入院している祖父のお見舞いに行ってきました。
祖父は大正生まれの94歳です。
専業主婦になって、お見舞いに行ける頻度が増えました。
働いているころは、気になりつつも、忙しくてなかなか行けませんでした。
今は、週に1回のペースで行っています。
祖父は認知症を患っており、
数年前は、トンチンカンながらも、会話が成立していたのですが
最近は、言葉も話せず、もちろん私が誰かも分からず、
いつも眠っているような状態になってしまいました。
わずか数年で、こんなに進行するとは、残念なことです。
昼過ぎに出かけると、ちょうどおやつの時間にあたるので、
おやつを食べさせる介助をしています。
自主的にやっていることではありますが、
自己満足に過ぎないかもしれないな、と、否定的な気持ちになることもあります。
そういうときは、もし、自分の立場だったらどうだろう、と考えます。
私が年老いて、誰が誰だか分からないような状態になっても、
孫が自分を気にかけて、毎週、訪れてきてくれる。
私だったら、「もう来なくていいよ」と思いつつも、
やっぱり嬉しいだろうと思うのです。
私は初孫ということもあり、
祖父には(亡くなった祖母にも)、たくさんの愛情を注いでもらいました。
少しでもお返しできたらという気持ちで、
お見舞いに行っています。
もしかしたら、祖父の魂は、既に半分、天国に行っているのかもしれない、と思うときがあります。
祖父におやつを食べさせている私を見て、
天国にいる、元気な祖父が、
私に微笑みかけてくれているかもしれません。

祖父は大正生まれの94歳です。
専業主婦になって、お見舞いに行ける頻度が増えました。
働いているころは、気になりつつも、忙しくてなかなか行けませんでした。
今は、週に1回のペースで行っています。
祖父は認知症を患っており、
数年前は、トンチンカンながらも、会話が成立していたのですが
最近は、言葉も話せず、もちろん私が誰かも分からず、
いつも眠っているような状態になってしまいました。
わずか数年で、こんなに進行するとは、残念なことです。
昼過ぎに出かけると、ちょうどおやつの時間にあたるので、
おやつを食べさせる介助をしています。
自主的にやっていることではありますが、
自己満足に過ぎないかもしれないな、と、否定的な気持ちになることもあります。
そういうときは、もし、自分の立場だったらどうだろう、と考えます。
私が年老いて、誰が誰だか分からないような状態になっても、
孫が自分を気にかけて、毎週、訪れてきてくれる。
私だったら、「もう来なくていいよ」と思いつつも、
やっぱり嬉しいだろうと思うのです。
私は初孫ということもあり、
祖父には(亡くなった祖母にも)、たくさんの愛情を注いでもらいました。
少しでもお返しできたらという気持ちで、
お見舞いに行っています。
もしかしたら、祖父の魂は、既に半分、天国に行っているのかもしれない、と思うときがあります。
祖父におやつを食べさせている私を見て、
天国にいる、元気な祖父が、
私に微笑みかけてくれているかもしれません。

