければ手に入らなかった物が多かったが、今は、チカラン、ジャバベカ、チビトゥン界隈で手に入るので、ずいぶん楽になっている。ミツトヨのダイヤルノギスなどは日本でも手に入りにくいがインドネシアのミツトヨが近くにあるので簡単に手に入る。

 

 これらの建物?は全て違法建築です。法律によると最低一年は刑務所送りになると、警告看板が出ているが、全く無視されている。店が多いが例のカフェもある。奥行き2mくらいだが、ここに寝泊まりする。

 ダンス 苦手 不人気

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(^_-)-☆黒はんぺん

2012-10-24 22:43:07 | グルメ

 1378 昨日、お茶の話を出したのは静岡の人間としてのこだわりがあるからで、他の県の人は、お茶の色や味についてそれほどこだわらいと思う。

先日、日本へ一時帰国していた、私が以前、手伝っていた会社の人で、静岡の中学の後輩が戻って来た時に黒はんぺんを買ってきてくれた。私自身は、インドネシアへ戻るときに必ずスーパーで10パックほど買って持ってくる。ただし、インドネシアで他の人へのお土産として渡すことは一切しなかった。理由は二つ、他人に上げたくない。自分で全部食べたいからです。それと、賞味期限はたった三日です。自分は10日間ほどの間に食べてしまうが、それでも、期限の三倍以上の日数が過ぎている。それで、私がお腹を壊したということは無いが、他人に上げて、今まで、食べたことが無い味だと評価されることは承知しているが、万が一、食あたりでも起こされたら大変である。賞味期限を過ぎている物を食べさせたという事になってしまう。

彼はそれを勿論分かっているので、静岡のあちこちを探したらしい、賞味期限がせめて一カ月ほど、というパックを。しかし、見つからなくてあきらめた。ところが、日本出発当日の朝、静岡駅のキヨスクで見つけた、真空パックになっていて賞味期限が三カ月になっていた。それを、持ってきてくれたのです。私たちが貰ったのは、それから一週間後ですから全く問題なし。

ゴルフが終わってから良く行く日本食レストランでコックに頼んでフライにしてもらった。涙が出るほどおいしくて、子供のころの黒はんぺんを食べたシーンが幾つも蘇った。10以上のシーンだ。

 やはり、フライにとんかつソースをちょっと付けるのが一番おいしい。これにキャベツの千切りが山盛りに添えられていれば、何もいうことは無い。

その他の主な食べ方は、軽く焼いて、ショウガ醤油で食べる。味噌汁でも澄し汁でも細長く切って入れる。ですが、その味を消さないように引き出すような料理がいいと思う。

 

インドネシアでは数年前、静岡の同じ高校の後輩がチカランで日本食レストランを経営している、そこで、彼が静岡から持ってきた黒はんぺんを客に振舞っていたが。そこでも、それきりで、その後は全く、御目にかからない。

 

 焼津と静岡でしか売られていないと言われる黒はんぺん、理由は、日持ちはしないと聞いている。同じ製法で漁港の町ならどこでも作ることができると思うのだが、作らないのは何故でしょうか。こんなおいしいものを作らないのは不思議である。静岡のスーパーでは当たり前に大量に置いてある。安い、6~7枚入っていて80~100円以下である。

 

 小学校の低学年のころ、小使いを5円貰っていた。多分、他の子は10円が普通だったと思う。駄菓子屋で5円紙芝居に5円というのが標準的な使い方だった。私は皆と遊んでいる時に紙芝居が来ると遊びを止めてみんなと別れて、そして駄菓子屋へ行って黒はんぺんのフライ(二枚のフライが一本の竹串に刺さっている)を5円で買って家に帰った。時間を掛けて食べた。おやつである。他の子は多分、水飴を買って紙芝居を見て、その後も遊んで、夕方家に帰る前に駄菓子屋へ寄ったと思う。

 

この写真の黒はんぺんはこの倍の包みで500円、高いが土産物用に多分、防腐剤など加えられていて真空パックになっているので、当然かなと思う。普通の黒はんぺんはもう少し小ぶりで、濃い灰色で茶色見は全くない。

 

 チカランバラットのジャカルタ側からの出口ゲート、こんなガラ空きは奇跡的である。

  おいしい 懐かしい リンドゥ

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(^_-)-☆みらいお茶

2012-10-23 22:11:25 | 思い出

 1377サントリーから売り出したボトルのお茶、MIRAIを買って飲んでみた。今まで、インドネシアで幾つも緑茶という売りこみ文句でボトル入りのテーが売りだされたが、全部甘い(甘すぎる)紅茶でした。今度こそ、日本の伝統的なお茶と言って宣伝しているので、日本のボトルのお茶の味が少しはするかと期待したが、期待はずれ、やはり、やたら甘い紅茶でした。生まれも育ちも静岡の人間としては、緑色をしていなければお茶と言ってもらっては困るよ、と思っているし、渋みや苦みが若干なければお茶と言えないと思っている。日本のお茶は体にいいと思って飲んでいるが、インドネシアのこの種のお茶は体に悪いと思って飲まない。

新発売の大宣伝をしている割合には、今までの甘い紅茶となんら変わらない。知らないで飲めば、新しいお茶と思う人はいないでしょう。

インドネシアでお茶と言えばテーです。それもサリワンギという名前のチィーバッグがほとんど、独走している。それに砂糖をスプーンで何杯も入れる。解けなくて底に沈んでいるのが見える。かき回しても飽和状態なのでそれ以上解けないくらいに入れてある。テーマニスと言います。氷を入れて冷たくしたものをエステーマニスと言います。熱いままの物をテーパナスと言います。私はインドネシアのレストランや道端のテント屋台で食事をするときに飲み物としてお茶を頼むなら、テーパナスあるいはテーディンギンのタワールと言います。紅茶だけで他になにも入れないでほしいという意思表示です。黙っていると滅茶苦茶甘いお茶が出てきてしまうからです。

みらいお茶はそのテーマニスです。それも、サンガット マニスです。私にとっては甘すぎるくらいの方がインドネシア人にとっては、合っているのです。サントリーは、それを知って、やたら甘いお茶を売りだしたと思うが、日本の伝統的なお茶と言って宣伝するのは、ちょっと、違うじゃないのと言いたい。こんなに甘いお茶は日本では飲まない。缶紅茶の甘いものでもこんなに甘くない。

 

 26日はイドゥル アドゥハ(犠牲祭)です。また、一年が回って来た。道端のあちこちに牛と山羊と羊が売られている。犠牲になる動物の価格表です。ドンバは羊、サピは牛です。山羊はカンビンですがここには乗っていない。羊より安いと思う。クラスについてはどういう程度なのか全く分からないが牛の価格は羊の七倍くらいのようです。イスティメワはスペシャルという意味です。

 

 韓国人の客が多い“足のマッサージ”の価格表、日本語は無い。私は一番安い一時間4万5千Rpというやつを受けた。若い男がマッサージするからだろうか、10ほどの区切りがあって、私を含めて5人の客だったが、他の四人は韓国の奥様たちでした。日本人の家族連れや奥様同伴の出向者はジャカルタにしか住まない(例外はある)が、韓国の人達はチカラン辺りにも奥さんと一緒に住んでいる。結構、若い人が多い。

 

お茶 もどき テー

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(^_-)-☆怒鳴れない 

2012-10-22 23:01:21 | 行きすぎ

1376 私に対して、怒鳴った人に、怒鳴り返したことはある。その組織で私より地位が高い人達です。そういう人達が私より仕事ができるとは若いころから思えなかった。そういう人達は私より遥かに高額給料を受けとっていることも許せなかった。そういう人達は私に限らず、怒鳴る対象の人達に自分がやって手本を見せることはできない。出来ないのにも係わらず、自分が想定した速度でできなかったり、想定した機能を持った製品ができなかったりすると、“いったい、なにやってんだ“と、みんなの前で怒鳴るのです。“そんなにいうなら、自分がやればいいじゃないか”と工具を投げ出して、その場から、逃げ出し、工場の外回りを何回も回りながら、頭を冷やして元の現場へ戻ったことも何回かある。こんなことで、仕事を投げ出したら自分の負けだと思うからだ。結局は客先に説明をするのは私だし、満足される製品を作るのは私しかいないからだ。その完成した製品を持って行くのはその私を怒鳴った人である。

しかし、客先は分かっている。客先の担当者も早く作ってほしいし、その製品を持って、主力商品にしたいから熱心です。私は土、日曜日に出勤して試作を当たり前のようにしていたので、客先の担当者も土日でも様子を見に来ることがしばしばだったから、私一人がその製品に関係していることは十分知っていてくれた。

 

29歳で、サラリーマンを止めたのは当然の成り行きだった。当時の工場長は私が辞表を出して半年も受理しなかった。大学の時の先生や親会社の取締役をしていた私が家に招かれて囲碁の相手をして方に頼んで私を説得してくれたが、一度出した辞表を引っ込めるほど半端な決心ではなかった。半年後にやっと、離職票を受け取って、職安へ持って行くことができた。半年間、出勤しないで子守りをしていた。給料はいらないというのに、振り込まれていた。

 

そういう私ですが、指導対象のインネシア人、社長時代の部下たちに対し、怒ったことは一度もない。カッとなって怒鳴ることなど出来ようがない。部下や教え子にたいし、世間でいう、“頭にきた“ことは、一度もない。しかし、上司の分からず屋には何度も“頭にきた”ことがある。

思うように事が運ばない時には私の指導の仕方を考えなおす。充分指導したと思っていて、出来ない場合は、残念ながら、この人はこの仕事に向いていないと思う。他にこの人に向いた仕事があるはずだと、説得する。部下や指導対象者で、お山の大将的気分で、怒りっぽい人には、同じ程度の仲間と一緒にやるような仕事の場に変えてやる。

部下の中には“社長は甘い。怒るべき時はある、そういうときには怒ってやることが、その人にためになる“と私にいう人がいた。”そうか、それじゃ、まず、怒鳴らなければならないのは、何々君だな“とその人間にいった。彼は黙ってしまった。

 

だから、インドネシアで仕事をしている時にはインドネシア人に取って私は、何でも話せる良い人である。色々な個人的な悩みをきいてやるし、皆さんを食事に招待したり、ジャカルタへ連れて行って、ボーリングやアイススケートやジェットコースターなど、全く、経験したことが無いことを経験させたり、夜学に通う人に学費を出してやったり、社内のチェス大会や卓球大会など後援をしたり、とにかく、皆さんの職場が楽しくなるように支えた。勿論、技術指導に必要な言葉は半年でマスターしたくらいだから、日常会話などはもっと早く覚えた。

こういう技術指導者(テクニカル アドバイザー)の身分の私の存在が邪魔になるのは当然かもしれない。組織のプレシデント ダイレクターやマネージャーの日本人にとっては、全てのことが彼らには出来ないことだし、やろうと努力しようなどとは思いもよらないこと、そんな余裕も気配りも行動力も補助心も持ち合わせていない。ただ、思うようにさせたいだけ、それができなければ、怒鳴るだけ。

 

着任早々、本社の当時のNO2のO常務が、インドネシアに来た時に、いきなり、「太田さん、あんたみたいな人(仕事の手伝いをするよう外部から呼ばれた人、そういう人は役立たずで給料だけ持って行く、と、彼が思っている人達)は本社に大勢いる、とにかく、何もしないで、契約期間が終わるまでじっとしていてくれればいい」と、おっしゃった。また、押出しの現場の環境のことでその常務に提案をしたら、「あんたは、ないも言わんでええ、黙って見とりゃあええ」と、名古屋弁?で怒鳴られた。

インドネシアのプレシデント ダイレクターやマネージャーはその人の子分たちだった。それ以後、常務がインドネシアに来ても、まったく、しかとされた。挨拶をしても、知らん顔された。それほど、私のやることは、気に入らなかったのです。インドネシ人に受けがいいことを気に入らなかったのです。彼らができないことを私を使ってやればいいのに、そうして、インドネシア従業員が素直に彼らになじむようにすればいいのに、そういう、能力は彼らにない。

 

 それらの人は、今は、どこで何をしているのでしょうか、今は、組織から外されている。

 

 カキリマを運んできても、ここで商売してもいけない、禁止と書いてる看板の前でカキリマが商売をしている。

 

火炎樹と散り落ちた花弁。

能力 実行 補助心

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(^_-)-☆気の毒な人

2012-10-21 18:46:50 | 病気

 1375 その方一人の日本人。66ナイロンの射出成型品を作って20年の人、押出成型については全くの素人。プラスチックの原料は何であっても、射出用、押出用、何とか用と成型方法によって溶融特性が異なる原料を使うということを知らない。インドネシア人の私の指導した若者は。それを知っている。常識的に使い分けている。そういう知識がこの人には無い。

V06ナイロン(炎を遠ざければ自分では燃えないで火が消えてしまう6ナイロン、自己消化性6ナイロン)の成形をするときに溶融粘度を上げるために普通の押出用6ナイロンを数%混ぜていた。難燃材が多く混ざっていると、溶融粘度(溶けて口金から出てきたときの硬さ)が低くなって押出しには向かなくなり成形をしにくくなる、収率が落ちる。そこで、工夫をして、他人ができない製品を作るのです。私にとっては、貴重なノウハウである。自己消化性は失われていないことは確認していた。

昔、射出用の原料しかない時に、熱硬化性のエポキス樹脂を混ぜて、誰もできない製品を作り上げたこともあるし、66ナイロンに押出用が無い時には、6ナイロンの押出し用を混ぜて完成させた。いずれも、日本では誰も作れなかったプロファイル製品を作り上げて、客先に提供し、客先は、それを基礎に事業を拡大できたという代物でした。多いに喜んでいただいた。それがもとで、何とか勲章の表彰を受けた人もいるくらいだ。

私に対するパワハラの真っ最中、うまいものを見つけたと思ったのでしょう。彼曰く、「原料偽装、とんでもないことをしていた」と、私を怒鳴ったのです。「こんな製品を納入し続けることはできない、客先に本当のことを言って、謝って、納品を止める」とまで、言った。その後、私は押出部門から干されることになった。「もう何もしなくていい」というのです。例の社長も同意して、その人が押出も見ると宣言した。私は全ての仕事を取り上げられたのでした。会社に通勤するが、何もするなということだ。

その製品について何をしたかというと、射出用のVO66ナイロンでやれと押出スタッフに命令したのです。それこそ、原料そのものが違うし、とろとろ、垂れてしまう射出用原料では横に引っ張ることもできない。勿論、やれと言うだけで、自分は溶けている樹脂を掴むこともできない。彼はナイロンにも色々な樹脂があって、それぞれ、全く違う特性を持っていることを知らない、ナイロンとは、自分が扱ってきたナイロンしかないと思っている。もし、6ナイロンの製品を66ナイロンで作って納めたら、偽装どころか大間違いの製品を納めることにある。しかし、射出用だから、押出し製品はできるはずがない。

私の教え子たちは困ってしまうばかり。できないと報告したら、「太田は、いったい何を教えていたんだ」と言っていたという。

結局、私がその会社から去った後も、その製品に関して客先に説明を出来ないし、代替えの製品を持っていって、これに変えたいということも提案できないし、客先は問題なく(というより喜んで)使っているのだし、そのまま、納め続けたという。充分な利益もあげていたという。

 

 ちなみに、ナイロン(ポリアミド樹脂)マミド基(NH2-)を持った樹脂の総称で、一般的にプラスチックとして使われているだけで、6ナイロン、66ナイロン、6,10ナイロン、11ナイロン、12ナイロンとある。それぞれに難燃性、耐熱性、可塑性などを挙げる効果のある無機物や化学的化合物を混ぜた種類があり、分子量の大きさを調整して各種成形方法に適した溶融粘度を作り出している。すべてが明らかに違う樹脂になっているが、混ぜれば、無限大の種類の原料を作り出すことができる。しかし、ただ、かき混ぜるだけで溶かして成形しても化学的に結合しないので、剥離してしまう関係の樹脂同士もある。理屈ですが、このくらいのことを知っていることが、ナイロンを扱う人の最低条件です。

 

 花と寝転び

 無知 夜遊び プッツン

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(^_-)-☆カッとなる人

2012-10-20 22:11:47 | 病気

 1374 どんな経緯であろうが怒りっぽい人間は大嫌いだ。私は子供のころから普通の状態では怒ったことは一度もない。怒る人間に対しては、こちらが怒りを感じる。だから、私に対して怒って来た人間には怒り返す。上司であろうと、年下だろうと、相手が冷静さを欠いて、私が納得できないことで、プッツンしてくれば、こちらも、怒鳴り返す。それでも、中には、そんな奴を相手に、怒鳴り返しても、こちら、後で、不愉快になるだけと、この人は気の毒な人だと、同情し、放っておく場合もある。次の人は、その気の毒な人です。いい大人が、可哀そうにと思うだけである。

インドネシア人に、かっとなって、怒る日本人は、日本人に怒らないということはない。抑えている分、怒りだすと強烈になる。自分より地位が低い人と思えば誰にでも怒鳴りつける。私に、他人の悪口を言う人は、私の悪口も他人にいっている。自分より地位が高い人には腰を曲げて御世辞を言うし、ごもっともと、持ち上げるが、蔭では悪口を言っている。

「その製品はどういう製品か見たことがありますか、」と聞くと、「見る必要などない」という。「原料が何か知っていますか、原料価格は幾らぐらいか知っていますか」と聞くと、「そんなこと知る必要は無い」とおっしゃる。その製品はボールペンのペンホルダーという製品で、8φで長さが120mmのパイプです。二種類の樹脂で縦方向に縞模様にしたものです。勿論、インドネシアでは始めての製品です。その一本の価格は800Rpでした。三年ほど毎月2~3万本注文が来ていたが半年前ほどから注文が途絶えてしまった。そのデザインのボールペンを売らなくなってしまったからでした。その時から、2千本ほど長期(といっても半年)在庫になってしまった。当時のレートで約2万円の在庫である。何とか引き取ってもらうように交渉して、間もなく、引き取ってもらうことになっていた矢先、社長から、呼び出された。かなり、怒っている顔だ。その顔は以前に私にも向けられたし、インドネシア人に対しては毎日の顔だった。「太田さん、2百万円の在庫を何故、ほっておくんですか」とおっしゃる。明らかに単位をドルと勘違いしている。そこで、最初に書いたように、聞いたのです。「そんな金額が帳簿に残っているのですか、何かの間違いですから、もう一度、確認してくだい」と、丁重にお願いした。「間違えているはずが無いでしょ、確認済みだから言ってるんだ」と、声が大きくなった。こういう人は始末が悪い、どうにもならない。

「間もなく、引き取ってもらうことになっていますから、在庫は直ぐになくなります」と返事をし、それで、その場は切り上げさせていただいた。後ろから“まったく、もう”という声が聞こえた。

 一週間後、売上伝票が回ったはずだ。2万円を見て,2百万円売りあげたと、喜んだのでしょうか。その製品の在庫がなくなって、してやったりと思ったのでしょうか。その後、そのことで、何も言ってこなかった。

 これは一つの例に過ぎない。それ以前もそうだったが、このことで懲りずにその後も見当違いの怒りが私に何度もぶっつかってきた。もう、どうにもならない、たった二人を除いて、インドネシア人全員が私に同情した。そのたった二人は、社長の横に座っている通訳兼秘書らしき女性でした。もう一人は、程度が低い同士で気があっていた日本人でした。お互いに慰め合っている様子だった。

 三人ともヒステリックに怒鳴って自分の思う通りにさせるしか方法が無い。私なら、言って納得させてやってもらうとか、自分がやって見せてからやってもらうとか、雰囲気を和やかにしてやってもらうとか、怒り以外でもやらせる方法はいくらでもあるが、彼らにはそれだけの知識もなければ率先行動力もない。ユーモアなど全く持ち合わせていない。

 

 到着した押出機

 怒り 突沸 誰彼

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(^_-)-☆揃った

2012-10-19 22:11:10 | 行きすぎ

 1373 意外にも、昼前、押出機三台、ナイフカッター付き引取機二台がタンジュンプリオクから到着した。これで、大物の装置は揃ったことになる。

十何年もインドネシアで技術指導をしてきて、何ライン作ったでしょうか、恐らく、20ライン以上作ったでしょうか。最初は一ライン一千万円くらいかけて日本から持ってきたが、十ライン以降はインドネシアで中古押出機を買い、引取機などの後続装置はインドネシアの町工場を指導して作ってもらった。一ライン四百万円くらいでできた。今回は、押出機を、私が昔使ってた太田化工に置いてあったものをほとんど運賃だけで持ってきた、後続装置は水槽とスパイラルカッター付き引取機だけをインドネシアの町工場でつくってもらったので、一ライン二百万円ほどで整えることができた。

今、日本で、50mmφ押出機チューブ製造一ラインを手に入れるには2千万円が相場でしょうか、事実、ここ数年以内に、自社で使うチューブ製造装置を日本で買って持ってきた会社を二社知っている。一社は一台の押出機から二本取りをするライン、四千万円かかったそうです。それも、収率が良くないし、稼働率も50%以下なので、他の仕事を取りたいが、他の種類は出来ないという。太田さん、買ってくれないかと言われたが、丁重にお断りして、その会社で使うチューブの内、その装置では出来ないものを、私が作って納めていたので、今はN社がお手伝いしている。

まだ、直ぐに装置を動かすことはできないが、全ては社内で準備をすることが残されているだけなので、スケジュールを立てやすい。今月中には全ての準備を完了し、始動スイッチオンをしたいと思う。

長い間待ったが、待たされたという気はしない。順調にことは推移していたが、その順調はインドネシアでの順調なので、とにかく、ゆっくりである。私はその行程で、何もできない。お任せするしかない。それを、分かっているので、焦る気持ちは無かった。御客さんになってもらう方たちにも、何も、日程については話さなかった。

これからは、他人に任せることではなく、自分でやることだから、話をすることができる。稼働までのスケジュールを建てなければならない。

 

一人だけ、かなり遅れて私の教え子になった若者をリーダーとして入ってもらった。前の会社ではカルヤワン トゥタップ(正社員)になれなかった人です。今、問題にされているコントラクト(契約社員)のままの人です。

私の10年以上の元部下たちの全員は正社員になっているので、給料もある程度高く設定されている。トップは10ジュタ貰っている。平均で6ジュタくらいだろうか。そういう人を私のもとへ呼ぶことは無いし、もし、今の会社を止めてしまっても、私は拾わない。

心境としては1996年にインドネシアへ上陸し、仕事を始めた時とほとんど同じなので、最低賃金の若者を採用して、育ててゆくつもりだ。                                              

 

  急こう配の急カーブの道、スキーでパラレルをしている気分。ジャワ島中央部の山岳地帯では珍しくない。

 

すれ違うことができない、山賊が出そうな山道、実際に山賊に会ったことは無いが、若干の不安を感じる。

 揃い踏み 高ぶる ついに来た

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(^_-)-☆開店準備

2012-10-18 22:16:55 | 情報

 1372 押出機や引取機、カッターはタンジュンプリオクに着いている。明日辺りに搬入されればいいなと思うが、内容チェック中とか、いつ始まるのかいつ終わるのか、いつ搬入されるのか、タイムテーブルは作れないが、インドネシアのことだから、全く予想がつかない。

その他の準備、主に試作に使う金型と原料の手配だが、おおむね、揃ってきた。試作には何百キロもいらない、せいぜい、25~50Kgもあればいい、しかし、種類は多ければ多いほどいい。原料屋にサンプルを頼んでも少量購入となれば手に入りにくいし、価格が高くなってしまう。これには今までお付き合いした方々の協力なしでは、簡単にできないことだが、幸いにも、快く引き受けてくれる方が多くて大変助かった。ゼロから仕事を始めるのは何回目でしょうか。どんな原料でも。始めて手に入れた時の喜びは本当に良いものです。ありがたい。

 

 インドネシアには私の教え子が最低でも50人はいる。その内の半数以上は16年前18~20歳だった人たちである。彼ら彼女らはインドネシアでのエンプラ押出しに先駆者です。その人たちが、三社で重要な位置に着いている。今や年齢も三十代の後半、脂が乗り切っている年代です。それぞれは、会社の営業が仕入れてきたアイテムをできるかどうか判断し、日本人に伝えている。日本人がやると決断すれば彼らが実行する。

 ただし、日本人が引き受けようと決断するには相当リスクを感じるらしくて、断ってしまう場合もある。

会社の営業が仕入れた話の他に、これだけ長く押出しの仕事をやっていれば、現場の人間たちにも“お前のところでできないか”“お前のところでやってもらえないか”という話は舞い込んでくる。ところが、それらの話は、その会社の営業には話をしない。何故でしょうか、理由ははっきりしている。自分に見返りが何もないからです。また、話をしても、もみ消される可能性が高いからです。やってほしいと言った人に対する期待を裏切る可能性が高いからです。余計なことに首を突っ込みたくないからです。

そういう話を受ける環境を作ることが大切ですが、そこまで、頭が回らないのが普通の人です。

 

 もともと、私の仕事はホビーの一つですが、年をとるにつれてその度合いは高まる一方。インドネシアで誰も引き受けない仕事をやって行く意欲は衰えない。これからも、以前と同じように、色々な仕事を断らずにやってみようと思う。今までたくさんのそういう仕事をこなしてきたが、その教え子たちから聞いているだけでも、やみくもの引き受けてしまうわけにはいかないが、まだまだ、在ることは確実である。

 

 ヒュンダイの工業団地を過ぎてデルタシリコン2に入る、なおも進むと、こういう景色になる。デルタシリコン5とか6でしょうか。時間が無くて、端まで行かなかった。とにかくここも広い。

 

 原料 機械 人間

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(^_-)-☆妻の誕生日

2012-10-17 22:16:56 | 体験

 1371 11月始めの私の誕生日まで、束の間の同じ年である。現役を引いて久しいが、ボランティアで色々な役目をしていて、忙しい生活をしているようだ。私が日本にいると、余計な仕事が増えるので、いない方がいいらしい。銀行から自動で支払うことができる家の全ての費用は私の預金から払われているのだから、いなくても、文句は言わない。必要な時だけ帰ってきてほしいらしい。12月初めに帰国予定だが、その時は、私がいなければならない行事があるからだ。電話をする。

 

 長距離運転旅の要領 1 私は疲れることは無い。給油やトイレで止めるだけで、何時間でも運転し続けることができる。といっても、8時間ぐらいか。それも、水を飲みながら、何かを摘まみながら、ちょっとした風景に当たれば写真を撮りながら、偶に車から降りて通り過ぎた風景を撮ることもある。あまり、運転をしているということを考えないし、意識をしていない。視線を何かに集中することは無い。ただし、分岐点に差し掛かった時だけ、緑の板に白文字の道案内板を探す。木陰に隠れているので、在れば、一時停止して看板を読む。

 2 現在、インドネシアで至る所にポンパ ベンシン (ガソリン スタンド)はある。山の中でも、一般の車が走ることができる道なら、5Km以内に右か左に必ずある。目立つので、決して見逃すことはい。マスジッド(イスラムのお祈り場)とトイレは併設されているので、給油をしなくても寄る人は多い。コンビニもそこにはある。ネットへ接続もできる。

 3 ジャワ島なら全島、大きな町にはバイパスのような町の中へ入らなくても通過できる道がある。看板で“コタ何々”と書いてある方向へは行かないで、その町を通り過ぎた町の名前が書いてある方向へ進む。コタは町中という意味でもある。バイパスが無い町では、メイン道路は片側二車線になっているので、中央寄りでなく道端側を走る。アンコッタが邪魔だが、大型トラックは中央寄りを走るので、その方が見通しが効くし、早く通り過ぎることができる。どこかで書いたが、高速道路はバストラックは左側の車線を走ることを義務付けられているが、一般道は中央寄り(日本では追い越し車線)を走ることになっているらしい、左車線が追い越し車線になっている。

 4 眠気が来るのは自分のコンディションに依る。夜中に走ることもある。臭い物(例えば、自分が履いていたソックス)の匂いを嗅げば眠気がすっ飛ぶということは分かっているが、そんなことはしないで、ボトルの水を顔に掛ければ眠気が吹っ飛ぶ。

 5 こちらの人は算数の計算はできないが、地図を見たことが無い。地理の教科書にインドネシアや世界地図があるのにである。私はその教科書地図をもっていてそれを見て土地の名前を確認している。道を聞くときに地図を見せて、今、この地図のどこですかと,尋ねて、ここです、と、指さして答えることができる人はいない。だから、地図を見せるのは無駄。行きたい場所をいうだけである。70%位は信用できるが、間違って、というより、適当なことをいう人も多いので、変だと思ったら、まめに聞くこと、町中なら、オジェックやベチャのトカン(運転手)に聞く。

 5 メイン道路のどこにでもホテル、ホームステイ、プンギナパン、ロシメンの看板はある。休みたくなったら、泊まる場所を見つけるのに困ることは無い。日本人向きかどうか、私はどうでもいい。

 6 パンクをする確率は日本より遥かに高いと思う。しかし、道端にはタンバルバンと書いた看板が、頻繁に出てくる。コンプレッサーが店の前に置いてある。釘が刺さっているくらいなら10分で直る。一万Rpで充分。

 7 山に入ると、道の様子はジェットコースターのようになる。坂の角度は半端ではない。立ち往生しているトラックはあるし、登ってはいるが、今にも止まりそうな車もある。登り切った先の道がどうなっているか分からない道も多い。追い越しを掛けなければどうにもならない。追い越しは簡単である。躊躇しないことです。前から車が来ても途中で止めないことです。絶対、前方の車は減速か停止をします。そう信じます。何百回、それ以上でしょう、追い越しを掛けたが事故になったことは無い。 

 

隅を走って自然に内側へ寄る、再前方は二車線になっている。

 

 大外を回って右折する。

 疲労 眠気 給油

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