南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆何かが動きだすはず

2011-06-30 22:51:48 | 生活

斜めからインドネシアを見る 957

 日本へ戻って初めての買い物。何を買ったかというと、座イスです。自分のための座イスは何年前に買ったものでしょうか、多分、30年以上前だと思う。いつどこで、どういう心境の時に買ったのか、全く、覚えていない。その座イスは、カバーがずっと前から完全に破れて、中の発泡ウレタンが飛び出してしまっていて、金属パイプが露出してしまっていた。しかし、今まで、使うのは一年の内20日くらい、それも、一日平均一時間ほど、毛布や枕で欠陥をカバーして使っていた。中央と両端30cm程がたためるというシロモノ、どちらが、足でも頭でもいいというシロモノ。

 インドネシアは基本的に床に座る、それも、胡坐をかいて坐る習慣がある。食事も床に食べ物を並べ、手掴みで食べる。板の間、竹の床、タイルの床、どれをとっても、場所は日本の畳に比べれば硬い。しかし、一般的には何もしかないでジカに坐る。座布団という考えが無い。また、寝る時も薄い絨毯のような毛布のようなものをしいて、掛ける方はタオルのようなもの、あるいは掛けない。だから、ふかふかの布団というものは全くない。(モダンな家屋で生活している家庭はベッドにマット、掛け布団になってきている)それでも布団はない。座布団も無い。座イスという考えもまったくない。

 最近、ショッピングモールでフトン(FUTON)という名で綿入りの布団が売られ出している。座イスは今も売られていない。

 エアコンは各部屋にあるが、有効に使うには扇風機があった方が良い。家電量販店へ行って扇風機売り場を探した。遠くからは扇風機が見えない。頭の上の看板を見ながらその場所に近づいたが見えない。棚が空っぽ、スタンド付き座敷用は売り切れ、業務用とポータプルしか残っていなかった。ここ数日の異常な暑さで、一気に売れてしまったらしい。老夫婦が、店員に在庫はないのか聞いていたが、量販店では原則として店に出ている物しかない。私は別の量販店やホームセンターを回って見たが、どこも、家庭用は売り切れだった。エアコンのコーナーは売り切れということはないらしくて、客が集まって物色していた。老夫婦に別のホームセンターでも会った。私はあきらめたが、彼らはどこかで買ったのでしょうか。

 それにしても、今日も厚かった。37℃以上の地方も多かったようだ。湿気も温度もインドネシアの方が遥かに過ごしやすい。

 既に、動き出しているはずです。新たにメールが入らないことを望む。明日は羽田空港へ人を迎えに行く。無事着くことを今から祈っている。明日から、環境が変わるはず。私の人生のターニングポイントになればいいと思う。7月1日から会社へ出勤以上に重要なことである。

 インドネシアの花 祈り 成功 順調

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(^_-)-☆やっぱり違うでしょ

2011-06-29 22:31:05 | 複雑

 雇用契約を結ぶつもりで会社へ行ったが、不備があって、7月1日に出社したときに調印することになりそうだ。居場所は決まった。これで、7月1日が南部化成の社員になる日である。ついに、そうなってしまった。勤務は月に12日が原則だが、タイムカードはないし、自由に出勤退勤が可能で、私としては月の前半を日本勤務、後半をインドネシア勤務、往復回数を半分にするために、それを毎月交互にすれば、結局、一か月交代に日本、インドネシアということになる。一応、そのようにしようと思う。

 それにしても、職場の雰囲気が私の考えているものと大きく違うのが気になる。どうして、皆が机に向かって何かをしているのでしょうか。開発となれば、現場で、機械の横で、金型の製作場で、あるいは、修正場で仕事をしていなければならないと思うのだが、どうも、違う、やはり、違う。何をしようとしているのでしょうか。これが、今日の印象でした。

 私の役目は何でしょうか。製品を作る工程、アプローチが、現在と違うものがいくつもあるということの見本を見せることだろうと思う。ま、私が仕事をすれば、自然にそれはでてくることでしょうが。人と違うのが私のモットーだし、誇りだから。人と同じは大嫌い。

 もう一つ、私が南部化成の本社にいることは、ゴルフのメンバーとして貴重な存在になるということでしょう。平日でも、どなたかと接待ゴルフをするときに、人数合わせに貴重な存在になる。それだけでも、私の存在価値があるということでしょう。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html

 

 通勤時間をチェックした。家を出て直ぐに国道一号線で西に向かう、兼好法師の徒然草や在原業平(ありわらのなりひら)が主人公とされる『伊勢物語』に、出てくる宇津の谷峠の下のトンネルを抜けて、焼津インターから東名に入って一つ目の吉田インターで降りる、450円、そこから一二分で着く。30分でした。チカランの家を出てPT.NANBUへ出勤するのと同じくらいです。ただし、高速代は30円が大きく違う。

家の庭の花

 雰囲気 分析器 焦点

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(^_-)-☆日本生活モード

2011-06-28 22:41:38 | 仕事

日本の生活スタイルに頭を転換しなければならないことは分かっているが、どうしたらいいかわからない。何をしたらいいかわからない。いつもなら、静岡の家に帰っても、バゲジ(旅行用トランク)は出したまま、何か、インドネシアへ持って帰るものを買った時に入れて行った。そして、出発前日に一杯にしていた。しかし、今回は、短くても一か月半は其のトランクを使う予定が無い。どこかへ仕舞っておかなければならないが、今までしまったことが無いのでどこへ片付けたらいいか分からない。其のまま広げてある。多分、妻が、どうするの?と聞いて来るまで置きっぱなしになるでしょう。

着るものが無い。パジャマや部屋着(くつろぎ着)がない。夏用の短パンが無い。梅雨時や夏の暑いときに日本に居たことが無いので、その時の通勤着がない。この蒸し暑さは一体何だ。

 

インドネシアでは、会社へ行くのにスニーカーとズボンとユニフォーム、ユニフォームの下は半そでの下着でしたが、日本ではどうしていいか分からない。聞いてから、準備するしかない。例えば、一般サラリーマンのように背広、ワイシャツ、ネクタイで通勤し、会社のローッカーでユニフォームに着替え、靴も安全靴に履き替える、などということになるとしたら、そういう規則があったとしたら、一般の日本人ならそれに従うだろうが、私は従わないだろう。若しかしたらGパンに作業服のまま会社で過ごすかもしれない。

 

 この歳になって、日本の普通の会社に勤める、それも、会社勤めは22~29才までの7年間だけ、40年ぶりに近い。そして、外国語を使わないで、日本語だけで、回りの人間が全部日本人、この環境は17年ぶりになる。そして、多分、周囲のほとんどの人は私の子供のような年齢層でしょう。これが、もし、機械や装置と話をするよりコンピューターと話をするのが好きな人種だったら、もう、私は空回りすることは間違いなし、空中に浮いた人間になること間違いなし。自分がいる意味、価値は3カ月もいればはっきりする。どうなるでしょうか、当たって砕けろ、ではあるが、私のスタイルが受け入れられるかどうか、かなり不安が多い。

 パンガンダランのチャガールアラムではありません。我が家の庭の森です。間もなく、庭師が入って、すっきりさせる予定です。

迷い 霧中 体当たり

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(^_-)-☆治せないパニック障害

2011-06-27 22:26:25 | 生活

インドネシアに居れば昨日も今日も午前中はゴルフです。ところが、日本では、何もすることがない。近所を散歩するだけならいざ知らず、何かすればお金を使う。節約がモットーだから、物価が高い日本ではじっと家にこもっていることしかない。

 息が出来ない、吸うにも吐くにも喉というより気管が狭くなっているようで困難。苦しくなる。頭がボーとしてくる。苦しいのでなお深呼吸をしようとする。しかし、苦しさは無くならない。もう、完全に、パニック状態になる。このままでは死んでしまうと思う。

 本当はしっかり呼吸が出来ているのにそう感じるのです。其のうち、体の手足が冷たくなり、体全体が冷たくなり寒気を感じてくる。体がぶるぶる震えてくる。バイブ微動で震えるのを通り越して、ガタガタ体が動き出すようになる。頭はしっかりしている。もう、黙って我慢はできない。大声で叫んでしまう。「もう駄目だ、なんとかしてくれ」と。典型的に過呼吸症状です。血液中の酸素の量が多くなりすぎているのです。

 耐えていれば自然に治る。しかし、呼吸を止めれば早く治る。自分や周囲の人がそういう知識を持っているかいないかで苦しみは大いに違ってくる。

 

 心臓の脈が抜けて目が回り気を失いそうになることは何度も書いていますが、その逆で、脈拍数が異常に上昇するのです。体中がカッカとほてってくると共に、頭にもずきずきと血が回る。体中が真っ赤になる。目が充血してくるのも分かる。ドンドン体温があがってくるのを感じがする。体温は40℃以上になる。この時も、もう、心臓が飛び出しそうにがんがん動いているので、ただ事ではない、もうだめかと思う。この時も、介護する人は、ただ、とにかく、冷すしかない。一時間ぐらいで正常に戻る。

 

本人にとっては症状としては大変なことだが、死ぬことはないのです。気を失くことも無いのです。だから、冷静になり行きが過ぎるのも待っていればいいのです。パニックになる必要はないのです。しかし、この症状でパニックになることはない、と言われたって、冷静でいられるはずがない。だから、病名がパニック障害なのです。決して、大げさに書いてはいません。事実です。

 

目に見えない、自分の体に何の症状も無い、そればかりか、地域の人に何の症状も無い、しかし、パニックになっている人がいる。放射線のことです。それも、半端な数ではない。レディ ガガのように日本を応援に来る有名タレントもいれば、ジャスティン ビーバー本人ではなく、スタッフのように尻ごみして日本公演を中止?してしまっている外国人タレントも多い。日本からの野菜や魚は全部、放射能に汚染されていて食べれば癌になるとか、日本人は放射能に頭を犯されていて、言っていることは信用できないとか、言っている人種もある。パニック障害なら私のように薬で治る可能性があるが、放射線パニック症候群には付ける薬も飲ませる薬も無い。無駄な介護はせず、見放すしかない。

この魚のから揚げは頭から尻尾までパリッと美味しい~~。

放射線 パニック 事実

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(^_-)-☆パニック障害の症状

2011-06-26 22:46:16 | 考え

先日書いたことの追加です。

体のあちこちが頻繁につるようになった。それが、また、強烈になり、じっとこらえていてもなかなか治らない。手足がつることは今まであったが、おなかや肩から首にかけて、脇腹、アキレス腱やその前の足と脛の間の筋だったり、思いもかけない場所が突っ張る。

ゴルフが終わった後は必ず吊るようになった。車の運転で帰る途中、高速道路の脇で止めて暫く休むこともあった。ハイウェーパトロールから何回もどうした、とたずねられたことがあった。ハザードランプを付けていれば、ペナルティーは取られなかった。オートマに変えても右足が吊るので同じことだった。コンペ後の表彰式や会食をしている時も途中で吊ってしまって、皆さんに何度も心配を掛けた。以前は、こんなはずではなかったのに、歳のせいかなと思ったりしたが、自分みたいな人は他にいないわけで、異常だと感じていた。

子供のころから力が無いことは知っていた。ゴルフを始めた時56歳でした。その時、ドライバーでランを入れて、170m平均でした。ところが、60才を過ぎたころから距離がすくなくなって今は150m平均です。100mは5番ウッドを使います。アイアンは7番より短いものしか使えなくなった。

ボルトを締める力、何かを持ち上げる力これ等も少なくなっているのが分かる。ホk他の人に頼むと、私が占めた後、同じ道具でもっと締まるし、他の人が締めたボルトを緩めようとすると緩められない。長い、パイプを使わなければならない。その度合いが多くなっている。歳のせいばかりとは言えない。

難病の筋萎縮性側索硬化症(ALSではないことは分かっています。この病気の人を何人か知っていますが、進行速度や症状は似た処はあるが全く違うことの方が多い。

力が無いこと、力が減少していることを他人に話しても全く信じてもらえない。

ついでに、信じてもらえないことが私にはある。それは、近眼がまったく治ってしまったことです。これは、パニック障害と関係はないと思いますが、色々な症状が現れたころから、18才から掛けていた近眼のメガネが邪魔になってきた。老眼(遠視)のメガネが必要になり、その前までは、いちいち、交換して使っていたが、そのころから、交換しないで、近くを見るときだけ老眼を使うだけになった。運転免許証、パスポートの写真はメガネを掛けない顔に変わっている。

 

 パニック障害が治ってしまったと思われる今、体のあちこちが吊るという症状は無くなった。しかし、力が衰えていること、近眼が治ってしまったことは其のままになっている。薬の所為かどうか、分からないが、疲れやすいこと、いつも、眠いことなどは、若い時に比べれば、歯がゆいことですが、年齢の所為かと、思っている。

 インドネシアの赤とんぼ、一年中いる。IFU MIE(かた焼きそば)リッポチカラン、ルコ、タムリン内のメトロポリタンという中華レストランで。

パニック障害 心当たり 歳の所為

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(^_-)-☆陳腐な浦島太郎

2011-06-25 22:15:52 | 複雑

日本へついて先ず気になったことは、物価の高さです。まだ、スーパーへは行っていないので、食品は分からないが、車の中から見える看板、値段表を見ると、すごいと思う。ガソリン、¥150?/Lでしょう。円のレートが¥80/US$にしては、びっくりするほど高い。インドネシアは政府の補助があって、純粋に比較できないが¥40/Lですよ。四分の一近い。インドネシアの外資系や国営プルタミナのプレマックスという日本でいうハイオクは¥80/Lですから、それと比較しても、日本は高すぎる。こりゃ、節電以上にガソリンを使わないようにしたいと思う。

高速道路使用料、焼津から吉田まで一区間10kmくらいでしょうか。¥450でした。インドネシアでこの距離なら20km以下は¥32均一です。

タバコの価格も¥410~440でした。すごいですね。喫煙率は減少するでしょうね。インドネシアはどうでしょうか、¥100平均でしょう。輸入品のマルボロ(インドネシア産?)やマイルドセブン(北朝鮮産?)でも¥120くらいかな。

自分で運転しての車での移動は日本に比べれば5分の1に費用で済む。感覚としては殆どタダである。

これらだけのことからだけでも、日本の生活は切り詰めなければ続かないと直感した。税金のことは確認していないが、受け取っている年金にも所得税や住民税が掛っているらしくて、30%位引かれていた。国民健康保険も自動的に引かれている。大変だなと思う。私がそう思うのだから、一般の人は、私以上に大変ではないだろうかと思う。7月から給料を貰うことになるが多分10万円より遥かに少ない金額だと思う。それでも、年金と税金の関連はどうなるのでしょうか。確定申告などという面倒なことには、係わりたくないのが本音で、公から何か言って車で、何もしないでおこうと思う。必要経費は金型などを自分で作って、うまくいけば其れを会社に買ってもらうが、うまくいかなければ、試作費として落としたいが、そういうことを理解できる税務署員はいない。

インドネシアで貰っていた給料についても、同じことで、領収書を保管してあったが、認められなかった。私から言わせれば、理不尽な税徴収をされたと思っている。それに、納めるだけで、使い道に関与できないのも理不尽だと思う。

だから、インドネシアで仕事をして、税金をインドネシアへ納めた方が自分を納得させることが出来る。日本で生活していない、日本の行政から何の利益も受けていないばかりか、負担ばかり強いられている。納得できない。竜宮城で生活している浦島太郎がなぜ税金を納めなければならないのでしょうか。戻ってくれば、もっと沢山の税金を納めなければならない。生活に困るわけではないが、納得できない。税金を納める代わりに、私がお手伝いしたいところにお金を使いたい。

 

家のトイレの機能が大幅に変わっていてびっくり、変えたとは聞いていたが、ここまではとは、思っていなかった。まず、トイレに中に入ると便器の傍の灯りが自動的に着く、だから、暗くても、トイレの灯りを付ける必要が無い。そして、蓋が空く、坐るための輪っかは上がらない、男の小の時は手で上げる。洗浄機能はかなり細かく複雑になっている。小でも大でも終わって、自分で流さなければ、自動的に水が出て流す、そして、消臭ファンも自動的に動く、最期に、蓋が閉まり、トイレから出て行けば灯りが消える。至れり尽くせりが過剰だと思うが、一つ、トイレットメーカーに機能を追加してもらいたいことがあります。その他はいりませんから。大便をし終わった時トイレットペーパーでお尻を拭いて、できるだけ、くっついている弁をふき取ってほしい、その後、水(温水)で洗ってほしい。若干の濡れティッシュで拭きとってもらえるとなおいい。痔になる原因の一つが、トイレットペーパーで拭きとる行為にあることは分かっているのだし。大便のあと直ぐに水を吹き付けて洗うわけにはいかないでしょ。必ず、トイレットペーパーで着いている弁のほとんどを拭きとらなければなりません。そうしなければ、付いている便が飛び散ってしまうでしょ。そう思いませんか。“画竜点睛を欠く“。他のあらゆる機能はいらないから、それだけを考えてほしいものです。

その点、インドネシアの川の両側の便所は理想的です。川の水で全てを綺麗にできるし、ついでに体全部も洗ってしまう。私が住んでいる部屋もそれに似ています。便を最初から水で洗うのです。紙は使いません。だから、便をするときには少なくともパンツやズボンは全部脱ぎます。最期は下半身全体を洗います。

懐かしの枇杷(びわ)の木と無花果(いちじく)。自動販売機

変! トイレ どんな?

 

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(^_-)-☆身構えをしそう

2011-06-24 22:58:40 | 複雑

 真夏の日本へ入ってしまったようで、暑くてたまらない。節電モードになっているが、これでは、大変だろうと思う。

そんな中、7月からの仕事をする場所へ行ってきた。私から望んだわけではないが仕方がない。他に、やりたいことがあるし、他にいたい場所があるし、他に手伝いたい人がいるのに、他にお付き合いしたい方々がいるのに、それらを一時、あきらめて、また、ここの条件も満足するものではないが、一応、先日3月に、ここで、仕事をすると口約束をさせられた以上、全く無視し続けるわけにはいかないので、何カ月かは勤めるしかない。今日、そう決めた。

私が、自由に、何か新しいテーマに取り組むことが出来るとは、全く、考えられない。

一番気になるのは、期待と報酬の関係である。出勤する日は一週間に3日となっている。それで、私に何を望もうと言うのか、分かりにくい。報酬も示されていない、ということは、期待していないことを示しているのかもしれない。

契約書の案を見て、感じたことは、新しいものを作ったらどういう報償か報酬か配当を出して讃えるというものは全く無く、秘密をもらしたら、あるいは、禁止事項に反したら、こういう罰則があるという文章が長々と書かれていた。変!!!

それと、契約期間が来年の3月末まで、会社の考えで、全員がそういう雇用契約になっているというが、来年の三月までに何を期待するのでしょうか。一週間、3日、を一か月12日に変えてほしいと頼んだので、そうなれば、8カ月×12日=96日=768時間で、一体どれだけの報酬で、どんな成果を期待するのでしょうか。土日を一回、出勤すれば、一週間と五日会社にいればいいことになる。会社の体質を見たような気がする。

株主総会を集中日に控えて、なにかと気忙しい雰囲気の中、月曜日を通過すれば、多少、ゆっくり、皆様とお話しできる機会を作ることが出来るかもしれない。その時に私の考え方を改めて、伝えるつもりでいる。

 

暑いが、未だ、梅雨は開けていないようだ。アジサイの花が目付く、会社の正面入り口の両側にも、どなたの趣味か、アジサイが植えられていて、鮮やかな満開でした。一種類はヨーロッパで品種改良して日本へ逆輸入された、一般的な品種、もう一つは日本原産のままに近い種類でした。それを、意識して植えてあるのでしょうか。意識しているとしたら、植えさせた人をちょっと尊敬する。アジサイはインドネシアの山岳地方の涼しい場所に多く植えられていて、そう珍しくはない。見るたびに懐かしく思っていた。しかし、やはり、アジサイは梅雨時に雨水が垂れている姿が一番美しい。インドネシアにアジサイは似合わない。

 

探り 未知 不安

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(^_-)-☆区切りは区切りになるか

2011-06-23 22:17:56 | 情報

一日、遅くなったが、静岡の家にいる。夏至だからということではないだろうが、熱かった。35℃だそうです。インドネシアの方が涼しい。日本が夏至ならジャカルタ近郊は当時である。日照時間が一番短い日?関係ないか。
モバイル 09042125986 
08111007021
どちらもアクティブです。
メールアドレス kota02@y6.dion.ne.jp
                otak-otak@nanbu.co.id
どちらもアクティブですが、返事はkota02@y6.dion.ne.jpからになります。

3月に帰国した時に比べれば、エスカレーターの稼働が増えていた。
 いつも、そうだが、機内のシートを一番後ろの真ん中にしてもらいます。今回も、38Dで後ろはトイレです。眠る前は、ちょっとうるさいが、肘掛を上げて足を延ばして眠ってしまえば、朝まで目が覚めない。朝食時も眠っていた。ビジネスやファーストクラス、何とかエグゼクティブ、ゴールド、プラチナ?どんな特別サービスがあるのか知らないが、エコノミーでぐっすり眠って来れるのが何より得した感じで満足。

ラッフルズさんやアルノルディさんがヨーロッパにこの花を紹介したから、同じような形をした花をラフレシアというになったのだが、東南ジアを中心にその国や地方で色々な名前を付けていたはずです。インドネシアでは、臭い花、生き物の残骸から出る臭いがする花ということでブンガ バンカイと一般的に飛ばれていて、ラフレシアも大コンニャクもブンガ バンカイです。インドネシアには似ても似つかない形、全部、一般の花とは形が全く違う。これが花?というのが多いらしい。ラフレシアなどは花と一応、見て、言えるが、花とは言えないような形のものもおおいらしい。また、それらは、初対面をした欧米人や日本人が自分の名前を付けて発表しなければ、ブンガバンカイのままの名前になっているはずです。
臭いは一般的に閉じた状態から開くときに、籠っていた臭いが解放されるのです。だかあ、開くときに一番強烈なにおいがします。そして、すぐに臭いはしなくなります。ただし、ラフレシアの種類によって放出される時間が異なります。ラフレシア パトゥマは次第に弱くなってゆきますが、私が感じるのは、開き始めからまる一日くらいは感じます。風が強かったり、大雨が降ったりすれば、その時間が短くなるばかりでなく、腐ってしまう時間も短くなります。鑑賞できる時間が短くなるし、発見するチャンスも少なくなります。
どんな臭いか、どんな臭いといっても、説明し様がありません。独特の臭さです。しかし、私にとっては、臭いという感じはしません。臭うと言った方が良い。子供の頃、1kmくらい家から離れた場所に家畜の処分場があった。風向きによってたまに流れる臭いに似ていたが、同じではない。猫や犬が小便を道端でして、何時間後かの臭いにも似ているかな。ガイドは、鼠やビヤワックが死んで腐っている臭いだと言うが、私にはその臭いは知らない。何かが臭うとラフレシアの臭いと違う場合も多いので、だれ誰がおしっこをした後の臭いだと、おならだとか、冗談を云いながら、本物の臭いを探す。
人間の臭覚能力は、人によって大きく違うし、その時の体調によっても違うと思うが、ラフレシアの臭いについて、私には分かります。しかし、似たようなにおいとの区別が出来ない。優れたセンサーの持ち主に、臭うよというと、違うと言われることが多い、それほど、ジャングルの中では色々な臭いを感じるのですが、何の臭いかを特定できない。私では、無駄に探すことになる。私とは逆に、ラフレシアが目の前にあるのに臭くない、臭わない、という人もいる。こんな人がガイドだったら、歩く道の直ぐ足元に無ければ見つからない。

もう一つ、最期に、田舎のインドネシア人の若者の、視力は一般的に日本で最高の2.0なら、5.0や6.0以上あるのではないかと思うほど目が良い。その視力も落ち葉だか花だか分からないラフレシアを探すのに大きな武器になっている。とにかく、パンガンダランへ入ると、私は、どんな遠いところからも見られているような気がする。自意識過剰ではなさそうだ。たちまち、知り合いの全員に私がパンガンダランの中のどこかにいると知れ渡ってしまう。
ロブスターではないが15cmくらいのエビ、アッサムマニス煮とバカール、それぞれナシ(ご飯)を含めて、400円くらい。ブンクスです。デリバリーです。
夏至 嗅覚 視覚

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(^_-)-☆腹痛?誰のこと?

2011-06-22 22:49:16 | インドネシア

今朝、早速、旅行社へ電話をして、今日のフライトをブッキングしてもらった。余分な支出も無かった。聞く処によると、SQやJALは片道料金が発生すると聞いている。GAとANAは無料で交換が出来る。ガルーダでは19時と9時と思いこみ、7時に空港へういたらもう出発したばかりという失敗があったが、無料で次の日のフライトに変えることが出来たという経験があった。

間もなく、無事、機内へ入れそう。スカルノハッタ空港にいる、21;45発成田行きに乗る予定。今回は一応、帰国ということになる。一時帰国ではない。日本での仕事が75%位になると予測している。実際は、7月1日以前にどうなるのか、はっきりさせるが、今のところは、自分が勝手に描いているだけです。

 ということで、もう、少なくとも四回目の、インドネシアでの仕事の区切りです。送別会も、私にとっては、あまり、意味が無いことを私も承知しているし、取り巻きの方々も承知しているので、特にこれといったものはない。その方が良い。落ち着き先については、メールや電話を含めて、7月に入ったら、皆さんに、ばら撒くつもりです。それまでは、今のままで十分、どこからでも、連絡できます。また、新しいものをお知らせした後でも、今までのものも生かしておきますから、新しくセッティングを変えていただく必要はないと思います。

 ラフレシア パトゥマの続きですが、今日の写真のような蕾と言ったらいいのか赤ん坊と言ったらいいのか、子供と言ったらいいのか、こういう状態やこの前後ものは、ごろごろしている。茶色い皮で完全に覆われている状態は、私が確認できているもので1cmくらいの小さなもので、それより小さいものがどういう状態で有るのかはまだ知らない。直径5cmくらいになってから10cm~13cmくらいになるのが3カ月くらい、皮がむけ初めてから殆ど向けてしまうまでが1ヶ月~1ヶ月半、それからは早い一日半くらいで満開になる。と同時に、花弁?が丸まり始める。それから一日で花弁の半分以上が下へ丸まってしまい、上から見ると半分ぐらいで外側が直線に見える。と同時に、黒い斑点が出来始め、もし、何かの傷があれば、その部分から黒くなるのはもっと早い。二日後には、もう、見たくないほど、汚い状態に腐ったようになってしまう。一週間後には、完全に真っ黒けになって、ぼろぼろになる。見る影もない。早く、土に返ってしまって、名残が無くなってほしいと思う。

 鑑賞に耐えられる時間は36時間ぐらいでしょう。だから、中途半端に開いた状態は数時間だけです。それに会えることは大変ラッキーなことだと思う。

 もっとも、許可を得て、チャガールアラムの中へ泊まり込みで、例えば10分間隔で撮影すれば、容易に全ての工程をとらえることが出来る。

 私はいつか機会を作ってそれをやってみたいと思う。ブンクルの大コンニャクは日本人のグループ学者やテレビ局が泊まり込みで撮影していったと、大コンニャク栽培農園の経営者が言っていた。その時は、かれから、一週間後には咲くでしょうという、連絡を入れたという。パンガンダランラフレシアは経営者が栽培しているのではないから、日本の学者にそういう情報は入らないでしょう。

 ごろごろ転がっているラフレシア パトゥマの蕾

 http://nanbuindonesia.web.fc2.com/yanto.html

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage123.html

撮影 子供 開花

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(^_-)-☆ラフレシア仕掛け人

2011-06-21 18:58:20 | 知識

 一日帰国の日を伸ばした。理由は簡単、原因不明の腹痛で身動きが取れなくなってしまった。それも、家を出なければならない時間の一時間前ほどから痛み出し、出なければならない時間にかなりひどくなってしまって、運転するどころではなくなったしまった。とにかく痛み止めを飲んでじっとこらえ、出発時間の2時間前までに運転できる状態になることを期待したが、駄目だった。そしてあきらめた。出発時間頃に治まってきて、今は治まっている。一体、なんだったのでしょうか。日本での仕事を体が拒否したのでしょうか。空港へ向かわないと決めた時から、治り始めた。明日、どうなるでしょうか。

 

 パンガンダランのラフレシアの蕾なら、いつ行っても見られるエリアは直径30m~50mくらいの広さで、最低5か所はあります。沢の両側か片側の相当な急斜面です。45度平均はあるでしょう。上から見るとほとんど垂直に見えるところも多い。スキー場でも45度のところは非常に少ないし、上に立つと、落ちてゆくように見える。かなり厳しい場所です。また、落ち葉は殆ど滑り落ちてしまうのですが、やはりかなり残っているので、なお、滑りやすい。真っ直ぐには登れないので、斜面に対し、横向きになってのばらなければならない。邪魔ものの1cm~5cmくらいの背が低い木が適当にあって、行く手を邪魔しているのでその間を抜けながらまた、その枝を掴むことによって落ちるのを堪えることが出来る。ただし刺が生えている木があるので、何でもかんでも掴んでしまっては怪我をする、落ち葉と色がそう変わらないので、私は、目の前にあるのに気がつかなかったこともある。大木の根本の向こう側、斜面が迂回しているので、其の迂回している向こう側まで行く必要がある。あきらめてはいけない。私を含めて四人で探しまくる。臭いが遠くなれば行く過ぎたことになり、戻る。其のうち誰かが、有ったと、叫ぶ。

 臭いに敏感な若者(レンジャー上がりの中年ではだめ)がここは臭う、と、言ったら、必ずあります。風向きをタバコの煙で見ます。風上に向かって45度の扇状に捜索を始めます。急斜面を登って行きます。必ず、あると信じて登って行きます。見つからない時はまだ、探し足りないと思って探しまくります。これがコツです。

 連れて行く人は若者で臭いに敏感と言われている人、そして、ジャングルの中を縦横無尽に歩きまわれる人、この三条件が揃っている人は、そういないが、幸いにもウミさんの息子たちに条件がそろっている。其の兄弟の中でも、すごいのが一人いる。彼が臭うといた時、もう、有ったと同じです。

 前もって、チャガールアラムへ入る日を、伝えておくと、彼らは前日に入って、半日ほどラフレシアの状況を確認しておいてくれる。私が一緒に入る日は、大体、場所を把握してくれているので、探す時間が少なくて済む。彼らがその前の日に有った数より多く会うことが出来る可能性が高くなる。出来るだけ私が探さなくてもいいように気を使ってくれているようでうれしい。

 彼らにとっての目的は何と言ったって小遣稼ぎである。渡すお金を渋っては駄目です。金銭感覚は人によって違うし、ラフレシアに沢山会えたか、一つにしか会えなかったかで、渡す金額も自然に変わってくる。それがガイドの能力不足のこともあれば、実際に咲いている数が少なくて、ガイドの能力ではどうにもならないこともある。やはり、会えれば、運が良かったと思って、満足して、チップをはずめば、次回はもっと、彼らは、張り切ります。其の時限りの一回だけなら、なおさら、その人たちのおかげと思ってください。とにかく、やっと、会うことが出来たのですから。

 

 多くの生物学者が、ブンクルやコタキナバルがどうのこうのと書いていますが、パンガンダランへ来て、一か月ほど滞在し、毎日、半日でいいのでジャングルへ入って観察すれば、世界中に発表するようなデータが取れるだろうし、今まで知られていなかった生態が明らかになるかもしれない。それほど、幻ではなく、どこからか持って来たものではなく、自然のままを簡単に観察できるのです。

 もう一つ、重要なことはここのラフレシアの天敵はビヤワックというトカゲ(0.5~1m)がその臭いに引かれ、食べてしまうことです。その他には敵はいません。一番危険なのは人間ですが、ここの人達は決して持っていくことはしません。だから、私の感覚では、15年前に比べれば、会うコツというか、要領も良くなったと思いますが、数が増えているから、会える確率が高くなったとも言えると思う。

 チャガールアラムの案内人達と西海岸のサンセット

 研究 確率 臭覚

 

 

 

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(^_-)-☆あなたにも直ぐできる

2011-06-20 20:02:23 | 知識

 一先ず、親しくしていただいた方々とのゴルフは今日で終わった。昼食時が簡単な送別会とおっしゃる。しかし、私にとっては送別の気分は全くなし、日本でちょっと暇が出来ればインドネシアへ来てしまうだろうし、今の会社のアドバイザーという職は来年の三月まで契約が残っているし、住処も同じ期間、既に契約してある。いわば、まだ、インドネシア人のままともいえます。なので、一応という送別会で、本当の送別とは誰も思っていない。

 日本の仕事の環境、雰囲気が私の居心地を悪くすれば、しがみつく理由は無いので、さっさと、居心地が良い環境や雰囲気に居場所をまた変えるでしょう。70近くになって人様にああだこうだ云われたくないし、言いたくもない。その割に書くことはたくさんある。

 

 ということで、国家公務員、頼りにならないことが明らかになった。知識が無い上に探そうとする意欲や行動力が無い、体力も頼りない。

 それではどうすれば殆どいつでも100%近い確率で会えるようになったのか。今までまったく公開されていない、私の経験から生まれた秘策があるのです。これからそれを明らかにしてゆきます。5分読んでいただければ、誰でも私と同じようにパンガンダランで幻のラフレシアに会うことが出来るようになります。先ず、その前に、体験者の感想を紹介させていただきます・・・・

 最期にこの本を購入の手続きをしてください。・・・どこかで、見たばかりの迷惑メール見たいですね。

 私の場合は本を売っていません。今から書きます。基本的にパンガンダランのチャガラルアラムの中のどこかにいつでも必ず開花しているラフレシアがあるのです。そして、その場所は何箇所かあって、殆ど、決まっているのです。何十年か過ぎて場所が移動するかは知りませんが、15年前から、場所は変わっていません。チュルッグ パナンジュンンという滝に向かう道は其のラフレシアが咲く場所を通っているのです。おそらく、何十年もかかって、幅50cmくらい、その道は出来たのだと思う。崩れたり、大木が倒れて塞いだりして、道筋は変化をしていますが、必ず、本筋に戻ります。

 

 ラフレシアは道の両側にあるように道が出来ています。しかし、その道は沢を歩くことが多く、沢から出ても、その両脇に崖の細い道を通ります。たまに、ふと、足元で踏んでしまいそうなところにも蕾を見つけることが出来ます。しかし、多くはそこから両側のかなり急な坂の上にあります。

ラフレシアは先ず、臭いで探します。ですから臭いに敏感な人が必要です。犬にラフレシアの臭さを覚えさせて、連れて行って探せば一番いいと思いますが、そうした人やそうした研究者はいないようです。

 旅行記

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage041.html

http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0010.html

写真 

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0307.html

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0304.html

 

探す 誰も 会える

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page238.html

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(^_-)-☆ラフレシア パトゥマ

2011-06-19 22:49:16 | インドネシア

パンがンダランについて一番詳しい日本人は私でしょう、と書きましたが、ここのラフレシア パトゥマに一番沢山会って、写真を撮ったのも私が飛びぬけて一番でしょう。この種の学者ではないので、繁殖のメカニズムを調べたり、サンプリングして様々な分析をしてなにものかを確認したりする気は全くないし、逆に、そういうことは知らない方が神秘的で想像することが多くてロマンチックだと思う。

研究者のネット紹介を見る限りでは、ここの、ラフレシアが一番落ち着いた色や模様をしている。けばけばしくなく、グロテスクではないので、なお気に入っている。

 

昨日の続きで、元レンジャーのガイドに多いに期待をした。5時間くらいで十分かと聞いたら、十分だという。いくら払ったらいいか、と聞いたら、幾らでもいい、あなたの気持ちだという。じゃ、ラフレシアに会えたら、お礼をはずみましょうと返事をしといて、いくら払いますとは言わなかった。

ジャングルへ入って行った。普通は西側のゲートから入るが彼は東を選んだ。なるほど、こちらからの方が会える確率が高いのか、流石かな?と思った。今までも、西から入って東に出るというコースは何回か経験していて、東側でラフレシアにであったことは無かった。ただ、帰り道として、サッサと歩いただけだった。

今回は、その帰りに歩いたことがる道を逆に森の中へはいて行った。そして、途中から、彼は、道からそれて道が無いところを進み始めた。そちらの方向にあると知っていると信じて後を追った。ドンドンジャングルの中へ入って行く、右に左にどんどん進む、其のうち、どうも、同じところを回っているのではないかと、回りの様子を見ながら感じだした。さっき、歩いた思われる場所を二回通ったことは確認した。これは、どうも変だと疑い出した。其のうち、彼は疲れたのでしょう、タバコを一服したいと言って座り込んだ。チャガールアラムに入ったことは入ったが、入口からそう遠くないところをグルグル回っていたと思う。ラフレシアを探すにしては、地面が乾燥している場所が多く、私の経験から、こんな感想していて、日差しは入りやすい場所には全く無い筈であった。案の定、其の蕾にも会えなかった。一時間経過、会える気配が感じられない、私にも、臭いが感じられない。結局、東側では会えずに、いつも行く滝の方句へ向かった。今度は道なき山を歩くのではなく、沢か沢沿いの道を歩く、その場所は、私にもはっきり分かる道で、私が案内してもいいくらいな場所、そして、滝まで向かい、滝の上でまた一服、帰りの道、西側の出口へ向かった。もう、完全に私の方が詳しい。其の辺りのどの辺に蕾が沢山あって其の中のどれかが、運が良ければ開いているはずである。ところが、彼はそれを全然知らないし、私がこの辺で臭うよと、教えても、耳を貸さないでさっさと出口方面目指してひたすら歩きてしまっている。道の脇を探そうと全くしない。

結局、ラフレシアに会えず、蕾に二三個、咲いた後一週間以上過ぎてしまっていて真っ黒になったものを木の枝にくっついているのを一個見かけただけだった。

出てきて、残念でした。見つからなかったですね、で、終わり。其のベテランさん、臭いを感じないらしい、それと、ラフレシアがある場所を知っていない。レンジャーとはこんなものかと思わされた。結局、怠け者でした。道の脇にちょっと入って探せば。蕾くらいはすぐ見つかるのに、それを全くしない。やはり、

最期の、昼食を奢りながら、5時間なので50万Rpを渡した。後に紹介してくれた人から、5時間なら100万Rpが相場だと、本人が言っていたと、伝えてきた。とんでもない話で、流石、公務員上がり、やることをやらないで、金を要求する。最初は気持ちだけでいいと言っていたのに、それも、嘘だった。公務員は駄目である。元公務員も使ってはいけない。役に立たないどころか、ガイド料が高い。失敗だった。

花の追加

怠け癖 不感 要求 

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(^_-)-☆ラフレシアに遭う確率

2011-06-18 20:46:59 | 知識

  昨日の写真の24時間後

斜めからインドネシアを見る 945

 今や、パンガンダランの専門家として、どなたにでも説明が出来ることがらが多い。多分、日本人で一番、パンガンダランについて知っていることが多いでしょう。其の知っていることの全てが、私自身が見たものです。聞いたものではありません。聞いたものも沢山ありますが、それは、書いていません。自分で確認してから書いています。断言できないことは思う、と書いています。

 私がパンガンダランに興味を持った理由は、小学校の時に植物図鑑で、世界で一番大きな花としてラフレシアを見ました。その時に、いつかきっと、南の国へ行き、ジャングル探検をしてラフレシアに遭うぞ、と思った。それが多分8才くらいの時だったと思う。そして、55才になって、実現した。特に大感激をして飛び上がったり、万歳を叫んだりしたわけではないが、夢がかなったことを、静かに確認した。大きいと言ったって、最大で50cm弱、平均で40cmくらいだと思う。びっくりするほど大きくなかったし、大鬼蓮の様に小さい子供が座れるという大きさではない。こんなものかとも、思った。ラフレシアの種類によって1m位の直径のものもあるかも知れないが、ブンクルで会ったラフレシアも種類が違うが子供が座れるように大きさでは無かった。

 パンガンダランのラフレシア(Rafresia Patmaパンガンダランのガイドやレンジャーがそう言っているのそうでしょう)野生の中では、世界中で一番、出会う確率が高いと思う。もっとも、他の場所ではラフレシア アルンルディ、ブンウル、スマトラしか行ったことはないが、(コタキナバル、カリマンタン、マレーシアにも有るそうだが、移植して育てているものが多いし、数もパンガンダランより遥かに少ない)それほど、ここ数年の開花している花に出会いの確率は100%です。季節(雨季、乾季)に関係なく、何月ということにも関係なしに、チャガールアラムの中へラフレシアに会う目的で入れが必ず会います。蕾には5cm~15cm以上のものまで100個以上に会います。もっとも、蕾の数を数えたことは有りませんが、確実に100個以上です。

 7~8年前までの確率は50%以下だった。12~3年前は20%くらいだった。其の何年前にも、今と同じくらいの数の蕾には会っていた。だから、咲いた状態の花も今と同じくらいあったはずです。ところが会えない確率が高かった。そして、物の本には、咲いている時間の短かさ、季節にも関係あると書いてあるし、歩ける道の両側を見ているだけだし、だから、そんなものかと思ったし、運がよっぽっど良くなければ会えないものと思っていた。

 その時のガイドも今のガイドもウミさんの子供もたちで、ジャングルの中で遊んでいた人たちで、その時にはもう公認のガイドになっていた人達です。それでもなかなか、会える確率が上がらないので、レンジャー事務所の紹介で、元、レンジャーをしていたその人達の先輩で、元上司だった人を紹介してもらった。

 

 その人はチャガールアラムのパトロールで数え切れないほど若いころから、入って行っていうから、この人以上にジャングルの中を知っている人はいないのではないか、と、太鼓判で紹介してくれた。

 

その前に、ベチャの運転手が、若い頃はガイドをしていて、ラフレシアが咲いている場所を知っている、と言っていたので、試しに、頼んでみようかと思い、お願いした。これは、全く駄目だった。口から出まかせで、この日本人はここのことを知らないだろうし、適当に歩きまわって1時間ほど過ぎて、出てきてしまえば良いと思ったのでしょう。そのように一時間半ぐらい、連れまわされただけで、私が知っている場所ばかりだった。いい加減な人を使ったと反省。私の方が遥かに詳しい。二度と、トカンベチャが何と言ってきても使わない。

  ガイド ラフレシア 運

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(^_-)-☆事情を知って手を打つ

2011-06-17 22:17:03 | 複雑

インドネシアでの仕事はひとまず終わった積りだが、もう一日いて報告書を書くことにした。住友金属系の大企業のインドネシア工場だが、私ならではの、インドネシア人へのインタビューで多くの問題点を指摘することが出来た。やはり、大きなテーマは情報交換、コミニュケーションが不完全、日本人とローカルスタッフ、双方ともシステムに則ってやってはいるようだが、そう方も基礎知識の不足とやはり言葉の関係でミスアンダースタンドが多い。それを指摘すれば双方とも納得でした。なお一層、確認の場面が多くなるようにシステムの改善を提案するとともに、日本人がもっと普段の仕事の中で、インドネシア人と世間話をするようにお願いした。永遠の問題だと思う。日本人は交代するので、始めからやり直しみたいなところが必ずある。その都度、インドネシア人は顔色を伺いながら、話の内容や話し方に気を使わなければならない。

 だからと言って、長期で同じ日本人が経営しているというのも、底の浅さを露呈しているし、全てがそうだとは言いませんが、監査をすれば、ぼろがどんどん出てくるはずです。
誰がやっても、大過なく過ごせる仕事や本社だけとしか仕事をしていないような会社は、それでよしとしている本社の経営陣や方針に疑いを感じる。変化をさせれば、違う道が出来てくるかもしれない。余計なことをするなと、釘をさす、トップに近い人が本社にいる会社は、その人のリモコンで動くロボットのような人が長期でやるのです。人が変われば、利益が上がる確率が高いのに、変えないということは、その会社、本当は利益が増えるのに、増やさない、と同じで、損失をしているのです。結局、他の国に進出している生産拠点に仕事を持っていかれているに、何の手も打てない。そういうことも、この会社について指摘をさせていただいた。
 今、インドネシアは国内の需要がドンドン増加しているので、車やバイク、家電製品、IT装置などの製造業の会社は、営業をしなくても、どんどん、仕事が増えている。それらを支える部品工場、プラスチックや金属の材料製造工場の景気は大変よい。だから、内部の問題が表面化して、生産に影響する様な事態になる可能性は大変少ない。余計なことを考える余裕がない。給料も規定通りに上げるし、休日も国の規定通りに休みにする。それで、仕事が回っているので、それでいいのですが、現状がバブルと言えないとは言いにくい。中国も同じだが、はじけるときは必ず来る。日本が経験しているように、海外の工場といえども、そろそろ来るかもしれないということを念頭において、計画を練るし、人の配置も考えないといけないと思う。世の流れに押し流されるような動きはそろそろ終わりにした方が良いような気がする。
中途半端に咲き始めたラフレシア ファトマ 
景気 汚職 そろそろ

 

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(^_-)-☆コンスタンを離せない

2011-06-16 17:55:06 | 体験

口や目の渇き以外にも、2006年辺りから意識し始めたことが多い。

右足の真ん中の三本の指の付け根がしびれて、感覚がないような気がする。しびれているが実際は痛みも厚さも感じる。だから、気になる存在になっている。足裏マッサージをしてもらっているときにそのしびれ具合が強調される。神経がどのようにか知らないが、正常に届いていないと思う。それは、心当たりはないが、ある日突然にそうなった。40代後半の頃、ある日、首が回らくなった。運転するときに首を回すことが出来ないので、後ろを確認するのが大変だったことを覚えている。二三日、その痛みが取れないまま、首も其のままだったので医者へ行った、ぎっくり腰になったときに注射一発で治す医者です。X線で確認したところ、「あなたの首は先天性ヘルニアです。通常、横から見ると湾曲していて重力を分散できるようになっていが、あなたの首の骨は真っ直ぐに近いので、一か所に重さが集中してそこの神経が圧迫されて痛みをおこしています。手足のしびれは有りませんか、歳を取るにつれて、手足の先がしびれてきますよ、最終的には手足を動かせなくなります」と真面目とも脅かしとも取れるようなことを云われた。その時は、首の痛みは注射で治ってしまって、その後、寝違えたりして首が変になることはない。医者に云われたことを気にしていなかった。

しかし、右足に突然しびれがいた時に、医者に云われたことを思い出した。いよいよ、来たかと思った。しかし、そのころからパニック障害になって、しびれを気にするどころではなくなった。パニック障害が治り、ちょっと気になる一つに再びなったが、その後、しびれの箇所が増えることは全くないし、その場所の痺れが増すこともない。結局、突然、今の中途半端なしびれのままである。痺れだけでこれだけのことを書く自分の方が気になる。・変!!

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html

痺れと言えば、ちょっと違うが、こめかみの高さで頭の脳の外側をぐるっと回るものがある。一瞬の内に二三周する。勿論、形があるものではない。また時々、同じものが後頭部から飛び出すような気がする。勿論、実際は何も飛び出していない。技術的なことを考えている時、文章を案がえている時など、何かに集中している時この現象は起きる。何回か繰り返す。頭がフラッとするのでしょう。その時に、薬を飲むと治ることがわかっているので、コンスタンとパキシルをパスポートと共に常に持ち歩いている。何度も脈が止まって、血液が脳に送られなかったことを繰り返した、パニック障害の後遺症かもしれないと思っている。

日の出前と日の出

コンスタン パキシル 痺れ

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