2年前の今日、福知山線で痛ましい事故がありました。
まず、あの事故に巻き込まれて亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
また、現在もリハビリ中とか後遺症に悩まされている方々も少なくないと思います。
一日も早い回復をお祈りします。
そして、今後もあの様な事故が起きない様に、関係者の方々にはより一層の安全対策を実施して頂きたいと思います。
さて、今回この事故を例として取り上げさせて頂いたのは、「運命とは一体何だろう?」と、この事故の関連記事で痛感したからでした。
この事故に巻き込まれて亡くなった人達の中には、「初めて海外旅行に出かけるので乗った」とか、「駅までの道が渋滞したため、一本遅れてあの電車に乗った」とか、変な表現ですみませんが、「亡くなるためにこの電車に乗ってしまったのでは?」としか言い様のない人達がいました。
この様な大きな事故(例えば航空機事故)が起きた時の被害者の中に、たまたま乗り合わせて亡くなってしまった、と言う状況の人がいる事は少なくはありません。
今まで、この様な皮肉な巡り合わせを聞く度に、「ついていないとしか言い様がないかなぁ・・・」とか、「ここでこの事故に巻き込まれる運命だったのかなぁ・・・」なんてよく思いました。
でも今回、この事故の関連記事で一人の生存者のケースを聞いて、「運命とは仕組まれている物なのでは?」と思えてきました。
この人はこの事故に遭いましたが、5両目に乗っていたことも有り、無傷で難を逃れました。
勿論それはとてもラッキーで「不幸中の幸い」と喜ぶべきケースといえます。
ところが、その裏にあった真実を聞くと、ちょっと背筋が寒くなりました。
この人は毎日あの電車の2両目に乗っていたのです。
マンションにひしゃげてへばりついてしまった、あの2両目に(!)。
その日、たまたま別の駅で降りる用があり、この人は5両目に乗っていたのでした。
そして難を逃れた。
通常であれば2両目に乗っていたはずですから、恐らく死亡。
運が良くて重症。
紹介されていた例はこの人の例だけでしたが、恐らく他にも毎日2両目に乗っていて、たまたまその日体調を崩して休んだ、とか、渋滞で一本後の電車に乗った、とか言う、難を逃れた人達もいたと思います。
いかがですか?
たまたま乗り合わせて亡くなってしまった人は、この時亡くなる運命だった。
逆に難を逃れた人は、この時亡くなる運命ではなかった。
と考えたくなってきます。
もう一つの例を上げます。
かのタイタニック号の沈没事故で生き残った最年少の男の子がいました。
あの事故で生き残ったのですから命運が強い男の子、と言えそうですね。
ところが彼は数年後、世界初の交通事故犠牲者となっているのだそうです。
人それぞれの人生は「運命」と言うレールが敷かれている。
本人は何らそれを意識することなくそのレールに従って生きている。
そう考えるとちょっと虚しく、空恐ろしくなります。
「自分もまたレールに従って生かされているだけ」なのかもしれません。
コメント
- シンクロ続き [2008年3月29日 23:33]
- 今ちょうどタイタニックを見終わり、なぜか突然福知山の事故で奇跡的に助かった少年の記事を観ようとしたら第一番目にここへ来てシンクロおそるべしです・・・
- EP82-SW20 [2008年3月30日 21:51]
>シンクロ続きさん、こんばんは。コメントありがとうございますw
そうでしたかw
私のこの記事がどんな形で検索サイトのトップに載っているのか不思議ですが、偶然と言うのは恐ろしいですね(笑)
あなたのブログにコメント投稿されたものです。