暮らしの中で、ここはシンプルに考えた方が自分も楽だし相手も満足するなあ、と思うことがいろいろあったりするのですが、特に私が感じるのは、
家庭で食べる料理はシンプルが一番受け入れられる
ということです。
本日は、なぜそう思うのかを、綴ります。
料理は嫌いではないけれど食事の支度は嫌い
料理すること自体は私も嫌いではないし、どちらかというといろいろ調べては美味しく作る調理方法や味付けを試したりしますが、日々の食事の支度は正直好きになれません。
これは何故なのかな、と考えてみたのですが、まずメニューを考えるのが億劫です。
次に、メニューをやっと決めても、材料が揃っているかを確認し、足りないモノがあれば買い物へ行くか、メニューそのものを変えるか、あるいは足りないモノ抜きのまま調理して、少し物足りない料理を仕上げるか、といったプチハプニングに対応しなければならないのが、二度手間になったり非効率になったりするので、私の性格上イライラします(苦笑)
そして、やっとの思いで作った料理を家族が残したり食べなかったりすると、味付けが嫌いだったのか、そもそもその料理が嫌いなのか、それとも体調が悪いのか、といろいろ考えて気を遣って、正直メンタル的な疲労が半端ないです。
こういうことの繰り返しが、日々の食事の支度につき纏ってくると、もうなにもかもやめて全部外注にしたいところなのですが、そんなお金はどこにもないので、作り続けるしかありません。
ですから、なるべく食事の支度で感じるストレスを軽減するために、いろいろ試しています。
手を抜くことでストレス軽減してみるが
食事の支度でストレスを感じないようにするために、私はたとえどれだけ批判されようと、総菜は買うし冷凍食品やチルド食品やレトルトを買って、使って、料理の工程をなるべく減らします。
それは、料理の工程を減らすことで、家族が食事を残したり、食べなかったりしても、私が作ったわけじゃないし、と割り切ることができると思ったからです。
しかし、どうも手を抜くだけでは、私のストレスはなかなか解消されませんでした。
まあ、1つは唯一の家族である母が極度の偏食家なので、総菜ひとつ選ぶのにも選択肢が少なすぎて、なかなか思うように買い物ができないことがあります。
もうひとつは、母が好む総菜や半調理済み食品は、母の病気に対してよろしくないモノが多いのです。
ですから、それもあってますます買い物時に迷走してしまい、それがストレスになります。
そして、やっと選んで購入した総菜を、母が残す、食べない、となると、じゃあ何を買えばいいのよ、となってしまって、それがストレスになります。
ということは、総菜や半調理済み食品を買うだけでは、私のイライラは解消しないということになるので、もっと違う方向から思考を修正していく必要があると思いました。
何なら食べて、何なら食べないか
一時期、母が私の手作りに限って食べない日々が続いたことがありました。
毎日のように残飯が出てしまうので、私は単純に量の問題だと考えていましたが、どうも料理の特徴によって、完食したり残したりが決まっているようだということに気が付きました。
母は、ざっくりとしたくくりで言うと「炭水化物の塊」や「濃い味」の料理が大好きです。
例えば、カボチャ、いも類全般、白米、もち、パン、せんべい、なにかの味噌煮や醤油で炊いた料理、揚げ物、醤油をたっぷりかけた刺身や冷奴。
母が何故、糖尿病になったのかがわかる好みです(苦笑)
それでも、何も食べなくなってしまっても困るので、全体的な食事のバランスを考えながら、母が好きな食材や料理を作るのですが、それでも残すときがあります。
これは、母が完食する料理と残したり食べなかったりする料理を、ある程度分析したほうがよさそうだと思い、時間をかけて母を観察していましたところ、いろいろな事に気が付きました。
答えはシンプル
母が残したり食べなかったりする料理は、私がたまに目先を変えたくて、少し味付けを複雑にしてみたり、見た目に楽しめるように工夫した料理ばかりでした。
例えば、野菜のペーストを使った料理、魚のソテーやホイル焼き(ハーブを使用)、パエリヤ、魚介のブイヤベース、アヒージョ、パスタ、インド風カレー(ルウを使わないカレー)、ハーブやスパイスを使って調理した野菜、いろいろな具が入った麺類。
逆に完食する料理は、かぼちゃの煮物やサラダ、いもの煮物やフライドポテトやポテトサラダ、焼きナスやナスの煮びたし、焼き魚、煮魚、醤油味の混ぜご飯やグリーンピースご飯、シンプルなカレーやシチュー、具がシンプルなグラタン、具の少ない麺類、漬物です。
完食する料理としない料理をピックアップしてみると、どうも母は見た目も味付けもシンプルな料理がいいようです。
つまり、私がたまに味付けや見た目に凝った料理を作ったり、そのような総菜や弁当を買ったとしても、母の舌と胃袋を満足させることができていなかった、ということなのです。
おそらく、嫌いということではなく、食べなれていて見た目に料理名がわかりやすい料理が、いちばん食が進むのですね。
だから、全体的に凝った料理や、定番とは言えない洋食を無意識に拒否しているのだろう、と言うのが私が得た結果です。
また、たまに適当に野菜を切って火をとして味を付けただけの、名もなき料理を作る際も、どんな具を使っているのかが一目瞭然であれば、母は食べてくれますが、何が入っているのか一目でわからない場合は、手を付けようとしません。
ですから、母のことを考えて料理を作ったり買ってきたりする場合は、とにかく見た目がシンプルでわかりやすい料理に限る、ということなのです。
すべてをシンプルにして私のストレスも減らす
母が完食するためには、まずは量を調整すること、そしてとにかく味も見た目もシンプルで定番料理であることが条件なようですので、用意する私もそこを踏まえて買い物をしたり調理したりするようにしてから、少しストレスが軽減されているような気がします。
用意する食事にシンプルという条件を付けると、毎日の献立もあまり考えなくなります。
今ある食材で作れる、シンプルな料理を基本にしておけばいいだけ。
また、何を作ればいいかがわかっていれば、手抜きや調理工程の省略もしやすいし、用意する食材や調味料がないからと言って予定を変える手間暇も不要になります。
玉ねぎとニンジンがあったら、とりあえず煮るか炒める、味付けは醤油かソースか塩、ハーブや珍しいスパイスは使わない、ブロッコリーは塩で茹でるのみ、いんげんやほうれん草はとにかく和え物にするなど、ワンパターンにしておけば母の食も進むので、残飯も出にくくて後片付けも楽です。
これまで、いろいろ工夫してどうやったら食べてもらえるか、どうやったら食材がムダにならないかと頭を悩ませていたのに、たどり着いた答えは
シンプル
この1語に尽きるとは、今までの努力は一体何だったのでしょうね(苦笑)
シンプルと特別
家庭内で食事の支度を担っている人には、こういうお悩みが多いのではないでしょうか?
そういうときは、思考も料理もシンプルにすると解決するのかもしれません。
人って家庭の味には「安心感」を求めているような部分もありますから、おそらく料理そのものがシンプルな分には、誰も文句は言わないような気もします。
もちろん、何か特別な日のご馳走は、凝った料理を出していいと思いますし、そういう日は家族も特別な料理を堪能してくれるはずです。
また、たまに外食に行ったときは、いつもは家で作らない料理(作れるけれど作らない料理も含めて)を食べることで、特別な気分を味わえるので、凝った料理は普段の家での食事には必要ないのかもしれませんね。
よく一人暮らしの人が、家庭の味を求めて定食屋でシンプルな定番定食を頼んだりするのは、特別な料理はたまに食べるから美味しいのであって、やはり普段の食事はシンプルが一番だと無意識に感じているからなのでしょうね。
凝った料理はシンプルな料理には敵わない
ですから、これからは食事の支度はとにかくシンプルな思考で臨もうと思います。
ちなみに本日の夕食は、グリーンピースご飯、にんじんと玉ねぎと3種のキノコの甘口醤油ダレ煮(レンジ料理)、トマト、納豆の我が家でした。
超シンプル(笑)
家庭で食べる料理はシンプルが一番受け入れられる
ということです。
本日は、なぜそう思うのかを、綴ります。
料理は嫌いではないけれど食事の支度は嫌い
料理すること自体は私も嫌いではないし、どちらかというといろいろ調べては美味しく作る調理方法や味付けを試したりしますが、日々の食事の支度は正直好きになれません。
これは何故なのかな、と考えてみたのですが、まずメニューを考えるのが億劫です。
次に、メニューをやっと決めても、材料が揃っているかを確認し、足りないモノがあれば買い物へ行くか、メニューそのものを変えるか、あるいは足りないモノ抜きのまま調理して、少し物足りない料理を仕上げるか、といったプチハプニングに対応しなければならないのが、二度手間になったり非効率になったりするので、私の性格上イライラします(苦笑)
そして、やっとの思いで作った料理を家族が残したり食べなかったりすると、味付けが嫌いだったのか、そもそもその料理が嫌いなのか、それとも体調が悪いのか、といろいろ考えて気を遣って、正直メンタル的な疲労が半端ないです。
こういうことの繰り返しが、日々の食事の支度につき纏ってくると、もうなにもかもやめて全部外注にしたいところなのですが、そんなお金はどこにもないので、作り続けるしかありません。
ですから、なるべく食事の支度で感じるストレスを軽減するために、いろいろ試しています。
手を抜くことでストレス軽減してみるが
食事の支度でストレスを感じないようにするために、私はたとえどれだけ批判されようと、総菜は買うし冷凍食品やチルド食品やレトルトを買って、使って、料理の工程をなるべく減らします。
それは、料理の工程を減らすことで、家族が食事を残したり、食べなかったりしても、私が作ったわけじゃないし、と割り切ることができると思ったからです。
しかし、どうも手を抜くだけでは、私のストレスはなかなか解消されませんでした。
まあ、1つは唯一の家族である母が極度の偏食家なので、総菜ひとつ選ぶのにも選択肢が少なすぎて、なかなか思うように買い物ができないことがあります。
もうひとつは、母が好む総菜や半調理済み食品は、母の病気に対してよろしくないモノが多いのです。
ですから、それもあってますます買い物時に迷走してしまい、それがストレスになります。
そして、やっと選んで購入した総菜を、母が残す、食べない、となると、じゃあ何を買えばいいのよ、となってしまって、それがストレスになります。
ということは、総菜や半調理済み食品を買うだけでは、私のイライラは解消しないということになるので、もっと違う方向から思考を修正していく必要があると思いました。
何なら食べて、何なら食べないか
一時期、母が私の手作りに限って食べない日々が続いたことがありました。
毎日のように残飯が出てしまうので、私は単純に量の問題だと考えていましたが、どうも料理の特徴によって、完食したり残したりが決まっているようだということに気が付きました。
母は、ざっくりとしたくくりで言うと「炭水化物の塊」や「濃い味」の料理が大好きです。
例えば、カボチャ、いも類全般、白米、もち、パン、せんべい、なにかの味噌煮や醤油で炊いた料理、揚げ物、醤油をたっぷりかけた刺身や冷奴。
母が何故、糖尿病になったのかがわかる好みです(苦笑)
それでも、何も食べなくなってしまっても困るので、全体的な食事のバランスを考えながら、母が好きな食材や料理を作るのですが、それでも残すときがあります。
これは、母が完食する料理と残したり食べなかったりする料理を、ある程度分析したほうがよさそうだと思い、時間をかけて母を観察していましたところ、いろいろな事に気が付きました。
答えはシンプル
母が残したり食べなかったりする料理は、私がたまに目先を変えたくて、少し味付けを複雑にしてみたり、見た目に楽しめるように工夫した料理ばかりでした。
例えば、野菜のペーストを使った料理、魚のソテーやホイル焼き(ハーブを使用)、パエリヤ、魚介のブイヤベース、アヒージョ、パスタ、インド風カレー(ルウを使わないカレー)、ハーブやスパイスを使って調理した野菜、いろいろな具が入った麺類。
逆に完食する料理は、かぼちゃの煮物やサラダ、いもの煮物やフライドポテトやポテトサラダ、焼きナスやナスの煮びたし、焼き魚、煮魚、醤油味の混ぜご飯やグリーンピースご飯、シンプルなカレーやシチュー、具がシンプルなグラタン、具の少ない麺類、漬物です。
完食する料理としない料理をピックアップしてみると、どうも母は見た目も味付けもシンプルな料理がいいようです。
つまり、私がたまに味付けや見た目に凝った料理を作ったり、そのような総菜や弁当を買ったとしても、母の舌と胃袋を満足させることができていなかった、ということなのです。
おそらく、嫌いということではなく、食べなれていて見た目に料理名がわかりやすい料理が、いちばん食が進むのですね。
だから、全体的に凝った料理や、定番とは言えない洋食を無意識に拒否しているのだろう、と言うのが私が得た結果です。
また、たまに適当に野菜を切って火をとして味を付けただけの、名もなき料理を作る際も、どんな具を使っているのかが一目瞭然であれば、母は食べてくれますが、何が入っているのか一目でわからない場合は、手を付けようとしません。
ですから、母のことを考えて料理を作ったり買ってきたりする場合は、とにかく見た目がシンプルでわかりやすい料理に限る、ということなのです。
すべてをシンプルにして私のストレスも減らす
母が完食するためには、まずは量を調整すること、そしてとにかく味も見た目もシンプルで定番料理であることが条件なようですので、用意する私もそこを踏まえて買い物をしたり調理したりするようにしてから、少しストレスが軽減されているような気がします。
用意する食事にシンプルという条件を付けると、毎日の献立もあまり考えなくなります。
今ある食材で作れる、シンプルな料理を基本にしておけばいいだけ。
また、何を作ればいいかがわかっていれば、手抜きや調理工程の省略もしやすいし、用意する食材や調味料がないからと言って予定を変える手間暇も不要になります。
玉ねぎとニンジンがあったら、とりあえず煮るか炒める、味付けは醤油かソースか塩、ハーブや珍しいスパイスは使わない、ブロッコリーは塩で茹でるのみ、いんげんやほうれん草はとにかく和え物にするなど、ワンパターンにしておけば母の食も進むので、残飯も出にくくて後片付けも楽です。
これまで、いろいろ工夫してどうやったら食べてもらえるか、どうやったら食材がムダにならないかと頭を悩ませていたのに、たどり着いた答えは
シンプル
この1語に尽きるとは、今までの努力は一体何だったのでしょうね(苦笑)
シンプルと特別
家庭内で食事の支度を担っている人には、こういうお悩みが多いのではないでしょうか?
そういうときは、思考も料理もシンプルにすると解決するのかもしれません。
人って家庭の味には「安心感」を求めているような部分もありますから、おそらく料理そのものがシンプルな分には、誰も文句は言わないような気もします。
もちろん、何か特別な日のご馳走は、凝った料理を出していいと思いますし、そういう日は家族も特別な料理を堪能してくれるはずです。
また、たまに外食に行ったときは、いつもは家で作らない料理(作れるけれど作らない料理も含めて)を食べることで、特別な気分を味わえるので、凝った料理は普段の家での食事には必要ないのかもしれませんね。
よく一人暮らしの人が、家庭の味を求めて定食屋でシンプルな定番定食を頼んだりするのは、特別な料理はたまに食べるから美味しいのであって、やはり普段の食事はシンプルが一番だと無意識に感じているからなのでしょうね。
凝った料理はシンプルな料理には敵わない
ですから、これからは食事の支度はとにかくシンプルな思考で臨もうと思います。
ちなみに本日の夕食は、グリーンピースご飯、にんじんと玉ねぎと3種のキノコの甘口醤油ダレ煮(レンジ料理)、トマト、納豆の我が家でした。
超シンプル(笑)