HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

タイプライター

2005年06月25日 | 音楽・映画・本
最近はパソコンがあるし、ちょっと前まではワープロが出回っていたから、タイプライターなんて何?って感じの人が多いだろうね。それに日本ではあまり使わないからね。だって英文なんだもの。

私の家には昔タイプライターがあった。イタリアのオリベッティ社のものだ。その会社、タイプライター業界ではナンバーワンだったんだよ(笑)。古い映画とか見たりすると、新聞社なんかの記者がよくタイプライターを打っているシーンがある。手っ取り早いところで『ローマの休日』なんかでも出てきているから、きっと見たことがあると思うよ。キーを押すと、判子のようにパタンとアルファベットが紙に打ち込まれていく。だから、打っている時はかなりうるさい。パチパチパチガシャ・・・ガシャっていうのは次の段に改行する時に用紙を送り上げる音。どうしても指によって力の入り方が違って、小指で打つ、AとかLとかが薄くなったりする。昔、映画をまねして、よくタイプを打ったものだ。そのお陰でローマ字打ちなら早く打てる。ゆえにパソコン時代の今は会社とかでも役に立っている。こうしてブログをたらたら書いてはいるけど、案外打つのは早い。だいたい毎日時間に追われて生きている私にはほんと自由に使える時間が少ない。合間を見て、書くのだけど、書きはじめると早いので、それほど時間がとられない。でも、そこまでして、書く必要があるのか?と最近思うこともある。でも、書かずにはおられない何かが自分の中であって、きっとこうして言葉を出していかないと、言葉に潰されてしまう恐怖があるのかもしれない。ミュージシャンが音を出し続けるように・・・。どうも私の中には言葉の生産工場があるようで、安物の言葉を大量生産してしまっているようだ。それを世に出すのははばかれるので、なるべく選んではいるのだけど、たまにくだらない言葉も混ざってしまう(ってほとんど?笑)ゆえに、わざわざ読んで下さる方には最初に謝っておきます。ごめんなさい。
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音楽

2005年06月25日 | インディーズ
かつてある人に書いたことがある。音楽って決して掴めないものって。表れた瞬間に消えてしまう。そう、音楽を聴くというのは音の余韻を辿っているだけなんだね。だから過って余韻すら見つけられなかったら、そこで音楽は終わり、何もそこには存在しない。

絵は描いたものが残るけど、音楽はどんなにがんばったって、目に見える形でその場に残すことはできない。もちろんCDでは残せるのかもしれない。でもそれはただのドーナッツ型円盤で、果たしてそこに音楽はあるのかな(笑)CDをセットして、スピーカーから音が流れる。いい曲だな~って思う。でもやがて終わりがくる。その時、果たしてそこに音楽があったって君は証明できますか?もしかしたら、自分の妄想だったのかもしれない。そのCDの中に曲が入っていると暗示にかけられていたのかもしれない。

ライブに行く。そこでステージを見て、音楽を生で聴く。そして家に帰る。果たして彼らは本当にいたのか?本当に音楽を演奏していたのか?それをちゃんと証明できる?そんな時、きまぐれにふとCDなんかにサインなんかをもらったりしているとその字を見て「あっ、確かに彼らはいて、こうして書いてくれた」と安心する。サインを結構今まで軽視していた私だけど、今になってその意味がわかった気がした。とりあえず、私の好きになったバンドの人はこの世に実在することはそのサインで証明される。サインが生命の証になるなんてね(笑)もちろん、たまにサインを他人にもらってきてもらう人がいるけど、これでは意味がない。そこで自分がもらわないと・・・。

まあ、サイン・コサイン・タンジェント(笑)ってな話をするつもりではなかったけど、たまに音楽のことを考えると眠れなくなることがある。特に愛しい音楽と出会った時に・・・。抱きしめたくても決して抱きしめられない音楽にせつない思いを抱く時に・・・。今日もこうして余韻を辿って追いかけて、この鼓動を波打たせ、音楽の切なさを身をもって感じるのだろう。
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