南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆インドネシアらしい

2014-04-30 23:00:31 | インドネシア

 1930 約、三カ月間のいらいらでした。そのうちの一か月以上は家にいなかったが、ついに、呆れかえって、インドビジョンのコードを外して、インドネシア国内だけのテレビを見ることにした。インドビジョンなど契約しなければよかったと思う。元々10数年、インドネシアの番組しか見ていなかったのだから、何の問題もないばかりか、問題だらけの、ストレスから、解放される。

Dengan ini menginformasikan bahwa Kami akan mencabut layanan/langganan INDOVISION, dikarenakan kami selalu komplain sudah beberapa kali tentang keluhan kami dimana tayangan selalu ter block dan respon tidak bagus, sehingga menyita waktu kami untuk selalu telp ke call centre yang sudah 4 sd 5 kali telephone hanya masalah verifikasi data di internal.

以上はインドビジョンに送ったメールです。何回、お願いしても、直らないから、契約を破棄しますという趣旨です。

 

インドビジョンに関して。もう一つ、とんでもない話がある。取り付けに5人やってきた。中のテレビ周り、外にアンテナの設置など、忙しそうに仕事をこなしていた。セットが終わって、そろそろ、道具の片づけや梱包材の処分などを始めていた時、一人が、冷蔵庫を開けて、ソフトドゥリンクを発見,飲んでいいかと聞く、皆に渡らないからだめだといてやる。他の一人がたばこを吸っていいかという、外でならいいよと言ってやる、その時、非常用にあったライターを借りると言って持って出た。そんなで、まだ、もう一軒行かなければならないと言いながら、ざわざわと帰っていた。

彼等がいなくなってしばらくして気がついた。冷蔵庫のソフトドゥリンクがなくなっていた。また、今まで使っていた普通のアンテナのケーブルが10mくらいあったが、無くなっていた。そして、数日後、ライターがなくなっていることに気がついた。とんでもないやつらだ。酷いものである。

 

例の新しく開通したインターチェンジの出入り口が、カリマラン川の南にしかないので、カリマラン川の北のジャバベカ2やチカランバルへ行くには、くるっとまわって、カリマラン川に掛かっている新しい橋を渡ってゆく、また、来たから高速道路に入りたいときには、その橋を渡って川に南側から入るようになっている。

そして、その橋は、意地悪なことに、高速道路に関係なく、カリマラン川を両岸から反対岸まで行くとことできない。それが出来るように、道を作っていることは確かだが、例によって、いつになるかわからない。

 

私は開通したばかりに何回か、南北通行に使ったことがある。いわゆる逆走して、橋に入ったのでした。しかし、今はそういう、私の様な車を無くすように、逆走に入る場所を閉じてしまってある。昨日も行けるかなと思って行ってみたが、だめだった。そこで、今まで通り、デルタシリコン2,3などからチカランバルに行くには、デルタマスの町へ入る手前の道を北上し、カリマラン川に架かる橋を渡って行くしかない。凸凹が半端じゃない。

 

橋を渡ってジャラン カリマランを突っ切って、北に向かう道の様子です。中途半端に田舎のインドネシアらしい光景です。こんな道を通って、買い物にいったり、金型屋へ行ったり、再生原料屋に行ったりするのは、普通の事です。

未開通 遠回り 破壊道路

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(^_-)-☆まだ忙しい

2014-04-29 22:33:02 | 行動

 1929 インドビジョン、今回、ブロッキングされて24時間過ぎた。通報してからは、8時間過ぎている。

インドビジョンは良くない。いつも、写らなくなってしまう。原因も対策もはっきりしない、それなのに料金の請求は来る。

Indovision ini tidak baik. Selalu,tidak bisa menonton. Penyebab dan langkah-langkah yang tidak jelas meskipun datang tagihan.Ini adalah Indonesia,

 

原料の手配が思うようにできなくて、似たような原料を扱っているあちこちの会社に在庫があるか問い合わせ、在れば、取りに行っても良いから、200kgでも300kgでも、ほしいということを頼み込んだ。在る、チカランバルのローカル会社に在庫がある、それを聞いて、300kg受け取りに行った。軟質塩ビのチューブメーカーで、三年ほど前に、自分が弟に任せた会社だから、是非見てほしい、と言われて、行ったことがあるが、田舎過ぎて、よく覚えていないが、とにかく行った。近づいてから、そこら辺りに屯しているトカンオジェックに道を聞いてたどり着いた。などで、500kgばかり、かき集めた。夕方5時過ぎから生産を始めた。なんとか、製品になって、21:00私が会社を出る時のも順調に清算ができていた、明日、出来るだけ早く、各先の届ける予定になっている。

 

今日行った会社に向かう道の二コマ、一つは例のサッカースタジアムの以前の写真の反対側、向からある狭い道から見るとこんなだ。なお会社に近くなると、田圃の風景やうっそうとした雑木の中を通る。こんなところに工場なんかないでしょう、という、雰囲気だ。ルコを三軒、ぶち抜いて工場にいている。こんなん状態のところで作っているのだから、安くできるはずだ。そしてISOも関係なし、それでも、車やバイクの部品を作って提供している。監査などには、こないそうだ。当たり前だ。来て見てしまえば、いろいろ指摘しなければならないので、見ないふりをするのです。

 

いよいよ、会社の近くでも始まった、舗装しなおしの工事、多分、まだ、すべて直すのに半年くらいは掛かる、雨季に入るまでに直せるでしょうか。直しても、雨季になれば、また、今回以上に道は破壊される。

 かき集め 原料 やっと

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(^_-)-☆興味津々

2014-04-28 23:08:48 | 知識

 1928 話のタネにというわけではなく、ファーマーズマートでドリアンや厚切り食パン、ポカリの粉末パックを買いたくて行ってみた。とにかく、車の駐車場所がなく、路上駐車で道も大渋滞だ、とてもじゃないが、自分の運転で周囲に近づいて駐車できない。そこで、ルコタムリンで駐車して、歩いて行った。5分くらいのものだ。13:00頃だったと思う。賑やかは賑やか、人をカキわけかき分け、真っ直ぐには歩けないし、体を横向きにしなければ進めないところもあった。99%はインドネシア人の比較的若い人たちで占めていた。コスプレの姿も多かった。彼等にとっては、日本なんとか。という催しがあれば、自己表現の場とばかり、かなり遠方でも会場に現れるのだそうだ。

 

さっさと買い物を済ませて、会場の端の垣根をまたいで中に入り、出てくるまで二十分くらいだった、13;40には家に着いていた。

開催される事には大賛成、主催者の皆さんの努力は多いに称えます。盛大なのは良いが、会場の広さや駐車場に関しては、インドネシア人が仕切るなら、インドネシアらしいと思うが、日本人が仕切っているにしては、かなり、色々な点で読みが足りな過ぎると思う。ゆっくり見て回って、インドネシア人の若者たちと交流しようという気分には、ならない。これほどに規模にするなら、ここを会場にすることが、既に、間違えている。昨年の様子から、当然、分かっているはずだと思う。

 

買って来たドリアン、年々、高価になってきている。大きめのノントン、タイから輸入で、一個、2千円以上する。私は中身を取り出し、パックに入れてあるものを買った、これなら、当たり外れが無いと思うからだ。で、早速、ドリアン酒を仕込んでみた。というのは、「アルコール類とドリアンを一緒に食べたり飲んだりすると死にいたる」いうことを言っている日本人がいたから、「そんなことがあるかよ、バカバカしい、本当なら、東南アジアでは、多くの人が亡くなっているはずだ、そんなことを聞いたことがない」ということを証明しようと思うからだ。

ドリアンを全部酒に漬けてしまうのは、もったいないから、半分以上は、着けながら食べてしまった。美味しい。そして、その濁酒も少し飲んで見た。今のところ、美味しさが口に残るだけで、何の異常もない。

先日、Cempedak酒を漬けたが、Duren酒と合わせて、友人に、提供出来る日が楽しみだ。Cempedak酒は、既に飲んでもらってあって、評判はよし、マンガの様な、匂いと、味があると言われていた。果物自体の匂いはドリアンだが、味は異なるが、酒ならどうか。上がCempedak酒、下がCempedak酒。

 

また、テレビ画面が、この表示「Layanan ini diblok(4)」になってしまっている。もう、五回以上になる。その都度.いちいち報告し、改善を頼む、何時間か何日間かかかって、元に戻る。それを、繰り返す。原因は、何か、私だけなのか、それとも,同じようなことが外でもあるのか、そして、何故,繰り返されるのか、本当の原因が分かっていないから、根本的には直っていないのではないか。そういうことを質問しても、明快な返事が返ってこない。本当は、直し為に何もしていないのではないか、自然に直ってしまっているので、繰り返しているのではないかと思う。インドネシアである。

賑わい 雰囲気 証明

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(^_-)-☆はやりの日本祭り

2014-04-27 23:13:01 | 喜び

 1927 仕事に一段落を付けたが、月曜日から、再び24時間運転になる。また、冷蔵庫の部品の金型のPOを受け取った。来月末までにサンプルを提出しなければならない。忙しさに加速がついてきた。客先の要望に応える体制も整えつつ、各種ドキュメントやスタンダードも準備しなければならなくなってきた。決まったフォームはあるが、製品を立ち上げるより、面倒な仕事で、私は、苦手だ。

 

眠たい、あくびをしながら、二週間ぶりのゴルフである。いつもの仲間と清々しい雰囲気の中、6:00ティーオフでした。グリーンの乗るまで、たくさん打ったが、乗ってからは、一回しか打たないホールが多かった。オリンピック33点でした。久しぶりに10万Rpを越えた。オリンピックのポイントとスコアーは、ほとんど、別物ですね。日本人だけのようですね。

 

シンガラジャで食事のあと、会社に寄って、月曜日の出荷準備の状態を確認し、帰宅する途中、桜祭りの会場前を通過した。路上駐車で大混雑、当然,こうなるだろうということは予想していたが、マクドナルドからズリに入る道も殆ど塞がれていて、ホテルへ行くに受けない状態になっているようだった。とても、ちょっと、寄ってみようという気になれなかった。多分、明日も、ここを通るが、ちょっと、会場の裏道の様子を伺ってみようと思う。ホンピンパの方だ。駐車できそうなら、話の種を作ろうと思う。夜、JKB48の何人かが来ると看板に書いてあった。

 

ところで、5月11日にカラワンのMall Karawang Central Plaz(KCP)でKarawang Japan Matsuri 2014が開かれる。私の教え子であるディッキ君の妹が経営いている「天才日本語文化学院」が主催する。こちらも、盛大なイベントになるらしい、ロータスレイクやスダナでゴルフの後、ちょっと、寄ってみたらいかがでしょうか。日本人のためのインドネシア語講座もやっているそうで、仕事帰りの生徒募集も狙いらしい。

リラックス サクラ祭り 開放的

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(^_-)-☆徹夜続き開け

2014-04-26 22:53:22 | 行動

 1926 真夜中3時ごろから一時間ぐらい、雷のけたたましい音と豪雨の音、工場が揺れているようだった。停電にならないように願った。せっかく、順調に製品が出来ているのに、いきなりストップでは泣くに泣けない。一瞬の電圧落ちは数回あったが停電にはならなかった。良かった。ホッ、である。結局、三日連動、徹夜仕事、偶にはいいか。

9時に帰って、寝たが、電話で三回起こされた。寝た気がしない、13:00には、再び会社、来客あり、見積もり提出あり、原料のデータシートの準備ありの、半分、寝ながら仕事をしていた。頭がボーっとしていて、多分、夢遊病者?のようで、気分がいい。チョット危険な雰囲気。

 

日本祭り、明日と明後日、リッポチカランのファーマーズマートの広場で、桜祭りが模様される。去年は囲碁のコーナーで冷やかしをした場所でした。

 

今朝、4時頃、生産が順調にいっていたので、余裕だった。こんな時には儲かっているのです。セルフタイマーで自分を撮ってみた。眠気覚ましにゲームをしていた。

 

午後4時半頃、会社の屋上を打ちつける雨、音で会話が出来ないくらいけたたましい。ジャカルタ方面は、降っていないようだ。20時過ぎ、眠たくてどうしようもなかったが、折角、作ってあった濁酒を放ってあったので、搾ることにして台所で準備をしていたら、昔懐かしい、映画の声が聞こえてきた。酒を搾りながら、聞き耳を立てていた。小学校五年の時にみた映画だ。同じ年くらいの子が、よくやっているなあと思った記憶がある。酒を5本分絞った後、映画に集中した。うたっている歌、全部が、小学校の音楽に時間に歌った歌だった。大声で一緒に歌った。そして、何回も涙が滲んできていまた。高峰秀子、いいですね。津島恵子とともに、当時、私の中の母親の理想でした。インドンシアで見られるとは。

 

私のYAFOO ブログの表紙の写真は、インドンネシア、ブリトゥン島の“ラウカル プランギ“という小説の映画化でロケ地といて使われた学校の今です。物語は次代背景は違うがおんな先生と子供の触れ合いがテーマの一つで、

この島がインドネシアの小豆島という感じだ。インドネシアで一番好きな島だ。

http://otaenplaext.net/newpage48.html

http://otaenplaext.net/newpage49.html

私のYAFOO ブログの表紙の写真は、インドンネシア、ブリトゥン島の“ラスカル プランギ“という小説の映画化でロケ地といて使われた学校の今です。物語は次代背景は違うがおんな先生と子供の触れ合いがテーマの一つで、

この島がインドネシアの小豆島という感じだ。インドネシアで一番好きな島だ。

 徹夜明け 二十四の瞳 酒搾り

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(^_-)-☆やむを得ず

2014-04-25 23:44:22 | 行動

 1925 また今夜も、仕事ブックルジャ トゥルース、サンパイ パギ、タピ シアン ジュガ ティダッ ティドゥール、カルナ チャペッ バンガッ とにかく納期に間に合わせなければならない。

朝、10時頃、家に帰ってみた。水が出た。しかし、勢いがない。多くの家庭で、一斉に水をためているからでしょうか、四日ぶりでしょうか。妙に感激をしてしまった。早速、頭がボーっとしながら、洗濯、食器洗い、そして、汚れている床を簡単に磨いた。トイレの水を三回流した。アラームを14;30にセットして眠った。3時間熟睡の後、目覚ましに起こされた。イジップの元サンヨー、現在、ハイアールを訪問、日本にいる日本人と会話し、新商品に関する提案をした。商品設計者、樹脂の物性や価格について、知らないで、只、知っている樹脂で、よさそうだと思う樹脂を指定する場合が多く、私が、その用途を知れば、他に、もっと、適していて、安い樹脂がありますよ、と、提案する機会がかなり多い。一種の改善提案ののだが、快く、受け止めてくれる人は非常に少ない。知らない樹脂なので、それで行ってみようと簡単には言わないし、自分の無知を指摘されたと感じるのか、設計にケチを付けられたと感じるのか、かたくなに、今までもこの樹脂を使って来たのだからと、自分の書いた樹脂に固執する人が多い。

 

そして、今日も生産現場にいる、朝まで押出しラインから離れない予定だ。大体、押出し成型というのは、人が暇の方が儲かっている時で、側に人がついいて、あれやこれやとやっている時は、儲かっていないのです。金型を組んで、流しだし、直ぐにOK品が出来て,切り始めたり、巻き取り始めたりすれば、それがある程度まとまるまで人は何もしなくていい。データを付けるくらいなもの。なにもしなくて暇そうにしていて、その方が儲かるのです。

 ところが、今の私は、忙しい、私が手を下さなければ良品がうまくできない、何時間も付きっきりにならなければならない、だから、それほど、儲かっていないのです。

 

 ずっと昔の話です、貸し工場のころ、周りは干物工場、多くの人が忙しそうに手仕事をしている、向かいに或る会社、射出成型の会社、当時は人が付き入りで、ドアを開けたり閉じたり、製品を取りだしたり、インサートを取り付けたりし、忙しいというより、機械に気とが使われている感じだった。その社長さん、突然、向かいに現れた会社が、あまり人がいないで、いる人も動き回っていなので、「お前のところは暇そうにしていて、儲かっているらしいな」よくそういっていた。

 私は、夏になれば、直ぐそばの海水浴場、静浦(学習院の海水浴場がある)、東郷?などへ、仕事をさぼって、泳ぎに行っていた。

 

夕方、帰宅ラッシュ時に、また、イジップのある会社に製品サンプルと原料の物性表を届けた。帰りはイジップの裏の出入り口から出てきた。その道の混雑さは相当なものだ。ここも例外ではない、狭い道にバイクがあらゆる隙間をぬって、入り込んでくる、車を運転する私は、全方向を確認しながら運転する。ここを出て、右に曲がると、ヒュンダイの工業団地に入る。アスカは、ここから300mほど入って、左のイスラム学校を通り過ぎて左に曲がり、また、左に曲がり、学校の裏側にある。

無茶 感激 提案

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(^_-)-☆国民の平均年齢

2014-04-24 22:41:13 | 思うこと

 1924 結局、徹夜になってしまった。客先訪問や来客があって、休むことなく、忙しく、動き回った。歳を取ると、疲れや眠さを感じるのが鈍くなっているのでしょうか、今のところ、疲れを感じない、もっとも、車を8時間も10時間も、ブっ通しで、運転する事に比べれば、体への負担は少ないと思う。そして、今日も、まだ仕事をしている。徹夜連続になるでしょう。明日、新規の仕事の依頼があることは確実で、その詳細打ち合わせが予定されている、大丈夫かな。

こういう、私の様な年寄りも増えていることも事実として、

平均年齢で検索すると、ほとんど、聞いていない平均寿命が出てくる、違うだろ。平均寿命や平均余命の各国を比較し、一番だ、二番だ、と言っているのは、何の意味があるのでしょうか、医療や保険制度が発達して、なかなか、死なない、この世に長くいる時間が長くなる、それだけの比較に何の意味があるのでしょうか。

 

国の将来性、発展性や幸福観と大いに関係がある、年齢に関する指標は国の平均年齢だと思う。平均寿命が長くなっていて、人口減少ということは、新たに生まれる人が少なくなっているからです。平均年齢がどんどん上がって行くのです。生産しない、新しいものを産めない、創造性がない人が増えて、年金や医療費を多く使うのです。若い時に負担したのだから、歳を取ってから、返してもらって、当然という分けにはいかない。負担する人が少なくなっているのだから、返してもらえると思っている金額がすくなくなってくる。また、若者は、将来、年金を受け取れなくなると思っているから、年金を払わないという人も多い、だから、なお、現在の原資が少なくなるのです。

年金の支給年齢は逃げ水のように高齢になって行くし、支給金額も少なくなる、医療費の個人負担の割合が多くなる。今、とっくに、そうなってきている。

 

福祉を優先するなら、それに当てる税収が必要だ。高福祉国家は消費税が高い、食料など除外はあるが、20や25%は当たり前だ。

 

理想的には人口構成は男女左右同人数で、100才くらいを頂点とするピラミッド型でしょう。正三角形だろうが、二等辺三角形だろうが、平均年齢は下から三分の一辺り、30数才というところでしょうか。日本は、というと、ピラミッド型とは程遠くなって、ずん胴がたというか、ドラえもんがたというか、平均年齢がほぼ真ん中になってしまっている、数年後には真ん中より上の50才を超えてしまう傾向だ。

インドネシアはどうか、多分、30歳まで行っていないと思う。ピラミッドの頂点がおそらく80才ちょっととすれば、やはり、下から三分の一くらいに平均がある。そのまま、ピラミッドの頂点が100才くらいになれば理想的だし、国は発展し、生活水準も上がってくるだろうし、何より、若い人が多いということは活気があっていい。私が就職し始めたころの様子に似ているような気がする。

 

私は、これで徹夜をしています。

平均年齢 活気 将来性

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(^_-)-☆戦争責任は誰

2014-04-23 22:25:53 | 思うこと

 1923 まだ。仕事をしている、これから徹夜になりそうだ。

政治家や行政者の靖国神社参拝者に、マスコミは是非質問してほしい事がある。

1 天皇陛下が靖国神社を参拝しないことは、戦争で亡くなった人たちを悼み、二度とこのような戦争を起こさない誓いをする、そういう、気持ちがないと思うのか。

2 先の戦争を起こし、アジア諸国に軍隊を送り、国民に多大な負担を与え、多くの現地人や日本人を死なせた責任者は誰だと思うか。また、どういう集団だったと思うか。それを、極東裁判の結果は別にして、日本人自身で責任を検証、確認したらいいと思うがどうか。何故、戦争に走ってしまったのか、原因を確認することは、なされていないのではないか。

3 外国人が批判しているのは何故だと思うか。そして、それを、排除する方法はないのか。賢い日本人なら、外国が快く思わない事をあえてしないで済む方法があるのではないか。

何故、マスコミは、そういう質問をしないのでしょうか。朝日新聞ですらしない?

 

政治家の参拝者の話を聞いていると、「戦死者を悼み、二度と戦争を起こさない誓いをする」というのは本心ではなく、戦犯が合祀されているから、その人たちの死を悼んでいるように聞こえる。二度と戦争を起こさない誓いどころか、「文句を言うならいつでも掛かってこい、相手になってやる」と言っているように聞こえる。これでは、戦争を扇動した人たちと同じ人種だと思われても仕方がない。信仰の自由とか、宗教の独立性を尊重とか、詭弁に過ぎない。

 

西海岸から、半島(チャガール アラム)を望む、このジャングルに分け入ってラフレシアを捜すのです。この写真の右から三分の一くらいに、ちょっと低くなったところがある、そこから、西海岸、こちらの方を見ると、

 

こんな風です。

断水が直っていないどころか、水曜日、明日には回復するという話もどうも怪しい、大家さんが、見かねて、大きなポリ容器に水を入れて届けてくれたらしいが、確認していない。大家さんの家は断水していないとか。

 靖国 戦犯 責任

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(^_-)-☆踏んだり蹴ったり

2014-04-22 22:19:20 | 生活

 1922 昨日帰宅した時に断水になっていて、今朝も家から出るまで、水は出なかった。トイレも水が出ない。先程、会社から帰って、蛇口をひねったが、まだ、断水のままだった。隣へいて聞いてみた。どこかかのパイプが破損したのだそうで、水曜日の昼ごろ治るのだそうだ。洗濯や水浴びも出来ない。困ったものである。

 

インドビジョン、時々、ブロックという表示が出て、何も映らなくなる。先週の水曜日から木曜にかけて映らない状態だった。会社契約で視聴料は天引きにしてあるので、会社から金曜日に、インドビジョンにクレームを付けてもらった。帰宅しても直っていないので、夕方また、文句を言ってやった。その返事が、設定に不備があったということらしい、今回は始めてではなく、何度も繰り返していて、その都度、なんとなく,治っていた。今さら、そんなおことを言うのは、附に落ちない。今までのブロックと回復は何だったの、理由が分からず、自然に直っていたのでしょうか。

そして、その時の返事が24時間以内に正常に戻します、だった。1時間で直るかもしれない、2時間掛かるかもしれない、24時間なら、100%近く、正常に戻っているいでしょう、という説明。分けのわからない説明、インドネシアを感じる。説明だか、言い訳だかをしている、ご本人自身、その説明が正しいと思っているのでしょうね、きっと。私なら、そんな説明で、相手が納得するとは思わない。

結局、金曜日、出発する時間、5:30頃、まだ、治っていなかった。昨日の話から、12時間過ぎている、まだ。24時間過ぎていないので、直っていなくても、文句は、言えないなと思う。

そして、何時から、治ったのかはわからないが、あれから、約72時間後、直っていることを確認した。また、ブロックの表示だけになってしまうかもしない、そうなったら、もう、契約を止めようと思う。

 

黄金色に稔った遠くの山麓に至る田園地帯、同じ地方の水没田圃とは対照的だ。

 

バンジャールとパンガンダランを結ぶ道沿いに、旧日本軍が作らせた鉄道線路の名残というか、残骸というか、跡が残っていて、所々で、道から見える。これはジャングルのようになってしまった中に鉄橋があった。見えますか。

 

チアミスの山の中の道沿いに何件かのCempedak(チュムペダック)の直売店があったので、三つ買ってきた。また、好評だったチュムペダック酒を作ろうと思う。一個、約1kg、100円弱である。チカラン辺りではもう売っていない、シーズンが終わりに近い、チカラン辺りでは、Kg当たり200円くらいしていた。

水飢饉 テレビスト 不可解

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(^_-)-☆満足感なし

2014-04-21 22:43:11 | 体験

 1921 今回の旅、どこへも行かずに、ゴルフを三日間やっていた方がよかった。ダダ、疲れにいただけだったかも入れない。でも、行ってみなければ、分からない話でして、いかなければ、其れはそれで、後悔するかもしれない、そういうものです。

 

帰りは渋滞をできるだけ避けるために、8時前に出発した。ある程度順調だったが、タシクマラヤのバイパスを過ぎたあたりから,怪しくなってきて、昨年のレバランから使用可能になった一方通行の道に差し掛かって、すぐに、大渋滞の尻尾についてしまった。

 

最初は5車線、しごきあいながら次第に車線が狭まって、最後に一車線になるという道、急な登り坂、下がってコツンと当たっているし、オーバーヒートで立ち往生も続出、もう、散々な道だった。そこを切り抜けても、バンドゥンまでも、芋虫渋滞、チプララン高速道路も車が一杯、チカンペックからジャカルタ道に出てもおなじ、私は、その90%を路肩走行した。それでも、家に着いたのは16:30丁度だった、8時間半かかったことになる。

 

今朝の西海岸の様子、見渡す限りの人は昨日と変わらない。これほど多くの人びとがいるのに誰一人として泳いでいない。膝くらいの高さの波のそれ以上、岸から離れようとしない。我こそは、沖へ泳いで行ってみる、と、思う人はいないのでしょう。打ち寄せる波の高さは、1,5mくらいあるし、たまに2m以上の場合もある。それも、午後になれば風が出てきて、もった高くなる。波打ち際の人が小さく見える。

海岸の波は危険だという教育が徹底しているのでしょう。また、水泳を学校で教える機会は全くないようだ。学校にプールがあるという話を聞いたことがないし、見たこともない。なお、運動場がある学校も、ほとんどないと思う。中庭という感じの広さも広場はある。

泳げないし、危ないという意識が徹底しているので、誰も、我こそはと、思わないのでしょう。

 

今回、面食らったこと、とにかくどんどん観光客が増えている。今回も,地元に人はレバランの時のようだという詩、来月末に大型連休がある。その時は,今回以上だろうと予想している。ホテルはどんどん増え、今も建設中が沢山ある。また、改装をした、改装をしている、改装の計画があるというホテルも沢山、それらに、共通することは、宿泊代の値上げだ。一年前の倍になっているホテルも多い。50万Rp以下の部屋を探すのが難しくなった。今回泊まった部屋は、部屋の前に人が集まりやすくなっていて、話し声、笑い声が煩い、12時過ぎても、やかましかった。温度コントロールが難しいエアコンは付いているが、カマールマンディはお湯はなし、TVはTV ONEしか写らない、シングルベッドでしたが、35万Rpでした。高!!!

 

竜宮城、南の天国もインフレだ、渋滞は激しくなるし、70才を超えた私にとっては、次第に、ラフレシアが遠ざかるような気がする。弱音。と言っているが、5月27日からまた行く予定になっている。

忍耐 競り合い 集中

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(^_-)-☆残念だが

2014-04-20 20:33:55 | 旅行

 1920 ちょっとだけ期待していたrafflesia patma bunga bangkaiラフレシア パトゥマ ブンガ バンカイに会うことが出来なかった。朝、8時ころからチャガール  アラムに入って、滝の上までのルートで捜したが、匂いに、全く、会うことが無かった。匂いが無ければ、捜しようがない。残念でした。しかし、一人で良かった、友人と一緒だったら、がっかりさせたでしょう。

代わりに、こちらへどうぞ!!

http://otaenplaext.net/newpage32.html

http://otaenplaext.net/newpage33.html

ついでに、こちらも、その他にも沢山あります。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage041.html

http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0010.html

 

皆さん、どこから湧き出してくるのでしょうか、ものすごい人数だ。ライフガードに聞いたところ、三日間で5万人を予想しているとか、見渡す限り、人人人である。こんなに多くの人が、いつの間にか、いなくなってしまう。どこに、収まっているのでしょうか、皆さん、泊まっている場所に収まってしまっているのでしょう。

 

サンライズとサンセット、

 

これだけの喧騒、大賑わいなのに、ジャングルに入ってくる人はほとんどいない。約、3時間、歩きまわったが、人に会ったのは、一度だけでした。チャガール アラムに入るには7000Rp払う、入って何種類かの洞穴には行ったり、パシール プティで遊んだりするだけで、散策をするという感覚でしょう、体力を使う場面はない。ジャングル(チャガール アラム)には入らない、一度、入れば、樹木が伐採されていて、見通しいがいい場所を通過し、登って行って、ジャングルに入る、滝まで行くのが普通のルートで、そのコースなら、休憩を何回かする、出てくるまで5時間くらいかかるのが普通だ。人が入ってこないのは、時間が掛かる事、大変な事が理由だろう。ラフレシアを見に入ってやろう、などと、思う人はほとんどいない。

 

ジャングルの中は、一応、踏まれたルートがある。その両側にラフレシアがあるならある。今日のコースは、いつもの慣れたルートだ、しかし、かなり、倒木や小枝の邪魔が多かった。踏まれた道の前方が倒木で塞がれている場面が多かった。ガイドが真中にいるが見えますか。私自身は,体力の確認をしに行ったいったようなものだった。

 

最近のパンガンダランで気になることは、電飾のオドンオドンが急増している事、二人乗り、3人乗りの自転車は在るが、目立たなくなってしまった。どちらも、インドネシアではここにしかないと思う。

もう一つは、駐車場で料金を取るようになってきた。今までは、駐車場の出入り口で取るというシステムはほとんどなく、車を止められる場所にトカン パーキルらしき人物がいて、必要ないのに、勝手に誘導して、チップを貰う、そういう、場所がほとんどだった。今は、チケットを渡し、そこから出る時に払うという場所が多くなった。ちなみに、私は、払う必要ない、駐車場に何回も出入りするが、全員が私を知っているので、誘導はしてくれて、私から料金を取らない、チケットも渡さない。

封鎖 落胆 変化

 

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(^_-)-☆竜宮城へ 

2014-04-19 22:54:21 | 旅行

1919 イースター、本日から三連休、久しぶりにパンガンダランにいる。前回は何時だったか覚えていない。知る必要はない。今回はチャガールアラムに一度入ってブンガ バンカイ(ラフレシア パトゥマ)を捜そうと思うが、その他の事では、あまり行動しないで、ゆっくり、浜辺でのんびりしようと思う。

 

5時半に家から出た、チカラン バラットからジャラン トールに入った。いきなり渋滞、ガソリンが少ししか残っていない、このまま渋滞の中にいては持つかどうか心配だし、途中のテンパットゥ イステラハッのガソリンスタンドの大渋滞だろうから、時間の無駄になると思い、デルタマスで下りてしまった。何と此処まで40分掛かった。ガソリンを入れて、直ぐ、ジャラン トールに戻っても、同じ渋滞の中に戻るだけでは、芸がない、何時間か後なら渋滞も解消しているかもしれないと、読んで、一先ず、まだ、仕事をしているはずの会社へ行ってみることにした。昨晩の製品を確認し、来週はシフトなし、などと話をした。

 

8時に会社から出発しなおした。無駄な読みだった。デルタマスからもまだ大渋滞、Sepangjang jalanスパンジャン ジャラン、全行程、芋虫運転、一度も休憩ない、車から降りなかった。何と、パンガンダランに到着したのが17;35でした。西海岸のサンセットもセットした後だった。

 

いつも泊まるホテル、フルだという。こんな事今までなかったのに。ちょっと高いがポンドック ダウンに潜り込んだ。ヘアーサロンへ行って、髪の毛を染め、部屋に落ち着いたのが、19:30Capekdehチャペッデー、疲れた~~、

 

タシクマラヤに入ったというゲートをくぐって、しばらく、行くと、此処に差し掛かる、真っすぐ行くとタシクマラヤの北側を通過して、チアミスに至る、その向こうがバンジャール、パンガンダランだ、真っすぐ行けばジャクジャにも行ける。ここを左に入ると、直ぐに右に曲がり、真っ直ぐの道の下をくぐって、対向車線と一つの道になり、タシクマラヤの中心に至る。右はタシクマラヤの町の方から来た車です。

 

それでもバンジャールからはパンガンダランに向かうバスや車は多かったが、渋滞は無くなっていた。雨季が終わりだが、道の凸凹は、雨季の足跡、チカランの酷いが、バンジャールまでは、予想通り、酷い凸凹続きだった。ところが、バンジャール、バンジャツ サリからパンガンダランまでは、昨年の暮れあたりに舗装しなおしが終わったのでしょう。凸凹なしの完璧な状態だった、それと、舗装幅が広げられていて、大型バスやトラックが片側の車輪を落とさなくても。すれ違えるようになっていた、追い越しも片輪を落とさなくても出来る。なんで、最初からこうしないのだろうか、と、思う。

 

その舗装が、続く両側は、広大な水田地帯である。雨水が引いていない水田が多かったが、収穫をしている田圃もあった。来るたびに普通の風景だが、写真を撮りたくなる懐かしい光景。

 

それにしてもマー君凄いですね。甲子園でハンカチ王子と騒がれた人の引き立て役をしていて、ほとんど、話題にされなかった若者が、今、世界の大舞台で注目を浴びている、片や、ほとんど使い物にならない状態らしい、人間、人生いつどうなるかわからないが、二人の極端な状況を見ると、人の評価などは当てにならないものだと思う。何年後かには、また、別の舞台で、注目度や評価が逆転しているかもしれない。

 

ま、とにかく、普通なら7時間半で着くのに、今回は9時間半掛かった。2時間半はキツイ、右足がつって、アクセルを踏むのに、相当意識をしなければならない、左足、左手は坂道の発進で半クラッチやサイドブレーキ発進を頻繁に使わざるを得ない。半クラッチやサイドブレーキ発進、って、何?と、日本の若者には、いわれるかも知れませんね。インドネシアでは、まだ、マニュアル車が主で、オートマチックは高い。私も安いマニュアル車を使っている。

渋滞 疲れ 人出 

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(^_-)-☆夢の途中38 2

2014-04-18 23:04:11 | 考え

 1918 静岡県東部の長泉町下長窪という場所の分譲住宅地に住んでいた。妻、長泉小学校の先生、娘は家から直ぐ山の上の長泉北小学校の4年生だった。それまで、数年前から家族で夏休みに国内旅行をしていた。この時、始めて海外旅行をした。旅先は中国の桂林でした。南画の景色を早いうちに見ておきたかったからだ。自然に出来あがっている雰囲気と景観には、充分、満足した。その時が、私のいくつかの夢のうちの一つの始まりでもあった。

 

香港から広州、そして、桂林というルートでした。先ず、びっくりさせられたことは、広州国際空港のトイレ、10才の娘が“お父さん、お父さん、ちょっと来て“と私を女性トイレに来いという。何事かと思い、ちょっと失礼して、娘の後について行った。便器はヨーロッパスタイル、その便器の中にウンコが山盛りになっていた。水が流れない、そのまま、次々とウンコを積み重ね、ついには、便座より高く盛り上がっていたのでした。娘はかなりショックだったと思う。男性用の小便用は、一人ひとりの仕切りがなく、多くの人が並んで溝にするという状態だった。

 

桂林の離江下りをした時の船の中、両脇にトイレが付いていて、川からくみ上げた水が上に貯めてあって、用を足したらそれを川に流す。船の後ろで水を汲んで野菜や食器や調理用器具を洗っている。今のインドネシアで、家の近くでは、カリマラン川両岸で見られる風景である。遠目や夜は綺麗で素晴らしい、しかし、近い場所、昼間は汚くて、臭い、今のインドネシアと同じだった。中国の今もその当時と五十歩百歩でしょうか。その後、中国本土には行ったことがない。

 

それらは、置いておき、観光バスに若者は乗ってきていて、ガイドの紹介で、“日本語を勉強している学生が、皆さんのバスに乗ってきていて、皆さんの手伝いをしてもらいます“という案内があった。一番後ろの席にいた私たちの横に座って、片言の日本語で話しかけてきた。観光スポットに着き、バスから降りても私達3人について来ていた。一番とっつきやすかったのでしょう。二日間、ほとんど彼が一緒だった。あまりに熱心だし、穏健な雰囲気だったので、別れ際に、私の住所と電話番号を渡し、「日本で勉強したいなら、日本へ来たらいい、私が保証人になりますよ」と言ってやった。私だけでなく、その後も多くの日本人の観光客と話をして、知り合いもできるだろうから、日本へ来るにしても、私を頼ることはないだろうと、その事は忘れていた。丁度、その一年後、学校を卒業したので日本へ行きたい、保証人になってくれますか、と手紙が来た。

 

言ってしまってあったので、面倒見るしかない。旅費を送ってやった。それから、約6年間、彼の学費と生活費の一部を私が面倒見た。名前は尤海明(ユウハイミン)君。海南島出身の21歳でした。専修大学に入った。その後、日本人の女性と結婚し、結婚式には私も主賓として出席した。その女性の家族がどう思ったか、私が余計な事をしたばっかりに、中国人と結婚してしまったなどと、思ったかもしれない。でも、その後の彼らの日本での生活は、円満、かつ、仕事の方も順調だ、と私は思う。今も年賀状がとどく。約、30年前の話だ。

 

彼が、私の学生の面倒見のスタートだった。子供や妻は完全自立しているので、私のお金をあてにしていない。

多くの若者、特にインドネシア人の面倒を見てきた。何人かの保証人になり、日本で日本語の勉強とその後の大学や大学院での勉強も見守ってきた。けっこうな金額を使ったと思うが、見返りを求める必要はない、只、必要だろうと思う金額を渡しただけだ。そして、皆さん、各方面で、自立している事を感じて、自己満足に浸るのが私のホビーの一つだ。

取られるという気分になるなら、たとえ一円でも気分が悪いが、あげたという気分なら、一千万円でも心地がいい。技術も同じで、盗まれた事も何回かあるが気分が悪い、技術をインドネシアの若者に与えた、伝えた、というなら、こんな気分がいい事はない。それと、同じだ。

 

昨日の写真とは別の建設中のホテル、アパートやショッピングモール、この他にも何か所かある。家賃もうなぎ登り、一年以上の契約をしないところもある。

保証人 真面目 有望

 

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(^_-)-☆夢の途中38 1

2014-04-17 22:35:53 | 思い出

 1917 その頃、仕事は軌道に乗っていて、忙しかった。いわゆるバブルの初期、大いに儲かっていた。押出成形機40mmφ一台で、当時でも200万円売りあげていた。3分の2以上が荒利で半分以上が純利益だった。それも原料価格、PCが900円/Kgしていた。それを毎月3~5トンこなすのですから、面白いように儲かった。勿論、2千円くらいした12ナイロンや11ナイロンも扱っていた。軟ポリのスパイラルチューブも原料が100円/kgで500円以上で売れていた。上げた利益で装置を買って、特別償却で一年目に50%償却というやり方をし、設備も増やした。

 

始めた当初は、商社からの要求で、原料を購入する前に半額ほどの前金を振り込んでいて、入荷したと同時に残金を支払っていた。しかし、入金の全てが月末締めの翌月払い、そして、90日の約束手形だった。極端な場合、原料を購入してから5カ月後にならないと現金を受け取れない事になっていた。最初半年ほどで手持ちの資金がほとんどなくなってしまったが、半年後からは、預けておいた手形から当座預金に現金が入るようになってきたので、ずいぶん楽になった。その上、一年後からは、回し手形で良いよと言われ、毎月の売り上げの半分くらいを回して、請求金額より少し多く払いながら、半分は銀行に預けるようになっていた。

 

それ以後、静岡に移ってから、50歳で社長を止めるまで、銀行から小切手帳は貰っていたが手形帳は貰ったことが無かった。10万円以下は現金、それ以上は裏判を押して手形を回して支払っていた。手形を割る事も全く必要なかった。預けた手形の期日が来るまで十分資金は残っていた。私が止めた時の株の評価は、20倍以上になっていた。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage007.html

38歳ころから、ずっと、安定成長をしていった。前にも書いたが、当時は、二人で仕事をしていたので、私が朝8時から夜8時まで、もう一人(現在セピックの社長)に夜の仕事をしてもらっていた。週二回、夜8時に出荷、納品に出かけた。先ず、厚木の向こうの海老名市まで、22時に厚木プラスチック到着、行きは東名、帰りは節約のために御殿場街道を使った。家に帰るのが0時を回っていた。朝5時に家から出て、御殿場の神場(じんば)というところにある東方電材という会社に6時前に納品し会社に向かい、7時頃会社に着いていた。その他の出荷は、運送屋に頼んでいた。

 

発展し続けるリッポチカランエリア。ホテル チトライン(このホテルは1996年には既にあった。このあたりでは、サヒッドとここしか、外国人が泊まれるようなホテルはなかった。)の前の道を南に行くと右にEJIPへの入り口、左にHYUNDAI工業団地への入り口、その先に、大規模なショッピングモールの姿が現れてきた。ちょっと遠くからだが、リッポチカランモールに3倍くらいは在りそうだ。

手形 小切手 現金

 

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(^_-)-☆来客それぞれ

2014-04-16 23:22:21 | 思うこと

 1916 韓国系、日本系の会社が相次いで来社、両社とも、それぞれ本国から輸入している製品をインドネシア国内で調達したいという、お決まりのパターンだ。また、私が立ち上げ指導した会社には既に、だいぶ前に、見積もり依頼をしてあったが、返事がない。もう一社は、断りたい気持ちがありありの高い値段の見積もりを出してきたそうです。これらも、お決まりのパターンだ。

韓国系の方は、深刻らしい、本国からの製品の入荷の見通しが立たなくなっているとか、品質が安定しないために出荷数量を準備出来ないそうだ。いつ入荷するのか、わからない状態になってしまって困りはてている。私が指導したガスケットからスタートした会社に泣きこんだが、無視されたそうだ。実は無視されたのではない、その会社の人が、自分の会社ではどうにもならないからといって、私をその会社に紹介したのです。

また、一緒に、韓国系の原料商社もやってきた。インドネシアでは調達できないプラスチックの原料を主に韓国からの輸入販売する会社だ。“安い、少量でも安い“というのが、仮見積もりの話を聞いてびっくり、PCは日本からの半値だ。それも、1トン以下でもOKだとか。この点では非常に魅力があると感じると同時に、なぜ?こんな価格で出来るの?日本のメーカーとどこが違うの?と思う。

その安い原料を使った場合の見積もりを出してほしいという。急ぎなら、在庫を持っている高い原料を使わなければ、間に合わないでしょ、だから、希望価格というより私の方の都合を見積もりを出させていただく、そして、安い原料を使えるようになった時には、改めて見積もりをだすことにしましょう、と、いう話になった。

 

日系の方も、すでにサンプルは二回提出してあって、日本の評価もOKが出ていて、もう、日本への注文は打ち切ったので、その在庫がなくなるころ、7月からは、私のところで作った製品を使うことになるという。その予定を元に、今から、必要な工程に入るという。QCの担当者がついてきて、いろいろな書類の準備と提出を求めてきた。面倒だが、車の関係部品なので、客先は納入先から求められていることなので、仕方がないので、出来るだけ早く、提出することを約束した。形式主義の伝染病の蔓延みたいなもの。物を作る私にとって、書類つくりというのは、無駄なことだと思う。管理をされることは、大嫌いなので、管理することは、好きになれない。

 

見かけるようになった、道路の修復工事、

 

雨季も終わりのころは、木に花が咲き始める。

付き合い 厄介 余計な

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