夕方になって、母の体調が少し悪くなりました。
悪いと言っても、いつも調子はよくないのですが、例えば、通常はトイレへ行く際に、ゆっくりではありますが支えや手すりがなくても歩いて行けますし、トイレの介助をする必要もないのですが、本日は立ち上がるだけでフラフラして、数十センチを歩くのさえおぼつかないので、身体を支えてあげる必要があります。
それでも、トイレは自分でできるので、このような状態のときはトイレのドアを開けっぱなしにさせて、用を足すように言っています。
考えられる万が一に備えて
トイレのドアを開けっぱなしにする理由は、トイレの中で倒れて、ドアを開くことができなくなったら大変だからです。
外開きなので、動けなくなった場合は開けることができますが、倒れてしまうとドアの取っ手を壊す可能性もあるため、ドアを開けられたとしても時間がかかる可能性があります。
これまで、そういったことは起きていませんが、想定できる範囲で気を付けておく必要があります。
ちなみに、私もドアが壊れて内側から開けられずに、閉じ込められかけたことがあるので、少しだけドアを開けて用を足しています。
母は、調子がまあまあの日は、玄関前の共有廊下に出て外の空気を吸ったり、歩けそうなときはエレベーターのある場所までだったり、エレベーターでエントランスまで下りていくこともありますが、最近はそれさえも億劫になってきている様子です。
季節がら、身体が縮こまって動かしにくいということもあるのかもしれませんが、身体を動かさないとますます筋肉が衰えていくので、春先や夏場には、また少し体力と筋力が落ちてしまっていると思います
かといって、心臓が悪いため運動らしい運動もさせられない事情があるので、正直なところ家庭での体力維持は難しいと感じています。
以前から、大型の家具を次々処分したのは、使わないからというだけではなく、もしかしたら母がふらついて家具に身体をぶつけたり、身体を支えるためにムリに力を加えたりした場合に、家具が倒れてきたり、母が家具の角に頭をぶつけたりする可能性もあったからでもあります。
普通は、身体を支えるために低い家具などは手すり代わりに使うことができるのですが、我が家には背の低い家具が少なくて、結局大型家具が次々となくなっていっただけになってしまいました(苦笑)
ですから、もしかしたら手すりを付けてもらう必要が出てくるかもしれませんね。
床も、いずれ今とは変える必要があると思っています。
現在、床に敷いていたカーペットを取り払ってしまったので、床の上を直接歩いている状態ですが、いずれ母の歩き方に問題が出てくれば、クッションフロアやコルクのフロアにする必要があるだろうと思っています。
そうすることで、母が倒れた場合に少しは身体への負荷が和らぐかもしれないと思っています。
計画を立て難いことでもあるので、今はただ悩んで考えるだけになっていますが、いざというときのためにいろいろと情報を集めている最中です。
ゆっくりとできなくなっていくのが老いるということ
母は、記憶力も低下していますが、身体の使い方も下手になってきています。
ご飯をお茶碗によそうときも、みそ汁をお椀につぐときも、上手く掬うことができなくなりました。
歩くことも、日に日にゆっくりになっていきます。
立ち上がるときも、勢いをつけないと立ち上がれないときがありますし、地べたに座ったら最後、自力では立てなくなるので、椅子やソファ、ベッドといった家具は必需品になります。
しかしながら、これらはある日突然できなくなったわけではありません。
気が付いたら、今の状態になっていたというのが正解です。
私が、母の老いを急激に感じ始めたのは、父が亡くなった後に母が入院したときからです。
母くらいの年齢だと入院が引き金になって、認知症の症状が出ることがあると、医師からは言われていましたが、確かに退院後から、記憶力が著しく低下したことは、感じています。
また、入院生活自体は1ヶ月と少しでしたが、その間に体力だけは目に見えて落ちていきました。
その後は、何度か入退院をすることがあって、そのたびに体力は落ち、今まで母ががうるさく言っていた家事や家庭内のルールを忘れて適当になってしまい、今は私から口うるさく母に言う日が多くなりました。
昔は、私や父が少しでもルールを守らないと、火が付いたように怒る母でしたが、今は平気で自分からルールを破ります。
これも、だんだんと数が増えてきて、私もどこまで母に従うべきか、母に合わせるべきか迷っていますが、これも老いるということを受け止めるために必要な悩みというか、プロセスなのだろうと考えたりもします。
今後考えられること
今の状態だと、いずれ母も介護が必要な身体になるでしょう。
現状は、私が家事全般を引き受けて、母をたまにサポートする程度で済んでいますが、母は長時間目を離せる体調ではないため、少しの時間でも外で働くことは難しいのかな、と思っています。
母のサポートをしながら外で働くという器用なことは、私にはできそうにないし、したくないというのが本音でもありますが、もし介護が必要になり、常に誰かの手を借りる必要が出てきたら、今度はヘルパーやデイケアを頼んで、私は外に働きに出るという選択肢が出てくるので、本当はその方がいいのかもしれません。
今後、公共のサポートを受けることと、家の中を介護や介助をしやすい状態にリフォームしたり整えたりすることは、大きな課題です。
具体的な方向を決めることはできませんが、今からありとあらゆることを想定して動く必要があることだけは、いつも考えて覚悟を決めています。
老いは、本当にゆっくりと進んでいきます。
今はまだ大丈夫、と言っている間に、状態が進んでしまっていることもあるでしょう。
だからこそ、取り越し苦労でもいいから、いろいろ考えておかなくてはいけないな、と思うのです。
本日は、ブログ内容を短めに終わらせるつもりでしたが、今の私の心境と母の状態は記録しておいた方がいいかな、と思ったので、いつもどおりにタラタラと書き綴りました(笑)
なんだかんだいいつつも、ある日突然調子を取り戻すこともある母なので、今後も様子を伺いながら、いろいろと老後の世話について考えていこうと思います。
悪いと言っても、いつも調子はよくないのですが、例えば、通常はトイレへ行く際に、ゆっくりではありますが支えや手すりがなくても歩いて行けますし、トイレの介助をする必要もないのですが、本日は立ち上がるだけでフラフラして、数十センチを歩くのさえおぼつかないので、身体を支えてあげる必要があります。
それでも、トイレは自分でできるので、このような状態のときはトイレのドアを開けっぱなしにさせて、用を足すように言っています。
考えられる万が一に備えて
トイレのドアを開けっぱなしにする理由は、トイレの中で倒れて、ドアを開くことができなくなったら大変だからです。
外開きなので、動けなくなった場合は開けることができますが、倒れてしまうとドアの取っ手を壊す可能性もあるため、ドアを開けられたとしても時間がかかる可能性があります。
これまで、そういったことは起きていませんが、想定できる範囲で気を付けておく必要があります。
ちなみに、私もドアが壊れて内側から開けられずに、閉じ込められかけたことがあるので、少しだけドアを開けて用を足しています。
母は、調子がまあまあの日は、玄関前の共有廊下に出て外の空気を吸ったり、歩けそうなときはエレベーターのある場所までだったり、エレベーターでエントランスまで下りていくこともありますが、最近はそれさえも億劫になってきている様子です。
季節がら、身体が縮こまって動かしにくいということもあるのかもしれませんが、身体を動かさないとますます筋肉が衰えていくので、春先や夏場には、また少し体力と筋力が落ちてしまっていると思います
かといって、心臓が悪いため運動らしい運動もさせられない事情があるので、正直なところ家庭での体力維持は難しいと感じています。
以前から、大型の家具を次々処分したのは、使わないからというだけではなく、もしかしたら母がふらついて家具に身体をぶつけたり、身体を支えるためにムリに力を加えたりした場合に、家具が倒れてきたり、母が家具の角に頭をぶつけたりする可能性もあったからでもあります。
普通は、身体を支えるために低い家具などは手すり代わりに使うことができるのですが、我が家には背の低い家具が少なくて、結局大型家具が次々となくなっていっただけになってしまいました(苦笑)
ですから、もしかしたら手すりを付けてもらう必要が出てくるかもしれませんね。
床も、いずれ今とは変える必要があると思っています。
現在、床に敷いていたカーペットを取り払ってしまったので、床の上を直接歩いている状態ですが、いずれ母の歩き方に問題が出てくれば、クッションフロアやコルクのフロアにする必要があるだろうと思っています。
そうすることで、母が倒れた場合に少しは身体への負荷が和らぐかもしれないと思っています。
計画を立て難いことでもあるので、今はただ悩んで考えるだけになっていますが、いざというときのためにいろいろと情報を集めている最中です。
ゆっくりとできなくなっていくのが老いるということ
母は、記憶力も低下していますが、身体の使い方も下手になってきています。
ご飯をお茶碗によそうときも、みそ汁をお椀につぐときも、上手く掬うことができなくなりました。
歩くことも、日に日にゆっくりになっていきます。
立ち上がるときも、勢いをつけないと立ち上がれないときがありますし、地べたに座ったら最後、自力では立てなくなるので、椅子やソファ、ベッドといった家具は必需品になります。
しかしながら、これらはある日突然できなくなったわけではありません。
気が付いたら、今の状態になっていたというのが正解です。
私が、母の老いを急激に感じ始めたのは、父が亡くなった後に母が入院したときからです。
母くらいの年齢だと入院が引き金になって、認知症の症状が出ることがあると、医師からは言われていましたが、確かに退院後から、記憶力が著しく低下したことは、感じています。
また、入院生活自体は1ヶ月と少しでしたが、その間に体力だけは目に見えて落ちていきました。
その後は、何度か入退院をすることがあって、そのたびに体力は落ち、今まで母ががうるさく言っていた家事や家庭内のルールを忘れて適当になってしまい、今は私から口うるさく母に言う日が多くなりました。
昔は、私や父が少しでもルールを守らないと、火が付いたように怒る母でしたが、今は平気で自分からルールを破ります。
これも、だんだんと数が増えてきて、私もどこまで母に従うべきか、母に合わせるべきか迷っていますが、これも老いるということを受け止めるために必要な悩みというか、プロセスなのだろうと考えたりもします。
今後考えられること
今の状態だと、いずれ母も介護が必要な身体になるでしょう。
現状は、私が家事全般を引き受けて、母をたまにサポートする程度で済んでいますが、母は長時間目を離せる体調ではないため、少しの時間でも外で働くことは難しいのかな、と思っています。
母のサポートをしながら外で働くという器用なことは、私にはできそうにないし、したくないというのが本音でもありますが、もし介護が必要になり、常に誰かの手を借りる必要が出てきたら、今度はヘルパーやデイケアを頼んで、私は外に働きに出るという選択肢が出てくるので、本当はその方がいいのかもしれません。
今後、公共のサポートを受けることと、家の中を介護や介助をしやすい状態にリフォームしたり整えたりすることは、大きな課題です。
具体的な方向を決めることはできませんが、今からありとあらゆることを想定して動く必要があることだけは、いつも考えて覚悟を決めています。
老いは、本当にゆっくりと進んでいきます。
今はまだ大丈夫、と言っている間に、状態が進んでしまっていることもあるでしょう。
だからこそ、取り越し苦労でもいいから、いろいろ考えておかなくてはいけないな、と思うのです。
本日は、ブログ内容を短めに終わらせるつもりでしたが、今の私の心境と母の状態は記録しておいた方がいいかな、と思ったので、いつもどおりにタラタラと書き綴りました(笑)
なんだかんだいいつつも、ある日突然調子を取り戻すこともある母なので、今後も様子を伺いながら、いろいろと老後の世話について考えていこうと思います。