その頃の子どもの遊びで年長の子が年下の子の
面倒をよく見ていましたね。最も流行っていた遊び
は「駆逐戦艦(水雷)」というものでした。「駆逐戦艦
(水雷)」は一組7,8人で敵味方2組になって対戦す
る遊びです。両方の組は基地を離れた位置に作り
ます。指揮官の戦艦役他、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦
(水雷艇)などの役割があります。飛行機役はまだあ
りませんでした。大艦思想の影響でしょうかね。
それぞれの役割は服装によって相手にも分かるよ
うにします。防止を被っている指揮官、巡洋艦役は
帽子を被って両手の袖口を外側に織り返す、駆逐艦
役は帽子を被らないで両手の袖口を外側に織り返す、
潜水艦役は帽子を後ろ向きに被ります。各組はどの
役を何人にするかを決めておきます。これは作戦で
すね。
規則(ルール)は、指揮官の戦艦役は水雷艇役に
接触されてジャンケンに負けると捕まったことにな
ります。それで対戦に勝ったことになります。
戦艦役は水雷艇役以外の総ての役に優位にあり接
触によって捕まえることが出来ます。同じ役同士は
接触したときのジャンケンに勝った方が捕まえるこ
とになります。 捕まると相手の基地に止まることに
なり、味方が接触できれば助けられたことになりま
す。 これはかなり走り回るので体力と俊敏性を養
うのにはとても良い遊びでした。
その他にはメンコ、ビー玉、ベーゴマなどの遊び
も空襲が激しくなる前までは行われていました。メ
ンコは丸い物と細長い謎メンというのがありました
ね。ビー玉は薄青いのと色模様付きの物がありまし
た。形は少し歪な物がたくさんあって真っ直ぐ転が
らないこともありました。ベーゴマは鉄製や安いの
は鋳物製の物がありました。鉄製のものは重さがあ
り人気でした。売っているのは高さ1.5cmほどのも
のでしたが、グラインダーやヤスリあるいは竹の先
に着けて路面に擦りながら歩き先を尖らせたりして
ペチャというものを作りしました。
ペチャは相手のベーゴマの下に潜り込んで押し出
すので有利でしたね。資源供出が始まると瀬戸物に
なりましたがすぐ割れてしまうので自然に遊ぶ子が
いなくなりました。
模型飛行機や凧などもよく作っていました。竹ヒ
ゴは竹を削って作りましたが、大方は部品総てがセ
ットになっている物が売られていたのでそれで作
ったようです。
学校の運動会も私が国民学校2年生の時が最後で
した。学校では体操やかけっこ、剣道、銃剣術、水泳
が中心に行われました。
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