「主の契約の箱が陣営に来たとき、全イスラエルは大歓声をあげた。それで地はどよめいた。」(Ⅰサムエル4:5新改訳)
イスラエルとペリシテの戦いがはじまった。その結果、初戦で負けたイスラエルは「契約の箱を戦場に迎えれば勝てる」と思い、幕屋から持ち出して戦場に安置(あんち)した。▼ここに民の愚かな信仰がある。エリ一家の不敬虔(ふけいけん)な行状のため、主の臨在は消え、何の助けもなかったのに、「箱さえあれば神はお働きになる」と安易(あんい)に考えたこと自体、イスラエルが霊的盲目に落ち入っていた証拠であった。▼契約の箱は大魔神(だいまじん)などではない。イスラエルの真摯(しんし)な悔い改め、恐れおののいた信仰の歩みがあってこそ、神の御臨在はともなう。それさえわからなくなっていた神の民はあわれで無力、ちょうど毛を切られたサムソンのようだった。▼その結果、悲劇はエリ一家をおそった。息子ホフニとピネハスはペリシテ人に殺され、エリはその知らせを聞いて急死、ピネハスの妻は出産と同時に死んだのである。神の警告を聞かず、悔い改めの機会(きかい)を逃(のが)したエリ家の悲惨さに息をのむ。「神の人がエリのところに来て、彼に言った。・・・『あなたの二人の息子、ホフニとピネハスの身に降りかかることが、あなたへのしるしである。二人とも同じ日に死ぬ。』」(Ⅰサムエル2:27~34同)