来月の小さな演奏会で大きな作品を演奏する.ワクワク楽しみなその作品は・・・!!
ウェーバー(1786-1826) のトリオOp.63
ロマン派の大作曲家のほとんどはフルートのための作品を残してくれていないので、
フルート吹きにとっては貴重な貴重なレパートリーなのだ。
<音楽辞典によると>
フルート、チェロ、ピアノのための三重奏曲は大規模かつ創造的な意欲作で、その緩徐楽章は、おそらくプラハで書かれた曲を表現力の豊かな力強いアンダンテに書き直したものであろう。そこに示された不安さやさらに絶望感といってよいものが、諦めたような憂鬱に対置されたころから生まれるコントラストが後ろに付け加えられた他の楽章を色付けている。この曲は、彼の作品としては珍しく、極端なロマン的感情をかなり厳密な古典的形式の枠組みに収めており、冒頭のアレグロでは両要素が素晴らしいバランスを見せて、重々しい憂鬱がベートーベン的ともいえる無骨なスケル構造をなすのは、それらの主題間の入念で対位法的なやり取りである。確かに器用に書かれてはいるが、この作品は真の感情的な動きを表しうるほど、形式的な精密さをもっていない。しかし、この作品の室内楽書法には大きな魅力と巧妙さがあり、同時期のウェーバーの生活を特徴づけるみじめさと慰めが劇的な深い結びつきで反映されている。(なーんてかかれている・・・)
ウェーバーは1815年プラハでフルート奏者のカスパル・フュルステナウ(初代1772-1819)とアントン・フュルステナウ(二代目1792-1852)父子のために作品を書いている。とも辞典には書かれている.このトリオ0p.63も時期的にはフュルステナウのために書いたのかな?ちなみにフルート吹きしか知らない様な名前だけれど、フュルステナウはフルートのためのけっこう難しいロマン派の練習曲を多数書いている。(フルートのエチュードはロマン派の時代に書かれたものが多い)1820年の記録では二代目のアントンはウェーバー指揮下で、第一フルート奏者を務めたそうで、ウェーバーのオペラ作品のほとんどを演奏しているそうデス。
さて、話は興味本位に広がるが、アントンの息子、モーリツ・フュルステナウ(つまり三代目1824-1889)彼はドレスデン王立楽団のフルート奏者を経て宮廷室内音楽家と腕利きのフルート奏者となる。(さすがは三代目!!)父親の意向に従いテーオバルト・ベームの新奏法を学ぶために(父はベーム式は断固反対だったはず・・・)ミュンヘンに修行に行き、現在私達が使っているベーム式のフルートを用いて演奏会で好評を博し、その後ドレスデンに戻ったがベーム式フルートを嫌う古参の宮廷楽団員の反対に遭い、残念ながら失職を恐れて再び旧式のフルートを使い続けた。という、記述を見つけた。(こういうのは今も昔も変わらない人間模様だねぇ・・・ウェーバーから話が広がってベーム式フルートのドイツ国内での評価や状況までが見えて来て楽しいわー)
ベーム式のフルートはドイツよりフランスの方が先に使われ始めたそうだ.機能性の高いフルートの出現があってこその「フランス近代フルート作品」の広がり。素晴らしいのもがあるのだ。ドイツ人の大発明だったのにー。さっさと使い始めていたらどう展開していたことか?!ドイツ人後々悔しかっただろうねぇ。
と、いうわけで、腕利きのピアニストとしても大活躍し、オペラを書いていた合間に作曲していた
’フルートを使った’Op.63
39年という短い生涯の間に書いてくださってありがとうなのです。ウェーバー様