今日は震災に関する特集番組が組まれていた。
今年の3月11日に東北で大震災があり、多くの命が失われ
今もなお行方不明の方達もいる。
多くの方が自分以外の人を助けるために命を落とし、
がれきの流れる川を板一枚で流されながらもあきらめずに生き抜いた人や
最後まであきらめずに奇跡を信じた人たちがいた。
先日、脅威の視聴率をとった「家政婦のミタ」で
彼女が言った言葉
「奇跡とは普通なら絶対に起きないような出来事が
そうありたいと思う人間の強い意志によって現実になることで
最初から自分には無理だと思っている人には奇跡は起りません。」
これがまさにそれだなと思う。
先日FoZZtoneの京都Sole Cafeでのライブの時に
渡會さんのおかげでしっかり手に入れられた
「THE FUTURE TIMES」創刊号に
細美さんのインタビューがあった。
そこで彼は
「受け取ったものを工夫して、毎日を面白くする考えにシフトしていけばいいと思う」
「後退も意思を持って進むなら前進だと思う」
「ポジティブなイメージがない社会がよくなることってあり得なくて」
「現実がどうあれ、最後の最後までポップな気持ちを持っていないといけないと思うんだよね」
「この国はよくなるっと思っていれば、きっとよくなるし、ならないと思っていたらならない。」
そのような言葉を語っていた。
今原発反対のデモだとかいろいろな「No!」がある。
もちろん、未来を担う子どもたちを思うと原発に対するいろいろな思いは交差するし
運動する人たちの気持ちもわかる。隠し事の多い社会に対してもいろいろ考える。
ただ、「No!」だけを見ていたら何も始まらないと思うんだ。
これを細美さんも言っていると思う。
ミタさんの言葉にもこれが暗に言われていると思う。
そして、細美さんのこのインタビューを読むずっと以前に
3月の震災後ある意味早い段階でそれを言い続けて来たのが
FoZZtoneの渡會さんだ。
彼は「No!」ではなく「Yes!」だろ?って
いつも言い続けて来たし、今もそうだ。
反対反対という前にその先を見ること。
細美さんの言葉を借りるなら「出口を見る」
その出口を見つけるためにどうすればいいか
ここをこういうふうに変えて行けばもっといいものが
生まれるんじゃないかとかできるんじゃないかとか
そういう事が大事なんじゃないかと
渡會さんは言ってきたし、今回の細美さんの話にも
それがあった。
「Yes」と「Go」を中心にフォズの音楽は今進んでいる。
今回のthe HIATUSのアルバムにもそれを感じる。
彼らは行きたい方向をしっかりと見ているように思う。
フォズの場合、自分たちを「前向き族」とか言ってたりするけれど
それがこれからの日本人のキーワードじゃないのかな?
生きることはしんどいことの方が多い。
12月の今、またかと思うほど電車を待つホームで
「人身事故のため電車が遅れています。」という
放送が流れる。ほんと苦しい世の中だ。
でも、あの震災で奇跡を信じて
そしてもう絶体絶命の中でも
木切れにつかまって、氷点下の水の中にいた人でも
「生きる」意思を持ち続けて助かった人もいるんだ。
「生きる」の基準って一体何なのか?
私は思うんだ。
息をして、空を見れて、太陽の光を感じて
風を感じて、雨に濡れて、雪の冷たさを感じて
そこに立っている。それだけで十分「生きる」意味が
あると思うんだ。
存在そのものがあればいい。
自分はひとりぼっちって思う人も
それでいい。あなたに見えなくても
私はそのあなたがこの地球の大事な
ワンピースだと思うから。
あなたがいることで
あなたの何気ないことが
たとえば、スーパーでぽろりと落ちた品物を
ひろいあげて元に戻したその行動が
何かに繋がって大きな幸せを誰かに
もたらしている可能性もあるんだ。
これはFoZZtoneの新曲の「blow by blow」
が描く、風が吹いて、そこからいろいろ
つながって結婚することになるという
世界と似ていると思うんだ。
音楽にできることは何かと
震災後いろいろなアーティストが悩んだと思うけれど
でも、今じゃあ、みんな音楽の力を実感していると思うんだ。
電気が使えなきゃエレキが弾けない。
ならアコースティックギターがある。
ギターが無ければどうする。
あなたの声や手拍子をする手がある。
それは原始の時代から変わらない人間のもつ
すばらしいものなんだよね。
知っている歌をそれぞれが歌い、
みんなが知っている曲をみんなで歌う。
これだけでも、どれだけの人の心が強くなれたか。
震災だけじゃなく天災に見舞われた人たちもいた。
世界中で大変なことに巻き込まれた人たちがいた。
日々の仕事や学校での苦しみにもがく人も
きっと自分にとっては被災者の人たちと同じぐらい
苦しいと思っていたかもしれない。
そういう人たちの気持ちを少しでも踏ん張らせる力が
音楽にはあると思っている。
新曲ができるってことは
それを聴くためにまだまだ生きなくちゃって
思えることなんだ。
ただ新しい曲っていうだけじゃないんだよ。
苦しい人たちの命の綱になることもあるんだ。
ミュージシャンの人たちはそういうことも
たまにでいいから考えてほしい。
きっと明日はそして来年はもっとよくなる。
だから、奇跡をいつも信じていよう。
今年の3月11日に東北で大震災があり、多くの命が失われ
今もなお行方不明の方達もいる。
多くの方が自分以外の人を助けるために命を落とし、
がれきの流れる川を板一枚で流されながらもあきらめずに生き抜いた人や
最後まであきらめずに奇跡を信じた人たちがいた。
先日、脅威の視聴率をとった「家政婦のミタ」で
彼女が言った言葉
「奇跡とは普通なら絶対に起きないような出来事が
そうありたいと思う人間の強い意志によって現実になることで
最初から自分には無理だと思っている人には奇跡は起りません。」
これがまさにそれだなと思う。
先日FoZZtoneの京都Sole Cafeでのライブの時に
渡會さんのおかげでしっかり手に入れられた
「THE FUTURE TIMES」創刊号に
細美さんのインタビューがあった。
そこで彼は
「受け取ったものを工夫して、毎日を面白くする考えにシフトしていけばいいと思う」
「後退も意思を持って進むなら前進だと思う」
「ポジティブなイメージがない社会がよくなることってあり得なくて」
「現実がどうあれ、最後の最後までポップな気持ちを持っていないといけないと思うんだよね」
「この国はよくなるっと思っていれば、きっとよくなるし、ならないと思っていたらならない。」
そのような言葉を語っていた。
今原発反対のデモだとかいろいろな「No!」がある。
もちろん、未来を担う子どもたちを思うと原発に対するいろいろな思いは交差するし
運動する人たちの気持ちもわかる。隠し事の多い社会に対してもいろいろ考える。
ただ、「No!」だけを見ていたら何も始まらないと思うんだ。
これを細美さんも言っていると思う。
ミタさんの言葉にもこれが暗に言われていると思う。
そして、細美さんのこのインタビューを読むずっと以前に
3月の震災後ある意味早い段階でそれを言い続けて来たのが
FoZZtoneの渡會さんだ。
彼は「No!」ではなく「Yes!」だろ?って
いつも言い続けて来たし、今もそうだ。
反対反対という前にその先を見ること。
細美さんの言葉を借りるなら「出口を見る」
その出口を見つけるためにどうすればいいか
ここをこういうふうに変えて行けばもっといいものが
生まれるんじゃないかとかできるんじゃないかとか
そういう事が大事なんじゃないかと
渡會さんは言ってきたし、今回の細美さんの話にも
それがあった。
「Yes」と「Go」を中心にフォズの音楽は今進んでいる。
今回のthe HIATUSのアルバムにもそれを感じる。
彼らは行きたい方向をしっかりと見ているように思う。
フォズの場合、自分たちを「前向き族」とか言ってたりするけれど
それがこれからの日本人のキーワードじゃないのかな?
生きることはしんどいことの方が多い。
12月の今、またかと思うほど電車を待つホームで
「人身事故のため電車が遅れています。」という
放送が流れる。ほんと苦しい世の中だ。
でも、あの震災で奇跡を信じて
そしてもう絶体絶命の中でも
木切れにつかまって、氷点下の水の中にいた人でも
「生きる」意思を持ち続けて助かった人もいるんだ。
「生きる」の基準って一体何なのか?
私は思うんだ。
息をして、空を見れて、太陽の光を感じて
風を感じて、雨に濡れて、雪の冷たさを感じて
そこに立っている。それだけで十分「生きる」意味が
あると思うんだ。
存在そのものがあればいい。
自分はひとりぼっちって思う人も
それでいい。あなたに見えなくても
私はそのあなたがこの地球の大事な
ワンピースだと思うから。
あなたがいることで
あなたの何気ないことが
たとえば、スーパーでぽろりと落ちた品物を
ひろいあげて元に戻したその行動が
何かに繋がって大きな幸せを誰かに
もたらしている可能性もあるんだ。
これはFoZZtoneの新曲の「blow by blow」
が描く、風が吹いて、そこからいろいろ
つながって結婚することになるという
世界と似ていると思うんだ。
音楽にできることは何かと
震災後いろいろなアーティストが悩んだと思うけれど
でも、今じゃあ、みんな音楽の力を実感していると思うんだ。
電気が使えなきゃエレキが弾けない。
ならアコースティックギターがある。
ギターが無ければどうする。
あなたの声や手拍子をする手がある。
それは原始の時代から変わらない人間のもつ
すばらしいものなんだよね。
知っている歌をそれぞれが歌い、
みんなが知っている曲をみんなで歌う。
これだけでも、どれだけの人の心が強くなれたか。
震災だけじゃなく天災に見舞われた人たちもいた。
世界中で大変なことに巻き込まれた人たちがいた。
日々の仕事や学校での苦しみにもがく人も
きっと自分にとっては被災者の人たちと同じぐらい
苦しいと思っていたかもしれない。
そういう人たちの気持ちを少しでも踏ん張らせる力が
音楽にはあると思っている。
新曲ができるってことは
それを聴くためにまだまだ生きなくちゃって
思えることなんだ。
ただ新しい曲っていうだけじゃないんだよ。
苦しい人たちの命の綱になることもあるんだ。
ミュージシャンの人たちはそういうことも
たまにでいいから考えてほしい。
きっと明日はそして来年はもっとよくなる。
だから、奇跡をいつも信じていよう。