しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <王が欲しい>

2024-12-17 | Ⅰサムエル記
「そうすれば私たちもまた、ほかのすべての国民のようになり、王が私たちをさばき、私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」(Ⅰサムエル8:20新改訳)

戦場を走る軍馬、疾走(しっそう)する戦車ときらめく武器に身を固めた勇猛(ゆうもう)な兵士たち、イスラエルは歩兵だけの軍で、指揮者といえば神に犠牲をささげるサムエルのような士師(しし)だったから、人々は他国の軍隊に魅了(みりょう)され、あこがれて「自分たちも王が欲しい」とサムエルに提案した。▼彼らは預言者たちの背後(はいご)におられる全能の神が、どれほどすごいお方であるかを知らなかったのである。もっともこれは士師のエリやサムエルにも責任がある。彼らの息子たちが父親のような信仰を持たず、神の臨在(りんざい)にふれた経験もないまま、名目だけ後継者になっても、ほんとうの指導ができるはずもなかったのだ。▼イスラエルは、契約を結んだ全能者、父なる神をいつもあおぎ、高い霊性と豊かな信仰に生きるしか存在の道はなかったのに、みずからそれを放棄(ほうき)し、エジプトやアッシリアの体制に倣(なら)おうとした時点で真の祝福を失った。約400年後のバビロン捕囚はこれが遠因だったともいえる。個人でも国家でも全能の神を見失うとき、あわれな末路をたどることを忘れるべきではない。