2600 久しぶりに三津シーパラダイスへ、沼津のインターから南下し、沼津の町を通り、狩野川を渡り、なお南下する。ちょっと、40年以上前に独立した時の工場に寄ってみたくなって、本線からわき道にそれて、行ってみた。志下(シゲ)という地名だ。周りには干物の工場が沢山あって、ちょっと臭かった。今はどうか、季節ではないかもしれないが、臭くはなかった。50坪ほどの貸工場、並んだ、奥の方だ。ここで、ポリカペンダント用のPCチューブを冬でも曲げてもクラックが入らないチューブを工夫してつくった。おかげで、1ラインで、毎月4トン(900円×4000Kg=360万円)の原料を使い、700万円程売り上げた。また、オンラインでの6ナイロン面取りスパイラルチューブも日本で初めて作った。
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孫と一緒だったが、彼女たちにとっては、何の意味もないことは分かっているが、ここが、おじいちゃんが、会社を作った場所だよと、つぶやいた。
そこから、なお南下し、三津シーパラダイスへ、お決まりのイルカショーそして、餌やりなど、彼女たち、二回目だが、初めてのように、十分、楽しんだようだった。私も、十分、満足した。昼食は、彼女たちの希望でパスタ、大盛を注文、すごい食欲、数年前には、フライドポテトで十分だったのに。こいつら、遺伝子、四分の一かあと、眺めてしまった。
なお南下し、大瀬崎を通過、土肥に向かった。フェエリーで帰るためだった。14時半過ぎに港に着いたが、10分ほど前に出港したばかりだった。次は17時20分だという。さてどうしよう。すぐ近くの金山跡へ行ってみた。私は眺めていたが、砂金採り体験に夢中、時間を十分、つぶすことができた。老眼では見えない、小さな金をいくつか手にして大喜び、家について、第一に報告したことは、そのことだった。私は、何より金は重いってことを、比重の概念を理屈っぽく,おじいちゃんは物知りだぞと、彼女たちに話してやって、分かったかどうか、自己満足した。
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フェリーの中も、追いかけっこで走り回っていた。そして、それを見ていて、おじいちゃんをするのも、そんなに長い期間は残っていないなと思う。二三年すれば、相手にされないだろうなと思う。
孫 元気 遺伝子