フォローしてるブログを読んでて、目に留まった記事が。
なんて人は、講演会で話す機会もないだろう。
依頼もしないし、受けもしない。
私は、講演会があまり好きじゃない。
経験談から学ぶこともある。
・・・・かもしれない。
のに、なぜか嫌悪感を抱いてしまう。
学校や会社に、義務のように課せられると、もう怒りすら湧く。
席に着いた時点で、すでに目は死んでます。
聞いてもないのに
なぜに、ここまで嫌悪するのか?
その答えをこの記事に感じた!
屁理屈こね太郎体質の私にとって、
講演会なんてご大層な場で話される苦労話なんて、結局のところ自慢話ちゃうの?
こんなに苦労したけど、今は成功しました!
みたいな。
「ネガティブな結末にはならない(受け付けない)講演会」
というのが苦手だったのかも!
ネガティブな現状を抜け出せていない人の声は取り上げない。
という暗黙のルールに嫌悪していたのかもしれません。
ごく一部の成功例を、みんなそうなれる!という刷り込み?
そりゃ、暗い気持ちになる話、夢も希望もない話なんて誰も聞きたくないだろう
でも、そんな夢も希望もない暗い状態の人だって、た~くさんいるはず。
いや、世の中の大多数が凡人で、何かをきっかけに大きなことを成し遂げた人なんてほんの一握り。
凡人は、そこいらで井戸端会議してりゃいいんちゃうの?
講演会なんて聞いてどうすんの?
日常を精一杯生きるということではあかんの?
なんてことを思ってしまう。
まぁ、情報を得るということは大事。
苦労している人は、自分を重ねて、自分も!と光を見出すのかもしれない。
大昔なら、そうかもしれないが、現代では、
水辺に連れて行かなくても、注射や点滴で水分摂取も可能だ。
身も蓋もないけど。
講演会なんて聞きに行かなくても、ネットに情報はあふれている。
講演会というスタイルが、単に時代にそぐっていないだけなのかもしれない。
水辺に連れて行ってやった!ありがたく思え!
という圧が、・・・昭和。
思えば、講演会の話し手も聞き手も、年配者が多いように思う。
そういうことなのだろう。
私も昭和人間ですが、やっぱり講演会は苦手かな。