絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

4月の真夏日

2006年06月08日 00時17分21秒 | 一絃琴
昨年の演奏会の日は、4月末だったが28度を越える
真夏のような日だった。
掟破りだったが、気温が夏なら夏仕様かも?と
水色の小紋(単衣)を着ていった。
汗で、芦管がすべりそうで集中できなかった。。。
この着物ももうなんとなく暑く見えてしまう…
夏の帯があまりないけど、ほとんど夏には着ないし。
浴衣だって、暑いよ~~~。

「須磨の昔」

2006年06月02日 18時20分50秒 | 一絃琴
履修の曲のなかでもとくに気に入っている曲です。
作詞作曲とも、真鍋豊平。

伝説の須磨琴の話はさておき、
一絃琴中興の祖といわれる僧「覚峰」の考えと
幕末~明治にかけて沢山の曲を作った、この真鍋豊平の頃の考えとは
必ずしも合致しないのではと思います。
さらに時代が下り、名曲『伯仙操』をかいた徳弘太むは、
また真鍋とは違う考えだったでしょう。

一絃琴を語るとき、この三つの異なった時代と考えが
ごっちゃにされることが多いように思います。
あるときは真鍋の考え、またあるときは覚峰の・・・と
一定性がないようです。。。

『須磨の昔』は、須磨琴の伝説の君を思い歌う曲です。
この曲だけでなく、真鍋の作った曲をみると
このひとが、高音から低音までを自由に駆使して
歌える人だったのではないかと思えます。
高音の響きがとくに美しいです。
この曲の後半部分、伸びる声の男性であれば
非常に美しい情景を描くことができるでしょうねぇ。
(女声より男声のほうがいいように思います)
「松の 木蔭や 須磨の 浦」の部分、
歌という耳で聞く音でありながら、同時に非常に絵画的であるのが
不思議です。。。

習い始めの頃

2006年05月30日 08時51分01秒 | 一絃琴
新しく入門された方のお話を聞いていて
ああ、自分も全くそうだったと思うことも多いです。
と同時に、習い始めの頃には気づかなかったことや
思い込んでいたことが、実はそうではなかったということが
もろもろあります。

録音の話の中で、その男性の方は歌の謡い方がわからないので
録音させてもらうか、五線譜にしてほしいとおっしゃったそうでした。
実際の琴の音や歌を五線譜にはめ込む、というのはなかなか
難しいと思います。
当てはまる音もあれば、ないのもあるというか
三味線や、笛の類も同じだと思うのですが、中間の音と言うか
ぴったりとはいかないからです。

実際に一絃琴の曲を五線譜にあらわした方がいらっしゃいますが
やはり、ある程度習った上でそれも参考にすればよい、というお考えです。
(橋本遊弦先生)

うちの会では、先生がどのように歌を弟子に教授するかといいますと
まず、琴の弦の音があり、その音を頼りに歌を謡う、というやり方です。
つまり、まず弦の音ありき(それが前でも後でも)でそれに歌がついてくる
というスタイルといいますか・・・。

思うに、ある程度曲の感じや歌が謡えるようになったら
琴を弾かずに、歌だけである程度練習してみると良いかと思います。
その歌の持つ雰囲気というのがわかってくるというか
どこをのばして、どこで息継ぎがくるのか、とかがわかって
歌の持つイメージを抱きやすくなるのではないかと思ったりします。
つまり琴の演奏につられて、そこは伸ばさないだろうと思われるところまで
無理にのばしてしまったりするのを防げるかもしれないからです。
また、琴に合わせてだけやっていると平板になってしまうところも
歌を切り離して練習してみると、歌に込められた作者の想いが
「言葉」を通して伝わってくることもあると思います。
それは、言葉の持つ響きですから、「理屈」ではたぶんないと思います。
言葉が持っている「音」なのだと思います。

これも自分の勝手なやりかたなのでいいかどうかわかりませんが
もともと一絃琴の指導法などというものは、確立されているわけ
じゃありませんので、習う側が工夫して練習していくしかないと思います。




琴の音が出るまで

2006年05月27日 12時48分05秒 | 一絃琴
うちの会に、新しく二人の方が入られて3ヶ月くらい経つのでしょうか?
そのお一人の方と少し話す機会がありました。
琴の練習はしないといけないか、どうか、という話になり
「ひとり楽しむものだから、べつに特別上手にならなくてもいいよね」と
いうようなことをおっしゃるので、
はじめの頃、私のお琴は全然いい音がでなかったので、半年くらいは
毎日3時間くらい練習しました、と言うとびっくりしていました。

琴の質もあるでしょうが、私のところに来た琴はあまりよくなかったのかも。
普通のものはそんなにやらなくても、響く音が出るように思います。
この新しい方の考えというのは、いま一絃琴を習っているほとんどの人の
考え方と同じように思います。
つまり、その雰囲気を楽しんでいればいい、ということですね。

また、もう一人の「録音」させてほしいと先生にお願いしている方は
わたしと同じく、ちょっとでも上手に弾けるようになりたい、
いい音を出したい、と考えておられるのでしょう。
練習しない生徒はうまくはなりませんが、先生からしてみれば
扱いやすい人であります。
一方、真剣に取り組んでくる生徒というのは、
やがてその先生のあり方そのものを問うてくる存在になりえるので
よほど度量のある先生でない限り、
そんな生徒は、普通の先生にとっては「かわいくない」のです。
いろいろと、考えさせられることが多いです。



「△」の音は

2006年05月26日 08時33分38秒 | 一絃琴
「一つ緒のみち」の演奏方法のところをもう一度読み返していたら
「△」の音は、「一」と「二」の中間を押さえるが、最近は
他の音を使う場合もある、とあった。
左手の芦管の押さえ方、力具合で音も微妙に上がったりするので
(それでも、半音もは上がらないと思うが)
ほんとに耳を良くするか、徹底的に教えてもらうかどっちかしないと
わたしは、ずっとこの「△」のある曲はひけないことになる。

譜面もそれを書いてから年月が経つと、その著者も当時のまま
弾いているとは限らない。いろいろと私にはわからないことだらけ。
「自分自身で探していく」などと偉そうに書いていたが
あっという間に次の出口のない迷路に入り込む。。。

「友千鳥」も。。。

2006年05月22日 23時54分16秒 | 一絃琴
今日、あらためて表記が「△」の音の曲を見ていたら
結構たくさんありました。
「友千鳥」もその中の一つです。
「しばなく」というところで、2つずつ入ります。
(習っている人しかわからない話で恐縮ですが…)
「友千鳥」は、遠くから近くへと鳥の鳴き声が近寄ってくるような
また浜の波が寄せるような、そんな感じを受ける曲で、
この「△」がぴったりきたらいい曲になるのに…
今日は、この音がどの音ならぴったりくるのか
ピアノの音も拾いながら、調弦器とにらめっこしながら
探してみました。(今まで何故そうしなかったのかな?)
結果「一」の音の半音上げ(「一」はピアノで言えば
「ミ」の音に近いでしょうから)つまり「ファ」に近い音で
なんとなく納得しました。でも、こんなのでいいんだろうか?
(どうも教えてもらった音とは違うんだけどなぁ…

高砂

2006年05月19日 12時57分48秒 | 一絃琴
高砂といえば、よく昔の嫁入りの披露宴で披露されるあの唄を
思い浮かべるでしょう。
「住の江」はこれがもとになっている曲です。

一昨年だったか、名古屋の能楽堂で子ども向けの「能の世界」体験の
催しがあり、親子で出かけていきました。
大変すばらしい企画のもので、『舟弁慶』を観せてもらい
実際に子どもたちに「竜笛」「鼓」などを時間を区切って
演奏指導して下さり、親子そろって『高砂』を教えていただきました。
最後は、能舞台で演奏される囃し方の音にあわせて『高砂』を
みなで謡い、ほんとうに貴重な体験となったのでした。

ちんぷんかんぷんの私が言うのもなんですが、
「能」を観るとき「何を言っているんだかわからなくて眠くなる」方も
正直多いかと思います。しかし、実際には能楽師の方の発声は驚くほど
はっきりしていて、また、その音量もすごいです。
佐藤友彦さん(名古屋の能楽師の方)が狂言のさわりをやってくださるのを
まじかに聞いたことがありますが、本当に響く声です。

ひるがえって、一絃琴の歌のことを考えてみますと、
腹式呼吸に全然なっていない歌の人が多いように思います。
(マイクを使えば、そういう歌でも聞こえますが)
腹式呼吸でない歌は、音量が小さく聞き取れないし
また声が口の中でこもっている歌は、言葉自体が聞きにくくて
相手に何かを「伝える」まで至らないように思います。
(すなわち、自己満足)

一絃琴は人に聞かせるものではない、自分ひとりで弾くものだ、と
いわれればそれまでですが「独りよがりでない」演奏の指導を
一絃琴の伝承者と自負する先生方にはやっていただきたいと
強く思うのでした。(歌の指導ってしてくださるんでしょうか?)
現実には、琴の弾き方に終始して歌どころではない、というのが
大半なのかも。なんで~~~~???



しっくりこない音

2006年05月18日 14時49分27秒 | 一絃琴
稽古での先生の指導は終わっても、弾けてない曲は自分で練習を
続けています。それでも、なかなかうまくはいかない曲もあります。

わたしは、清虚洞新譜の記載でいうと「△」の音のある曲が
どうもうまく弾けません。というか「△」の音がどうしても
しっくりこないので、弾いていても曲にならないのです。
どうしてなのかな?教えていただいたように弾いているつもり
なのですが、それこそ「△」の音の録音がほしいです。

「清き渚」といういい曲があるのですが、このなかに出てくる
「△」の音がわからない。というか指導されたように弾いても
音がずれている気がして気持ち悪いのです。。。
他の社中ではこの曲を演奏会で弾く方も少なくないです、
みなさん、普通に楽しく弾いていらっしゃいますが…

洋楽ではないだろうと思うような「はずれ音」?が
たまに出てきますが、それともちょっと違うような気もします。
なんでしょう?自分がへんなとこ押さえているだけなのか
よくわからないです。


「住の江」

2006年05月17日 09時55分15秒 | 一絃琴
「千代の友」もきちんと弾けてないけれども次の曲に入りました。
これも良く分からない…
新しく入られた男性の方が、お稽古のとき先生の演奏を
録音したいとおっしゃったそうで(先生いわく)。
1ヶ月に2回、ただ聞くだけではなかなか頭に入らないので、と
いわれたそうです。もう実に同感です!
でも、文句言いのこのわたしですら
それはなかなか言いづらく、お願いしたことはありません。
演奏会のときも、録音したことはありません。
(録音されたくない、というようなことを以前話しておられたので)

録音されたものを参考にして練習すればきっと上達が早いと思います。
でも、録音された琴の音に気をとられると
自分の琴の響きに鈍感になってしまうようにも思い、
できれば、他のお稽古のように毎週見ていただくのが良いでしょうね。
せめてそれぐらい接してないと「伝承」と言いいがたいではないかと
思ったりします。

「千代の友」

2006年05月15日 09時04分10秒 | 一絃琴
ろくに練習も出来てないのに、明日お稽古の日です

この「千代の友」は、三弦の曲だそうで…
歌がそれこそ中心です。
う。。。なかなか難しいんですね。
三味線できるかたなら、瞬時に理解できるだろう事を、わたしの場合
あーでもない、こーでもないと、模索せねばならないわけでして。

筝の曲も少なくないですね、ならば、筝と三味線も習って
そして一弦琴をやった方が、話が早い気がします。
(正直なとこ)

前も書きましたが、一弦琴の曲はもともと非常に少なかったので
現存する曲の独自の歌い方なんて存在しなかったと思います。
みんな、筝曲や三味線の歌を取り入れたと思うのです。
でも、三味線を習うと三味線の歌になってしまってだめだ、
と先生から言われます。そんなわけないと思うけど。。。
(よくわかりませ~~ん。

「一弦琴 一つ緒のみち」

2006年04月29日 13時02分41秒 | 一絃琴
奏法について図入りで書かれているのは
大西一叡著「一弦琴 一つ緒のみち」でした。

これと愛知一紅著「一絃琴 愛知一紅演奏曲集 別巻(解説本)」を
読むあわせてみると、清虚洞という一つの流派の流れがわかる。
これらを読む前は、この派が一絃琴の一大流派と思い込んでいたが
(泊仙操があるので)
いまは、あくまで種々ある流派の一つと思うようになってきた。

真鍋豊平の芸風?を色濃く残している流派というのは
果たして存在するのだろうか。
あるいは、奏者による解釈や好みで変わって行っており
そのようなものは残り得なかったのか。

ともあれ、もとは一つの流れで始まっても、枝別れしていくのは
一絃琴に限らずあることだろう。

歌が主で、琴が従

2006年04月27日 13時26分19秒 | 一絃琴
一時期、非常に非常に迷っていましたが、
いまは「歌が第一義的なもので、琴の音はその次に来る」という
考えで曲にむかっています。
これが、はたして正しいかどうかわからない、
わからないけれども、いま一番自分としてはこの考えがしっくり
くるのです。
だからといって、琴の音色をおろそかにするものではないのですが
琴を重んじるあまり、歌の解釈やそれに気持ちを込めることが
おろそかになる方が注意すべきだと、思うのです。

弦は一本しかなく、弾こうと思えば簡単に音自体は出せます。
でも、こころに響く音色にするには、きっと何年もかかるでしょう。
ただ、それ以上複雑にできないという限界もあるのです。

一方、歌は、実に千差万別、一人ひとりの顔が異なるように
歌声というのは限界がないのです。
それぞれの人の生きてきた証のような「言の葉」と、琴の音とで
二つのものが調和して、その人にしか弾けない一弦琴を奏でるのだと
いまは思っています。だからこそ興味深く、自分自身を切磋琢磨し
深めていくことが、すなわち一絃の琴の道ではないかと
僭越にも考えたりします。
(手なぐさみではない、一絃琴の世界を体現したいものです~~~


儒教と日本人

2006年04月25日 08時39分54秒 | 一絃琴
一絃琴の場合、江戸中期より盛んになってきた「国学」との
関連がいつも言われる。(いわゆる大和心の再見、復興)
それまで、仏教や儒教に侵食され続けた日本人の、真の精神を
取り戻そう!!ってな具合で、荷田春満、本居宣長や賀茂真淵と
いった人々が有名だ。
それまで、官学として儒学が重要視されていたと思うが
幕末の『復古主義』(将軍ではなく天皇を拝しあがめる考え)に
この国学はぴったりなことだった。

で、なぜ、尊王の武士たちに一絃琴なのか?ということだが
この琴の真のルーツそのものが、確かなことはわからないので
(民族学的なことはあっても、音楽的にはわからない)
私自身はっきりとはかけないのだが
江戸末期に流行るまえは、あまり曲がなかったのではないか、
あったのは、御神楽歌や万葉の時代の歌だけだったのではないかということだ。
(あくまで仮想です)
だからこそ、万葉の時代のこころ、すなわち「大和こころ」を表現できると
感じたのではないのだろうか。
また、奈良・平安時代には、貴族の教養としての「笛」「琴」が
あったことから、古きよき時代を彷彿とさせるものであったのかもしれない。
また上代の琴は、琴柱のない「きん」であっただろうから
筝(そう)には向かわず、一絃琴にいったのかもしれない。
(筝の演奏は難しいので、手軽そうな一絃琴が好まれたのかも?)

ではタイトルに書いた「儒学」と何の関係があるのかということだが
現代の人々が(自分も含めて)『日本人らしさ』というとき
果たしてこの国学のいうところの「大和こころ」をイメージするのか
はたまた、中世以降の仏教や儒教に侵食された考え(自分ではそうと気づいていない)を
思い浮かべるのか?どうなんだ、ということを考えてみたいと思ったのだった。

ブログで、「日本人のDNAが…」と偉そうに書いてあるが
その「日本」は、実は儒教に支配された「日本」かもしれないのだった。。。
いま「儒教とは何か」読んでいるが、なかなか面白い。
この本とは関係ないのだが、最近あることから『斎藤拙堂』を知った。
江戸時代末期、津藩に『斎藤拙堂』という藩主お抱えの儒学者がいた。
津の偕楽公園だったかに大きな石碑があるらしい。
機会があれば行ってみたい。(つつじの頃に…)



発表会

2006年04月23日 20時27分44秒 | 一絃琴
発表会、無事終わりました(ホッ)

結局「今様」を先生と姉弟子の方と3人で弾き
そのあと、「鴛鴦」をひとりで弾きました。

子どもに聞いたら「まあまあのでき」と言ってくれたので
上手にできた方でしょう。。。

それにしても「鴛鴦」いい曲です。
もっと上手になって、「鬼気迫る感じ」とか
「怨」みたいなのが曲から流れ出てくるように
なってみたいものです。
(あくまで願望)


平家物語

2006年04月19日 09時36分54秒 | 一絃琴
いけなかった「平家物語の夕べ」、代わりに行った姉の言
『上原まりの琵琶、幽玄の世界に引き込まれた』そうだ。
う~~~ん、残念!わたしも聴きたかったよ。

やっぱり、プロも本物は違うんだ、きっと。
演劇などは、お金取ってるプロでも高校生の演劇コンクールより
面白くないものもあるけど。
一絃琴の言ってる幽玄とは比べ物にならないんでしょう…
弦が多いと響きも重層感が出るし。
一絃琴ではどういうふうにすれば「凄み」みたいなのを表現できるのか???
わからないな~~~。

稽古する人も女性が圧倒的に多いので、幽玄かどうかなど
別に関係ないような感じだ。
一弦で手軽だから、なんとなく楽器できなくても弾けそうだ、
と思って入るのかもしれない。
(それは江戸時代の下級武士の動機と似ているかも!?)
また、教えるのも女性がほとんどだから余計「幽玄」というより
「みやび」とか「奥ゆかしさ」の方に傾斜しているのかもしれない…

そちらの方向に行ってしまうと、曲のもともとの雰囲気とは
違うのではないかと思ったりする。
「みやび」や「つやっぽさ」などを求めるのなら他の楽器の方が
はるかに優れているからだ。一絃琴では何が表現できるのだろう?
そうはいっても、曲の解釈も人それぞれだから、
曲から受けるイメージも違うのかもしれない。。。
自分はこの琴が「高尚な趣味をお持ちで」という世辞に終わらないもので
あってほしいと思う。