突然ですが、そういえばうちのクラスの担任の処遇について
あのあと何も書いてなかったことを思い出しました。
あれはもう去年の12月のこと、そうだ、もう
2ヶ月も経ったのでした。
校長、教頭先生、市教委の課長、課長補佐、指導主事と
保護者ほぼ全員に近い出席で行なわれた話し合いでした。
ほとんど耳を疑うような事実の数々。。。
その後、年末に、校長名と担任本人の名で
それぞれB5用紙に反省文がプリントされて
各家庭に配られ、それでおしまいになりました。
話し合いのとき、こういう(門外漢の人を)
いきなり教壇に立たせた「雇用者」の責任はどうなのか、と
課長に聞いてみましたが、そんなの、結局
「責任を感じています」だけで終わり
「責任をどうとるのか」「責任を取るとはどういうことか」
などそれ以上のことを追求することが
私自身出来なかった。
雇ったが最後やめさせられないんだろうか?
はなから、保護者には我慢してもらう、ということだった
のです。結局泣き寝入りです。
教育は大切だ!といくら保護者が叫んでも
当の教育委員会はそうは思っていないのです。
保護者ほど強く、深くは考えてはいないのです。
所詮ひとごと、人のうちの子どものことなんです。
『運が悪かったね』くらい、家に帰って奥さんとぶつぶつ
話している程度のもんです。
日本という国の経済も破綻に向かっているといわれる中
各自治体はもっと深刻な経済状況に追い込まれているでしょう。
橋下知事の大阪府だけではないのです。
そうなれば、ますます、正規の教職員の雇用は減らし
とりあえずの一年ごと契約する、講師が
今以上に多くなるでしょう。
講師が増えるということは、それだけ質が落ちるということです。
なぜなら、常勤にしろ非常勤にしろ、講師はテストフリーで
ペーパードライバーでもオッケーだからです。
何をもって『教育者』と呼べるのかはわかりませんが
未来ある子ども達に、大切なことを伝え導いていくのに
その道の<プロ>でなくてどうなるの?と
言ってやりたい。。。
…世界の中心で…叫ぶ……
あのあと何も書いてなかったことを思い出しました。
あれはもう去年の12月のこと、そうだ、もう
2ヶ月も経ったのでした。
校長、教頭先生、市教委の課長、課長補佐、指導主事と
保護者ほぼ全員に近い出席で行なわれた話し合いでした。
ほとんど耳を疑うような事実の数々。。。
その後、年末に、校長名と担任本人の名で
それぞれB5用紙に反省文がプリントされて
各家庭に配られ、それでおしまいになりました。
話し合いのとき、こういう(門外漢の人を)
いきなり教壇に立たせた「雇用者」の責任はどうなのか、と
課長に聞いてみましたが、そんなの、結局
「責任を感じています」だけで終わり
「責任をどうとるのか」「責任を取るとはどういうことか」
などそれ以上のことを追求することが
私自身出来なかった。
雇ったが最後やめさせられないんだろうか?
はなから、保護者には我慢してもらう、ということだった
のです。結局泣き寝入りです。
教育は大切だ!といくら保護者が叫んでも
当の教育委員会はそうは思っていないのです。
保護者ほど強く、深くは考えてはいないのです。
所詮ひとごと、人のうちの子どものことなんです。
『運が悪かったね』くらい、家に帰って奥さんとぶつぶつ
話している程度のもんです。
日本という国の経済も破綻に向かっているといわれる中
各自治体はもっと深刻な経済状況に追い込まれているでしょう。
橋下知事の大阪府だけではないのです。
そうなれば、ますます、正規の教職員の雇用は減らし
とりあえずの一年ごと契約する、講師が
今以上に多くなるでしょう。
講師が増えるということは、それだけ質が落ちるということです。
なぜなら、常勤にしろ非常勤にしろ、講師はテストフリーで
ペーパードライバーでもオッケーだからです。
何をもって『教育者』と呼べるのかはわかりませんが
未来ある子ども達に、大切なことを伝え導いていくのに
その道の<プロ>でなくてどうなるの?と
言ってやりたい。。。
…世界の中心で…叫ぶ……