「今、ペリシテ人がギルガルにいる私に向かって下って来ようとしているのに、まだ私は主に嘆願していないと考え、あえて、全焼のささげ物を献げたのです」(Ⅰサムエル13:12新改訳)
ここはサウルにとって苦しいときであった。ペリシテ人はもっとも強力な敵で、イスラエルは実質的にその支配下に置かれていたが、戦いが始まったのである。▼サムエルに礼拝を導いてもらいたいのに、なかなかやって来ない、不安になった民はサウルから離れかけている。そこでサウルは待ちきれずに全焼のいけにえを自分で献げ、民をひき止めようとした。そこへサムエルがやって来たのであった。「あなたは愚かなことをしたものだ」とサムエルが述べたのは当然である。神のみわざが現れるのを待ちきれずに、自分で行動してしまったのだから。▼これは信仰上最大の問題である。アブラハムも約束の子・イサクの誕生を待ちきれなくなり、サラの提案に乗ってイシュマエルを設けてしまった。ある人が「信仰とは結局のところ、忍耐の別名である」と言ったそうだが、その通りだと思う。どこまでも、どこまでも神のお約束を待ち望む。それができるかどうか、私やあなたも問われているのだ。