南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆危うい細工

2014-08-11 22:48:45 | 行きすぎ

 2033 台風11号、中心は、高知の上陸、近畿地方を北上して能登半島を抜けたようですね。

西から東に移動する天気は、予報をしやすいと思うが、それでも、ゲリラ何とかとか言われるように局地的豪雨や、強風に見舞われることがあるようですね。予報が難しいでしょうね。

 

一日中、降ったりやんだり、強かったり弱かったり、降り続いていた。庭の状態の変化。

 

それほど、詳しいわけではないので、全てをうのみにしてもらっては困るが、インドネシアには、日本の消費税と同じようなものだと思うが、物を購入するときに10%の税金をプラスして払うのが一般的、見積書には、必ず、税込みか、税別かを書いてある。売った側は、それを納税しなければならない。日本食レストランなども一般的にはメニュー価格に10%乗せて払うことになっている。ただし、インドネシア人が経営するレストランや道端のテントレストランやカキリマなどは、それを請求されない、ということは、彼等は払わなくても良いということになっているらしい。

日系企業はそうはいかない。必ず払わなければならない、そして、利益が出れば、所得税を払わなければならない。そして、所得税は、前年の実績に従って、確定申告前に払わなければならない。日本もこのシステムは同じだと思う。

問題は全くないはずだ。ところが、難しい問題があるのです。大体の個人企業、小規模企業は、コンサルタント(公認会計事務所9を通して、申告しているが、多くの場合、会社の経理担当が作った資料に基づいて、まとめられた帳簿を元に申告書は作られる、そして、その帳簿には経営者の意向が反映されれいて、それが、誤りとか、不正などがあっても、多くの場合、コンサルタントには、指摘するほどの能力はないし、会っても、チェックをしない。これが問題。

利益を上げていて、税金を順調に支払っている時には問題ないが、ある程度の赤字になった場合、実際は、過払いの税金の還付請求することになる。当然、消費税に感じても同じこと。しかし、今まで黒字だったのに、赤字になったということになれば、申告が正しいかどうか、税務署の監査が実施される。そうなれば、過去何年か遡ってチェックされ、利益を過少申告していたことを指摘され、逆に過大がペナルティーを請求されてしまう。経営者はそう思うし、コンサルタントも面倒なことになると思う。

 

で、税務署の監査が入らないように、方法は知らないが、粉飾決算書を作るのです。還付は、放棄するのです。だから、実際の赤字とは、大きく違うのです。非常に危ういことをするのです。また、粉飾決算の大きな理由は、どこかと合弁の話がある時に、優位にするという魂胆もあるのです。先日、書いた射出の会社のブロー部門にとんでもない負担を掛けて、本業の損失を少なくするというやり方も、魂胆は、ジョインしようとする会社の目くらましが目的です。こんな会社と組んでしまう会社は災難ですね。  

 

インドネシアでは一旦、税務署の監査となれば、どんな場合でも、少なからず、追徴金を請求されます。それから、顔色を伺いながら、金額の交渉になります。ただし、コンサルタントがいいわけできないような内容で、意識的にということになれば、相当な額を払わなければならなくなります。そういう会社を何社も見てきています。何年も遡って請求されます。

やはり、正直が一番ですね。小細工をすれば、いつかは大怪我の元、利益でも損失でも正直に申告しましょう。

小細工 告発 追徴金

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(^_-)-☆やはり

2014-05-26 22:17:33 | 行きすぎ

 1956 やはり、私の選択は間違っていたが、その失敗は、引きずらないようにして、次のステップに、私の思う状況に、環境を導くようにできたらいいと思う。何が失敗だったのか。

 

本当に久しぶりにカラオケに行ってきた。以前行ったのは、いつごろだったか、まったく覚えていない。今年、ではない、去年の何時だったか、パンガンダランで、だったと思う。それが、なぜ、先程だったかというと、歌を歌いたい心境になったからだ。一人で行って歌いたい放題歌うのです。20:00から22:00丁度ニ時間、緑茶とい缶を頼んだ女性と一本ずつ、ピーナッツの小皿を一つ、それで、払った金額が624000Rp(約5500円)高い。しかし、日本の歌主体にその時間中、歌いたい放題なので、仕方がない、他に、こういう場所がない。

風邪が治ったばかりで、喉が悲鳴を上げていて、高音がかすれたり、裏返ったりするも、無理やり20曲くらい歌ったと思う。で、取りあえず、満足!!

 

こんな話を聞いた。土日とブロックMでなんというタイトルなのか知らないが、日本祭りが開かれた。昨年、それお知らずにパパヤへ買物に行って、車をなかなか止められず、めちゃくちゃ賑やかな中を体を斜めにしなければ、前に進めない状況で、ひどい目にあった。多分、今回も、去年以上に大混雑だったに違いない。コンパステレビでも紹介されていた。リッポチカランの桜祭りもそうだが、もはや、場所が狭すぎる。開催責任者は、会場を広い所にかえなければならないと思う。それはそれとして、あるレストランで、この祭りに合わせて、日本酒を普段のニューの半額にする、という、サービスがあったという。知り合いで、それに、行った人が二人いて、二人とも別々に会っていたが、それぞれが、水を足してあって、薄くなっていたという、その人の周囲の人も、全員がそう云っていたという。何%薄められていたのか分らないが、とにかく、うすめられていたといことでは、意見が一致していたそうだ。カップ酒の蓋が開けられていて、プシュッという感触をうばわれていたことも、がっかりだが、うすめられていない蓋がしたままなら、こんなに溢れるばかりには入っていないという。これも、薄めた証拠になっていたという。厳しいですね、酒飲みの舌は。

 

タマンセントサ、反対車線から右折して入る時は、この景色です。

失敗 乗り越え 半額?

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(^_-)-☆あれから16年

2014-05-19 22:35:41 | 行きすぎ

 1949 1996年夏にインドネシアへ始めて仕事をしに来た。18年前です。それから、2年足らず、98年5月に大暴動を目の当たりに経験した。その一週間前ほどから、不穏な空気が膨らんでいった。トリサクティ大学(タマンアングレックの高速を挟んだ向かい側)の学生のデモへ水平射撃で数人の犠牲者がでたことを最大として、スハルト政権打倒のデモはインドネシア中に広がっていた。また、暴動2日前にガソリンの30%位の値上げが実施された。デモの弾圧に警察では手に負えず、軍も参加していた。その時の国防大臣がウイラント、軍の最高司令官がプラボーだった。二人とも、現在、ミニ政党の党首をしていているが、この暴動の黒幕だったという疑いは晴れていないが、当時、追及もされなかった。そして、帰らは、いまや大統領に立候補している。ミニ政党ではなくなっているから、違和感を感じるが、プラボーなどは、グリンドゥラ党を引いて、独立当時の副大統領の孫のハッタを副大統領に従えようとしている。

 13日 昼前、会社にいて、ジャカルタ北部で暴動が始まったというニュースが入ってきた。キャンティーンのテレビを点けっぱなしにした。タンゲラン方面とブカシ方面東西に暴動が連鎖していった。MM2100へは来なかったが、国道沿い、ブカシティムール、タンブン、チビトゥン(MM2100の高速を挟んで北側)を通りコタ チカランに15:00ごろには達した。だんだんMM2100に近づいてきて、通過する模様が伝えられた。私が当時住んでいたルマーアバンの手前で終息した。

 暴動、略奪、焼き討ち、暴行など、完全に理性がなくなった集団がやりたい放題のことをしてしまった。暴動が襲った付近の高速道路のゲートもすべて焼かれた。後で知ったが、中華系の人がターゲットにされ、残忍な暴行も各地であった。

 

 ジャカルタに住んでいる多くの日本人は、夕方、会社から出て、あちこちが通行止めになっていたため、翌朝にやっと家に着いたという人が多かった。

 

 日本人に対し、国外脱出勧告がだされ、翌日にはチャーター機も到着していたが、脱出希望の人数が多すぎて、さばききれない、ホテル日航集合、バスでスカルノハッタ空港に向かい、日本やシンガポールなどへ脱出する計画だが、処理しきれず、各場所で最長2日待機した人もいたという。実際には、その後、何も起きなかったのだから、私のように、休暇と思って、ゆっくりしていればよかったのですが。それぞれの会社の本社や日本政府にとっては何もしないわけにいかないから、脱出勧告を出したのですが、それにしても、危機管理というか、対策というか、手段というか、全てに、場当たり的で、計画性がなく、ただただ、慌てふためいて、うろうろしていたとしか思えなかった。私は、それに振り回されなくて正解だった。

 

 迅速だったのはアメリカとオーストラリアだった。翌日の朝にはハリム空港(スホイ、デモ機が飛び立った空港、東南ジャカルタ)に本国からチャーター機が到着していて、その日のうちに脱出をしていった。場所も空軍の空港だから安全だ。

 

大暴動 記憶 残虐

 

 多くの日本人の慌てふためきをよそに、帰宅も自分で運転して、MM2100から高速に乗りジャカルタと反対方向のチカランから、ジャバベカ1と2の間を通って、ルマーアバンのグラハチカランまで何の問題もなし、暴動はどこの話という雰囲気だった。しかし、高速道路はフリーパスだった。

 次の日は、流石に、家にいた、そして、スハルトの退陣劇をテレビで見ていた。と、同時に、焼き討ち後の惨憺たる状態も見ていた。外へ出て行って、ゴレンガン(揚げ物)を買って、セキュリティーに渡し、近所の様子もチェックした。外国人に何か危害を加える気配があるかを確かめたかった。まったく問題なしだった。

 軍のタンクが各交差点、重要建物の前で警護をしている様子も映し出されていた。家にじっとしていられなくて、2日後、チッポチカランまで行ってみた。当時はEJIPとMallに分かれる四つ角がロータリーになっていて、Mall側に戦車が侵入を止めていて、モールへは行けなくなっていた。そのまま、家に帰っても意味がないので、思い切ってジャカルタへ行くことにした。チカランバラットから高速に乗ったが、チケットを渡す人がいない、そのまま入った。高速道路は貸し切り状態、前後に一台も車が見えない。対向車線にはジャカルタまで数台とすれ違ったかどうか。ポンドック グデティムール当時は4500Rp払うが通過、チャワンで5500Rp払うがこれも人がいないので通過一旦、クニンガンで降りた。高速道路の下に戦車が二台警備していた。信号は働いていなかった。そのまま、ガトゥットゥスブロトを通ってスマンギの交差点まで行った。ジャラン スデイルマンに降りて北へ向かったが。ここでも戦車数台があった。ジャラン タムリン

へ入ったところの噴水の周りには多分、ざっと見て10台位に戦車、装甲車とともにNHKなど外国のTV局に中継車が数台あった。そこまでは、何も暴動の後はなかった。ジャラン タムリンからジャラン ガジャマダに入ったころから、道の両側のビルの窓ガラスが割られ、道にはタイヤなどを焼いたような跡が見えはじめた、グロドックの陸橋が見えてきたときには、すでに両側のビル全部のガラスが割れて、黒こげになっていた。陸橋は真っ黒に焼けていた。その左側に曲がる道沿いに様々な商店があるが、これらも全部破壊されて真っ黒だった。ただし、グロドックの中は無傷のようで、入口を装甲車が塞いでいた。もう、悲惨を超えていて、良くここまで、やってしまうものかと、集団が狂気になった時の恐ろしさを目の当たりに見た気がした。

ホテル バタビアやスタシューム コタ周辺は健在。結局、中華系の商店、ビル、人が対象だったのです。

  焼き討ち 略奪 暴行

 

コタを過ぎて、高速のガードを潜り、パサールイカンやスンダ クラパ方面へ北上した。そこから、西に向かい、以前、押出しの連中とアイススケートやボーリングを楽しんだメガモール プルウィットを目指した。これがまた、途中のルコは、店の商品はなくなった状態で、ことごとく黒こげ。人っ子ひとりいない。こんなところまでやられているのかと思った。しかし、最終目的のメガモールは無傷だった。ここにも装甲車がガードしていた。モール全体はしまっていたが、右端のマタハリだけは開いていた。食料品を求めた中華系の人々で混雑していた。私も、食料品をかなり大量に買った。自分の為ではなく、当時から資金援助をしていた学生(UNAS)や従業員へ後で配るためでした。

 帰りは、もと来た道をたどるように南へ向かった。スマンギを通りブロックMを横に過ぎ、ジャラン ファットマワティをなお南進して、ポンドック インダーまで行った。途中は荒らされている気配はなかった。ただし、そこかしこの施設や建物、店の前に、ここはスハルトとは関係なし、という、垂れ幕が張り付けてあった。ターゲットが中華系とスハルト系だったことの証拠である。アスファルトが溶けている場所は数え切れないほどだった。

 ポンドック インダーには私が当時技術指導をしていた若者と家族が住んでいた、彼らは、翌日、帰国することになっていたので、撮ったばかりの写真のネガを託した。本社に現状を伝えるように頼んだ。そして、何事もなかったように、グラハチカランへ戻った。大暴動後のジャカルタ ツアーでした。言葉には、すでに自信がったし、軍がそこかしこでガードしていたし、何の不安も躊躇もなかった。デジカメの時代になっていなかったので、パソコンに写真が保存されていないのが残念です。

 会社は一週間休みになり、何もすることがない、旅に出るというわけにもいかず、当時、ドライビング レンジは私が知る限りではリッポ チカランのホンピンパの側とハリム空港の手前とハリム ゴルフ第二にしかなかった。まったくゴルフをやったことがなかったが、暇なので、ハリムの打ちっぱなしで初めてレンタルのクラブを振った。その時がなかったら、ゴルフをいつから始めることになったか、わからない。ずっと後になっていたでしょう。

 ハムラ党 ウイラント グリンドゥラ党 プラボー

 後日、仕事で、さまざまな方面へ出かけて行ったが、そのたびに、暴動の跡を目撃することになった。

 ブカシバラットはメトロポリタンモールの建物は無傷だったが、その向かいの今はサイバーパーク問い建物になっているが、当時はスーパーヘローだった。その他にもその並びや裏に沢山のルコがあった、全部、焼き討ち略奪にあっていた。今のジャイアンやブカシスクエアーの建物はなかった。

 コタ チカランはラマヤナとその周辺がやられていた。

 

 タンゲラン方面の国道沿いは惨憺たる状態で、高速から出たあたりのルコも全部焼かれていた。その次のインター、リッポカラワチのショッピングモールも略奪、放火に見舞われていた。

 

 タマンアングレックのアパート、当時はその他のビルはなかった。その向かい側が、トリサクシ大学(日本でいえば早稲田大学に似ている)がある。国会議事堂、惨事の10日前ごろから、学生デモで完全に機能を失っていた。4人の学生の追悼集会が昨日、学内で行われていた。

 

 バブルの初期に入ったインドネシア、あのような暴動は起きないでしょう。ジョコ ウイドド(ジョコウイ)さんが大統領になるでしょうが、燃料補助を無くすと云っているので、どうでしょうか、ジョコウイなら、仕方がないと思うような空気になればいいと思う。諸物価高騰、賃金高騰に繋がるので、日系企業は大変ですが、適応しなければならないと思う。20日の夕方、大統領候補者の受付期限です。ジョコウイさんはバクリかカラを副大統領候補にするでしょう。私はユスフ カラを選ぶと思う。

 

 平和な今、昨日も我慢できずにドリアンを買ってしまった。車の中の匂いが継続している。ソッ ブントゥットゥの出汁のもとです。ブンブと云います。

悲惨 ショック 恐怖

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(^_-)-☆腕から人間?

2014-02-28 22:36:30 | 行きすぎ

 1869 STAP細胞とは、植物の葉や枝にしかるべき条件が整えばその部分から根が出て、その植物の元の形が形成される、と同じように哺乳類でも、そういうことが起こりうるという可能性を示す細胞でしょうか。例えば、人間の腕だけに何かの条件を与えれば、元の人間にそっくりな人間が生まれる可能性があるということでしょうか。まさか、植物のように土と水と日光があれば、発芽するのと同じというわけにはいかないが、何か、ノウハウがあるのでしょうね。そのところが、ほかの手段では再現というか、確認ができないのでしょう。早く、写真の件、単純ミスだったということが確認されればいいですね。単純ミスだったということの確認には、何が必要なのでしょうか。もう一度、同じ実験をして、同じ結果が得られれば確認されたということになるでしょうが、どうでしょうか。

 

とにかく、指先でも残っていれば、その指の持ち主だった人が、生まれ出てくる可能性があるというのですから、奇想天外な話で、是非、疑われない状態で証明し直してほしいものです。

 

 昨日ちょっと書いたビットコイン?どんなメリットがあるのでしょうか。説明の文章を読んでも、分からない。取引、買い物の支払いが、手数料が掛からず、簡単で早い、ということらしい。しかし、円でもドルでも同じ決済方法ができないのでしょうか、この、システムを考え出した人は、なぜ、仮想コインにしたのでしょうか、今、使われている、通貨では、このシステムは出来ないのでしょうか。手数料が掛からないで決済ができて、簡単、早い、すごいですね。STAP細胞のようですね。思いもよらないシステムですね。そのシステムをベースに、ちょっとだけ手数料を貰えば、大儲けができますね。リスクは一般通貨の為替変動だけですから、一般的な普通のリスクでしかない。

 ビットコインの相場の変動が異常だったらしい、要するに機関投資家の様な組織が自由に操作できたのでしょう。金額が少なくて操作できてしまうのですから、インドネシアルピアでさえ、小額で変動可能と言われているのですから、全体で何百億円程度なら、簡単に、相場を操作できる、怖いですね。やはり、悪徳商法の一種でしたね。マルチ商法と同じたぐいですね。主催者?が預かっているお金はどこに行ってしまったのでしょうか。

 

それにしても、引っかかる人、どういう人でしょうか、決済が簡単で手数料がない、ということを目的としてお金を預けた人は少ないと思う。やはり、価値が上がることを想定して預けた人が多いと思う、要するに、ビットコインを持っていれば儲かるぞと思って、預けたのです。変動が大きい通貨に手を出したのです。為替取引に参入したのです。そして、その賭け事の胴元が雲隠れをしてしまったのでしょう。こんな状態になって、金返せと言っても、意味がない、あきらめるしかないでしょう。

 

 ちょっと裏道(Jalan tikus)ネズミの道、近道、とまでは言わないが、あまり日本人が通ったことはないでしょうというメインではない道です。

気になる 気にしない 台なし

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(^_-)-☆感情的な集団

2014-02-27 22:39:29 | 行きすぎ

 1868 預かっていたプルトニウムをアメリカに返す、というニュースを見た。これらの事を全く知らなかった。どういう経緯で預かることになったのでしょうか。冷戦時代に研究用ということらしいが、預かって何かに使ったのでしょうか、使ったのなら、当初、預かった量から、少なくなっているのでしょうか。最初、預かった量は何Kgだったのでしょうか。そういうことに触れていないのが面白いというか、変でしょう。331Kg返すらしい。

 

このことで、この頃、話題が起きていた。中韓が今頃になって、返せと言いだしたのですか。何故、もっと、ずっと前に言わなかったのでしょうか。最近まで、彼らが知ったのでしょうか。面白いですね。慰安婦問題にしても竹島の事も、尖閣諸島の事も、以前は今のように大騒ぎをしていなかった。それで、まるく納まっていたのに、何故、今になって大騒ぎをするのでしょうか。30年ぐらい前の心理状態に帰れないのでしょうか。多分、中韓とも経済力に自信が付いたので、言いたくても言えなかった事を、言えるようになったと思ったからでしょうか。それとも、欲が出てきたのでしょう。核武装についても、今頃になって、日本は核兵器を作ろうと思えば、一年以内に何百発も作れる能力があると、いかにも、直ぐ作るかも知れないということを恐れ、日本に核兵器を作らせるな、などという集団もある。

 

私は、既に何十年も前に、日本はいざとなれば一か月以内に核兵器を作ってしまう能力があると思っていた。核兵器保有国の内のいくつかより技術は上だと思っていた。ただし、出来るとやるは、別問題。ボクサーが人を殴ったらいけないと、同じ理屈だ。そう思っていた。それなのに、今頃になって、核施設、核技術、核材料のいずれから見ても、日本の核武装には何の障害もない、だから、核兵器を作らせてはならないと核保有国の中国が言いだしているは、滑稽だ。そんなことは、何十年も前から、いうなら,言っていなければならないことでしょう。

 

中国も韓国も厄介な国ですね。とにかく、昔、やわれた!という意識がなくならないのでしょね、だから、以前に言わなかったこともいうようになったし、また、やられるのではないかという、被害者意識が、日本を過剰意識するのでしょう。彼らは、日本を煽てあげて、資金や技術をもっと譲ってもらう様な方策を取れば、もっともっと、優しい国になれると思うが、“やられた”意識がそうはさせないのでしょうね。彼等にとって同じアジアの国にやられたという意識が日本を許せないという意識に繋がっているのでしょう、ヨーロッパの国々に蹂躙されたことは、全然、言わない。ヨーロッパの国々はしっかり謝ったが、日本は謝っていないと思うのでしょう。今までの資金援助や技術援助は、当然のことで、まだまだ、足りないと怒っているのでしょう。

 

ビットコイン?Mt.Gox(マウント・ゴックス)?浦島太郎状態です。仮想通貨?何、それ。全然わかりません。どんな使い方なのでしょうか、どうも、お金を預かるらしい、これなら銀行と同じで、利息が付くから、銀行より利息が良いからなのでしょうか、お金を託すのでしょうか。運用はどうするのでしょうか、使い方は?とにかく全然わかりません。でも、多くの人がお金を預けているのだから、何か、メリットがあるのでしょうね。こういう、組織は合法なのでしょうね。許可などは、要らないのでしょね。

何とか商法や俺おれ詐欺とは違うのでしょうね。世界中に出資者がいたということは、相当魅力的な行為だったのでしょうね。

 

うまい話には裏がある。儲かりますよ、儲かるなら他人に紹介するなよ、秘密にして自分だけ儲ければいいじゃないの。LineやTwitterで金儲けの話、ロトがどうのこうのという話、迷惑メールに追いやっているが、しつこく入ってくる。誘いに乗る人がいるのでしょうね。これらと、ビットコインは同類だと思うが、欲は抑えられないのでしょうね。

 

1996年8月にこの場所で仕事を始めた、来た時には、この大きな木の場所に飯場だけがあって、右の建物は全然なかった。11月末にオープニングセレモ二―が行われた。今はPT.NANBUの第二工場になっている。仲間がいるので、エアーティケット購入のついでに、濁酒を渡しに来た。

 

ジャラントールが大渋滞なので、MM2100の裏口の一つから出て、カリマラン川沿いのJL.カリマランで帰ることにした。ところが、ここも大渋滞、ジャバベカ1からジャバベカ2に入り、いつものようにまたJL.カリマランに出て、タマンセントサに戻った。行きは30分だったが、帰りは2時間掛かった。

何故 今 欲

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(^_-)-☆俗化の傾向

2013-10-16 22:41:46 | 行きすぎ

 1734 今回は良く歩いた。山の中も海岸も半島の首の部分も、良く歩いた。充分疲れた上に腰にちょっと来てしまって、帰りの運転も大変だった。少し、無謀過ぎた。疲れてしまって家に着いたらすぐに眠くなり、寝てしまった。

 

11頃、西海岸から出発、犠牲祭でその催しに参加してしまっているのでしょう、土産物の店やコンビニはしまっている店も多かった。私が通った時間は、儀式は既に終わっていて、道端のあちこちで、肉を切ってポリエチレン袋に小分けしている風景がった。また、売れ残りのちょっと命拾いをした動物の姿も残っていた。

 

四連休でパンガンダランの人出は、相当なものだったが、今回は、多くの子供、若者のほかに、リタイヤしたような年寄りの団体さんも多かった。そういう人たちは何が目的なのでしょうか、大きな声で話をしながら、道幅いっぱいに広がってゆっくり歩いている。また、つい、半年前ころから、急に登場した四人乗りの脚こぎの車、幅が1m以上、大人だと狭くて膝が横に出ているのでそれを足せば1.2m以上になる。水の上のアヒルボートが陸に上がって走っていると想像してもらったらいい。それが、道を占領している。道幅が2mほど狭くなっているのと同じだ。二人乗り、三人乗りの自転車はかなり減ってしまった。

その両方が混雑したエリア全体の全ての流れを妨げている。車の運転が難しくなっている。夜は特に、電飾でキラキラ、目立つが、やはり、危ない。もっとも、バスなどで団体さんで楽しみにしてきている人たちにとっては、その、乗り物は、大変便利で、一時間2万Rpも手ごろな値段で、かなり広い範囲のそぞろ歩きのようなものができるので、使いたくなる気持ちはわかるし、また、彼らにとっては、逆に車やバイクが邪魔だと思うでしょう、道端に駐車している車やバイクは彼らの通行を妨げている。

 

また、新しい傾向として、カラオケができる場所が増えた。パンガンダランの休日の夜は眠らない。多くの若者は、普段の生活の場では、やりたくてもできないことが、ここではできるという魅力がある。多くにレストランやカフェでは生バンドが演奏され、ディスクジョッキーが大声を上げ、ディスコは大にぎわい、道端のあちこちのテントレストランでも簡易カラオケセットが置かれて、大声を競うように歌い続けている。新しいホテルにはカラオケルームがある。そして、ついに、ホステスが控えているカラオケまで登場してしまった。パンガンダランには似合わない、けばけばしさだ。どうなってしまうのでしょうか、チャガール アラム以外はどんどん俗化されてきている。

 

行きではTahu Sumedan帰りにはUbi Cilembuを買うことが多い。いずれもブランド品です。チレニインターを出てタシクマラヤ方面に向かう道の両側に売り場が並んでいます。ウビの方が町中より山に入った方に多く売っている。このあたりで作られている豆腐を揚げたものと栽培しているサツマイモです。この名前でジャカルタでもブカシでもどこでもこれらは売っています。そして、買う人の多くは、どこのものか知らずに買っています。味は本物と違っていても、それを美味しいと思えばそれが、その種類の味になるのです。だから、タフ スメダンもウビ チレンブも色々な味があるのです。本物は、Ubi Cilembu asli semedan memang Tahu Semedan asli semedanです。http://otaenplaext.net/newpage0.html

 

西海岸のウミさんのワルンの前で、三姉妹と三歳のリンダちゃん

俗化 喧騒 不似あい

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(^_-)-☆金型や装置

2013-05-22 22:38:54 | 行きすぎ

 1587 押出し成型の金型はすべてインドネシアの町工場で作る。今日もタンブンにある、金型屋というより、工作機械を揃えている町工場に行ってきた。私が使う工場は三か所、一か所はチビトゥン、ここは、金型ではなくて装置を作ってもれえるように指導した会社だ。安くて性能が良い装置を作ってもらえるように、足しげく通って、技術を高めてもらった。巻き取り機、引取機、ナイフと丸鋸の自動切断機、スパイラルカッターとナイフ自動カッター一体の引取機などである。

目的の技術指導は仕事をしている会社のインドネシア人に留まらず、サプライヤーに対する技術指導も当然含まれる。高価な装置を入れるのは簡単、ただし、その会社の負担がおおくなるし、固定費が上がることで、製品の売値も高くしなければならない、会社に対する貢献、客先に対する貢献という意味では、満足できない。できるだけ、身近から安い装置を入れれば、貢献できる可能性も高くなる。金型についても、何社かの内、あそこは、図面通りに作ってもない、必ず不具合がある。だから、安くても、頼まない、こちらは、価格が高いが、図面通りの金型を作る、だから、こちらから買うことに決めている。それでは、その人の能力が足りないために、高い金型を使っているということになる。指導する能力があれば、安い会社から、当たり前の金型を購入できるはずだ。

 

ということで、金型は主に、一番安い会社から購入している。場所はチカランの西の端、チビトゥンとの境に近い。経営者はまだ40歳くらいだが、意欲的に最新装置を導入している、どこ製か、中国製である。従業員も学校を出て間もない人が多い。ベテランは全くいない。三年前からの付き合いだ。どうして、見つけたかって、従業員が住んでいる地域なので、従業員からの情報で知った。

 

で、最近は一週間に一回以上でかけていっている。ジャバベカ1の中を通ってゆく、一番の近道である。今日の帰りは、その道を通らずに、コタ チカランを通ってみた。リッポチカランは20年くらい前からの新興の町、コタ チカランはジャカルターチカンペック高速道路、の北側だが、かなり離れている、国道沿いの町。そのまま東へ向かうとルマーアバン経由チカランに達する。パサールの向こうにショッピングモールが見えるが、モールは、唯一ここだけだ。

 ブアタン メイドイン 製

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(^_-)-☆侵略は事実 

2013-05-20 21:45:31 | 行きすぎ

1585 私が生まれた時にもやっていた戦争は、明らかに侵略戦争。その痕跡は各地に点在する。日本にないものねだりで、太平洋、アジア各地に武力で進出しようとした戦争を、それらの地はまったく、歓迎していなかった。大東亜共栄圏などとは日本軍が勝手にトナエタスローガン、各国にとっては迷惑そのものだった。

どうぞ、お出で下さい、そして、私たちの植民地支配から解放してくださいとは言っていなかったが、当時の気ちがいじみた、勝手な独走で、日本国民も同調せざるを得なかった、日本全体が、その流れに逆らうことができなくなる状態までになってしまった。もはや、敗戦をしなければ、その状態から抜けられない状態にまでなってしまった。敗戦は日本を救ったと思う。

 

私が何故、東南アジアでその国の人々のお手伝いをしたかったか、しなければならないと思ったか、私の父(日本軽金属で飛行機の材料を作っていたので戦争には行かなかった)や祖父の時代に、迷惑をかけた、子供の時からそう思っていた。いつか、その地域の為に役立ちたいと思っていて、それを実行したのです。

 

何かというと、日本は欧米の植民地を解放してやった。だから、感謝されている。という人がいる。それは、結果として、日本侵略がその機会を与えたのは確かだが、当時の日本にはそういう善意の考えはなく、資源を求めたのです。欧米諸国に持っていかれてたまるか、自分たちのものにすると、押しかけたのです。

 

そして、初期の勢いで、多くの東南アジア地域に軍隊が攻め込んで、一時期、日本の軍政下において、資源を持ち出す段取りに掛かったのです。その痕跡は各地に残っていて、現地の人々との壮烈な戦いの痕跡も残っている。モニュメントには日本軍が現地の人々を力でねじ伏せている姿が残されているし、日本軍を追い返した戦果の姿も残されている。そういう場に出会うたびに、ここでも、日本軍は酷いことをしていたんだと、悲しくなる。

 

ハシシタだかハシモトだか知らないが、従軍慰安婦云々で自己主張とかを、むきになってしているが、滑稽である。そんなことは日本軍がやった酷いことの、ほんの一部に過ぎない、もっとひどいこと、書きにくい、言いにくいことを、山ほどやっていた。前都知事のイシハラも後期高齢者なおだから、少しは、良識を持ってほしいものだと思うし、イノセ?何?このおっさんも、日本人として恥ずかしい存在だと思う。どいつもこいつも、自己中心主義で間違った認識を持っていて、それが、時々、本音として、外に出てしまう。政治家なら、世界中の情勢を認識して、皆さんに不快感を与えないように気配りをしてほしい。

東京オリンピックは私が大学三年の時だった。新幹線もその年に走り始めた。国を挙げて歓迎した。オリンピックなど、その時だけで良かったのです。他の国や都市に機会をあげればいいのです。無駄な金を使いたがる人が日本の政治家ですね。

 

先ほどのゴルフ場、疲れて食事後、直ぐ寝てしまい、目が覚めたのが20時前だった。

今、香川が出ているので、眠れない。

侵略 資源 乱暴

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(^_-)-☆交通違反

2013-04-07 23:00:00 | 行きすぎ

 1542 私が最初に交通違反で捕まったのは、1997年 パサラヤ ブロックM 当時は西部パサラヤと言っていたデパートの東の道を南下していて、パサラヤを過ぎたところを右折したパサラヤの南に出たところで、白バイの警察官に呼び止められた。ジャラン ファットマワティ方向に向かった時でした。何故捕まったのか分からなくて、きょとんとしていたら、先ほどの交差点ではバスしか右折できない、と言われた。なるほど、前も後ろもバスばかり、ここは道はバス専用道路ではないので、その道の左側からはバス以外の車も入ってきていた。そこで、確か、当時まだ、20Rpが一円だった。4万Rp(約2千円)払った。

それから、ジャラン ファットマワティに左折しようとしたら、警察官が何人か待っていた。まずい、ここは、バスしか左折できない、と、気が付いた。左折しかけて、ハンドルを右に切って直進した。そなまま、100mくらい行ったところに、バイクに乗った警察官が私に車の前に出て、止まれの合図、曲がっていないだろ、と、言っても、だめだった、また、4万Rp払った。10分ほどの間に二回捕まったという、お粗末な話。

 

10数年間で、10回以上交通違反で捕まっているが、ここ、二年ほどは捕まっていない。最後は、タシクで一斉免許証とSTNKといって、車検証ではないが、それに近い納税証明書の様なものチェックで呼び止められ、その証明書の期限が切れていたとして、40万Rpふんだくられた。その車はレンタカーだから、請求はレンタル会社にしてほしいと言ったが、認められなかった。後にその金額はレンタカー会社から受けとった。

 

そんな、これで捕まるのという、ことは色々あったが、一旦捕まったら、言い訳はきkない、大体、50万Rpと吹っかけられる、ネガをしても30万Rpくらいにしかならない。

 

ただ一度、車でバリに行った時のこと、北海岸沿いの町を通過するつもりで直進をしていた。すると、突然、交番風の警官詰め所の前に立っていた警察官が、止まれの合図を出した。何事かと思っていたら、この道は進入禁止で、手まえの交差点で左折しなければならなかったらしい。一方通行の道を逆走していたのでした。

ところが、私の免許証を見て、“どこから来たのか、どこまで行くつもりか、一人で来たのか”などの質問をする。こりゃ、罰金の話は出ないなと、感じていたら、案の定、ここで、Uターンして、前の公差点まで戻りなさい、と言いながら、前から来ていた車を静止してくれて、Uターンをさせてくれた、気を付けて行きなさいよ、と、手を振っていた。こういうこともあった。観光客は大目に見るのかなと、思っていたところに、

昨日のテレビ、クタ海岸近くの交番での映像、ヘルメットをかぶっていないでバイクを運転していた観光客が20万Rp払わされた、その内容がお粗末、ビールを飲もうという話になって、その警官がその罰金の一部でビールを買いに行って戻ってきて、ビールを飲み始めた。やっぱり、バリの警察もジャカルタ付近も、中部ジャワでも警察官はみな同じ、とにかく、違反者は金ずるといしか思っていない。ま、こんなものでしょう、インドネシアの警察官は、というより、公務員全部が。

 

 大井川鉄道 沿線の思い出。音に関する博物館、SLの撮影をする人が沿線にむらがっている。特に桜の名所には、SLと満開の桜というタイトルの写真を撮りたいのです。

違反 交通 罰金

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(^_-)-☆また、戻った

2013-04-01 22:19:28 | 行きすぎ

 1536 またまた、インドネシア、今朝、6:20に家を出発、今回は、娘がいたので、タクシーを使わずに済んだ。見送りも家の前ではなく、静岡駅でした。

充電の電源を捜すのが一苦労、電源はHPやPCのバッテリーチャージ用ではなく、空港の床の掃除道具の電源用にところどころに有っただけでした。この点で、成田は今まで遅れていたが、少しずつ増えてきた。成田第一に電源差し込みの数が増えていた。

 

今回の荷物も28.5Kg 実際は30kg以上あるはずだ。HEAVYの赤い荷札が付けられた。自分のための物は少ない。一番重いのはイイチコ1.8L5本これだけで9kg以上、日本茶徳用袋1Kgが2袋、米麹1Kg2パック、美白だか艶出しか知らないが、頼まれた化粧クリームが5個で0.5Kg以上、イカの塩辛0、5Kg、合計15Kg以上、これらは全部、インドネシアにいる日本人に頼まれたものです。仕事に関する工具とか、小さな装置、金型は自分のためだが、会社のための比重が大きい。純然たる自分の物は、黒はんぺん6枚1パックを10パック、ワサビの葉と茎の佃煮、150g×2パック、多分この半分は他人に分けるので、自分のためは、5パックと1パックになる、それと、お餅も焼けるトースター1台。

 

それで、今回も、重いからといって、追加料金という話は出なかったし、ジャカルタの税関でもチョークのチェックマークを付けられなかった。こう、何回もチョバして、いずれも、お咎めないということなので、私が保証するわけではないが、紙パックのお酒なら6本までOKになっているし、バゲジの重量もエコノミーは20Kgの制限になっているが、30Kg程度までは何ともない。私は他の航空会社でテストしたことがないので、もしかしたら、いずれも、ガルーダだからの特典かもしれない。ちなみに1年前くらいから、シルバーになっている。

 

スカルノハッタについて、タクシーをどうするかだが、今回は、何も考えず、なにもしないで外に出た、出たところに、何人も、タクシーか?と尋ねてくる人種がいることを知っている。あれは、場所取りの順番があるのでしょうか、首から何やら許可証を下げている、一番先に声をかけてきた青年に、行き先を言って、費用を尋ねた。35万Rpで高速料金込みだという。価格が良心的だったので、それに決めた、運転手も彼も、トップの要求はしなかった。あれ程度なれた人でなければ、勧めないが、インドネシア人にとっては一般的なタクシーの使い方だと思う。

ちなみに、リッポチカランから空港まで、ブルーバードのメーターでは約25万Rp、高速料金は1.6万Rpプラスです。

長旅 疲れ 重たい

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(^_-)-☆直管LEDランプ

2013-03-29 23:14:56 | 行きすぎ

 1533 これの規格?が良くわからない。LEDランプに変えるときには、今まで使っていた蛍光灯ランプと、単に交換するだけでは、どうも、問題があるようだ。

相当詳しい人でないと、日本規格や国際規格、従来の蛍光灯の装着器具の種類やどういう装置が付いているのか、それらのどこかを改造する必要があるとかないとか、電流を片側からとか、両側からだとか、それらのことを説明して、的確な取り付け方法を素人が理解できるようにすることは出来ないでしょう。

私がホームセンターへ行って、LEDランプを買おうとし、照明の掛かりの人を呼んで、LEDランプ取り付け用の器具と一緒に買いたいと言ったら、専用は無いという。それでは、蛍光灯の取り付け装置でLEDランプと交換できるタイプを一緒に買いたいと言ったら、LEDランプが何とかタイプだから、この装置で使えますと、示してくれた。改造する必要があると聞いたことがあるが、これは改造しなくていいのかと聞いたら、多分大丈夫という、安定器が付いているのか、付いていたら、外さなくてもいいのか。聞いてみたら、これも、安定器とはなに?という顔をしている。

 

装置にLEDランプが既に付いていてセットで売っているものがあった。これは、ランプの両側の取り付け部分の形が、違っていた。ランプの断面のタイプが一目見ただけで、違いが分かる。このタイプのランプは、取り付け金属に電気は流さないので、蛍光灯装置の取り付けられるLEDランプは、取り付けることはできない。そこで、このタイプのランプのランプだけを売っているのか、聞いたら、置いていないという。寿命が十万時間以上だから、交換の心配はいらないという。何かをぶっつけで、破損する可能性もあるし、W数の違うランプに交換したいと思うこともあるでしょう、と言ったら、黙ってしまった。

 

 ということで、色々の規格があって、取り付け方法もいろいろあって、売る人もその知識がなくて、あまり、責任を取れそうになかった。係員もあまり購入を勧めていない。買っていったお客さんから、取り付けられなかったと言って、返品される例も有るらしくて、それも、何故、取り付けられなかったのか、理解できていなかったようで、あまり、売りたくない態度だった。品揃えも蛍光灯の十分の一も無かった。

まだ、一般住宅には浸透していないようだった。今のところ、大量にランプを使う建物、例えば、オフィスビルやホテル、ショッピングモールなどを新築する時に装置とランプ一体で取り付ける、そういうところで使われているらしい。価格も高いし。

 

 蛍光灯タイプに付けるのが安いに決まっているが、どうでしょうか、本当に分かりにくい。それと、ハンドホーンもそうだった、その他にも色々ある、日本の規格が国際規格と違うというのは、どうにもならない愚かな業界だと思う。間違いだったらごめんなさい、とにかく、よくわからないものだから。こういう点では、後だしの国々の方が、様々な規格から一番、優れた方法を選んで規格化出来るので、有利だと思う。

 とにかく、説明書きを読んでもよくわからない。

 

 自宅から

 規格 融通 不適当

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(^_-)-☆孫と一緒

2013-03-20 22:18:18 | 行きすぎ

 1524 成田に降り立った時の気温は、私にとって最適だった。17℃でした。静岡駅に降り立った時の気温はなんと28℃,暑すぎる。後で知ったが、日本での今日の最高温度だった。13:00頃、家に着いた。

東京でも静岡でも上下真っ黒の服を着た人々が目についた。多分、卒業や終了式の帰りなのでしょう。新幹線のホームも異常なほど黒が目立った。小学校は今日から春休み、4月から1年生になる下の子も幼稚園の卒業式だったそうだ。家に着いたときに、二人とも飛びついてきた。これから、十日間の複雑な気持ちの生活が始まる。それがわかっていて、帰ってこなければならない、しがらみがる。

 

またまた、新聞を開いたらいきなり南海トラフ巨大地震?の被害想定がどれだけ?最大死者、不明が35万人と想定?いい加減にしてよ、有識者の皆さん、私は有識者ではないですが、そんな想定はどこから来るの?どんどん、ふくらませば、いいというものではないでしょ。前代未聞の東北大地震、津波でも1万5千人くらい?関東大震災、火事で亡くなった人が大部分と聞いているが、10万人以上だった。それに比べて、なに?今回の想定、面白いのは、死者を10人、20人とか50人と想定されている地域がある。どこで、その人達、よっぽど、運が悪いのでしょうね。

最大があるなら、最低の被害想定をしたら、どれほどで済むのでしょうか、発表してほしいですね。それと、最大と最低の中間の平均値も出してほしいですね。出来れば、出来ると思いますが、死者行方不明者、被害総額や全壊家屋などの数字を正規分布で表してもらいたいですね。σも自動的に出るでしょう。

 

もうひとつ、今回発表には、時期についての予測は無かったようですが、マグニチュードと時期の相関があれば、それも含めて、起きるか確率を年ごとに向こう50年間、グラフにして出してほしい。2014年は何%2015年は何%2033年は何%といった具合にです。それに、Mいくつというのも付けてほしい。

都道府県ごとに出してもらえると、なおいいですね。

 

というのも、静岡県の人たちの多くは、すでに30年以上前から、東海地震がいつ来てもおかしくない、明日来るかもしれないと、警告されていて、そのつもりにならされて、色々な対策や訓練をしてきた、今は、相当、熱が冷めて、“少年とオオカミ“状態になっている。静岡に起きなければならないはずが、奥尻、神戸、長野、新潟、福岡、そして東北、半端じゃない被害の大地震と津波が襲っている。それらの全てが、静岡の様な何年以内に何%の確率で起きるという予測というか警告が無かった。この、いい加減さ、ていたらくさは、有知識者の反省を呼んだのでしょう。これではいけないと、思わされたのでしょう。そこで、彼らは、泥縄的に、そして、大きく想定しておけば、何かを言われる心配が少ないと思いようになったのです。大衆もその方が、やはりそうかと思ってくれると思うようになったのです。マスコミもその方が喜ぶと思うようになったのです。

 

とにかく、有識者の予測は、無駄使いをしているだけではなく、これからも無駄使いを増やそうと言うだけで、何の利益にならないし、幸福にも繋がらない。バカバカしくて、全文を読む気になれない。

 

 日本、早春の風景

 

無意味 戯れ 数字

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(^_-)-☆監獄島

2013-03-12 22:29:53 | 行きすぎ

 1516 ヌサカンバンガンです。友人とその娘さんが来ているので、一緒に、早朝から、ヌサカンバンガンへ行くことにした。目的は無人島のような場所で、野趣豊かに、そして贅沢な食事をするためでした。

 http://otaenplaext.net/newpage21.html

6時に西海岸から出発、半島の先端を迂回し、東に向かう。怪しい天気から、小雨模様になり、そのうち、ちょっと大粒の雨が降り出した。行程の中間ほどでした。これは、もしかしたら、斬斬な目に会うかもしれないと心配したが、運がよいことに、島へ近付くに従って雨が小降りになってくれた。海岸へ着く前に、漁師の船に近付き、ロブスターを売ってくれと話しかけたら、持っていて、売ってもいいよということになり、交渉の結果、1Kg35万Rpで、手に入れた。

 10年以上前には10万Rpだったのに、かなり、高くなっている。また、ロブスターの価格について、その種類によってKg15万~75万Rpと大きく違うことを今回初めて知った。しかし、それが、私にはわからない、種類を知らないのです。バトゥとかムティアラとかバティックなどがあるらしいが、それだけではない。これは高い、これは安いと言われても、何が何だかわからないので、とにかく、そこにアルロブスターで一番安い種類を買うことにしている。味の違いを私には感じることができないし、すべて、美味しいと思うからだ。とにかく、洋上取引によって、ロブスターは手に入れた・魚は出発前に米やアクアなどと一緒に買って持っていた。

 火をおこしたり、調理をしたり、コメを炊いたりするのは、私たちではなく、地元のガイドと小舟の持ち主たちです。私たちは、そこらあたりを散策したり、泳いだりしていればいい。1時間ほど後に料理が整って、食べましょうということになる。私は何回も色々な人を連れて入っているので、それほど感激はしないが、初めての人は、こんな、ぜいたくな経験で出来ることを感激してくれる。

 

 焚火の中に生きたロブスターを放り込んで焼いて食べる。気の毒に思うが仕方がない、次第に赤くなってゆく、少し覚まして、手でちぎるように殻を剥がして実を出し、そのままかぶりつく、それだけでも、この雰囲気で食事をするだけでも、味のことはどうでもいいが、味も本当に美味しく感じる。醤油を待ってくる人が多いが、これも、美味しさを増すには効果的だと思う。ワサビやショウガをすった物を持っている人もいた。それぞれ、満足するようだ。

 何度、経験してもいい物だ。

 

 満足して帰路に就く、半島へ戻ったのは12時過ぎだった。シュノーケリングを楽しんで、多分、これにも満足してもらって、その日のメインの行動は終わった。

 

 今日の夕日も綺麗だった。バトゥ フューでした。

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00087.html

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00086.html

贅沢 感激 ニクマッティ

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(^_-)-☆カキリマ村

2013-02-28 23:11:47 | 行きすぎ

 1504 日本のコンビニの進出が盛んで、日本にある大手のコンビニは全て進出している。インドネシアのコンビニはインドマレットと   だが、いずれも店舗面積が100平方メートル以下で小規模だ。日系企業のコンビニは、その倍以上ある。もうひとつの特徴は、店の外にオープンテラスがあることで、若者が店で買った物をそこで、くつろぎながら、飲んだり食べたりしている姿が、今時という感じでしょうか、日本には無い姿だが、いい考えだと思う。マックやKFC、ピザハットなどは当然、日本と同じようにオープンテラスはあるのが普通。

 

これらとは、対照的に、インドネシア伝統の外食産業がある。その特徴的な場所、帰る途中にある屋台村の様な、カキリマが集合している場所に寄る。日本人など、外国人は、こんな場所にはいない。言葉など、インドネシアに馴染んでいる人でないと、なかなか、立ち寄れるところではない。ここからは家までそう遠くないので、ここで食べないで、家に持って行って食べる。レストランで、残したものをブンクスするのとは違う。最初からブンクスしてもらうのです。一般のワルンやレストランでも家の人の為に自分が食べるものと別に注文して、持って帰るシステムは日本もインドネシアも同じです。日本の場合は、何でもできるというわけではないでしょうが。

 

 朝、お粥ブブールbuburを近所のカキリマで買っている姿を良く見る、家では朝食の用意をしないで、外で買って、家で食べるというのが、一つの習慣になっている。日本では、こういう習慣は全くないでしょう。

 

 まともな、台所がない家が多いし、下宿に住んでいる若者も多い、家で朝食を作る習慣は無いのではないかと思うくらい、皆さん、朝早くから、外で買う人もおおいし、会社の塀の外に来ているカキリマで仕事の前に食べる人も多い。一昔前には、朝食を食べない人の方が多かった。だから、会社へ着いてバスから降りた途端にピグサン(気を失う)してしまう従業員が珍しくなかった。今は、それほど多くないし、栄養失調と思われる従業員も見当たらなくなった。

 

 開発中のLED直管蛍光灯タイプのPCカバー、透明や乳白色、発光顔料などを試している。 

 食事 調理 外食

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(^_-)-☆世界レベル

2013-02-15 22:20:10 | 行きすぎ

 1491 また、今年もやってきた。Hari Kasjh Sayangこの場合、サヤンは“愛しい気持ち、愛しい人”という意味、カシーは、与えるとか、贈るとか、捧げる、という意味です。自分の子供をサヤンと呼ぶ親も多い。

セント バレンタインズ デー、インドネシアイスラムもキリスト教の分派だから、この日を若者は楽しみにしている。テレビでは特集が組まれている。毎年、春節に紛れ込んだ感じのショッピングモールのセールスだが、イスラムの人にとって、春節は関係なし、バレンタインデーの方が重要である。

毎年、バレンタインデーにはこのことを書いているが、年々、盛んになる。ピンクや赤系統の花やハート形をしたお菓子を送ったり、一緒に食べたりする、バソBaksoもハート形が登場する。女性から男性へというのは無くて、誰から誰へでも贈りたい人に贈ったり、一緒に楽しんだりする日として、何も決まりはないので、贈る範囲がだんだん増えているようだ。知らないが、中近東のイスラム国家ではこんなことは無いでしょうね。

 

イスラム教は、キリスト教から分かれた枝ですよ。本当ですよ。だから、アダムとイブが人間の始まりだよ、お祈りの最後にアーメンと言います。

 

話は飛ぶ、夜明け前、3時ごろから、マンUとマドリッドの試合をRCTIで見た。香川選手の活躍を楽しみにしていた。残念ながら、活躍どころか、試合に参加していなかった。参加できなかった。明らかに、戸惑っていた。度肝を抜かれていた。気後れしていた。日本、期待の星には違いないが、世界最高峰レベルの試合には、能力が届いていないようだった。レベルの違いを感じたと思う。うまいだけではなく、積極的に競り合いをしかけて、負けない、圧力が必要に思う。と、素人は思う。

 

試合は、マドリッドがボールを支配している時間が長かったし、攻め込んでいる時間が長かった。マンUが先制したとはいえ、よく、一点だけに抑えたと思う。判定は無いが、判定で勝敗を決めなければならないなら、明らかにレアル マドリッドに旗が揚がっているでしょう。マンUは良く、ドローに持ち込んだと思う。

 

それにしても、ロナウドという選手、素人の私でも、すごい能力を持っていると感じる。力強さ、体力、技術とも、超一流とは彼の様な人を言うのでしょうね。メッシが柔ナラロナウドは豪でしょうか。

 

ホタルテープ。

贈り物 気持ち 大切な人

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