南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆ジャングルで恋人に会えた

2023-11-03 23:51:06 | 喜び

(^_-)-ジャングルで恋人に会えた 5398 8時から、チャガールアラムのジャングルに入った。そして、歩き回り、先端の滝の傍で会えた。

朝8時前の西海岸、平日だから、こんなもの、

こんな中を歩きだす。まだ、乾季なので、歩きやすい、水もほとんどない。ただ、枯れ葉が覆っている場所は、滑りやすい。

 

何カ所か、ラフレシアに会ったことがある場所があるから、そのあたりを探し回るが、見つからなかった。

 

そもまま、先端の滝の方に向かう。私が。枯山水のように、ごつごつ岩だらけの沢を歩く、手伝いの二人は、その両側の上の密林の中を歩き、匂いを求める。なかなか、匂わない。

 

彼らが、蕾や、既に真っ黒になったものはあるが、咲いているのはないと言っている。滝まで、100mくらい手前で、既に、そこから、先端の海が、崖の下に見える場所で、あった、匂った。見つかった。Bisa bertemu dengan seorang pacar yang cantik.

周辺を探したが、それだけだった。

 

滝壺には降りず、上に向かった。もう、何十回、ここで、休憩しただろうか。インド洋が見下ろせる。

帰路に着く、と言ったって、ジャングルの中、ラフレシアを探しながらだったが、全く、匂いを感じなかった。残念。

ジャングルを通り抜けた。登って来たときは、振り返らないが、ここからは、西海岸が見渡せる。

チャガールアラムに入るときは西口からだが、出るときは東海岸に向かう。シーフードレストランがあるからだ。そ戸で昼食。大体、こんな料理だ。

分かれて、ホテルに戻り、マンディと昼寝。

夕方、西海岸へ、サヲを6Kgかった。1000円くらいだった。

 

チャガールアラムに入って、歩き回り、ラフレシアに会える確率は3回に一回だった。今日、会えるかどうかわからなかったが、ラッキーだった。会えた。

ジャングルへ脇入るのは、今日が最後にしようと思うと、言ったら、そんなこと、また、言っているよ。どうせ、また、来るでしょ、とね。

 

とにかく、25年前に初めて入ってから、何回目だろうか。7~80回は入っていると思う。

 

疲れた。今回は、転んだのは、這っている蔓に引っ掛かっての一回だけだったが、岩だらけの沢を、上り下りしている時には、十分、気を付けた。80歳の誕生日だった。

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(^_-)-☆夢中の二日間

2017-03-17 22:30:40 | 喜び

 2980 ほとんど半日のジャランジャラン、まず、ラスカル プランギの撮影学校へ行ってみる。雰囲気が以前と全く変わっていた。俗っぽくなっている。以前は、撮影学校の他に何もなかったが、今回は、土産物屋やワルンが10軒ほどある一角が出来ていて、そこが駐車場になっていて、そこを通らないと、学校へ行けなくなっている。結局、以前は学校の下の方から出来損ないのような門(校門)をくぐって学校に近づいたが、今回は横から入っているので、その門までは、降りて行って改めて上る。それと、以前にはあった、校舎の左側の建物が無くなっていて、新たに休憩場所が作られえ、分校の雰囲気を壊している。

そういえば、泊まったホテルに面する海岸、遠目にはきれいに見えうるが、近づくと臭いし、油汚れやプラスチックのゴミが埋まっていて、とんでもないことになっている。多分、数年間ホテルからの排出水やボミで、かなり汚染されている。折角の自然が売り物のブリトゥン、行政は、何とかしなければならないと思う。汚染はそこに限ったことではない。アンドレ ヒラタの博物館?へ行った。会館前だったので、直ぐ近くにあるという、アホックさんの記念館へ行って見た。その向かいに彼の母親が住んでいる家があった。彼は、ブリトゥンの出身だったのです。それなら、なおの事、スハルトの息子のトミーが広大な土地を所有していて、ゴルフ場やホテルを造成中だというから、なおの事、彼らが。先頭に立って、島の汚染防止と浄化を進めてほしいものだ。

 

現在の雰囲気では、島の環境が悪化するばかりだ。近い将来、日本人に勧めたくなくなる。

 

今回の旅で、色々な不満はあったが、あっという間の二日、日常にない雰囲気の中、十分に満足。気分は若返りだった。pura-pura kembari ke mudah それでも。体中が痛むし、疲労困憊だ。

 

ブリトゥン、タンジュン パンダンの空港ターミナル。

 

順調に進んでいる?空港LRT。

 

タマン アングレック このときは夕暮れ前、手前1kmくらいから、大渋滞の始まりだった。

旅 堪能 若返り

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(^_-)-☆ブリトゥン

2017-03-16 23:12:17 | 喜び

 2979 日本からのお客さんを二人連れて、ブリトゥンBelitungに来ている。仕事の具合によっては、キャンセルかと思っていたが、幸い、平日、会社を離れることができる雰囲気になっていた。ブリトゥンは、三度目である。

4時半に家から出発、ジャカルタで友をピックアップし、空港へ、8;30発 スリウイジャヤは、 ターミナル2である。一晩車を泊めるので、それ専用の駐車場(pakir inap)に駐車、こちらも時間単位だが、単価が安い。ターミナル1,2へ曲がらず、タ-ミナル3方向にまっすぐ行くと、ちょっと、分かりにくいと思うが、PARKIR INAPの看板が出てくる。ゲートで、HPの番号を聞かれる。適当に駐車し、ゲートの方に戻るとその左側に、各ターミナルへ送ってくれる車を待つ場所がある。小型の数人以下の乗り物、乗ると、使う航空会社を聞かれる。そのターミナルへ送ってくれる。私はタクシーを使うより、ここに止める方が安いし便利だと思う。

 

9;40 タンジュン パンダン空港に到着、出ると、すぐ右にタクシーのカウンターがある。北の灯台をはじめ、観光地を案内してもらって、最終は、街のホテルまで送ってもらう。それで幾らか、夕方の5時ごろまでで、50万Rp、それでOK,すぐに北に向かった。

 

船乗り場がある海岸に着いたには、11:00 途中、錫など鉱物資源露天掘り地帯を通る。4つの島めぐりと、昼食、シーフードセット、シュノーケリングセット、ライフジャケットそれぞれ二人分、合計88万RpでOK,

 

以前と同じなので、私としては、感激も薄れているが、連れにとっては、天国のようだ、と思う。天気もまあまあ、途中、ひと泳ぎをした。ここは、インド洋ではない、波はおとなしいものだ。パンタイ ティンギ、ここが、ラスカル プランギの撮影の場所の一つ。とにかく、大岩の芸術的配置には、何度来ても、素晴らしい景色だと思う。

 

18時過ぎにホテルに入る。丁度サンセットの時間だった。しかし、このホテル、WiFiが使えない。失敗だった。

 

灯台がある島、大岩の間から、灯台を望む。

 

サンセットが間もなくの海岸。

 ブリトゥン 観光 素晴らしい

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(^_-)-☆九日目

2016-07-11 22:36:33 | 喜び

 2733 ゴルフは6日のクローズ以外、四日、四日、合計八日、8ラウンド、無事終了した。仕事は、今日も会社に行ったが、九日間、一日、平均4時間、皆勤でした。まだ、まだ、出来そうだなと思う。

 

マンガ(日本ではマンゴーというらしい)Mangga Golekという種類、今年、実がなっている初物を見た。マンガが本来、乾季から雨季に入るころがシーズン、異常気象の産物だろうか、季節はじれに、この木だけに実がなっている。傍に沢山のこの種のマンガの木があるが、小さい実も見当たらない。

 

白紫の睡蓮池の縁に、誰が、摘んでしまって放ったのでしょうか、拾って、アクアのボトルに入れてみた。こんな小さい花でも一人前の姿をしている。ここのは、大きい花で10cmくらい、小さいには3cm。

 

私の今年のレバランは終わった。もう、20回を通り過ぎた。今回も無事通過、レバラン休暇に日本に帰ったことはあったかな、記憶がない。もしかしたら、暮れ正月と一致した時に帰国したかもしれない。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/page0408.html

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/page0406.html

2009年9月でした、ムディックの民族大移動を経験するために、一人で車を運転し、ロンボクまで行きリンジャニ山に登って、帰ってきたこともあった。 

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page227.html

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page228.html

2010年9月でした.ドイツ スイスへ出かけていた。

しかし、ほとんど、大半は、期間中ゴルフをやっていたと思う。つくづく、気ままに好き勝手に自由にやっているなと思う。いい人生を過ごしていると思う。面倒なことも多いが、出来るということは恵まれているなと思う。いろいろな意味で感謝だと思う。

感謝 気まま できる

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(^_-)-☆13万回

2014-11-20 22:28:23 | 喜び

 2134 先週 見たラフレシアの様子から、1週間後の今日あたりが最高の見ごろと判断し、今朝、駆け付けてきて、チャガールアラムに入った。残念、既に遅かった。蕾だったものは、開花して、既に真っ黒になってしまって、見る影もなかった。只一つ、黒くなる寸前の状態で残っていた。多分、明日には、黒い斑点が出始めると思う。もう一つは、その状態に1日後の姿を見ているように、黒い斑点が出始めているものだった。

 

予想以上に、大雨が毎日ジャングルに降ったようで、先週、水量がいつになく多かったが、今日は、それ以上に水量が多くなっていた。10数年、多分80回くらいはチャガールアラムに入っているが、こんなに水量が多いのは初めてだ。

 

いつ来ても見ることができるチュルック パナンジュン(岬の滝)水量は季節によって変わるが、今までになく豪快な滝になっていた。そして、その滝の30mくらい横のいつもなら、水がしみ出している岩肌があり、そこの前を通って、パナンジュンの滝つぼに降りてゆく、今日はその岩肌から沁み出しているという状態は想像できないほど、沁み込むどころではなく、豪快にその岩を乗り越えて大量の水が落下していた。始めてみた、幻の滝だ。勿論、名前はない。そして、再び、当分、この滝を見ることできなくなるでしょう。私がもう一度見ることはないでしょう。

 

パンガンダランのマッサージは、ホテルの人に頼めば呼んでくれる。2時間で20万Rpdです。一般的に最初の1時間はクリームを使わない、あとの1時間はクルームを使って、同じ事を繰り返す。前半だけなら、10万Rpです。派遣される人を選ぶことはできないが、マッサージをしてもらった人が気に入れば、その後は、個人的に呼ぶことができる。ジャングルを歩いた後のマッサージは気分が良い。

 

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

http://otaenplaext.net/newpage0.html

エンプラインドのウェブサイトのアクセスが13万回を通過しました。どこのどなただったでしょうか。そしてその方は何に興味があったのでしょうか。インドネシア語講座でしょうか。1日平均何回でしょうか。最近はあまり。追加していませんが、来年また、環境が変わるので、新しい仕事も手掛けると思います。追加できる雰囲気になるでしょう。グログと共に、まだまだ、閉じる気は在りません。これからも、チョっこっと、覗いていただきたいと思います。

継続 アクセス 更新

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(^_-)-☆久しぶりに

2014-11-10 22:43:56 | 喜び

 2124 日本で会社の社長をし、十年以上継続して高額納税者になっていた、また、多くの人に援助をしてきた私が70過ぎて、インドネシアで、分けのわからないことを言う人から、こんな酷い目に遭うとは予想をしていなかった。人生、何にブっつかるか分からないですね。個人の手続きに関して、会社が使っているエージェントでなく、私個人が長年使っているエージェントに頼んでいたことも、幸いした、最終的に、私の辞職手続きさせないという、命令が、従業員に伝わった時には、すでに、手続きが進められていた。従業員は、書類の回収を出来なかったようだ。そこまで、命令をしなかったのでしょう。そこまで、知恵が回らなかったというか、気を利かして、そこまで、行動するような人ではなかった。

パニック障害の症状が酷くなったことにし、緊急帰国ということにし、エポ直後にインドネシアから脱出した。その後、事業譲渡の再確認というか、内容の検討し直し、というより、売り手側からの追加の要求を呑ませるかたちで、装置の移動が行われたのでした。

昨日、客先からのPOに関する条件を追加され、それは、違法だと書いたが、もう一つ、私に関わる内容があった。押出の従業員の移動に関して、だった。その会社から、装置と共に新会社の移動するため、会社を辞める。その時、本来、製造装置と共に、客先や従業員も新会社に移動するのが事業譲渡なのだから、彼らは会社都合に依って、辞めさせることになる。その場合、退職金を、自己都合より多く、支給しなければならない。多分、その現金が無いのでしょう。アタッチメントに、その退職金は会社が払わなくてもよい、その代わり、太田が払う、と書かれていた。本人に断りもなし、本人のサインもないし、会社が払わないということを宣言するだけでも、法に触れることだと思う。

追加の2項目とも、提示するだけでも違法だと思うし、当事者のエンダンさんと私のサインがない。代理交渉に当たった人に、二回目の支払いと、これに、サインをしなければ、装置を移動させないと言い渡したのでしょう。止むなくサインをしたと本人は言っていた。情況が目に浮かぶ。

とにかく、色々な条件を後から、付け加えてくるが、認めないと、移動できない。全ては、その会社(今となっては、その会社になる)から、装置や原料を出してしまうことが優先として、認めざるを得なかった。私も、その通りだった。“言った、いわない、聞いた、聞いていない”という、言葉を何回聞かされたでしょうか、そのすべてに、うなずく振りをするしか無かった。だから、納得していないことが沢山ある。そのことについては、また、来年、お願いすることになるでしょう。何故、来年かということは、その時に、書くでしょう。メールなどの文章に書かれていることを全部保存してあるので、“言った、いわない、聞いた、聞いていない”を・・・
久しぶり、一カ月ぶりのゴルフ、疲れた。しかし、心地いい。特に、過去半年ぐらいは、社内で、パワハラに会い続けていた感があるので、ゴルフも友人との会話も上の空で、楽しめなかった。また、明日は、何を言われるのだろうか、メールでどんなことを要求してくるのだろうか、そんなことを思いながらで、楽しめるはずがなかったし、スコアーもオリンピックも散々だった。

雨季になっている、昨夜の大雨と雷、強風は、マンガの実を落としていた。真っ赤な花の季節でもある。
間一髪 違法 ベアチュカイ

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(^_-)-☆友、来イ予定

2014-09-20 23:09:47 | 喜び

 2073 手続きがされるかどうか気になるが、取りあえず、契約的には最終日になると思う。できるだけ早く、帰国したいが、何日かはインドネシアに留まらなければならないと思う。ただし、会社からの必要文章が提出されていない。拒否されている。

やっと、まともなスタイルの見積もりが出た。それも、私が、散々、修正をお願いして、である。四か月前にこれが出ていれば、或いは、そういう意志だけでもあれば、今頃は、相当、落ち着いた状態になっていたし、ロスも増えなかった。そして、何より、こんな、雰囲気にはなっていなかった。人というものは、分からないものです。

 

いつか、題名、“無知と無謀と無策“で、かなりの文章が書けると思う。今月末に、私がインドネシから一時、去る直前、ずっと以前に、一緒に仕事をした二人がインドネシアへやってくる。一日観光ガイドを頼まれた。疲れる人を相手にしている毎日なので、ちょっとしたオアシスになりそうだ。

 

一人は、太田化工を経営していた時、客先の営業マンだった人、その後、長く、中国の工場で、社長を任せられていたが、定年で、今は。自宅で悠々のはずが、そうもいかないらしい。その人は、押出しの営業で、よく難しい仕事を取ってきた。自分の会社ではできないので、私のところへ持ってきた。家が私と同じ町内会、静岡の安西五丁目、お互いの家が筋向い。五歳年下。和菓子屋だが、弟が継いでいた。気が良く合った。自分の会社に中にいるより、家から近い私の工場に来て、なんだかんだと、パートの奥さん方と世間話をしながら、現場を手伝っていた。彼のおかげで仕事が沢山舞い込み、バブルの全盛を謳歌していた、良き時代の良き思い出しかない。

 

もう一人は、その同じ会社の押出し関係、製品開発の技術者、3才年下。その会社に出かけて行っては、亡くなった田中さんの部下だった彼とも、意見を交換していた。この会社のテクノセンターに席を置いていた時には、別の事業所に彼はいたが、距離は500mくらいしか離れていなかったので、何かとお互いにお互いの職場に出入りしていた。Y社向けの“のノ字“の開発は彼の傑作だった。原料の配合、レシピは彼の自信作だった。その原料のレシピは門外不出で、インドネシアのY社のために、インドネシアでも作り始めたが、原料は日本の工場からの輸入だ。インドネシアで配合はしない。

また、全国のスーパーなどで使っている、値段や商品名を差し込むPETのハサミ板だ。これは難しい、乾燥が難しい、成形も勿論難しい、外観も非の打ちどころが無いほどクリアーになっていなければならない。

田中さんと彼との技術的ディスカスは楽しかった。

 

タマンセントサの入り口までも、導入道。ここへ来ると、車やバイクと争うことをしなくて済むようになる。楽しみ 歓迎 気分転換

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(^_-)-☆身近な韓国企業

2014-06-24 23:05:25 | 喜び

 1985 同じヒュンダイ工業団地の中の韓国企業を訪問した。場所は。今建設中の複合ビルtrivium lakeside parkの真正面の道を300mほど東に向かった所、会社からは5分くらいの場所、韓国も負け、その前に日本も負け、お互いに、だめでしたね、まだ、希望は残っているが、ほとんど可能性はないね、で、意見が一致してしまった。

 

この会社の製品も、本国、韓国から輸入している製品をインドネシア国内で調達したいということで、私に付き当たったのでした。同じゴルフ場の会員で、この人は、ほかの韓国人と違って、早朝からやることが多かったので、挨拶こそしていなかったが、お互いに顔見知りだった。私が指名しているキャディーが彼を手伝ったことがあって、彼も、彼女を指名しようとしたが、ほかの人を手伝っているから、と、断られたそうだ。その後、私を手伝っているのを見たそうで、私をよく覚えていたということでした。

彼は、今、別のキャディーを指名している事を私は知っている。彼の評判は、紳士的だと評判がいい。失礼ながら、韓国人にしては例外だと、私のキャディーが言っていた。その通り、仕事の付き合いでも、腰が低く、私としては、戸惑うくらいで、それでも、酒好きな彼のために濁酒を持って行きながら、時々、世間話をしている。今日は、世間話でがなく、製品のサンプルを持って行った。すぐに、取り付けて、状態を確認してもらい、OKをもらった。今週後半から量産に入る。今まで出したサンプルは透明度がたりないと、言われていた。本来に原料に透明原料を混ぜ、いくつかの試作品を持って行ったが、なかなかOKにならず、やっと、20%透明を混ぜることでOKになった。 

今、もう一社用の見積もり資料や各種書類を整えている。これは、製品を作るのが非常に難しい、私も、今のところ、どういう方法で作ってみようかという、方法が決まっていない。大きな話で、信じていないが毎月500万円以上の注文になる。勿論、対応できる容量はない。それを前提で、インドネシアではできるという人が私しかにないのだから、客先も、私に依頼するしかない。

 

韓国企業だが相手はインドネシア人だけだ。話をしている先方のこのプロジェクトチームの購買や開発のインドネシア人若者スタッフは、大体、エクストゥルージョンを知らない。インジェクションと思い込んでいて、金型のライフタイムは何ショット?何個取りなどと聞いてくる。射出じゃないから、と言っているのに、ショットタイムは?などと聞く。一人が、ちょっと、違く事を知っていて、射出じゃないと言っているだろう、などと言っている。ミーティングが大変も面白い。押出しとはこういうものだよと、客先に青年たちにも、言って聞かせながら。仕事が纏まるとか、まとまらないとか、儲かるとか、そうでもないとか、そんなことは、こういう時には考えない。

楽しい 面白い 頼られる

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(^_-)-☆ラフレシア

2014-06-13 22:53:34 | 喜び

 1974 昨日流されてしまっただろうから、夕方、暗くなる前に枯葉剤をスプレーした。また、20:00頃大雨が30分ほど降ってしまった。がっくりである。乾季でしょ、今は、どうなっているの。

 

ラフレシアで検索すると最初に画像検索結果というのが出てきます。かなりの枚数出てきますが、中に、私が撮った写真もあります。そして、私以外の写真はグロテスクのものが多い。自画自賛、自己満足です。

昨日のURLでご覧になっていただけたでしょうか。何度も書いていますが、私が好きなのは、ラフレシア ファトマという種類です。関係ないが、ドリアンはモントンです。パンガンダランのチャガール アラムにしかありません。偶にボゴール植物園で咲いたというニュースが在ります。また、スマトラ中部のブンクルーのラフレシア アルノルディや大こんにゃくが咲いたというニュースもあります。しかし、これらは、それぞれの場所から蕾の状態で持ちこまれたものです。私が知っているのは、もう一か所 、ボルネオ(カリマンタン)の北部、マレーシアのコタキナバル、国立公園?の中に咲くとか、写真で見たことが在ります。名前もラフレシアなんとかで、種類は違うようですね。行ってみたいのですが、行っても、見ることが出来る確率は少ないだろうし、運よく、咲いている状態に会えても、見ごろというか、一番の盛りに会う確率はほとんどゼロに近いでしょう。実際、紹介されている写真もくたびれて、もう一日もすれば黒くない始めるとい感じのものですね。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage041.html

http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0010.html

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0307.html

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0304.html

 

それに、ブンクルー、コタキナバルのラフレシアは、模様がグロテスク、色もドギツイ感じがする。また、ブンクルーの大こんにゃくは、その植物園のようなところない、山の中を捜しまくって、そこへ、持ってきて、集めてあるのです。また、道端(車がガンガン行き来するアスファルトに車線)にあって、ここにあるよという看板が出ている、その傍に人がいて、そこにあるからと、案内してくれる、といっても、道端から10mも中に入らない。そして、印象はこれも、どこからか持ってきたのだと思う。枝の上に乗っていない。緑の草の上に置いてあるようだ。大きさは少し小さめだと思うが、パンガンダランのラフレシアは落ち着いた色をしているし、斑点の模様も控え目で良い。木の枝を攫むように蕾があって、草や土に植えから、蕾が膨らんでいることはない。だから、案外、横向きが多いし、斜めのものも多い。近くに邪魔な木や石がって、開けなくなっている花も多い。

 

2003年9月21日に、始めて、半開きのラフレシアにあった。開きだして半日くらいだと思う。色鮮やかで、花弁?の縁がするどい、丸まっていない。

 

2012年7月10日 いろいろな咲き方や状態のラフレシアが一か所に集まっていた。木の途中にくっ付いている、蕾も見える、腐って真っ黒になったものもある。八分咲きのものもある。ラフレシアの博物館の展示物のようだ。

 

同じ場所、角度を変えて撮った。横向きに咲いたばかりの花が蕾を見下ろしている。その向こうにほとんど墨になってしまっている花が見える。親子三代の様。こういう状態に出会えた事、私の誇りに思う。

ラフレシア バンカイ でかい

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(^_-)-☆ラフレシア

2014-05-29 23:04:12 | 喜び

 1959 7時からチャガールアラムにはいった。今日のガイドは、ラシッド君、といっても、もう34歳、彼は、長男で、亡くなったコビル君のお兄さん、コビル君がパンガンダランからいなくなったので、ガイドをラシッド君にお願いしていた、ところがラシッド君は四年前、オーストラリアへ留学で行ってしまって、その後は、三男のイワン君をはじめ四男や五男にガイドを頼んでいた。そして、二週間前に、留学を終えて,戻ってきた。ところが、留学の結果を利用した就職先が見つからない、しばらく、ガイドやサーフィンのインストラクターと留学前と同じ仕事をするらしい。ということで、今日のガイドはラシッド君に頼んだ。

 

ラフレシアには、四か月ぶりのご対面でした。連れの日本人はパンガンダラン、今回が三回目、ジャングルに入ったのも三回目、過去の二回は残念ながら,蕾にしか会えなかった。今回は、私1人で一か月前に入ったとき一か月後には咲くだろうと予想できる蕾が三つ以上あったので、彼には、きっと会えると思うと言っておいた手前、私にもプレッシャーが掛かっていた。そして、一個目はガイドのラシッド君ではなく、私が見つけた。匂いがした。周りを見ようと振り向いたら、そこにあった。咲き始めて12時間前後、7分咲だった。色合いは最高、美しい。連れの人、大喜び、私もほっとした。この瞬間の気持ちは、例えようがない。自己満足の世界だ。

そして、もう一つ、見つけることができた。急斜面の中腹にあって、近づくのに、相当、危ない体制だったが、なんとか、近くから撮影できた。木漏れ日の影響で神秘的な状態になっていた。ちょっとだけ、ビヤワックに食べられていて、完全な状態ではなかったのが残念、開き始めて、二日ほど後だと思う。

 

また、久しぶりに、メイン道路から近い、チアウイタリという滝まで行ってきた。途中、今がシーズンなのだろうか、ヤシに木に上り下りをしている人たちを多く見かけた。平均20mの高さに容器をつるすのだそうだ。

滝は、亡くなったコビル君に最初,連れて行ってもらった場所だった。ラシッド君はこの滝を知らなかったが、私のうろ覚えを頼りに、途中何度も聞きながら、やっと,見つけることができた。10年ほど前のことを思い出し、ちょっと感傷的になった。

 

日頃の歯がゆさから別世界に入って、ちょっと、気分が良くなった。現実にもどりたくない心境だ。どうにもならない。そんなところに、また、難しい新しい仕事の話しが入った。設備的に、また、環境的に、クリアしなければならないことが多くて、引き受ける雰囲気や気分ではないので、断る方向に見積もりを出すしかないと思う、などと、こんなところへも現実が飛びかんでくるのが、厳しい状況かなと思う。

ラフレシア 現実 逃避

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(^_-)-☆感激する

2014-05-11 23:26:42 | 喜び

 1941 7年のウェブサイトの中の貴重な一場面としての思い出深い花、エーデルワイズ、スイスのグリンデルワルドの郊外とラウターブルンネンの町はずれで出会った。探しても、人に聞いても、なかなか、出会うことはないという。その時の家族旅行の雰囲気とその他の景色が背景にあって、ただ単に、エーデルワイズを見つけて、良かった、ラッキーだった、という分ではない。

 

そして、大好きなドリアン、今朝も、ゴルフに向かう途中、くだもの屋によって、バナナを買った。朝食代わりだ。大きめのバナナが7本で150円くらい、車の中で食べながら、ゴルフ場に向かう。この店の表に、ドリアンが吊るしてある。寄るたびに、買いたいと思う。しかし、店の人に状態を聞くと、なかなか。食べ頃だという返事が来ない、今朝は、今、丁度良いよ。という返事がかえってきた。信用するから、どれだ?と聞いて、それを買った。先端がちょっとだけ、開いていて、中身の匂いが、香ばしく匂っている。自分でも、鼻を付けて、その匂いを嗅ぎ、丁度、食べごろだということを確認する。

車の中の其の匂いは、なんとも言えない、独特な香りがし、今日のドリアンは窓を閉じていても、目が痛くなるようなことはなかった。

家について、洗たくをした後,開いてみた。すべての実が、程良く、軟かになっていて、つまんで、実を離し、皿に移したが、形が崩れずにするっと剥がすことができた。一部を食べてみた。独特の甘い香りと、口の中の食感、甘い味、もお、幸せ一杯を口の中に感じる。

 

食べる時のタイミングが非常に難しかしい、こればかりは、確率のいい店や売る人の勧めに従がうしかないが、はずれの時もある。パックで売っていても、突っついて,柔らかさを確認するわけにいかないし、匂いも嗅ぎにくいのではずれの可能性が高い。

 

テーマの一つ、小学校のころからの夢に描いた、ラフレシア、パンガンダランのチャガールアラムにあるなどということは知らなかった。スマトラ島にあるとは知っていた。十数年にわたって,通い続け、多くの花に会うことができている、状態も様々だ、おそらく、ブンクルーのラフレシア アルノルディも含めて、私ほど、多くの花にであった日本人はいないと思う。パンガンダラン場合はジャングルの中に入る人はほとんどいないので、地元の人たちの中でも、ロブスターの漁師以外は、ほとんど、見たことがないと思う。

これ等のこと、現地に近い場所に住む人を含めても日本人では、誰よりも多くに出会っているし、ドリアンに関しても、一番沢山食べているかもしれない。

幸せ機会 クスンパタン チャンス

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(^_-)-☆7周年記念日 

2014-05-10 23:10:24 | 喜び

    1940 私個人のウェブサイトの誕生日です。2007年5月9日、7年前の今日、私のウェブサイトが発信された日でした。パニック障害というとんでもない状態からほぼ回復して、また、新しい、スタートを模索し始めた時でした。そして、120000回のアクセスを超えました。120000÷(365×7)=47、一日平均、約47回のアクセスを受けていることになっています。接続は金、継続は金、これからも、逐次、内容を追加していきます、いつまで、どこまでできるか。インドネシアに関する知識と情報が大部分ですが、“私の履歴書”です。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

http://otaenplaext.net/newpage0.html

折に触れて、紹介していますが、私の生涯の仕事、既に、47年間、携わっている、エンジニアリング プラスチックの押出成型(Engineering plastics extrusion ,enplaext)、全ての私の行動はこれが根であり幹です。そこから、自分の他の生活や行動が発生しています。旅や他の趣味やお手伝いは、その枝です。

http://blogs.yahoo.co.jp/enplaind/36848246.html

エンプラエクストの説明を少ししている。 これからも、どうぞよろしく!!!

 

これは、ブログのスタートの一ページです。こちらの方は、毎日欠かさず書いています。もし、抜けている日があったとしたら、其れは、間違えて消してしまったか、一日ずれてしまったかです。2008年3月4日、写真はニュールンベルグの孫二人、ゼロ歳と二歳の時です。もう一枚は、一緒に住んでくれていたマリアさんの誕生日、彼女が通っていた専門学校の友達と。左の女性はパンガンダランにも一緒にでかけていて、私のウェブサイトの表紙にラフレシア ファトゥマと一緒の写真がある。

http://blogs.yahoo.co.jp/enplaind/3438570.html

振り返ると,自然体でほとんどいい加減に撮影しているにもかかわらず、我ながら、素晴らしい写真の満載で、素晴らしいと思う。

 

孫の上の子が2.5歳のころのスナップ。傑作だと思う。Yukiko Laura Ota

 

インドネシアではかなり有名な俳優、Indra Bruggmanと、Maria(Siti Komaria)さんのツーショット、バリクパパンの空港で見かけて、マリアさんとの写真を私がお願いした。懐かしい写真の一枚です。彼女にとっても大変な思い出になったと思う。

記念日 継続 健康

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(^_-)-☆はやりの日本祭り

2014-04-27 23:13:01 | 喜び

 1927 仕事に一段落を付けたが、月曜日から、再び24時間運転になる。また、冷蔵庫の部品の金型のPOを受け取った。来月末までにサンプルを提出しなければならない。忙しさに加速がついてきた。客先の要望に応える体制も整えつつ、各種ドキュメントやスタンダードも準備しなければならなくなってきた。決まったフォームはあるが、製品を立ち上げるより、面倒な仕事で、私は、苦手だ。

 

眠たい、あくびをしながら、二週間ぶりのゴルフである。いつもの仲間と清々しい雰囲気の中、6:00ティーオフでした。グリーンの乗るまで、たくさん打ったが、乗ってからは、一回しか打たないホールが多かった。オリンピック33点でした。久しぶりに10万Rpを越えた。オリンピックのポイントとスコアーは、ほとんど、別物ですね。日本人だけのようですね。

 

シンガラジャで食事のあと、会社に寄って、月曜日の出荷準備の状態を確認し、帰宅する途中、桜祭りの会場前を通過した。路上駐車で大混雑、当然,こうなるだろうということは予想していたが、マクドナルドからズリに入る道も殆ど塞がれていて、ホテルへ行くに受けない状態になっているようだった。とても、ちょっと、寄ってみようという気になれなかった。多分、明日も、ここを通るが、ちょっと、会場の裏道の様子を伺ってみようと思う。ホンピンパの方だ。駐車できそうなら、話の種を作ろうと思う。夜、JKB48の何人かが来ると看板に書いてあった。

 

ところで、5月11日にカラワンのMall Karawang Central Plaz(KCP)でKarawang Japan Matsuri 2014が開かれる。私の教え子であるディッキ君の妹が経営いている「天才日本語文化学院」が主催する。こちらも、盛大なイベントになるらしい、ロータスレイクやスダナでゴルフの後、ちょっと、寄ってみたらいかがでしょうか。日本人のためのインドネシア語講座もやっているそうで、仕事帰りの生徒募集も狙いらしい。

リラックス サクラ祭り 開放的

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(^_-)-☆孫と桜とゴルフ

2014-04-06 23:49:50 | 喜び

 1906 それだけではない。日本最終日、三週間の休日だった。ところが、触れなかったが、インドネシアの仕事に関して、問題山積、二週間過ぎたころ(3月末)には、インドネシアへ戻ろうかと思ったくらいだ。私がいない状態で、何が、どうなっているのか、彼らの報告では、はっきりしない。戻って、まず、それらのチェックから、始めなければならない。

 

今を象徴する今日の記憶。孫の相手で、街に出かけたが、彼女たちにずっと付き合っている必要がなかったので、一時間ばかり、車で、春の風景を辿ってみた。

グランシップからの富士山、くるっと回って、駿府城内堀の桜、そして、私が4歳から18歳まで過ごした家の跡。ゴルフ場のすばらしい桜も、今日、廻った景色も、触れるのはこれが最後なるかもしれないと思いながら、記憶に残そうと思っていた。

 

今回の日本はそんな気持ちで、桜やゴルフだけでなく、私の足跡廻りもしてみた。清水町、長泉町、沼津方面をめぐるのは、恐らく、30年ぶりではなかったかと思う。大学を出てすぐのサラーリーマン時代、結婚して妻と子供と暮らしたころ、会社を作って、仕事的に自立を始めたころ、そして、その場所から、離れ、生活拠点と会社を、親が住んでいる静岡に移し、沼津の工場は、従業員に譲った、その工場付近をツアーしてみた。そのあたりの町や人々から私は30年以上間に遠ざかり、そのあたりからは私は死んでいた。今日めぐった場所からもすでに死んでいる。私が訪れれば、私だけ勝手に生き返るが、その辺りで、私を覚えていてくれる人に会えば、その人にとっても私は生き返るが、会わなければ、ずっと死んだままである。

 

蟹江敬三さん、探偵や刑事の女性主役を脇で支える役が多かったような気がする、名脇役、私より、ちょっとだけ若い、胃がんで亡くなったとか、先ほど、彼が出演している刑事ドラマをなんとなく、眺めながら、これを、書いていた。

 

マー君、たいしたものだと思う。今朝、中継を見始めて、二回途中で、これはだめだ、見ていられないと思い、見るのを止めてまった。

回顧 現状 記憶

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(^_-)-☆友あり

2014-04-04 22:25:32 | 喜び

 1904 遠方より来たる、また、楽しからずや。上海から戻ってきていて、先程、一緒にゴルフを楽しむことができた。長年務めていた会社の海外工場の立ち上げや経営を任せられていて、海外生活が長かった。そして、四年ほど前にインドネシアのその会社の社長として赴任してきた。その会社の押出部門の立ち上げを手伝った私と同僚のような形になった。酒とタバコとゴルフが命で、仕事のストレスをそれらで和らげているように見えた。で、私と毎週、土日とゴルフをやっていた。

 

染井吉野、山桜などの中に、たった一本、大島桜?淡い緑で風景に溶け込んでいたが、目立っていた。8分咲のようだったが、散る花びらも多く、絨毯ができ始めていた。

 

技術者の私とは違ったタイプの方で、経営者だった。そういう点で、私にはない、総合的に管理する能力を持っていて、そう深くて詳しいとは思わないが、広い範囲のことを考えていて、それぞれの担当者を使い、任せる余裕の世にものを感じさせられて、久しぶりに、この人を見習いたいと思わされた。

 

会社の都合に負って、二年程で、退職してしまったが、日本に帰り、請われて、ふたたび、中国の金型製造会社の総経理として、招かれ、約2年経過していた。70歳を超えると労働ビザの修得が難しいそうで、三か月ごとに日本に戻って、10日ほど滞在し、再び上海に戻る生活をしているので、そのつど、元会長さんとゴルフをするのだそうだ。今回、たまたまそのタイミングで会うことができた。耳の具合が良くなかったが、今回、なお進んでいて、今年、一杯で、中国からも引き揚げて、仕事から解放さえたいと云っていたが、どうでしょうか。

 

ゴルフの後、静岡駅まで送っていったが、中国で三社立ち上げ、軌道に乗せていた子会社が、身売りされてしまったこと、育てた従業員に行方のこと、また、同じような立場で会社の発展に尽くし、会社にいられなくなってやめて行ってしまった同僚やその近くの上下、前後関係だった人たちの現状と行く末のことを、相当気にしているようだった。OB会を招集したい考えをもっていることを話していた。その時に私も協力したいと話しておいた。

 

再会を期待しながら別れた。グッドゥラックである。スモガ プルヤラナンニヤ ムニュナンカンだ。

手本 別格 再会

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