かつて、我が家の家族だった車、スプリンターセダンのお話です。
1991年にフルモデルチェンジしたスプリンターセダンは、それまでの大衆車の常識を覆した、ある意味エポックメイキングな車だったと思っています(私見です)。
バブル時代の開発で上質さが求められたのか、上級クラスのコロナやマークⅡ、あるいはクラウンもどきのような造りや装備といっても過言ではありません。
その分、車両価格も上昇しましたが…。
我が家にやってきたスプリンターセダン(AE100)は、1,500ccのスーパーホワイト。グレードはSEリミテッドでした。
1994年3月納車でした。
自分は当時、AE86トレノGTVからAE101トレノGTアペックス・スーパーストラットサスペンションタイプに乗りかえていました。(このお話は、また今度別の機会に)
このスプリンターセダンは、父親のものでした。
肌触りのよい上質なスゥエード調のシートとドアの内貼り。ツートーンのダッシュパネルは質感が高く、「これがスプリンター?」と驚きました。
もちろん、今では珍しくもなんともないオートエアコンを標準装備。間欠ワイパーも無段階調整式です。
この後のモデルは、バブルがはじけた後でコストダウンの始まり。
それからというもの、今に至るすさまじいコストダウンの影響で、質感は下がった部分も少なくありません。(と、勝手に思っています)
ロングノーズロングデッキの3BOXスタイルは、その後の折り紙細工のようなデザインとはちょっと趣が違い、面が造りこまれたものでした。
この車は、2008~2010年の3年間、古太郎の単身赴任に付き合ってくれた車でもあります。
その間は、父親が不便だったと思いますが…、親子のわがままです(^^;
こんなこともありました。さすがに、先頭の0が7にはできませんでした(笑)
結局、走行距離は約9万kmまでで、ラクティスに替えることになりました。
調子が悪くなったわけではありませんでしたが…。
2011年3月車検切れを迎え、ラクティスを契約したトヨタカローラのお店に、廃車手続きをお願いしました。
ちなみに、ラクティスは東日本大震災の影響で、納車がずいぶんと遅れることになりました。
いろんな思い出のあるスプリンターセダン、お疲れ様でした。というお話。