今年は当たり年じゃなかろうか?
いつもは、自称雑食読書家の私でさえも、
ちっとも読む気にならないような本がズラリとラインナップされる。
この時ぐらいしか本を読まない子供達は、この課題図書で読書嫌いになるだろう。
とすら思っていた
でも、今年はどの学年の課題図書も面白そうに思えた。
課題図書って、戦争、病気、差別など、社会問題の圧が凄い。
大切なことだとは分かってる。
この機会に!と意気込む教育庁の思いも理解できる。
分かってるのよ!
でもさ、そうあからさまに押し付けられると嫌悪感が芽生えるよね
さり気なく、押しつけがましくなく、スマートに、クールに、お洒落に、
そうは見えずとも実はそう!
ジャケットの裏地にこだわる、みたいな・・・・
話は逸れましたが、そういう感じできてほしい(上から)
そういう意味では、毎年毎年もうお腹いっぱいと思ってしまう。
読書感想文に人権作文、人権標語、人権ポスター本当にお腹いっぱいなのよ
そして、さらに萎えるのが、入賞作品集なるものを読むと、
身近に戦争、病気、差別がある人が入賞しているように思える。
っていうか、具体的な体験の無い人が入賞するのは困難という感じ。
本の感想だけで入賞することは限りなく不可能に近い。
実際、エリさんが入賞した人権作文も、戦争で旦那のおじいさんの腕を銃弾が貫通した
という話をチョロっと盛り込んでた。
それが原因ではないのかもしれないけど、エリさんの作文を読んで、
「このエピソードが無ければ入賞はなかったな」
「エリさんが、このエピソードを思い出した瞬間、勝負は決まったな」
と思った。(穿った見方ですが)
別にいいのだけどね。
でも、そう考えたら、毎年毎年新しいエピソードが生み出せるわけもなく、
後半はネタ切れになるのよ!厳しい戦いになるのよ!
年に2本、新作をせびられる作家の心境。
ネタがねーよ
ネタが切れたら、こなすだけの読書感想文。
それでも締め切りはやってくる
人権標語も毎年毎年腹立ってくる!
鉛筆なめなめ?ゴロ合わせでひねり出した標語に価値はあるのか?
ええ感じにまとまった?なんてほくそ笑みながら書く人権標語自体に疑問。
伝えたい!と自然に心から思ってこその標語なのではなかろうか?
はいはい、生徒1句、保護者1句ね。(事務的)
兄弟組は、生徒一人につき保護者1句ね。(流れ作業)
え?ウチ兄弟3人小学校やから、今年3句も捻り出さなあかん~つらみ~
なんて風にして集めた人権標語に意味はあるのか?
そこまでして捻り出すことに意義があるのだろうか?
そこに愛はあるのかい?
小学校6年間、毎年毎年、マジでネタ切れですよ!
高望みしすぎ?考えすぎ?
四の五の言わずに適当にやっつけたらええんかな?
そんなやっつけ課題を読まされる審査員?も気の毒やし。
審査員も、暇ちゃうで!
したことないけど、私ならそう思う
各学校の先生でだいぶふるいにかけられるから、先生が気の毒か。
だったら尚更、学校の先生の貴重な仕事時間奪い過ぎでしょ!
先生の働き方改革のため、書きたい人だけ書いたらええんちゃうのん?
実際、現場の担任は、毎年全生徒に同じお題で作文やらポスター書かせるの苦痛だろうよ。
末端の意見は採用されず、ヒマな上層部の自己満?
さっきの発言訂正、審査員はヒマやな!
ふるいにかけられた上出来の数作品を読んで、優秀、最優秀とか批評するなんて、
ええ仕事やの~
と長々と書きましたが、とどのつまり、現実逃避なだけです。
屁理屈こねて、楽したいだけです
でもさ!愚痴の一つでも言わないとやってられません。
たんまり愚痴ったところで、ここからは、
親の根性試されてると考え方をシフトして、流していきま~す