「そして誓願を立てて言った。『万軍の主よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、主にお渡しします。そしてその子の頭にかみそりを当てません。』」(Ⅰサムエル1:11新改訳)
サムエルは士師時代の最後に出現した指導者で、母親ハンナの祈りから生まれた器であった。士師記には目をおおうような記事が多いが、神へのすばらしい信仰に生きた人も少なくない。とくに女性の中にそれが目立っており、ルツやハンナは典型といえる。後者はエルカナの妻ペニンナからいじめられ、涙の祈りをささげ、もし男子が与えられたら、その子の生涯をささげますと誓った。結果として生まれたのがサムエルであった。▼当時のイスラエルは信仰と倫理道徳が地に落ち、みるかげもない体たらくだったが、これを救ったのが士師サムエルで、ひとりのか弱い女性の祈りがイスラエルの歴史を変えたのであった。彼はまた、イスラエルを王制に移行させるという重要な働きをした人物でもある。▼この章には、人の罪性のもたらす不幸がリアルに描かれている。第一はエルカナという人物、彼は二人の妻を持つことと、その間に起きるねたみと争いに無関心であった。ハンナをいじめるぺニンナの心理と、それに苦しみ泣くハンナ、エルカナは男として夫として、それにまったく無頓着だったのだ。ハンナよ、私はあなたにとり、10人の息子以上にすばらしい存在なのだ。どうして悲しみ泣くのかとは、身勝手、自己中心そのままの心である。第二はぺニンナのハンナに対するねたみ。夫の心がハンナに向いている悔しさ、それをぶつけ、ハンナの子がない寂しさを全く理解しない、かえってそのことをいじめの好材料にし続けた女性、それがぺニンナだった。▼しかしそんな苦しみのエルカナ家だったが、神はご自身の栄光を現わす場所としてお用いになられたことに感動する。人の持つ罪のカオス、泥沼の中に、かえってそのことを救いの歴史に変えてしまうという絶大な恩寵の世界の発現を見ることができる。まさに、泥沼の濁りをすべて自らの栄養分に変え、美しく水面に咲き出で、芳香をただよわせる水蓮の花のように、神の御手はあざやかである。