南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆お手盛りを振り出しに

2011-01-31 23:02:44 | 考え

    事業仕分けは、不必要な事業や省庁で重なっている事業を廃止するか統合するなどして無駄を省くことらしいが、そんなことは当り前。それぞれの人件費を一般の会社並みに厳しく査定し、契約公務員を採用し、人件費を徹底的に少なくする。民間がやっていることとい同じ努力をするべきです。とにかく、公務員は甘やかされ過ぎている。国民が公務員にはなりたくないと思わされるほど、厳しい雇用条件にしてみたらどうでしょうか。そのくらいのことで公務員の仕事の質は、逆に今より高くなること請け合いです。民間を規制したり、邪魔をしたりする仕事を高級取りが威張ってやっていては、日本の再維新にはならない。

 公務員に関しは退職金や年金についても、抜本的に今の制度と金額を御破算にしてから、ゼロスタートでやりなおしたらいい。国民誰もが反対しない。公務員がストライキをするなら、させておけばいい。いくらでも変わりに仕事をする契約社員を雇うことが出来る。そして、彼らでなくても、彼らがしている仕事は出来るということを証明したらいいのです。

 

 外国で、ボランティア的仕事をしているので、報酬は無いに等しい、それでも、やりがいや、充実感は十分ある。ですから、前にも書いているが、国とか地方とかの行政に頼ることは無い。ずっと、頼ったことは無い。逆に、税金を払うことや各種許可をとるとか望まない義務を押しつけられて、私がすることに対し、足を引っ張られたことが多かった。それが無ければ、もっと自由に、私が望むことを出来たと思うし、今よりもっと多くの他の人たちに手助けができたはずである。

 

 日本には制度としてまだ充実していないが、寄付制度を免税という方法で充実すべきだと思う。タイガーマスク現象は良い例だと思う。日本も捨てたものではないと思う。こういう気持ちを、政治家や行政は自分たちが予算の配分の権利を握る範囲を小さくしてでも、育てるという、気持ちの余裕が欲しい。

 

諫早の水門干拓事業などは、最初からなにもすべきで無かった。そこの、様々な欲がからんで、予算の分捕りと配分で人間を狂わせてしまった。同じようが現象があちこちにある。全て、無かった時に戻せばいい、出来ないところは出来るだけでいい。どうしようもないところはそこで止めればいい。反対と賛成が争うに決まっている。争いが決着するまで、行政は黙って見ていればいい。仕事は少なくなるし、行政の担当者もいらなくなり、減らせるし、契約や派遣で済ませる。良いことずくめである。予算を与える必要は全くない。文句をいうのは、お金の配分を欲しかった人だけである。そういう人は、前にも書いたが、税金を払っていない。

 

 今日の風景 寄付 意思 欲張り

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆世間知らず非常識

2011-01-30 23:07:44 | 矛盾

   海外技術援助のための人材派遣機構がある。その機構を通じて派遣される人の給料は一年1千5百万円ほどです。今もその機構は存在しているが、1年に何人派遣しているのでしょうか。いつ申請があっていつ申し込みがあって、いつどんな人がどんな技術者がどこへ派遣されているのでしょか。一般の人は全く知りません。そういう機構があることすら知りません。今、東南アジアなど、新興国と言われていた国々に日本の企業がこぞって進出していて、優秀な技術を持った人が何万人と出かけて行って、指導をしています。そして、会社から派遣されている人たちでも、1千万円が最高で、自分の主義主張でボランチャ的に現地採用で指導している人は5百万円以下で仕事をしています。どうでしょうか、この実態と、国の派遣企業との落差は。仕分けとか何とか言っているが、こういうことは多いと思う。なぜ、派遣給料が高級すぎるのか?それは、その派遣機構の事務局や審査をする人々の給料が高いからです。一般の会社のサラリーマンの給料体系とは違う、高給の体系になっているのです。ですから、派遣する人の給料もそれに合わせているだけです。まさか、外国へ送るその道のベテラン技術者を自分たちの給料の半分というわけにいかないからです。

 そして、この世の中、その機構への予算が削られれば、事務や審査員を減らしたり減給したりしないで、派遣の人数を減らすのです。職員の人数はそのままで、調査とか何とかで、外国へ彼らを派遣したり駐在人を置いたりする人数も減らさない。手当も、お手盛りで非常識的に多額である。聞いてびっくりする。

 

 そして、彼らは、貰い過ぎとは思わないで、まだ少ないと思っている。というのは、外交官やその他の国家公務員の給料や外国での手当てや生活環境を知っているからです。高級も高級、各種手当、家族に対する手厚い保証、車、住宅、通信費、交際費、調度品費、などなど、一般市民がひっくり返ってしまうほど贅沢な暮しを保証されているのです。

 

 ここで、提案です。外国関連費用を今の半額にしたらどうでしょうか。人件費や数々の手当から始めましょう。やればできます。民主党は直ぐそうしてください。それを手本にすればその他のことも、節約しようということになります。

 

 ちなみに海外派遣機構の年間報酬と職員の報酬を三分の一にしても、仕事をしたいという人はいくらでもいます。今の5倍の人数を派遣することが出来るでしょう。

 

 これは、ほんの一例にすぎません。公共も一般も、無駄が多いし、偏りが多い。インドネシアの汚職は笑っちゃうほどひどいものですが、日本も日本人も、その点で相当な悪がいることは確かです。

 

スマトラ島最北部のアチェ州、この最北端がバンダアチェ(津波で壊滅した地域です)

その北の海に浮かぶウェー島そのサバンという町辺りに宿泊し、一番北の端まで行ってきました。

 お手盛り 知らない振り 無責任

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆本能と抑止と環境

2011-01-29 22:47:11 | 矛盾

    国でも、地方でも、会社でも、学校でも、金銭的不正は付き物で、人類というものは、欲の塊とごまかしは一体で付き物である。

 私が、先ず、金銭的不正の手法を教えられたのが、高校時代でした。静岡県トップの進学校で、国や県や市の主要ポストに多くの人たちが付くことになる学校です。事実、それを私に教えてくれた先輩も権の中小企業商工会の事務局長を長年務めることになるし、一緒に教えてもらった同級生は県の税務署でトップに近い地位までいた人でした。 

 運動クラブに与えられた予算の使い方です。それが静岡市のスポーツ用品屋ではなく、わざわざ、藤枝駅前のスポーツ用具屋へ連れていかれた。ボールを何ダースか纏め買いをして値引きしてもらい、領収書は正規の価格で書いてもらいます。高校の部活の配分は配分委員というのが、どうして選ばれているのか知らないが、生徒会の役員が主体になって、後援会や父兄会からの寄付金を各部の活動データ実績を見て査定するのです。その時の資料の一つに領収書が必要になる。そのための、領収書をごまかすのです。

 

 どこの会社の購買担当や社長にはそういううまみがあり、誰かに早く変わってほしいとは思わなくなります。10年も同じ部署で任されている人は、もはや、交代すると、後継者が真面目な人なら、とんでもないことをしていたと指摘されることになる恐怖が膨らんでくるから、交代を拒否するようになります。もし交代されるということになれば、自分の方から、止めてしまう、という人もいます。その会社に残って他の場所で働くことが出来ない状態になることが本人、一番、分かっているからです。

 

 どうですかあなたは、どうですかあなたの会社は。

現地人の購買担当は、3年以内で、担当を交代させるのが常識です。そうでないと、癒着が自然に生まれてしまいます。これは多くの日本人が分かっていることです。日本人も同じことなのに、長年交代させないのは、会社自体の怠慢だし、欠陥会社です。

 

 食事、アルコール、カラオケ、車、家の調度品、ゴルフ、旅行などなど、購入先が接待費や交際費として落とすことがらで、アンダーテーブルが動いているのです。

そんなことは分かっているよ、誰でもやっているよ、いちいち、そんなことというのが、社会的常識かもしれないが、どうでしょうか。

 

 アチェの津波で内陸の残された船は今や観光スポットとし、整備されつつある。ナンカの木と実。

接待 交際 甘い汁

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆うまみを享受

2011-01-28 22:46:40 | 矛盾

    かと思うと、こちらの中小規模の会社社長さんを一人で長年続けている人は大変満足している人が多い。10年以上も同じ社長がやっている会社は、必ず、叩けば埃が出ます。 そういう、現地社長は、本社から、新しい人を送り込むと、出来るだけ早い内に排除しようとする。やることをやったら、さっさと帰れというのです。自分はいい加減で交代したいとか、帰りたいとかは思わないし、言わない。一人ならぼろが出ないで、快適に暮らせるのです。会社は、赤字ぎりぎりでいいのです。そういう人は、交代させられると、本人にとって死活問題に発展してしまう可能性が心配だからです。うまみを全て明らかにされる可能性がるからです。

 製造工場なら、原料や資材関係の値下げ交渉をしません。製品の値上げ交渉もしません。本社から催促があっても、難しいと返事をします。原料も資材も他から安い物を購入することが出来るが、切る変えるぞ、と脅かして、値下げをさせるということはしません。そこに、個人的なうまみがあるのです。こういう癒着がどんどん、増えていって、少なくなる事はありません。監査も手出しをしようがありません。

 本当は、予告なしに、出来るだけ一瞬の間に、さっと、交代させなければなりません。隠す余裕を与えないように、二週間以内くらいに交代しなければなりません。そういう会社は、時に引き継ぎは必要無いのです。一人の人が全てを仕切っている会社は、それほど、難しいことは無いのです。単純に、原料を決まったところから仕入れて、決まった仕事を長年やっているだけです。技術的に難しいことは何もしていません。

 

 本社は、交代させれば、直ちに利益の配分を享受できるのに、日本の経営者は、そこに気が付かないし、決断が出来なくて、ずるずると、現地の一人社長の懐を肥やさせているだけなのです。こういう会社が大変多い、中小企業の子会社ですから、規模的に日本人は一人です。ですから、普通に仕事が流れているなら、本当は相当な利益が上がるはずなのです。利益が、あがっていないということは、どこかに不自然な動きがあるのです。

 

 苦しい会社なら、とにかく、短時間で交代させる勇気と決断が、中小企業の窮地を救いますし、余裕でやっている会社なら、なおのこと、後継者を育てるべきで、そのリスクはほとんど無いどころか、逆に思いがけない利益が上乗せされるはずです。交代させない会社の本社の上層部の怠慢です。そういう可能性のある会社は大変多い。

 

インドネシアはそう珍しくないブーゲンビリアの三色の接ぎ木の花。鶏冠という花です。赤が多いが、こんな黄色もあります。

 

うまみ 一人 怠慢

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆日系企業が危ない

2011-01-27 23:30:39 | 状況
    どういう人選をするのでしょうか。推薦を頼まれた人は、優秀な人を出したくないので、どちらかというと、あまり評価が高くない人を推薦し、この祭、ちょっと厄介な人を出してしまおうと思うのが人間というものです。推薦を頼んだ人は、推薦された人の事を推薦した人から、いいことしか聞いていない。その人を送り込まれた、インドネシアの現場は、インドネシア人が一番迷惑を受ける。そして、日本人同僚も迷惑を受ける。しかし、その人を送った人は、その人について良いことしか聞いていないので、何故、インドネシア人がその人の言うとおりに動けないのか、分からず、インドネシア人の能力が低いと判断してしまう。こういうことです。いいことは何もない。悪循環が重なるだけです。こういう会社は沢山あります。ストライキやデモまで発展する事態になるのはこういう会社です。  日本の会社の人材が枯渇しつつあるのです。外国へ進出している会社は日本にじっとしている会社より、やる気や、勢いを感じるのが普通ですが、足元がふらついている前線拡大は、昔の日本軍のようなもので、精鋭はどんどん少なくなり、人数合わせだけの教育や能力不足の下士官クラスが、無茶な指揮をするようになってしまうのです。
 
外国へ進出していく企業の日本人は、それぞれの部署で社長でなければならいはずですが、残念なことにサラリーマンその物の人が増えている。待遇がどうの、同僚と扱いが違うの、車や運転手がどうにもならないとか、通訳がいなければ何もできないとか、仕事以外の事で愚痴をこぼす人が増えている。来たくて来たのじゃない、有無を言わさず出されたという気持ちが強い。社長的考えなど思いもよらない人たちばかりだ。10年、20年前に進出してきた中小の会社の殆どがこういう状態といっても過言ではない。だから、同じ会社の中の日本人の能力や考え方が違うので、なかなか、うまくいかない。開き直ってしまう人も多くて、「それなら、私は帰らせてもらいます」など行って、本当に帰ってしまう人も少なくないので、仕事が出来る、同僚も、そういう人には気を使わざるを得ないが、勿論、その人達もストレスが旧今日に達すれば、爆発する。爆発した人が、私に、こういうわけで爆発しちゃったよと、はけ口として、私に、話す場合も多い。現地の本当の社長さんは大変です。
カンクンの畑、日本のワサビ畑に似ている、清流で育てるのが最適らしい。と、名前が分からない花。
 どう? 大丈夫 前線手薄
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆困ってしまうよ

2011-01-26 23:43:27 | 試練

  今月から、手伝い始めた会社。日本人にも変なのがいて、今日こんなことがあった。以前、客先訪問して紹介した時、客先から見積もり依頼のために図面とサンプルを渡され、本人が受け取った。その図面を見せてほしいと頼んだら、「だいぶ前のことですよね、もらってないと思います」という、「そんなことは無いから、探してくださいよ」といったら、「捜しますよ、でも、覚えていない」でした。その後暫くして、インドネシア人の部下から、「サンプルは、私が預かっていますが、図面は貰っていません、見たことはあります、無くしたてしまったのでしょう」といってきた。こんな重要なことを忘れてしまっているし、しっかり、ファイリングしていないのです。「受け取ったのですから、無ければ、あなたから、もう一度、ファックスででも送ってもらってください」と頼んだら、「太田さん、自分で取り寄せてくださいよ」だって、呆れてしまった。

 ついでに書くと、その人から「客先のリストをください」と言われ、インドネシア人部下に私の目の前で、それを渡してもらった。それから、一週間後、今度は日本人が8人ぐらい集まってのミーティングの時、私に「客先のリストをまだ、貰っていない速くしてください」と皆さんの前でいわれてしまった。「もう渡しましたよ」と言ったら、首をかしげて、「貰っていませんよ」という。それが終わって、インドネシア人スタッフに確認していた。勿論本人も渡したといった。当り前である。ころッと、忘れてしまっていて、覚えていない、ファイリング保管もしていない。インドネシア人スタッフが再び私の目の前で、その日本人に渡した。その後、客先のリストを請求してくることは無くなった。しかし、そのリストにある客先に連絡を取った形跡が全くない。自分から、呼んだり、出かけたりした気配が全くない。何のために要求したのか分からない。

 その人は関係なしに、ISOを収得してあるのだから、一応、必要なすべての書類は整っている。自分で何がどこにファイルしてあるのか確かめたらどうかと思うが、その気配も一切なし、思い出したように、この書類やリストは整っているかと、インドネシア人スタッフの要求する。その人が思いつくような書類は全部整っているのです。インドネシア人スタッフが余計な世話をしなければならないだけだということを本人感じていない。

 あなたは、どうでしょうか、心当たりはありませんよね。私からすると、昨日の話も、この話も、とんでもなく呆れる話です。色々な人種がいるものだと思う。

 バンダチェの復興のシンボルの一部、スマートなデザインの橋。テンポラリー住宅と向こうに見える。津波警報での逃げ込み建築物。

 がっくり びっくり ずっこけた

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆早速きつい洗礼

2011-01-25 23:41:13 | 情報

    アチェまでのチケットは往復1.5万円、なぜか、バリまでと同じ、安かった。宿泊費は一泊4千円程度、タクシーのレンタル料は1時間5百円、8時間で約4千円、これはウェー島の中も同じでした。アチェからウェー島往復スピードボート代は千円。片道所要時間は1時間でした。バリの料金に比べればおそらく全てが半額程度だと思う。ですから、欧米人も、これを知れば、バリよりこちらを長期滞在の場所にするでしょう。海は汚れていなし、もの売りは煩くないし、食事や色々な道具のレンタル料も安い。イスラムが厳しいので風紀もいい。マレーシアやタイに住む日本人にはお勧めです。プーケットから船で訪れてもいいところだと思う。

 アチェの新築、空港ターミナルビル、モスジッドではありません。

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page231.html アチェ旅行記

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page229.html アチェ

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page230.html ウエー島

 現実の世界に戻って早速、インドネシアらしい話に出会ってしまった。分かってはいるが、精神的にやられてしまう。セトレスが増す。

 先週中の今日、届けると約束したものがある。13:00頃という約束だった。二時になっても届かないので、約束した人間に問い合わせた。返事は、いつものとおり、ラギジャラン(途中の道)の返事。誰もが、いつもこういう返事、私は、「それでは、分からない。今どの辺りまで来ているのか、あとどのくらい時間がかかるのか」と聞く。ご本人、「分からない、ドライバーから連絡が無い」という。「ドライバーから、連絡が無くて、どうして、道の途中と分かるのか?ドライバーに聞かないのか」というと、黙ってしまう。「直接、私からドライバーに電話をして聞くから、ドライバーのハンドホン(HP)の番号をおしえろ」という。しぶしぶ、電話番号を教えた。それが、HPの番号ではない、どこかの事務所の電話番号だ。そこに電話して分かったことは、最初に約束したところは販売元で、製造元の電話番号を教えたのです。ドライバーなどとは全く、関係無かったのでした。そのい製造元の人、曰く「ここで、作っているのではなく、今、作っているところから届けられたばかりで、今から、修正して、明日の夕方までには届けます」という。全く、とんでもない話で、最初の約束は何だったのか、その後、今日に対応も、今、届けるための道の途中という返事も口から出まかせ。人を待たせていること、そして情報も出鱈目、良く、それで商売が出来るなと思う。

 もう、どうしようもないので、水曜日の午前中に届けるように製造もとと約束するしかなかった。今度は、守ってくれることを期待する。

 

 洗礼 きつい 途中

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆あのアチェの今

2011-01-24 23:37:54 | 情報

     先ほど23:00頃、家に戻った。今朝、7:00にサバン郊外のコテージから車で送ってもらい港へ07:30に到着、08:00発でウエー島を離れる。09:00前にバンダアチェの港に到着、日曜日で、港や隣接する海岸には大勢の家族つれがあふれていた。その海岸は2004 12の大津波が到着した場所です。そんなことは全く想像が出来ない和やかな、平和な風景です。
 この近くに5階建ての大駐車場のような建物があって、2000人位と車が500台収容できる避難場所だという事でした。遠目からは壁が少なくて、上に上にと車が登れる坂道が取り巻いている。回りに何もなく、かなり遠くからでも見える。ところが、地元の人に依ると、2005年のニアス大地震、津波の時、かなりの揺れがあって、避難、命令が出た時に、周りの人はここに逃げてこないで、車で、海岸から離れようとして、山の方に避難してしまったとか、全く、人間の心理を研究していない無駄な建築物だという評判だった。かなり高額な援助資金を使ってしまったらしいので、なお無駄だったと言われていた。
 
 海岸付近からは流された家々の多くを買い取って、広い片道三車線、両方で、六車線の道路を作った。区画整理、この際ということで進んだ。そういうこともあって、車でさっさと奥地に逃げ込むことが可能になったということもこの施設に逃げ込まなかった理由だと思う。
こういうこともあるので、なにもかも完璧とはいかないが、総合的には、安全、安心が格段に増したと感じているでしょう。多くの悲しみ、犠牲を残したが、GAMの独立戦争は終わってしまったように感じるし、津波の後地が、観光地化していて観光客も増えているし、街の環境は綺麗になったし、残った人には住みやすい地域になったと感じていると思う。6年前に10万人以上の人が無くなった。大津波があった場所とは思えない。

 街の中心に、感謝の公園があって、援助をした国々の名前を書いた小舟が舳先を上にして半分地下に埋まった形で公園の周囲に並べられている。一周400m位のランニングコースを走る人はその国々へ有難うという文字を見ながら通り過ぎる事になる。日本への感謝は日本語で書かれていた。

 16:45アチェ、イスタナ イスカンダル ムダ空港を出発メダンへ40分ほど寄って、ジャカルタ着21:00過ぎでした。
 平和な公園風景。
津波、地震、被災地

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆インドネシアの西端

2011-01-23 17:35:22 | 旅行

    正真正銘の最西端の島ウエーに来ている。北はマラッカ海峡の西の入口、対岸のちょっと南はマレー半島のペナン辺りである。

 10:00発のスピードボートで約1時間、ウエー島に到着、欧米人の客が目立つが日本人らしき人とは一人も会わなかった。聞く処に依ると、シンガポールやマレーシアから釣りのツアーで日本人が来るらしい。

 早速、タクシーを借り切って、ホテルに向かいブッキングし、その後13:00には島の観光に出かけた。タクシーの費用は、今日の6時間余りと、明日の朝、ホテルから港までの合計で、50万Rp(4千5百円位)、小さな島で、海岸は殆ど無く、海から直ぐ山になっている、その関係で、津波の被害は1000人程度であったらしく、アチェに比べれば微小扱いで、援助はほとんど入らなかったという。

 

 海はあくまでも澄んでいて綺麗、インドネシアで行ったことがある中で、トップクラス美しい海だと思う。ここまで来る目的はやはりこの海だと思う、ダイビングやシュノーケリングや読書(欧米人のスタイル)で何日も過ごしたい人には快適で、日本人の観光スタイルでは不向きだとお思う。

 

 日本軍が築いたトーチカに先ず、案内された。サバンという一番大きな(といっても小さい)街を通って西へ向かって、いちばん最初の観光地がそこだった。マラッカ海峡を見下ろす高台に、たったの一か所だけ残っていた。錆びた大砲が寂しかった。こんなところまで日本軍が来ていたのかと呆れてしまうが、そんなことを言ったら、ここまでやってきた日本兵に悪いような気がする。彼らが望んできたわけではないはずだから。それにしても、無駄なことがここまで及んでいたのかともったいないと思う。

 

 インドネシアの西の端、1997年にモニュメントが作られた。当時は、訪れる人も多く観光地として賑やかだったろうが、今は、ムニュメントの崩れも激しく、修復もしないのでしょう。肝心な中心に壊れた跡があり、何があったのか想像できない。地球儀でも有ったのでしょうか。この場所の西は、あの2004年12月26日のインド洋の大地震の震源地があるはずだ。

 島全体は勿論、インドネシアならどこにでもあるバナナとヤシは自然のままジャングルのようになっている場所もあるが、この島の主な産物はピナンのようだ。例の口に放り込んでムシャムシャしてから、ペッと吐き捨てる赤い木の実である。ヤシの木に似ているようで似ていない。実は、ジャヤプラのように口にすることは無いらしくて何倍も大きい。赤の染料の原料になると聞いた。

 滝があったり湖があったり、近場でちょっとした観光地があるが、これも、聞く処に依ると地震と津波の後、湖の水が濁ってしまい、以前は飲み水に使ったり、綺麗な観光地だったが今は、閑散としていた。

 この島の売りはやはり素晴らしい海である。

 東の端に殆ど近い、パプアのジャヤプラはだいぶ前に行っているので、これで、インドネシアの東西の端へ行ったことになった。

 

 両端、紺碧、ジャングル

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆津波が無かったら

2011-01-22 23:02:41 | 情報

    インドネシアでイスラムの戒律が一番厳しい土地で、女性は必ずジルバブをまとわなければならいらしい。外でジルバブを纏っていない女性を見ることは無い。聞くところに依るとデートも公共の場で抱き合ったりしては逮捕されるらしい。

 綺麗に作りなおしてある街だが、今のうちは綺麗になっているが、私が予想するには、10年も過ぎれば、ゴミだらけの臭い街のなってしまうと思う。今でも、ちょっとした繁華街は既に臭いしきたなっている。道端のゴミもブカシほどではないが目につくようになってきている。海もマラッカ海峡側は綺麗だが、インド洋側は既にかなりのゴミが流れついている。

 津波でなにもかも現れる以前は、ただ、イスラムの戒律が厳しい、喧嘩好きな田舎町、土地柄という印象があったが、今は、やはり、喧嘩好きだけが抜けた、単なる田舎町で、特徴は無い土地だと思う。

 

 インド洋を渡って、西洋から遠征してきた船が、最初に会う島である。だから、この土地に早くから上陸拠点を作ったに違いない。鉄道も飛行場もインドネシアで一番先にバンダアチェに出来たらしい。今は、その見る影もない。1870年代の写真が残っていてその中に、鉄道敷設工事の写真があった。

 

 観光で訪れても何もないところです。今日までのところ、目を見張るような素晴らしい景色と言える場所はありません。だから、モスジットの宗教や建築に興味がある人、津波について研究したい人以外にはあまり面白くない場所だと思う。津波がなかったら、未だに内戦が続いているだろうし、何もないところだから、世界に知られることは無かったでしょう。悲しみは大きいだろうが、世界中からの応援を受けて、街の区画整理は進んだし、新しい住宅は沢山出来たし、何より、内戦が終わった。津波以前より安全で生活水準も上がったと思う。ゴミは増えるでしょうが。

 こんな海の向こうから高さ20mの津波が襲ってきたのです。

話は変わるが、マッサージを頼んだら、受けるのは男か女か聞かれた。この地では、異性へのマッサージは禁止だそうです。

 地震、整理、掃除

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆大津波の爪痕アチェ

2011-01-21 23:40:24 | 情報

   斜めからインドネシアを眺める 815

 今、どこかというと、インドネシア(スマトラ)最西端、最北端にいる。アチェ州の州都バンダアチェです。03:00過ぎに家から出てスカルノハッタ空港、06:45発 ガルーダでバンダアチェに向かった。10:35に到着した。予備知識無し、ただ、例の2004年12月の大地震、大津波に依って10万人以上の死者、行方不明者の犠牲を出した。この爪痕は各所に残っていた。ただし、街の雰囲気はそれを感じさせないほど大部分の環境は既に、大津波以前以上になっているようです。

 インドネシアにしてはかなりのお金を集中させたと思う。もともと、独立志向が、インドネシアで一番過激な地域だった。何十年にもわたって、独立戦争、ゲルラ戦争が、続いていた。横道にそれるが、以前、ルマーアバンというジャバベカの郊外に住んでいた時に、近所の人から、自分息子がアチェの前線へ送られることになったと心配そうに話をされたことを覚えている。

 何度も、和平協定など結ばれていたが、直ぐに、反故にされることを繰り返してきた。石油などの地下資源が豊富な地域で、インドネシアは放したくない。これを機会に政府は投資を集中したと思う。海外からの援助も素直に受け入れた。その過程でのお金の流れはインドネシアにしては怪しい部分が比較的少なくて、有効に使われたと思う。今は、内戦の雰囲気が感じられない。

 

 この大津波を機会いに、独立運動は消えてしまった印象があって、以前は、危険区域氏指定されていたが現在は指定は無い。バンダアチェの街の雰囲気は明るく、新しい。道も広く、舗装に穴が無い。両側の家や店も皆新しいので、清潔に見える。何と言っても、空港ビルが出来てまだ二年だという。雰囲気が気持ちいい。

 

 今日は空港へ着いて直ぐ案内所で、ホテルの予約と車の手配をした。空港からホテルへチュックイン、そのすぐあとから、市内観光に出かけた。運転所は女性だった。ゆっくりの運転でクラクションを鳴らすことなく、リラックス出来た。

 見ても回ったところは、大津波の爪痕を記憶として残しておこうというという場所がほとんどだった。フェリーが現在の一番近い海岸から内陸6kmの場所に流されてきてそのままに鎮座している場所などでした。

 

 津波、最北端、爪痕

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆生活価格

2011-01-20 23:15:50 | 情報

   電話代(ハンドホーン、ネット接続費用を含む)3000円、ケーブルテレビ、インドビジョンは3300円、電気代は温水器、エアコン二台なども入れて2500円水道代1500円、アクアボトル15L×6で700円、合計11000円前後です。燃料費はLPGはボンベを持っていれば500円以下。どうでしょうか、日本と比べて高いでしょうか安いでしょうか。テレビはケーブルテレビを入れなければ視聴料は只です。アンテナやコードの設置を業者に頼んでも、全部込み1000円で取り付けてくれます。

 シャープアクオスの33インチ液晶デジタルテレビの価格が3万円位(アンテナなどの設置工事込)、パナソニックの高さ1.5mほどの冷蔵庫が1.4万円、トーシバ二槽洗濯機がやはり1.4万円位、送り賃込みで、合計6万円弱、安いですよね。全部現地の日系企業です。サムソンやエルジー製品も殆ど同じ価格です。日系の方が高いという印象は無い。

家賃は二万円出せば、インドネシア人の中の上位の分譲住宅地の二階建て一軒家を借りることが出来ます。中味は空ッポなので、自分で調達する必要があります。エアコン、給湯機、水のディスペンサー、ガステーブル、テーブルや椅子、戸棚や応接セット、ベッドなど、必要に応じて、自分で整えなければなりません。しかし、書いたこれ等を全部一遍に買ったとしても、多分、15万円以下で済むでしょう。

 日本の平均的年金生活者が過ごすには十分な安さだと思う。多分、マレーシアやタイでクラスより安上がりだと思う。

 気になる病院もジャカルタ近郊4~50km以内なら、大きな総合病院があり、現地のAIGなどの保険(保険料年払いで7万円ほど)に入れば無料で受けられるか、払っても申請すれば帰ってくる。日本の国民健康保険より遥かに恵まれている。国際保健ですから、日本でも適応されるはずです。

 どうです、いいことばっかりでしょう、会話と食事だけです。これが現地に馴染める人なら、お勧めです。どうでしょうか。

“Andai  aku  jadi  Gayus”“もし、私がガユスになったなら“という歌が、ガユスのそっくりさん(本物はそっくりではないが、カツラとメガネをバリでテニス観戦していた時と同じにしているので良く似ている)によって歌われている。色々な場所に土地や建物を持っていて、貯金やストックは合計3億5千万円を簡単に手に入れることが出来る、といっている。今までと合計で本人は20年の懲役が確定した。罪状は10件以上追加された。

静岡茶と干し柿とギックリ腰の薬とソニーエリクソン3GのHP(ハンドホン)です。

生活、費用、安い

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆ATMで支払い

2011-01-19 23:42:41 | 情報

   毎月15日から20日の間で払うことにしている、生活費を昨日支払ってきた。一般的に日系企業で仕事をしている日本人は自分が払いに行くことは無い。電気代やケーブルテレビなどの部屋や家に掛る費用は、会社が払う家賃に込みになっている場合が多いし、ホームテレホンのように自己負担になっている場合は会社が払い給料から天引きする。会社から与えられるハンドホンとその使用料は当然会社に請求があり、会社が払う。

 ところが、私の場合は、それらのすべてが私の負担で私自身が払いに行くことになっている。家に、請求書は来るし、ケーブルテレビ費用はどういうわけか毎月変わるので、リモコンを操作して、テレビモニターから、支払い金額を知る。

 インドネシアは預金から天引き自動送金システムが無いので、いちいち、出向いて支払わなければならない。飲めない水の水道水代だけ、分譲地のオフィスへ行って払う。三カ月に一回でいい。それ以上滞納すると、水の供給を止められる。一回だけ止められたことがある。

 それ以外は、銀行のATMで送金する。ハンドホン使用料、電気代はATMのモニターを操作していくと、支払い金額が示されるので、その金額がOKかどうか確認して、支払いボタンを押す。ケーブルテレビの使用料は調べていって、その金額を打ち込んで、OKボタンを押す。

 インドネシア語と英語を選ぶことが出来る画面で、どっちでもいいが、インドネシア語を選ぶ。送金ではなく、支払いボタンを押すと、いろいろな支払先の画面になる。其の中から電話とか、ケーブルテレビなどのボタンを押す、変わった画面で、電気会社やケーブルテレビ会社を選ぶ、その後、自分のコード番号を入れたり、ハンドホンの番号を入れたりして、金額をチェックする。支払いボタンを押す。ちょっと、慣れない人には難しいだろいうし、普通の日本人では、一回や二回聞いただけでは覚えられないと思う。もう、何年も爺さんが、ATMを操作して、間違ったことは無い。まだまだ、ボケていないと確認するにはいい機会だと思っている。

 

 高速道路の日常的路肩風景、故障車や事故車を見ない日は無い。人は自由に歩いている。バスはどこでも客を降ろす。通学にも使われている。

 

 支払い、自己負担、操作

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆生活価格

2011-01-19 22:04:19 | 情報

   電話代(ハンドホーン、ネット接続費用を含む)3000円、ケーブルテレビ、インドビジョンは3300円、電気代は温水器、エアコン二台なども入れて2500円水道代1500円、アクアボトル15L×6で700円、合計11000円前後です。燃料費はLPGはボンベを持っていれば500円以下。どうでしょうか、日本と比べて高いでしょうか安いでしょうか。テレビはケーブルテレビを入れなければ視聴料は只です。アンテナやコードの設置を業者に頼んでも、全部込み1000円で取り付けてくれます。

 シャープアクオスの33インチ液晶デジタルテレビの価格が3万円位(アンテナなどの設置工事込)、パナソニックの高さ1.5mほどの冷蔵庫が1.4万円、トーシバ二槽洗濯機がやはり1.4万円位、送り賃込みで、合計6万円弱、安いですよね。全部現地の日系企業です。サムソンやエルジー製品も殆ど同じ価格です。日系の方が高いという印象は無い。

家賃は二万円出せば、インドネシア人の中の上位の分譲住宅地の二階建て一軒家を借りることが出来ます。中味は空ッポなので、自分で調達する必要があります。エアコン、給湯機、水のディスペンサー、ガステーブル、テーブルや椅子、戸棚や応接セット、ベッドなど、必要に応じて、自分で整えなければなりません。しかし、書いたこれ等を全部一遍に買ったとしても、多分、15万円以下で済むでしょう。

 日本の平均的年金生活者が過ごすには十分な安さだと思う。多分、マレーシアやタイでクラスより安上がりだと思う。

 気になる病院もジャカルタ近郊4~50km以内なら、大きな総合病院があり、現地のAIGなどの保険(保険料年払いで7万円ほど)に入れば無料で受けられるか、払っても申請すれば帰ってくる。日本の国民健康保険より遥かに恵まれている。国際保健ですから、日本でも適応されるはずです。

 どうです、いいことばっかりでしょう、会話と食事だけです。これが現地に馴染める人なら、お勧めです。どうでしょうか。

“Andai  aku  jadi  Gayus”“もし、私がガユスになったなら“という歌が、ガユスのそっくりさん(本物はそっくりではないが、カツラとメガネをバリでテニス観戦していた時と同じにしているので良く似ている)によって歌われている。色々な場所に土地や建物を持っていて、貯金やストックは合計3億5千万円を簡単に手に入れることが出来る、といっている。今までと合計で本人は20年の懲役が確定した。罪状は10件以上追加された。

静岡茶と干し柿とぎっくり腰の薬とソニーエリクソン3GのHP(ハンドホン)です。

生活、費用、安い

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆本当の話

2011-01-18 22:50:10 | 情報

   三カ月以上前から、ソアル ガウスなる人物が、インドネシアのニュースに出てくる回数が頻繁になっている。いかのもインドネシアらしい話です。汚職で刑務所に入っているはずの彼が、バリで催されたプロテニスの試合の観覧席で観戦している姿が報道された。坊主に近い短髪でメガネをかけていないでギョロ目丸顔のご本人、メガネをかけて長髪を頭の真ん中で分けている姿で移されていた。

 警察、検察が,あわてて調べたら、今回が初めてではなく、何度も、外出していて、事もあろうにマレーシアヤシンガポールへも出かけていた。その都度、帰ってくるのも面白いと思う。

 刑務所の職員,署長も承知の上、警察の幹部も承知していた。ということは、勿論、彼から、その都度、それなりの金が支払われていた。多くの人間が絡んでいたことは明らかだが、これを、すべて明らかに出来ないのがインドネシアです。

 その本人、今になって、この件の裁判で、汚職は悪いことだと反省して、政府、警察などの汚職の実態を明らかにするといっている。関係者は戦々恐々でしょう。

 今は、また、彼のパスポート偽造が明らかになって、出入国管理局の関係者がやり玉に上がっている。彼絡みで、何か他にも出てくるのではないかと思う。

 ずんぐりむっくりの風采が上がらない唯の小男といった感じだが、金を持っているのでしょう。好きなことをやっている。

 

 ヌサカンバンガン島監獄島の刑務所から、頻繁に外出していたスハルトの息子トミーの話は有名で、誰も、批判する人いないし、マスコミも、分かれば事実と思われることを報道するが、だからといって、それを追求しないし、大統領もなにも言わない。

 

 女性刑務所に収監されている女性に多いな一室が与えられ、豪華リビング調度品が整っていて、飲み物、食べ物も高級レストラン並みの物が支給され、テレビは勿論、カラオケの装置まであって、家族,親せきは自由な出入りが認められていたという話がある。その後どうなったのでしょうか、報道が消えてしまった。 

 何でもありのインドネシアの縮図のような面白い話である。

 

 汚職、裏金、刑務所
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする