絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

ケネディ空港

2007年02月23日 00時21分34秒 | 
成田から直行便でも12時間かかりました。
時差もあるので、往きは結構疲れましたね。
予約の時には満席で、最後の2席をとったのですが
当日は飛行機がらがらで、隣も空いていたのでラッキーでした。
(でも、寝られなかった)

お昼に日本をたって、着いたら同じ日の午前10時。
天候はうす曇り、でも、すごく冷たい空気。
いやな予感、ガイドの人によると明日から雪の予報で
積雪10センチとのこと…ひえ~


ニューヨークの一番寒い時期なので
旅行客も多いといっても春や秋に比べれば少ないもよう。
ホテルも12時にすぐ入れてくれました。
(ほんとは3時チェックイン)

昨日の夕方、成田につきました

2007年02月20日 13時20分57秒 | Weblog
無事帰りました、ニューヨークへの直行便がセントレアからはないので
成田には夕方4時には着いたのですがそのあと乗換え便まで
2時間もあり、結局家に着いたのは夜になってしまいました!

留守中何事もなくて良かった。。。
父と子でひどい食生活だったらしいけど
(ちゃんとご飯作るって言ったくせに)
なんとか、普通に過ごせたようで・・・
かえって私がいないほうが子どもはしっかりしていたみたい。
(助け舟がないのでぐずれない

ああ、あの体調の悪さをよく乗り切ったと
有森選手じゃないが、自分で自分を褒めてやりたいわ。
(冗談です)

ニューヨーク、テレビのニュースで見ては
子どもが大きくなって手を離れたら、一度は行ってみたいなんて思っていたけど
こんなにはやくその機会が来るとは思いませんでした。
いろいろなことが重なって、この時期に行くことになったけど
(ほんとはもっと気候のいい時期に行きたかったです。でも、
 この機会を逃すとまたずっといけないよ、と夫が言うので)
結果、行って良かったです。
いろいろな事情により、息子(大)と行ったのですが
昼間は全くの別行動、夜のミュージカルやオペラ、食事
イルミネーションツアーなどのみ一緒に行動で
うっとうしくなくてよかったです(向こうもそう言ってる!)

まだ、家の中の整理もついていないので
写真アップはもう少しあとになりそうです。

英語は出来るのかって?
全然出来ません。まったくの中学英会話、それも単語のみ?
それでひとりでマンハッタン島を歩き回り(1日2万歩近く)
地下鉄にも乗りました(こわ~~~!)
乗り換えも人に聞き聞きしてやりました【無謀?】
すごく親切でした。どの人も。
丁寧にわかるまで教えてくれました。
感じ悪かったのは、マクドナルドの黒人の店員だけでした。
(タイムズスクエア店だけしか入らなかったけど)
ブラックがイエローを侮辱するのは「目くそ鼻くそを笑う?」の類か
虐げられ続けるものの僻みか?

ちょっとの旅行では深いところまではわからないけど
百聞は一見にしかず、この街をみたらアメリカがどんな国なのか
その一端をかいま見ることができます。
ニューヨークは単にアメリカの中心というのではなく
世界の中心といえる街です。
日本のように、持てる者と持たざる者が混在したりはしません。
圧倒的に金の力によってくっきりと住み分けられている気がする。。。
日本的な「どの人も平等に、一人ひとりが大切」なんて
アメリカはこれっぽっちも考えていないと思います。

出かける前に、「日本国憲法を世界遺産に」という本を読みましたが
この憲法がどうかということではなく、このような非現実的なことを
実際60年も守ってきた、日本人てなんて偉大なんだろうと
つくづく思いました。
アメリカの圧倒的な財力・資源・人材、それに比べて
日本にはなにもない、あるのは人材と勤勉、技術、
それだけでここまできたことが、むしろ奇跡的と思えました。
アメリカがすごいのはその通りですが、
何もないところから復活してきた、日本人はもっとすごい!と
なんでか感動してしまいました。
経済だけじゃないかといわれるかもしれませんが
経済が安定しない国なんて、存在そのものが不安定で人の暮らしが
成り立たなくなるのですから、もっとも大切な部分なのです。

どの人も幸せに暮らすべきだ、とみんなが普通に思っている「日本人」て
ほんとうに気高いと思ったりしました。
(まあ、ちょっと褒めすぎかな?)


ひとりの旅行は、学生のとき「奥の細道」コースを
当時は普通に流行っていた「ユース・ホステル」に泊まって
旅行して以来でしたが、食べるのも買い物も全然大丈夫でした。
ただ、ひとりはいっぱい見て回れるけど
間が持たないので休憩がなかなかゆっくりしないという難点がありました。

また、写真といっしょに書き込みいたしますね。
(自分が全然写っていないよ

しばらくお休み

2007年02月09日 20時15分28秒 | Weblog
諸般の事情により!?しばらくお休みします。
20日過ぎくらいには、また書き込みできると思います。
体調もイマイチ、気分も全然よろしくないのですが
ニューヨークに行くことになって。。。
(こんなんで本当にいけるのか?)
子どものことも非常に気になるのですが
夫が消化休暇で対応するからと言われ、、、
(大丈夫なのか!!!)
まあどんな珍道中になるかわかりませんが
気をつけて行って参ります。。。

読み聞かせ

2007年02月09日 09時55分49秒 | ボランティア
いま行って来ました、朝の本読み。
かねてから荒れまくりと聞いていた今日のクラス。
時間前の教室に行って「今日読み聞かせって聞いてる?」と
近くの男の子に聞くと「聞いてない」という。。。
職員室に声かけにいってみると「会議中」の札が。
しょうがないのであわてて教室にもどると
どこからか大人の男の人の声。。。
よく見ると隅に男性が座っている、、、
声をかけたらどうも新任研修の指導員の方のようでした。

チャイムがなったので「おはようございます!」の挨拶をかわしてから
「ではいまから本の読み聞かせをはじめます」といったら
4,5人の子どもが口々に「意味わかんね~」「なんのことかわからんよ」
「興味ないから聞かない」とかのたまってきた!!
でも、見張りの先生が怖いらしくてそれ以上うるさくはならないので
無視してしっかり大きな声で読んだ(というか聞きたい子に届けばいい、の気持ち)
そのうち、口の悪い子の中にも(いたしかたなく?)
こっちを見ている子も出てきました。
ただ、自分の読みたい(たぶんマンガ)をずっと読んでいる子も何人かいたから
ここはだいたい指示が行き渡らないクラスなんだと察知。。。

まだ3年生なのに、大人みたいな(汚い)言葉を遣い
3年生なのに幼児よりもわがままをこらえられないなんて
なんかかわいそう。
それまでに、教えられるべきことを教えられていないのは
ほんとに子どもにとって不幸なことです。
社会の規範に従う、という生きるうえで必要なことを
小さい頃から教えられなかった子どもって
大人になればなるほど、周囲と摩擦を起こしていくでしょうね。
まったく、かわいそうなことです。。。

小さなパン屋さん

2007年02月07日 10時21分20秒 | Weblog
表通りからは、こんな感じ。
裏の駐車場も増えて、お隣にこれまた田舎風な(ほんとにイマ風)
おうちを建設中。どんな感じになるのか楽しみ…(よけいか)
それこそ、この一角が南欧の片田舎風になる。。。
庭もどこかのプロデュースみたい。
(庭に看板が付いてた)

パンは・・・

2007年02月07日 10時09分32秒 | Weblog

ここは『メナージュ・ケリー』にも載ったことがあります。
ついこの間まで袋に名前の印刷もなかったけど
流行ってるのかな?ネーム入りました。
紙に包んであるのはフランスパン。


子どもが好きなのは「コルネ」クリームを選んで入れてもらいます。
しめじパン、ごぼうフランスなんかが私は好きですが
ほかにも明太子フランスなんかもあります。
店内にパンを食べられるテーブル席があります。
(って、別に関係者じゃありません!?)
このお店が気に入っているのは、パンが食べやすい味なのと
(おいしいかどうかは個人差あり)
お店の庭や建物の造り(雰囲気)が田舎風な感じだからかな?

のせぎょう、って知ってますか

2007年02月06日 12時13分21秒 | ボランティア
こんこんさまにさしあげそうろう

PHP研究所

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金曜日の読み聞かせでこの本を読もうと思っていましたが
もう冬はおしまい!みたく春めいたお天気なので
ちょっとこの内容はぴんとこないかも…

この本の作者の森はな先生がまだご存命のころ
先生の講座で、この本を読んでいただきました。
そのころもうずいぶんとお年でしたが、
「こ~んこ~んさ~まに~、さ~しあ~げそ~ろ~」という
『のせぎょう』の呼び声?(先生が子供のころそんな習わしがあったそうで)が
いまも記憶にはっきりと残っています。

題名のとおりこの本の主人公はきつねの親子です。
寒い寒い時期、野山にきつねの餌になるものも全くなくなる頃
村人達は、きつねに鶏を盗まれたり悪さをされないために
きつねの好物になるようなものを野原においていたそうな…
そのときに「こんこんさまに~」と呼びかけながら持っていったようで
それを『のせぎょう』というのです。
この風習はおもに関西以西にあったようですが、
いまではどうなんでしょうね?
いまもやっているところはあるのでしょうか。
動物たちと共存するためのまさに知恵だったのかもしれませんね。

熊が民家を襲った、とかいろいろ動物の事件がありますが
住む山も開発され、餌がなくなっても『のせぎょう』もなくて
昔は良かった。。。なんて、動物たちもぼやいてるかもね~~


瀬田貞二「かさじぞう」

2007年02月05日 09時53分42秒 | ボランティア
金曜日に小学校の朝読書時間に読み聞かせに行くので
本を選んでいたら、この本が目にはいって音読してみました。

ずいぶん前にでて、今も読みつがれている本ですね。
ほかにもいろいろな作家が出していると思いますが
雪深い地で年越しもままならぬ赤貧のおじいとおばあの感じが
この赤羽末吉の絵でよくでているような気がします。
厳しい寒さと貧しさが、墨絵のような世界に象徴されていて
でも読みすすめて行くと、老夫婦の心持にふっと暖かくなるような
そんな本ですね。
ここには何が書いてあるのか、なんて聞かずに
小さい頃に、静かに親子で読んでみたい本の一つです。

禍福はあざなえる縄のごとく・・・

2007年02月03日 11時42分38秒 | Weblog
センター試験が終わり、大学はもとより高校、中学と
ただいま受験まっただ中のおうちの方もいらっしゃるでしょう。
「ちょっとでも偏差値の上の学校へ」草木もなびく?そんな時代は
過ぎた、といってもこの受験への流れはおさまることはないでしょうね。

「勉強なんかしてもしょうがない」みたいな風潮はどこからきたのでしょうか?
山一証券、北海道拓殖銀行などから?どうなんでしょう。
「勉強より手に職」「学習より技術」
どんなことも基本的な学習があってこそのことでしょう。
自分の時代と比べたら、学校にかかわる学習は半分くらいになっていると
思います。当然身につくことの半分しか習ってないと思います。
(結局その分、塾が活躍!?)
もう、塾経営者の思う壺です、いまの学校のあり方って。
少子化なんかなんのそのです。学校で遊んで、塾で勉強する。。。

テレビで派遣社員が主人公の番組があるみたいです(見ていないけど)
この宣伝のフレーズにたしか「時給3000円のスーパー派遣社員」とかって
いう文句を見かけました。
「数々の資格を持ち…」とあります。
まるで凄い人、という感じですが(現実3000円貰うのはかなりな人?)
教員のパート(非常勤講師といってその時間だけ教えに来る人)は
どこの県でも時給3000円前後くれます。試験もありません。
登録して、需要があれば即仕事あります。
必要なのは、教員免許だけです。(時効なしですよ、いまのところ)
教員免許は、大学に入って教職の単位をとればもらえます。
(免許自体は試験はありません)
正規教職員になるには、各自治体の行なう採用試験に
受からなければなりませんが
非常勤講師(パート)や常勤講師(年単位アルバイト)なら
試験なしで、職につけます。
それがいいということではありませんが、片やスーパー派遣、
片やフリーパス状態というこれが現実であり、
これくらいの差があるのです。

「勉強なんかやったって、そうして入った良い会社が
いつつぶれるかわからないじゃないか」というような世の風潮を尻目に
頑張って勉強している人へ、今している努力がそのまま報われれば
大変結構ですが、たとえ即効で結果が出ずともあきらめずに努力を
続けていくことが、やがて違った形を持って自分に結果を出してくる
時が来る、とエールを送っておきます。

節分とともに

2007年02月01日 11時07分51秒 | Weblog
ここからが本当の新しい年のはじまりとしたいものです。
今日もお天気よさそうですが、夜から雪と言っていますが
はたして積もるんでしょうか?
梅も蕾が脹らんできていますが…

下の子も4月には6年生になり、小学校最終学年です。
この小学校時代、なにが良かったって子どもが思う存分自由に友だちと
遊びまわれたってことですね。
『遊び』その一言につきますね。
遠くの私立小も考えましたが、そっちに行っていたら
どうしても大人が関わらないと遊べない、ということになり
今のように自由ではなかったでしょう。

『学習』については、ここまでひどいとは思いませんでした。
なにがひどいかって、子どもの学習レベルということではなく
学習させる気がない、学校の姿勢(文科省の方針)ですね。
先生方個人個人の考えはわかりませんが、上からこの方針で、と
いわれたなら、やはりその方針に従うのでしょうね。
だから、ひどいことになる、とわかっていても
宿題でカバーしようなんて気はさらさらないわけです。
いつも、そういう態度に頭に来ていましたが
冷静に考えれば致し方なかったのかもしれません。
(だって、文科省が『勉強させるな』といってたんですから)

いま『ゆとり教育』がまるで見直されたような報道がされてますが
実際これが変更されてから、かつての「どの子も一定レベル」になるまでは
10年はかかるでしょうね。あるいはもう復活不可能かもしれません。
世の中がかわり、「勉強してもしょうがない」みたいな誤った考えが
蔓延しているこんにちでは。
学業を終えて社会に出たとき、漢字も書けない、簡単な計算もおぼつかない
そんな大人が増えてしまうかもしれない。
そして、やわらかい頭を鍛える時期を逃したまま
関心はお金があるかないかだけ、努力なくして一攫千金狙い
大人から子どもまで、価値は「お金」。
それによって、小学生の女の子が自分の商品価値に目覚めて
商売してしまうというような現実がおこる。お金ほしさに。。。

最近20年ぶりに「クローディアの秘密」(カニグズバーク夫人著)
を読みました。もう、40年以上も前に書かれた本ですが
そこには、変わらない子どもの姿があり考えさせられました。
やっぱり、子どもの本質は変わってはいない、
表面だっていることは変わったように思えても。
そして、いま起こっているさまざまな問題はよく言われることですが
子どもの問題ではなく、大人のあり様の投影だ
ということです。

親の投影だ、と言いたいところですが
実際に子育てしている親で、子どもに影響力を及ぼせるような
そんな親自体が減ってきていて、子ども達は
親が示してはくれない指針を外に求めるので(拝金主義社会)
結果、親は容認しないでも子どもは性を換金してしまう、
みたいなことが起きる。

なんでもかんでも「本人の意思」尊重の世の中ですが
まだ世の中の仕組みもわからないような、そんな段階から
自分で決めなさい、とものわかりのいいことなんて親は
言ってはいけないと思います。
それはある種の「放置」です。親の「逃げ」です。
親なりの考えをいつも用意しておく、あるいはいっしょに考えてあげるべきです。
ややこしいことは子どもにまかせてある、なんて無責任すぎる気がします。
最終的に選んでいくのは本人自身ですが、
考える指針があるのとないのでは全然意味が違うと思うのでした。