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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆公平?不公平?

2012-06-30 22:08:28 | 行きすぎ

  1262 06:00前には出発して12:00前にチカランへ戻った。ジャバベカにある会社でのミーティングに間にあった。

 

漁夫の利を得たのは当然、自公民である。原発のことも、財政赤字の膨大さも自公民に責任がある。しかし、民主党が貧乏くじを引いてくれた。

 

かなり、がちがちの話になるが、国や地方の収入は幾つかあるが、その主な一つが税金です。日本の税制は公平か、不公平か。所得税の累進課税がどうか、所得の捕捉は確実にどの仕事、業種、地域などで100%出来ているのか、滞納の追及はできているのか、特殊法人や宗教法人などはどうなっているのでしょうか、それだけをとっても、公平か不公平かと言えば、ごくごく一部の人を除いて、得していると思う人、公平だと思っている人はいないのではないでしょうか、私も公平ではないと思う。

 これに、配分や使い方が絡んでくれば、なお不公平感は増すはずです。税金を払っていない人まで、不公平を感じるでしょう。納めているが、その税金より、多くの補助を受けている人達も不公平を感じているでしょう。

 そこへ、消費税という均等税?が絡んでくれば、話はどんどん複雑になってきます。直間比率がどうだとか、何%が妥当か、課税の例外の範囲はどうか、納税の免除の範囲はどうか、還付制度は、どれ一つとっても、なるほどとは、誰もが納得しないでしょう。消費税の使い方、配分も問題になる。

複雑怪奇の世界ですね。

 

その上、健康保険や年金、失業保険の制度もどうなっているかわからない人の方が多いはずだし、妥当だと思っている人は一人もいないと思う。

私などは、全てが不満です。不公平だと思います。それでも、何十年間で私にしてみれば膨大な金額を公共に収めました。今も納めています。社会保険も健康保険も最高限度の金額を払い続けました。しかし、年金は妻の方が多く受け取っています。

50年くらい前に奨学金でお世話になりました。医療保険は使っていますが、年平均すれば胃がんの手術を入れても10万円に至っていないと思う。失業保険を受け取ったことはありません。仕事で色々な補助を受けたこともありません。

私が納めた税金はどこでどう使われているのは知りません。どこかで、お世話になっているのでしょうか、思い当たる節がありません。何秒間の出入国のスタンプを押してもらうことくらいでしょうか。だから、日本の制度はどうでもいいのです。何十年も。選挙で投票したこともありません。自立しているから、どうでもいいのです。

 

 結局、納める人も、納めない人も、配分を受ける人も、受けない人も、公平だと思う人はほとんどいないでしょう。

 そんな中で、政治家という人達は、自分の考えが正しい、公平だと主張するのでしょうね。だから、政治家の数だけ、国民の数だけ、公平感の違いがあるのです。そして、誰もが、不満なのです。

 

 専門家でもない、日本にほとんどいない私が思うことでした。

パンガンダランのセントラル ストリート、エスドリアンのカキリマが商売状況を話している、両側は、土産物の衣料品の店、と私の前を横切った栗毛のアンドン(馬車)

 収入 支出 公平

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(^_-)-☆漁夫の利 

2012-06-29 22:07:19 | 欲望

 1261 恒例のラフレシア探し、三日後くらいに咲くだろうと思われる蕾には沢山会ったが、残念ながら、きれいに開いた花に会えなかった。それでも、ジャングルの中を歩き回るのは楽しい。様々な植物、日本では多分、ほとんど見ることが出来ないものばかりだと思う。鳥は、声だけ、何種類も聞こえてくるが、姿を見ることはできない。今日は、大学生の集団が教授と一緒に鳥の観察に来ていた。望遠カメラを三脚で固定し、その方向の木に鳥がやってくるのを待っているそうだ。ジャカルタから来たそうで、大学の名前を聞いたが忘れた。朝、8時ころに会って、ジャングルから出て来た時が11時、その時もいて、夕方、5時ころまでいるそうだ、ご苦労さん、好い写真が取れるといいですね。

 

 日本の政治には全く興味がないが、今回の消費税増税の法案?が衆議院を、自民、公明の賛成を得て、通過した。良かったと思う。いつになるか知らないが、衆議院の解散総選挙になれば、自民、公明グループが圧勝するでしょう。そして、消費税は、上げるでしょう。自民、公明は野田さん様々でしょう。消費税については、もともと自公民が上げようと画策し、その度に、大批判を受けて選挙に負け、リーダーが失格していた。苦い思いをしていた。

欧米では何十年も前から20以上の消費財がある。国民はそれを下げろとは言わない。社会福祉の充実という意味で、国民全員が相応の負担をしなければならないと思っているからでしょう。自民公明は同じようにしたいと思っていたが、民主党の反対によってそれが出来なかった。前回の参議院選挙で自公民は民主党のだらしなさの助けを借りて大勝した。その流れはもっと強くなっている。ここで、消費税増税に反対する理由は無いどころか、手を汚してくれるのは野田さんだからありがたい話である。

何年も前から、税収を確保するための手段としては、確保したかったのでした。

野田さんも硬直を打開したという意味で大満足でしょう。

マニフェストに拘った、小沢さんは、政界からほとんど消えてしまうでしょう。気の毒なのは彼と彼にくっ付いた人達でしょう。選挙の後は、多分、ほとんどの人は政治家ではなくなるでしょう。仕方がないことです。主流から逸れて支流に流れ込み、やがて、地面の下に消えてしまうことを選んでいるのだから。小沢さんは自民党から飛び出したころはまだ若かったし、地道に政治をしていれば、多くの人が付いてきただろうし、田舎のことだけにこだわらないで、都会の人達の考えを取り込み、日本全体のこと考えていてれば、日本の政治を担う人になっていたでしょうが、とにかく、狭い範囲のことにこだわり過ぎている。それと、金の流れが問題だ。胡散臭い。田舎の政治家と言えば田中角栄さんを連想するが、どうも、金の使い方が垢ぬけしないというか、親分肌のばらまき主義というか、洗練されていないのが、政治家として認められない、不振を抱かれる原因でしょう。

先ず景気対策をなどと言っている人は、やはり日本の現状を把握していない人で、世界の流れを見ていない人です。インドネシアのゴミや汚職と同じで、日本の景気が下向きで一般民衆の実感は、景気が悪化する一方だ。その原因は、やはり、日本人だからです。ということは、今の日本人が、何をしても、景気回復を実感できるようにならないということです。当分の間、景気回復の手段は無いことを知った上で、政治にかかわる人が、今、求められていると思うし、主流の流れに乗る人です。

 

消費税はヨーロッパ並みに上げた方がいいと思う。福利厚生にその収入は限定して使えばいいと思う。

 

消費税 福利厚生 流れに乗る

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(^_-)-☆舗装急ピッチ

2012-06-28 22:06:46 | 環境

  1260 汚職の風土を無くすことはできない。イスラム社会だからではありません。ゴミが増える一方なのもイスラム社会だからではありません。インドネシア人社会だからです。アッラーは汚職を奨励していますか。ゴミをどこでも捨てていいと言っていますか。言っていないでしょう。宗教以前にインドネシア人だからチャンスがあれば汚職をしたいと思うのです。手に持っている不要なものは、手から放したくなったときにどこであろうと手から離すのです。それらのことで、罪悪感が乏しいのです。悪いことだという意識がほとんどないのです。オランダ領の時代にも同じことだったでしょう。

ということで、人が変わらなければ、状態も変わりません。ということは、永久にゴミは無くならないし、汚職も無くならないのです。そう思って対処する人が大統領にならなければ、どうにもならないということです。

“浜の真砂は尽きるとも、世にコルプシ(汚職)の種は尽きまじ“石川五右衛門

そこで、というか、今週はどこにいてもできる仕事ばかりなので、03:00に家を出て、また、パンガンダランにいる。金曜日、昼からチカランでミーティングがあるので、それに、間に合うように帰る。

学校が、まだ、休みだとかで、平日にもかかわらず、人出が多い。久しぶりにカランニニへ寄ってみた。何も変化は無い。この並びから見る、ヌサカンバンガンとチャガールアラムはそれぞれに若干の変化があって、魅力的だ。

 

ラマダン レバランに向けて、急ピッチで道路の修復をしている。特にパサールパンガンガランから西へ向かう道、グリーンキャニオンやバトカラスがある方向だ。やっと、雨季が終わったようで、砂埃が立ち上がる中、舗装が進行している。グリーンキャニオンまで、25kmあるがそのうちの10kmは済んでいる。インドネシアの舗装の仕方が気に入らない。道幅一杯に舗装すれば大型バスが余裕も持ってすれ違うことが出来る。だから、全く舗装してなければ、やはり、充分すれ違いの余裕がある。ところが、インドネシアの舗装に仕方は、全幅ににはしない。両側に1mほど舗装しないでおく。どういう理由があるのか分からない。だから、舗装した部分では大型車のすれ違いはできない。どちらかが、譲って、舗装から片側の車輪を落とさなければならない。また、普通車と大型車がすれ違い場合も多くはどちらかが譲る、一般的には普通車が避けることになる。そこまでは、良いとして、困るのは、その舗装の幅はそのままに、毎年のように舗装を積み重ねて修復する。舗装していない部分と舗装との段差が年々大きくなる。左に大きく傾くことになる。何センチまで段差が許されているのか知らないが、20cm位はざらである。ということだが、ムディックやハリラヤには舗装が間に合うことを期待するしかない。

舗装 レバラン 汚職

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(^_-)-☆キタス申請 

2012-06-27 22:07:27 | 環境

 1259 何度目かのキタス申請のために、本当に久しぶりにブカシバラットへ行ってきた。ここ10年以上、行く用事は無かったし、ゴミゴミしていて、渋滞も激しくなっているから、行ってみたいと思うこともなかった。今回は新しくできたカントール イムグラシでKITAS(住民登録証)申請のためにサインや写真撮影に行かなければならなかったからです。今までのカラワン イミグラシはカラワン以東だけになって、チカランはブカシの中だから、当然、ブカシの事務所へ行かなければならなくなった。先日シンガポールから戻った時に入国係官が知らなかったことでした。
 10年以上前には、ホテルホリゾンやフィラドゥアラトゥスVila200に日本人の友達が住んでいたり、従業員のコスが集中してしたりして、何かと、メトロポリタンモールと向かい側のヘロー辺りで食事をする機会も多かった。インドネシアで初めて“ホカベン”へ入ったのもここでした。当時でも、ごみごみしていて、あまり行きたいとは思っていなかったが、仕方がなく行っていた記憶がある。
 総合病院もミトラクルアルガしかなかった。今のようにミトラクルアルガもブカシティムールにできているし、チカランの旧市街にもジャバベカにもリッポチカランにも立派な総合病院ができているのでブカシバラットへ行く必要が無くなっている。
 とこれで、イムグレの場所、これが分かりにくいし、行きにくい。ブカシバラットのインターを出て左折し、ミトラクルアルがを過ぎた角で左折する。それが、病院の前の側道を入っていないと左に曲がれない、通りすぎてしまって、突きあたりまで行ってUターンし病院の前を通り過ぎてマタ、Uターンし病院の前を通りすぎ終わったところに確かに左へ曲がれそうな狭い道がある。車がやっと通れるくらいだが、二輪車が何台も駐車していて、危なそうだったし、その曲がった先200mくらい見通せたが、それらしき建物が見えなかった。そこを曲がらず、次の曲がれそうな場所を探したが。結局、また。突き辺りまで行って。同じように、また病院の前を通ったところで、そのあたりにいる人に聞いた。その、やっと通れそうな道の先だという。200mほど行くと道なりに直角に右へ進んだ、在りそうな雰囲気がない。300mほど行くと対向車線側に屋台と人だかりが見えた。
看板にIMIGRASIと書かれていた。ところが、右折できないので、そこを通りすぎて100mくらいいたところでUターンして、先ほどの看板の前に着いた。そこから入れるのかなと思ったら、それも違った。駐車場へはそん手前30mくらいのところで左折しなければならなかったらしい。また、そこを通りすぎて、Uターンを二回して駐車場と小さく書いた看板のところを左折してやっと駐車場に着いた。
 古い建物を改造して開業したのでしょう。全体が汚いし、臭いし、レイアウトというか人の控え場所も整理されていなくて、どこで待っていればいいか分かりにくい。外国人にとっては、戸惑うことが多いのではないかと思う。カラワンの方が全ての点で、使い勝手が上だと思う。
 ブカシ県の住民は全てブカシバラットのイミグレへ行かなければならなくなっている。一年くらい前からだそうです。私の前回は1年半ほど前だったので、カラワンでした。
 
ブカシバラット イムグレ 分かりにくい

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(^_-)-☆何故か分かっていない

2012-06-26 22:02:09 | 人間

  1258 ワーキングビザのステッカーがパスポートに貼られているので、今日から、胸を張っても張らなくてもいいが、作業服を着て、どこの会社へも工場へも出入りすることが出来るようになった。挨拶をかねて、世間の様子を探りに三社を訪問した。いずれも、旧知のインドネシアの仲間達です。それぞれが、10年以上の企業戦士です。

インドネシアでの生活は総じて快適である。危険や不安を感じることが全くない。物価が安い。ということですが、気に入らないことも幾つかあり、馴染めないことも沢山ある。

ゴミだらけの環境を作るし、渋滞も作るし、洪水が起きやすい街を作っている。11日のジャカルタ市長選挙に向けての選挙運動が開始されたが、その立候補者が、口をそろえて現状だけを言っていることである。しかし、原因については誰もが言及していない。解消すると言っているが、原因を言わないのだから、方法も言えない。原因は何か、インドネシア人だからです。それをわかっていない。だから、この三悪は悪化する一方です。

笑ってしまうのは、バスレーンを作った時もそうだったが、その効果がないのに、バスレーンを増やしたことです。死亡事故は増やしたし、渋滞の解消どころか、渋滞を増している。そして、モノレールは遺跡のように足だけ残して邪魔だけをしている。また。モノレール作りを始めたのかと思ったら、今道の上に道を作っている。カサブランカとパサラヤブロックMの付近である。現在工事中は勿論、渋滞を増やしている。そして、完成して使えるようになっても、下道の渋滞は以前よりひどくなるでしょう。そして、下道に用事は無い、上道を走った車は上道から降りる手前から大渋滞になってしまうでしょう。要するに、渋滞の場所を移動する効果しかないことは明白です。何かもこの調子、根本的解決なならないことは、明白なのに、工事をする。面白いですね。原因は、インドネシア人がすることだからです。

 外国人に知恵を借りて、予算の使用も任せなければ、解決することは多いと思うが、それでは、インドネシア人ならではのコルプシが出来なくなるので、外国人に任せることはしない。

 

 話は、変わって、私が生活していて一番危険を感じていて、一番注意していることがある。それは、タイルです。たいへん危険です。日本人が住む高級住宅もインドネシア人が住む中の下クラスの家屋でも、床と壁は総タイル張りです。カマールマンディー(トイレ、風呂)もダプール(台所)も例外ではない。滑りやすい。濡れているのが見えない。固いから、ひっくり返ったら一大事になる。風呂場が最も危険、酔ってシャワーを使って、ひっくり返ったという話は、何十人から聞いたかわからない。蛇口やバスタブや洗顔シンクにどこかをぶっつけたり、つま先を、いやといほど何かにぶっつけたりした話もよく聞く。ゴルフのドタキャンの理由では一番多い。私も何度も転びそうになったことがある。絶対、急いで歩かない、足を上げないですり足で歩くようにしている。万が一、ひっくり返って、後頭部も打ってしまっては、シャレにならないからである。

 何故、森林大国が、田舎や貧乏な人は竹やバナナの葉などで家を作っているのに、都市部や中流階級になると。自分の家に材木を使わないでしょうか。明らかに、モスレムの影響です。中近東のマスレムのタイル建築文化に影響されているのです。住みご心地がいいはずがない。木造建築の方が遥かに住み心地はいいはずだし、暑さ凌ぎにも植物材料を使った方が効果的なことは明らかです。しかし、危険で汚れが付着しやすくて、割れやすいいし、落としたものが壊れやすい床にするのです。宗教の影響を考えなければ、理解が出来ない。ハンドホーンを落としてばらばらになったことは何度もある。輪ゴムで縛って落ちた時のクッションになるようにと、蓋やバッテリーが飛び散らないための対策です。

直接、タイルに寝転べば冷たくていいなどという話はとんでもない。汗が床にくっついて気持ちが悪いし、そこが滑りやすくなるし、固いから、寝心地が良いはずがない。日本の私の家の住み心地より良いことは一つもないのに、何故、当たり前のようにタイルばかりの家に住むのでしょうか。

 この花、どこの?何の花?

タイル 危険 インドネシア人

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(^_-)-☆何人?

2012-06-25 22:36:45 | ゴルフ

  1257 私から見れば、皆さん、パプア人イリアン人の顔や体つきをしていて、どこの県の出身か、どこのの人か、などとは、全く分からないが、メラウケの人達は、その区別がつくと言う。彼らはアジア人の顔や体つきでどこの国の人かを区別できないと言っていた。しかし、私は、一人では区別できないかもしれないが、多分、5人以上の集団なら、日本人、韓国人、中国人、タイヤやインドネシアも含めて、100%近く、区別できる。

ゴルフをしていて、会う国の人は、インドネシア、韓国、台湾、オーストラリア、シンガポール、そして、日本人です。服装や態度、などなどで、どこの国の人か大体分かる。台湾、シンガポール、オーストラリア人は、少ないし、顔見知りなので、見分ける必要はない。勿論彼らなりの特徴はある。

日本、韓国、インドネシア人は各四人ずつ見ただけで、区別は100%つく。顔かたち、色、服装が違う。青から打つのは韓国、インドネシア、日本は白からです。態度が大きいのはインドネシア人、韓国人、最後が日本人。キャディの体に触りたがるのは韓国人、インドネシア人、日本人の順です。日本人でも結構、あからさまな人もいて、そういう人はキャディの間で、評判になる。

ショートホールでコールオンをするのは日本人。インドネシア人、韓国人の順、韓国人は後ろのグループが韓国人ならするが、日本人だったらしない。インドネシア人はキャディに促されなければしない。

私たちは、前の組のプレーの速さによって、前の前が空いてしまっている場合は、コールオンせれても拒否をする。前もって、前の組のキャディに伝えておく。私たちの全員がグリーンの乗せた時に、後ろのグループの様子を見る。サタンバイしていれば、コールオンをするが、準備をしていなければ、準備を促し、準備しなければコールオンしないでプレーを続ける。私たちのグループは前を空けてしまうことはない、むしろ、前のグループがティーショットをするのを、直ぐ後ろで待っている場合が多い。

 

韓国人の特徴は、比較として、パワフル、フォームもきれいで似ている。午後からプレーする人の大部分は韓国人。一日36ホール回るのも韓国人だけ。会話の声が大きい。怒っているように聞こえるとき結構ある。UVカットのクリームを塗りたくっている。Tシャツの下に長袖の下着か腕だけを覆う袖だけを付けていて、肌を保護しようとしている。

インドネシア人の特徴は、キャディとの階級差の意識をしている節がある。私には想像できない世界である。自分はボールを打つだけで、その他のことはしないという感じ。一番の特徴はホールに入ったボールを絶対自分では拾わない。キャディに何か要求する時には自分がキャディに寄ることは無い、キャディに来させる。自分は待つだけである。

日本人の特徴は?人数も多いこともあって、色々なタイプの人がいる。年齢差も、実力差も大きい、プレーの速度が遅い人に合わされるので、遅い感じがする。どうせ遥かに届かないのに、グリーンが空くまで待っている。打つ前に何らかの儀式をする、打つときになってから、素振りを何回もする。自分の番になる前に素振りはしておけよ。そういう人に限って、チョロっている。打ってもなかなか動かない。真っすぐ歩いてゆけばいいのに、横へゆっくり歩いてカートへ戻る。ボールを探す時間が長い。次に使うクラブを持たないでボールの傍へ行って、キャディ待ってくるのを待っている。使うクラブに迷いそうな所なら、二三本持って行けよ。そういう人に限って、キャディの責任にする。キャディもピン切りだから、すべて自己責任ですよ。

 

全てのことで例外はある。

三枚の写真、どの辺りかわかりますか。ソプ ブントゥットゥは量が少なかったが、味は普通においしかった。パサラヤブロックMの地下のフードコートでした。4万5千Rpは高い。

エンジョイ 特徴 ゴルフ

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(^_-)-☆ジャカルタ誕生日

2012-06-24 22:20:21 | 状況

  1256 八十何回目だそうだ。アンチョールでは連夜のコンサート、無料開放が行われ、クマヨランの見本市会場では一ヶ月間の物産展や催しが行われている。

ところで、多くのマスコミは、その際ということで、ゴミの放置の解消、交通渋滞の解消、洪水の解消のキャンペーンをしている。その他に沢山あるが、とりあえず、この三つだそうだ。しかし、何十年も前から、問題だったが、現状維持どころか、どんどん状況は悪化している。これからも、悪化の一途をたどるでしょう。ゴミのことは、誕生日と関係ないし、ジャカルタに限ったことでもない。インドネシア全土です。例外は無い。コモドが生息するコモド島でも、先日行ったばかりのパプアの南東の端っこ、メラウケも日本人なら、誰もが、顔をそむけてしまいたくなるほどの惨状です。人が住んでいる場所だけではない。山の中もジャングルの中も、人っ子ひとりいない海岸でも、必ずゴミはある。

ゴミはもちろんだが、渋滞も洪水も原因は人間です。その大きな一が汚職です。いくら予算を付けて対策しようとしても、施設の改良や堤防や水門や道を作ることやモラルの向上のための教育などなど、お金がかかることばかり、必要だから予算を配分される。しかし、実際に趣旨通りに使われるお金が一部分に過ぎない。道を作る、拡張する。ゴミ焼却所を作る、排水の機能をマヒさせないようにするための工事、それが、遅れ遅れになっている。車や二輪車の増加に追いついていっていない。ゴミ処理能力はゴミが増える量より能力が増える量の方が小さい。また、洪水とゴミは大いに関係がある。ゴミが溝に流れる水量を少なくしてしまっているのです。少なくするどころか、塞いでしまって、水が流れないようにしてしまっているのです。

今日もブカシバラットからポンドック グデ辺りまで渋滞、原因は、穴が開いた道路の穴埋め工事でした。

 ジャカルタの誕生日のテーマに沿って考えるなら。”風が吹けば、桶屋がもうかる“式に考えれば、”汚職がはびこれば、渋滞も激しくなるし、洪水も頻発する“ということになる。

 教育をしなければならないが、その前に教師や大人の教育をしなければならない。汚職は必要悪と思っているし、ばれたら、運が悪いと思うだけ。どう考えても汚職が撲滅されるとは考えられないし、ゴミの量が少なくなる日は来ないでしょう。アッラーも呆れてしまって、自分には関係ないと言っているのでしょう。

 

 土曜日もジャカルタの渋滞は酷いことは分かっているが、先ほど、思いついたことがあって、今日中に、手に入れたいものが生じた、そして、それは、ジャカルタの店へ行かないと売っていないと思われる。入手したものは二種類。日曜日と月曜日から使うものである。いったい何なのか、公開はしない。寄ったのは、グラメディアという書店とパサラヤブロックMの5回でした。

 

 スマトラ島アチェ州の最南部、トバ湖の西辺りの内陸部でM6,6の地震が11時半ごろ発生したらしい、というのも、私の場所は多分千km以上離れている。先日のスカブミの地震があったばかりでした。人的被害は報告されていないとか。

 

洪水 渋滞 ゴミ

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(^_-)-☆出入国時

2012-06-23 21:14:33 | 体験

  1255 スカルノハッタでの出入国時、イミグレで問題は無かった。しかし、私だから問題なかったと思うが、慣れない人、言葉が出来ない人、事情についての知識がない人、結局、普通の日本人が今回の私のような状態だったら、問題あり、だったと思う。幾らか払わなければ通してもらえない状態になるでしょう。
一カ月ぎりぎりでシンガポールへ行った人がイミグレで1万円払ったという話は時々耳にします。
 
出国時、先ず、二カ月、それもギリギリまで出国しないのだから、当然、“どこの会社にいたか”と、鎌を掛けられた。“仕事はしていない、どこの会社にも属していない、旅行だけだった“と答えた。彼は一枚目のステッカーだけをみて、”期限から、一か月もすぎている”と言ってきた。私はパスポートをめくって、もう一枚のステッカーを見せた、私は承知していたが、そのステッカーには期限の欄に何も書いてなかった。私もそれを見たときに、エージェントに指摘したら、なお、二ページ先にステッカーではなく、スタンプになっていて、そこには大きく手書きで期限が書いてあったのを確認してあった。だからそれも見せて、この通りだと説明した。彼は、納得した。”シンガポールでビザを取ってくるのか“と尋ねられたので、”仕事を頼まれたので、仕方がないから、引き受けて仕事をすることにした“と答えた。もうその時には、世間話調子になっていた。
 
今度は、入国する時、イミグレの兄ちゃん、私のパスポートをペラペラ捲りながら、新しいビザがないと、つぶやいた。私は期限切れのショートステイビザより前に空いていたページに新しく貼られたステッカーを見せて、“今日、シンガポールで、取って来たばかりだ”と言ってやった。“なるほど、そうか”と言っていたが、どうも様子が変、彼、そういう人間に接したことがないか、経験が浅いらしい。本当は、”どこに住むのか”と聞くべきなのに、”どこの会社で仕事をするのか”聞いてきた、それにだけ答えても意味がないので、”チカランで仕事をして、入国カードに書いてあるようにチカランへ住む”と言ってやった。”KITASはジャカルタか”と聞かれた。”チカランに住むのだから。ちょっと前ならカラワンだったが、ブカシバラットにイミグレが開設されたばかりだから。ブカシじゃないか”と、答えたというより、説明してやった。彼は、間違えて、ジャカルタ用のスタンプを押してしまっていた。慌てて、手持ちの自分の小さなバックから、イミグレの場所が空欄になっているスタンプを探し出して、別の場所に押した。私が言うことを信じていいのか心配だったのでしょう、当然です。他の列の先輩係員に“チカランはカラワンかブカシか、ブカシでいいのか”と聞いた、先輩係員はブカシにBaru buka(できたばかり)だから、ブカシでいいと答えていた。本人納得、空欄にBEKASIと、書いて、前のスタンプにキャンセルと書きながら、“間違いだったから、ブカシへ行ってください”と、説明してくれた。私は、そんなことは、こっちの方が知っているよ、と言いたかった。何も知らない人なら、ジャカルタのイミグレ行きのスタンプを押されたままになってしまうところでした。
 ショートステイビザ以外のビザの大きなステッカーが貼られた状態で初めて入国した時には、住む場所によって、どこのイミグレーションへ行って、その後の必要申請をしなさいと言うスタンプが押されることになっている。
話は変わって、ネット接続の環境、今回シンガポールで使ったターミナル3のフロアーのあちこちに、充電用のコンセントがある。個人ラップトップ用にテーブルや椅子まで用意してある。そして、差し込みの状態が、以前は三又のシンガポールだけの姿になっていたので、アダプターを使わなければならなかったが。今はそのアダプターを付けた状態になっているので、インドネシアのスタイルにも、日本のスタイルにも対応できるようになった。アダプターは必要なくなった。その上、ケーブルラン、ワイアレスランどちらも接続できるようになっていた。
それに引き換え、スカルノハッタノターミナルは、どうにもならない。ネットの接続、バッテリーチャージのことに限らないが、二十年以上の時代遅れである。新しい地方の空港の方が、シンガポールと同じというわけにはいかないが、使い勝手はいい。国の玄関口として、恥ずかしく思わないのが変。ターミナル3へは行ったことがないが、シンガポールのチャンギよりサービス充実のターミナルを作ってほしいと、誰もが思っているはずだ。

昨日の写真 http://otaenplaext.net/newpage30.html
2010年 旅記 http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage108.html
2010年 写真 ニュートン サーカス 
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage111.html
2011年 旅行記 http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0403.html
タワーホテル未完成 建設中
2011年 写真集 http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00089.html

出国 入国 イミグレーション

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(^_-)-☆シンガポール

2012-06-22 22:12:39 | 行動

  1254 何度目になるでしょうか、VISAの収得、仕事、観光またそれらがミックスなどの目的で15回ほど行っているかもしれない。今回はビザの収得のためで、当然ながら、日帰りである。

今朝のジャカルタ空港と22:00頃のウエルカム ジャカルタの象徴。

03:00に家を出て06:20発のガルーダでシンガポールへ、09:10到着、待ち合わせのホテルに10:00前に着いた。パスポートと入国した時に半券と写真を二枚渡して、それから、17:00まで、何をしようかなということになる。17:00過ぎに戻ったが受け取ったのは17:15でした。タクシーを捕まえて空港へ向かった。ターミナル3である。タクシードライバーからはターミナルいくつか必ず聞かれる。当然です。チャンギ空港は、着いた時のターミナルが幾つだったのか、覚えておく必要がある。同じ虚空会社でも一か所とは決まっていないので、タクシードライバーに便名を言っても意味がない。

18:10に空港に着いた。20.55SIN$でした。朝、ホテルへ行った時には、24,33でした。同じ場所から同じ場所へ反対に走っただけです。使った道は覚えていない。

20:20出発の筈が、20:50を回っていた。結局、家に着いたのが、23:30頃でした。駐車はお泊りの場所ではなく、一般の場所でした。17時間以上で4万4千Rpでした。

たったの一日、過ぎただけですが、家へ戻った日は、出発した日と違うような気がする。

 

シンガポールは、ほとんど、くまなく,回ってしまっているので、どこと言って、行くところがない。港にできた三つのタワーホテルの上に舟型の屋上が置かれている、スカイ何とかというところへ行ってみようと思って、先ず、マーライオンを目指した。オーチャードストリートを港の近くまで南下すれば、迷うことなく、マーライオンの対岸へ出る。そこからはマーライオンは勿論、タワーホテルの全貌も見える。マーライオンは口から水を出していない上に、周りを木の板で囲われていて、なにかの修理中なのでしょう。大勢の観光客が周りをうろうろしているが、気の毒に、本来の姿を見ることが出来ない。

港の方から遊覧船が登ってくる、かなりの数の船が行き来している。その行け手が川の上流なので、どこから、乗れるのか確認するために川沿いの散歩道を歩いてみた。すると、あったあった、船着き場に何艘かが係留されていた。そこの売店のおばちゃんが、私と顔が会うなり、一時間で川の上流とタワーホテルを往復するから、乗らないかと言ってきた。22SIN$だという。そのつもりだったので、直ぐチケットを買って、間もなく、何人かの客を乗せた船が遡ってきた。それに私一人だけが乗り込んだ。今まで、まったく知らなかったシンガポールの景色を見ることが出来たと思う。川にかかっている端のデザインが同じものは無い。Uターンして。下流に向かい。先ほど乗った船着き場を通りすぎ、マーライオンへ向かった。その足元の船着き場に着いたとき。船客でそこからのった人たちでしょう、その人たちだけが降りて行った。なお、港の出口の方へ向かい、タワーホテルの足元の船着き場に着いた。そこでも、何人か降りた。私も、もと、乗った場所まで乗っている権利はあるが、放棄して、そこで降りた。そして、蓮の花のような、博物館でしょうか、その近くへ上陸し、歩き回った。

人出はすごい。水陸、地下からも人がやってくる。広大な施設である、ショッピングモールではあるが、シアターやカジノやミュージアムも入っていて、全ての人種、世代に対応している。三つのホテルのビルへも行ってみたが、屋上へ行き方が分からなかったし、時間だ足りなかったので行かなかったが、この辺り、ベーエリアの賑わいはアジアの経済力を象徴していることを感じた。横浜ベイアリアと雰囲気が似ていると言えば似ている。ランドマークもそれぞれすばらしいと思う。

 

ところで、遊覧船は、22Sin$、1,500円くらいだが、そのコースから眺める風景は、乗ってみて良かったと思う。高層ビルや中華系の古い家屋や店、そして橋、ベイエリアまでの開放的な場所、魅力的な環境をゆったりと眺めることが出来た。観光バスで回る観光客は乗らないと思うが、自由行動なら、ぜひ、ミーハーになったつもりで、乗ってみたらいいと思う、私は、夜、利用したらもっと雰囲気がいいと思う。

 

 実に困ったこと、シンガポールの出入国カードの文字が大変小さい。つい、最近、シンガポールへ行ってきた人が言っていた。文字が小さくて読めなくて困ったと。私はそれを聞いて、私はまだ大丈夫だと思った。そして、老眼鏡を持って行かなかった。これが失敗、着実に老眼の度が増していた。こんなはずではなかったと思っても、仕方がない。本当に読めない、勘で理解しながら書くしかなかった。各内容はどこの国もほとんど同じはずである。とにかく、時間は掛ったが。何とかなったが。だいぶ焦った。老眼鏡の最大の目的は、製品を作るときに、寸法をチャックしたり、外観に何か問題は無いかと調べたりするためで、日常の生活に使うのが目的ではなかった。今後は必要かどうかを考えないで、いつも持っていようと思った。

 写真だけアップしました。

http://otaenplaext.net/newpage30.html

2011年 写真集 http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00089.html

 シンガポール 遊覧船 老眼

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(^_-)-☆動きが急 

2012-06-21 17:58:39 | 行きすぎ

 1253 この1カ月の間、人と会うためにリッポチカランのホテル サヒッドジャヤのロビーへ行く機会が多い。なぜかと言うと、私がリッポチカランから出たくないからです。話に内容は、私が頼まれごとを聞いたり、頼まれたことの返事をしたりすることなので、私から出掛けることは返って相手を恐縮させてしまう可能性がある。もう一つの理由は相手が、ジャカルタの拠点を置いていることです。自分が運転するので、渋滞がひどく疲れるし、時間の約束が出来ないからです。来ていただくことにしている。渋滞がひどいから、約束時間の二時間以上前に出発してほしいと言っておく。約束時間より早く着いてしまったら、連絡してもらえば、10分以内に行きます、と、言っておく。しかし、早く到着してしまった人はいない。平均二時間半かかっていた。ま、それでも、私がジャカルタへ行くよりは楽である。昼間高速道路の陥没を埋める工事をして、渋滞を作っている。チカランとMMの間で二か所である。

 

いつごろ完成、オープンしたのでしょうか、私が1996年8月に来た時にはチトラインとともに既に今の状態で会った。私はこの裏のクラウンコートに半年だけ、住んでいたことがる。そして、今でも、何かにつけて、この辺りに出没する機会が多い。10数年のインドネシア滞在はこの町周辺にいたし、これからも、この辺りが生活の本拠地になるでしょう。馴染みの街なので、他へ移る理由がない。

 

シンガポール行きのチケットを入手した。関係書類は既に送ってあるので、持って行って渡すにはパスポートと写真だけである。その写真が面白い、シンガポールでは背景が白でなければならないという。しかし、インドネシアのイムグレ関係は赤でなければならないという。そこで、背景白の写真を撮って写真用紙に印刷した。赤の方はPCで背景を赤に変えて印刷した。準備万端、写真に関しては全て自分で用意した。スンチンさんに見せたら、“私がやったのに”と、言われてしまった。とにかく、準備が間に合ってよかったと思う。

 

突然ですが、K-POPやJ-POPではない、彼女スタイルのPutri Ayu(プトゥリ アユ)とい歌手です。まだ、高校生で歌番組に出演する回数は少ないが、2年前、Mencari Bakat(才能発掘)という、オーディション番組で優勝した、声に透明感がって、若手の歌手の中では飛び抜けて歌唱力がある実力派だと思う。将来有望だと思う。今、インドネシア アイドルという、アメリカのオーディション番組のコピー番組をやっているが、残っている連中はアイドルと言えない。

 インドネシアの若者なら彼女を知らない人はいないはずです。

 渋滞 工事 故障

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(^_-)-☆二輪車の氾濫

2012-06-20 22:03:03 | 行きすぎ

 1252 残っていた障害が間もなく消えるようだ。しかし、時期が良くない、一年で一番、仕事を進めにくい時期に一ヶ月後から突入する。ご存知、ラマダン、プアサです。平均速度が半分になる。

 バイクの売り上げの落ち込みは深刻度を増している。インドネシアの事情を知らない日本人は、三ヶ月後には、頭金を準備できるから、急回復すると、楽観視している向きがある。インドネシア人の若者が、頭金が三倍になったからといって、三カ月で頭金を準備できるというのは、どういう裏付けなのでしょうか。頭金のサトジュタを一カ月でためることが出来ていて、三倍のティガジュタなら、三カ月でためることが出来るとでも、思っているのでしょうか。とんでもない、半年でも、難しい。

それに、この問題は、頭金の問題ではない。

 

先週行っていた、東に端、国境のジャングルを切り開いた街、メラクケにもバイクは充分あふれていて、彼らの運転は乱暴、バイクとアンクタン コタが絡む事故を目の前で見た。バイクの二人乗りの二人ともびくともしていなかった。そして、たちどころにバイクに乗った野次馬や警察官がやってきた。人口が少ないが、道は広い、そして、凸凹も少ない(道が壊れていない)ので、渋滞は無い。スピードを出せる。郊外のスーパーにはバイクで買い物に来る。

以外に信号が多いが、無視も多い。何度も、危険を感じた。人口の割には、バイクは十分普及していると感じた。

こんな田舎の街の危険度を増やさないでほしいし、いくら規制をクリアーしているからと言っても、排気ガスは排気ガスです。まさか水蒸気だけということは、在りないし、実際排気ガスは臭い。ポリューションを増やさないでほしい。

こんな端っこの貧困層が多い町にもバイクは、危険なほど、普及をしている。日系企業はそれでも、増産を目指しているのです。過去10年平均、年率5%以上の生産台数の増加をさせてきた。複利での話だから、その増加台数は今や毎年50万台近くに達する。そして、過去10年の平均売り台数を500万台とすれば、それだけで5千万台が現在、走っていることになる。車を持っていないで、バイクを運転できる人口を1億人とみても、4人に一台は普及していることになる。これでも、普及率が低いというのでしょうか。そして今後も毎年、800万台以上増やし、廃車を300万台と見ても、毎年500万台ずつ増えることになれば、10年後には、1億台の二輪車がインドネシアの中を走り回ることになる。そんなバカな話があるでしょうか。車も含めて、道の面積が10年後に今の倍になるはずがない。

中国が2300万台インドが1300万台それに比べれば、700~800万台のインドネシアは世界3位といえども、まだまだ少ない、という人もいる。

もし、低いとしても、それが、購買増加につながるとは限らない。日本の二輪車の普及率はめちゃくちゃ低いはずです。

挙げている数字は、私の感覚で言っていますから、当たっているかどうかの責任は取りませんが、当たらずとも遠からずだと思う。

そんなバカな話は無いでしょう。そろそろ、目を覚ましたらいかがでしょうか。今の落ち込みは、インドネシア政府の狙い通りになっていると思う。今までの生産量から、30%ダウンの台数に落ち着いて、その生産量が続くくらいが調度よいと思う。

 

しかし、メーカーの大勢として、トヨタが100万円を切る車を間もなく売りだすという話もあるように、人口からみると普及率がまだ低いから、車も二輪車もまだまだ売れるという説である。インドのメーカーが低価格で乗り込んできているので、それを、過去の中国や台湾企業のように、追い返すためにも、生産台数を自主規制のような甘いことはできない。とことん、売り続けるしかないとの見方が大勢を占めているようだ。

 

人口からの普及率ではなく、人口と道路面積、道路面積と普及率の比較をしてほしいと思う。良識のあるインドネシア人は、それを心配しているのです。だから、普及の増加にブレーキを掛けなければならないと思うのです。

 

限界 頭金 危険

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(^_-)-☆現実に戻って

2012-06-19 22:14:11 | 押出成形

  1251 ワーキングビザを期限までにシンガポールへ行って受け取ることができるかどうか心配で、確認をした。行けることが確実になって安心である。インドネシアで作っている装置のでき具合も確認した。来週中には試運転が出来そうである。何を作る装置かわからないはずです。この装置から、オリジナル商品が生まれる予定です。

 ただし、もう一つ、解決しなければならないことがあって、ビザが取れても、本格的に仕事を始める時期は先になりそうだ。準備が出来ないのです。

 

 ところで、私のインドネシアでの仕事への取り組み原則姿勢は、下請けをしないということです。自社製品を作って売りだします。日本やその他の外国から輸入している製品のインドネシア国内調達に切り替えたいというお客さんから、仕事は受けないといことです。いわんや、今まで、私がそういう仕事を引き受けて、インドネシア国内のどこかの会社が生産している製品の横取りなど、あり得ない話です。今の価格がほとんど、適正なのに、安い見積もりを出して、横取りなどということはばかばかしい話です。私が指導してきた会社同士が、取り合うこともばかばかしいから、やめてほしいと思っている。

 

 インドネシア人技術者も私が指導して現在の会社の中枢を担っている人を引き抜いたり、止めてしまっても、採用したりする事は無い。彼らは現在上司であるそれぞれの会社の日本人より技術水準は上だということは間違いない。彼らは既にその現場では、それなりの高額給料を受け取っている。最高の人は10万円くらいもらっている。年齢も30歳半ばを超えている。私は、その人たちを、その給料の半分でも雇う気は無い。雇うなら、最低初任給でそれも高卒から二三年以内の若い人を契約待遇で使う。その方が技術の底上げが出来るし、若い人に雇用の機会を与えることができる。

 

 ただし、当然ながら、インドネシア人が生活のこと、技術のことについて、私に頼んだり、尋ねたりする機会は多い。付き合いは長いし、彼らが若い時から、技術の指導をしているし、生活や学校などの援助もしてきた。それぞれの会社の日本人がいくら私に接触するなと言っても無理な話です。深い絆が存在しているのです。言葉の進歩は遅い、技術的にも、インドネシア人に劣る、その上、何かを疑うとか、疑心暗鬼になるのは、ぞれぞれの能力不足を他人に転嫁しているにすぎない。その他人にとってはいい迷惑で、在りもしないことで、評価を悪くされたり、立場を悪くされたりすれば、その日本人は、ますます、インのネシア人からいやな奴と思われるだけである。

撤退したK社もそうでしたが、それぞれの会社の日本人は、本当はいなくてもいいのです。インドネシア人だけでやって行けるのです。高給取りの日本人はいない方がうまく行くし、いなければ、その日本人のために使っている金額がそのまま、その部門の利益改善になるのです。現在、赤黒、トントンなら、日本人がいなくなれば、いきなり、年間一千万円の利益が生まれるのです。あらゆる日系企業に言えることです。それを、自覚して、インドネシア人に接してほしいと思う。それが、それぞれの会社が、あるいは、押出し部門が安泰になるコツです。

 

 私は、それぞれの会社の日本人の足をすくうようなことはしない。争う相手ではない。今までの教え子を部下として雇うことはしないし、教え子がインドネシアのために一生懸命作っている製品を私がやってしまうわけがない。それぞれの会社が作っている製品を横取りすることは無い。

  それに、私自身が、まだ、物を作れる状態になっていない。誰でも、ちょっと考えればわかる。そんな非合理的で、非経済的で、非生産性で、非人情で、無責任で、無駄なことは無い。

新しい仕事の引き合いがあれば、それぞれの会社に客先を紹介する。現に、既に、紹介をしている。“内では、できません”と言って、断らないでほしいと思う。断ってしまうなら、私が準備でき次第、作ってやることになるでしょう。当たり前なことです。

 

ちなみに、私の教え子と技術と装置とインドネシアでは初めて作り始めた製品は3社に分散している。そして、それぞれの製品は、車やバイクや家電製品やその他あらゆる製品を組み立てている日系企業の製品の部品として組み込まれている。

全ての客先は、最初、私を頼って来たのです。未経験の製品、製法でも、断ることはしないで、それに、お答えしたのです。その当時の担当者は交代していなくなっても、いきさつは、引き継がれているのです。勿論、ゴルフなどで接触もしています。

 

 

 パンガンダランPangandaranの最新の状況の紹介がほぼ完成しました。沢山のリンク先がセットになっています。

http://otaenplaext.net/newpage21.html

疑惑 転嫁 気の毒

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(^_-)-☆東西対角の両端

2012-06-18 22:04:52 | 環境

  1250 “サバンからメラウケまで”、という歌の歌詞です。内容は、これがインドネシアの国土です、という意味です。たわいにない歌だと思うが、子供のころから歌わされているインドネシア人にとっては、心の歌です。日本の“故郷“とは、意味が違いますね。日本にはこういうたぐいの歌は無いですね。

Dari sabang sampai merauke  Berjajar pulau-pulau
Sambung menyambung menjadi satu  Itulah Indonesia
Indonesia tanah airku  Aku berjanji padamu
Menjunjung tanah airku  Tanah airku Indonesia
 国歌と共によく歌われます。

 

余計なことだが、地図を見ると、ある程度の街としては、ジャヤプラの方が東で国境に近い。何故、メラウケまででしょうか、多分、サバンから直線で繋げば、対角に近いので挑戦が長くなる。それで、メラウケまでと、したのでしょう・

 だから、どうなんだということは無いが、取りあえず、両端を訪問しました。その雰囲気は相当違う。サバンはスマトラのバンダアチェの西に浮かぶ島、ウェーという島にある街だが、バリバリのイスラム地帯、女性は外出する時には必ずジルバブを使わなければならないし、肌を見せてはならない。そんなところですが、欧米人のためのリゾートでもある。ここからは、ビキニ姿で、出てはいけないという看板があるように、華やかな雰囲気もあった。しかし、メラウケは欧米人のリゾートの雰囲気はまったくない。広い海岸には、パプアの人々が訪れているが、ぶらぶらしているだけだ。また、パプアニューギニアとの国境がどこなのか分からないほど、ジャングルの中なので、ここが、端っこ、という雰囲気もない。

ソタのの人々も、自由に行き来している、というより、国境という意識がない。一応、警備兵が詰め所にいるが、運転手がKTPを見せただけで、私がパスポートを求められることは無かったし、記念に帽子やTシャツはどうかと、言われた。そこから、国境へ100m進んで行った。そこには、住民がたむろしていて、世間話をした。燃料の枯れ木を集めに毎日、向こうへ行くし、水も向こうから運んでくると言っていた。

 

私は目印の場所で写真を撮ってもらって、10mほど向こうへ入って見たが、へは4km以上あると聞かされて、それ以上は進まなかった。

 

 最後に、本当に、未開の場所に興味がある方か、向こう見ずの人が思いつきで、来るか、とにかく、一般の平凡人では、こんなところへ来てしまったら、後悔するでしょう。インドネシアでは私が行くところ、どこでもそうだが、メラウケは特にそう思うが、日本人を誘って連れてくることはできない。もし、連れてきたら、食べ物や街の匂いや人々が持つ雰囲気や泊まる場所の状態などで、参ってしまうでしょう。

 

 日本人が来ることはほとんどないし、学校の傍を歩いて通れば、私が近付く前に、子供たちが寄ってくる、女学生も集団で寄ってきる。日本語で“こんにちは“と言ってやれば、全員から、”こんにちは”と返ってくる。そのあと、大笑いになる。その子たちにとっては、日本人の顔を見る機会は無いだろうし、話をすることなどは、一生のうちにあるかどうかというくらいの奇跡のようなもの。それは、はしゃぐわけである。はっきり言って、生活は最貧に見える。ジャカルタとは別の世界である。それでも、こんな時、来てよかったなと思う。彼らは、決して不幸ではないと思う。

 

 旅行記 アチェ ウェー サバン http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page231.html

 写真集 ウェー島 http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page230.html

               バンダアチェ http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page229.html

写真集 ジャヤプラ http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00090.html

今回の旅の写真集 スンタニからジャカルタ 

http://otaenplaext.net/newpage28.html

両端 貧困 ご気楽

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(^_-)-☆サバール(忍耐)

2012-06-17 22:40:10 | 変!

 1249 メラオケが正しいそうです。インドネシア語読みでは、ムラオケです。そして、パプア以外のインドネシア人のほとんどは、ムラオケと言いますが、地元のパプア人はメラウケというそうです。

 大河の名前はSungai Maro(スンガイ マロ)です。一つしかない貴重な橋の名前は、Jembatan Tuju-Wali-Wali(トゥジュ ワリワリ)と言います。地元の人々がそう言っているし、看板に書いてもある。

 

空港の名前はMopah(モパー)です。

 

ちなみに、今、世相が不安になっているジャヤプラの空港はスンタニ湖にあるので、Suntani(スンタニ)と言います。空港の名前はその町の名前ではないのがほとんどです。地図を見て調べたのではありません。

 

 メラクケの港のサンライズ。

 09;30出発の筈のバタビアエアが到着したのが、09;50でした。到着が一時間おこれ、案内のアナウンスは全くなし。ホテルからの出発を08:00で予約してあった。しかし、時間を過ぎても迎えの車は来ない、それどころか、運転手に電話しても、なっているのに出ない。15分過ぎて、ホテルの人に、タクシーを頼んでもらった。ホテル人曰く、飛行機はまだ、眠っているから、あわてることは無い、サバールヤ、だった。タクシーが来たのが08:30を回っていた。空港へ着いたのが、08;45出発口の前に車が近付いて、そこにまだ大勢の人が立っていたので、車をいったん止めた。降りようとしたら、運転手が、もう少し前で止めるから、待ってと言った後、サバールヤと言われた。08;55に出発ロビーへ入った。チケットには09:00搭乗と書いてあるし、渡されながら、ゲートと搭乗時間をチケットにかいてある通りのことを言われた。慌てて、中に入ると、バタビアの飛行機がまだ目の前に見えない。どこか離れているところに止められているのかなと、思っていた。その内、09;50に私が乗る飛行機が着陸したのでした。

 

それから40分後に出発した。途中、時間に余裕がないので、ジャヤプラでもマッカセールでも、外に出られなかった。ということで、そのまま乗っている人たちが機内のトイレで行列になる。後ろに二か所、どちらも、汚物が詰まってしまって使えないと、おっしゃる。メンテナンスが乗ってきて治したが、一か所だけでした。そして、給油が始まった。ところで、トイレは使用禁止なった。何故だか、釈然としないが、理由があるのでしょう。給油の間は席を立たないで座っていてほしいと言われて、トイレに行けない。給油が終わって、トイレで用を足して席へ戻ろうとしたら、そこからのる人たちがどっと入ってきた。ほとんど全員が座るまで、トイレの前で待っていた。

 

 それとは別に、メラウケからのった時に私に席21Fには二三歳の子供座っていて、21Eに母親が座っていて、21D10歳くらいの子供が座っていた。私に席にいる子は、当然、ただで乗っているはずである。母親にそこは私に席でと言ったら、21Cの席が開いていたので、そこを、指さして、そこへ座ったらいいでしょ、と言っている。キャビンアテンダントが通りかかったので、話したら、やはり、21Cに座ってくださいと言われた。窓から写真を撮りたいので、Fにしてもらったのにいい。ドアが閉じられてすぐに、後ろの方の27Aに移動した。後ろは空き席が沢山あることはチュック済みだった。

 ジャヤプラでわかったのだが、その親子、父が21A娘の一人が21Bもう一人が21D母親が21E、小さい子が21Fに座っていたが、引き続きマッカサールまで行くときに、乗ってきた座席チェックの若者がその子が座っているのを見て、搭乗券を見せてほしいと言って、見ていた。四枚に搭乗券で21AからDの席だったその通りに座らされた。母親が子供を膝の上に座らされてる。当然である。Fに私がいないのだから、マッカサールからEとFの人が乗ってくると考えられるからです。ところで、私はといえば、後ろの席に座っているわけにいかない。CAに私の席は空けてくれたかと聞いたら、開けたという、21Fにやっと落ち着けた。21Eに若い男性が座った。ところが、その男性、男のCAが、母親が子供を抱いているのを見て気の毒に思ったのでしょう。20Cが開いているからといって移動させられた。母親は子供を21Eに座らせることが出来た。今度は、私にまた、災難?が来た。その子供、母親の膝を枕にして、寝ている、母親もそうさせている。子供の靴を履いている足が私の席まで伸びてきて、頻繁に私を蹴る。子供はほとんどの間眠っていた。まったくどうしようもない。マッカサールで降りて行った。替って、マッカサールからのってきた青年がまた、問題あり、足を大きく開いて座る、膝が私に膝を押す、押しながら、貧乏ゆすりをする。肘は肘掛を乗り越えて私の横っ腹に触れる。そんなに、私に触りたいのでしょうか、気になって仕方がない。

 メラウケからジャカルタまで乗っていたのは、私の他に4,5人しかいなかったようだ、私は、機内であっちへ行ったり、こっちへ来たり、トイレでも困らされた。CAと話をする機会が多かった。そのうちの一人に、チャンティックがいたので、それだけが、救いだった。

 ジャカルタタイム16:30にスカルノハッタへ到着、例によって渋滞、家に着いたのが19:00を回っていた。サバール、サバールの一日だった。

 

 モラル 常識 気使い

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(^_-)-☆初体験の連続

2012-06-16 22:20:42 | 体験

  1248 ジャヤプラ、スンタニもそうだったが、第一印象はタクシーの料金が高い。空港から街までの料金は,今の円高でも800円くらいする。たったの5Km弱である。10分も乗らない。その他の物価全部が高い、ジャカルタやバリの観光地より高いかもしれない。土産物のTシャツは500円以上だ。パンガンダランなら150円くらいなのに。レストランの価格も高い、高い値段のタクシー運転手と一緒に食事をすれば、三千円くらいにはすぐになってしまう。だから、私は、カップ麺を主食にしていた。一人でよかったと思う。

 トラディッショナル ビレッジを訪ねてみた。Gatsiというでムラウケの中にある。行きたいから、手段をコーディネートしてほしいと、ホテルのレセプショニストに頼んだら、行く車のことだけでなく、そので、あなたのために民族衣装を着てダンスを模様しますから、そのショーを見せることができるのは、夕方の6時ころになります、と、案内があった。費用はと聞いたら、5ジュタ(約4万円)だという。私一人のためかと聞いたら、そうだという。観光客の団体さんに見せるのではないのかと聞いたら、団体さんは来ない、あなた一人のためだという。丁重にお断りをした。夕方でなくて、昼間、そのを訪問して、どんな様子か見るだけでいいから、車の手配をしてくれるだけでいいと、改めて、頼んだ。

 どうも、そういう見世物のための準備をする担当者がそのにいるらしい。に人々の収入源としては大きいらしい。バリにケチャやバロンのように毎晩、その地方の集会所みたいなところでショーを催して、観光客が訪れるという場所は無いようだ。それほど、観光客が来る場所ではないから、それも、当然だ。

 昼間、その戦闘ダンスをやるといところを、通ってもらったら、役場の前だった。役場の人達が、イリアン独特の戦闘衣装(裸に腰みの)をまとってダンスをするのだそうだ。そんなのは、見たくもないと思った。

 

 海岸近くのヴィレッジが多く、メラウケの郊外でもある。マリンズ(Marinds)という種族のところへ行ったが、背が高い、体が大きい、干してある服が超LLである。運転手がここのの人で、最後に彼の家の前を通ったので、家族に挨拶したいと頼んで、訪問し、一緒に写真に収まった。一族の一部だそうだが、彼の家族はどうなっているのかは訊かなかった。みんな明るい。そこら辺りで遊んでいた皆が集まってきてしまった。

 

 海岸の遠浅は想像を超える。沖を見てもどこまでも干潟になっていて、海はどこまで引いてしまっているのだろう。メラウケ側の深さも3m位浅くなっていた。昨日、船の持ち主が、海へ出ることができないと言ったわけが分かった。これでは河口から舟が海へ出られないわけだと、納得した。出たとしても、帰ってこられなくなるのだそうだ。

 この向こうはオーストラリアだと、地元に人が強調していた。見えるのかと聞いたら、見たことは無いと言っていた。

 パプアの人達の体形、顔、髪の毛の状態などなど、各地で違うそうだ、ジャヤプラかワメナかメラウケの人の見分けがつくそうだ。メラウケの中でも、何族というのがあって、それも、わかるそうだ。私には皆さん同じに見える。

 サンセットを港で見ようと思って行ったら、カメラを持っているのを見て、写真はだめだから、ここからは入れないと、ゲートの前で止められてしまった。昨日何も言われなかったのに。そこで、別の場所から川に面した所へ出たが、時遅し、太陽は沈んで仕舞っていた。

 

先ほど、マリンズのへ行ったときに、オランダ人が多分、案内人だと思うが、二人のパプア人と一緒にそこの人をモデルにして写真を撮っていた。私が、その連中に30mくらい離れた所から、カメラを向けたら、そのうちの一人が、駄目だと言いながら、私のところへ来て、今撮影した写真を消せと言ってきた。まだ撮っていないと言ったら、チェックさせろという。仕方がないから、モニターを見せた。納得したが、彼は、オランダ人は許可をとっているからいいが、許可をとっていないものは撮影禁止だという。どこからどこまでだめなのか、何M離れていればいいのか、聞いてみようかと思ったが、やめた。そのでも、彼らがいない場所では、皆さん、大歓迎で、写真を撮ってほしいと集まってくるので、自由に撮影できるのに、変だ。

 もう一つ確実なことは、パプア人の伝統的へ近づくには、案内人がパプア人に限ることです。パプア以外から移住してきた人種では、ちょっと、近づきにくいという印象だった。

 

 パサールでピナンに挑戦してみた。そこの人と運転手が二人して食べ方を指導してくれた。ピナンの実を出して。かじって口に入れる。そのあと、石灰の粉を何とかいう長細い植物の先に付けて口に入れ、一緒に噛み砕く、段々、赤くなってくる。という、しかし、私は、ピナンの実をかじったところまでで、その先には進まなかった。というのは、渋い、渋柿より渋い、舌先がしびれ出した。もう、そこで、吐き出してしまった。しばらく、渋さとしびれが残った。買ったピナンは運転手に渡した。インドネシア語で渋いという言葉が見つからない。彼らはパヒッド(Pahid)と言っているが、“苦い”、ではない。

 自由行動 恐れ知らず 向こう見ず

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