ラジオの放送劇で私たち子どもに人気のあった
番組は、「潜水飛行艇飛び魚号」という番組でした。
その活躍には胸がどきどきしましたね。
本は、私はまだ国民学校1,2年生でしたので幼
年倶楽部とか兄たちが読んでいた、少年倶楽部を難
しい漢字は教えてもらいながら読んでいました。そ
の中でも漫画はタンクタンタロウとか冒険ダン吉と
かノラクロ兵隊漫画をよく読んでいました。
それから少年倶楽部などのグラビア写真に戦車隊
や戦闘機乗りや水兵さんの写真を見て格好良く感じ
て、にあこがれていたものでした。これらの雑誌は
子供たちに大きな影響を与えたと思います。
映画も父が好きで近くの映画館に連れて行ってく
れました。今でも覚えているのは、榎本健一(エノ
ケン)の「3尺サゴヘイ」とか、「河童大将」、何か
の幽霊が出てくる恐いのも見ました。それから学校
推薦の「轟沈」、「加藤隼戦闘機隊」なども胸をわく
わくさせながら見ました。これらの映画の主題歌な
どはすぐ覚えてしまいました。
前回分に書くのを忘れていましたが、父はタバコ
が好きで日常的には買えなくなり早朝に当日分のタ
バコ劵というのを配って昼頃に入荷すると買いに行
きました。県を貰いに行くのは私とすぐ上の兄の役
目でした。買うタバコの種類は「あさひ(漢字で朝
日と書いてあったかもしれません)」という紙巻きで
タバコは1本の半分くらいしか入っていませんでし
た。「みのり」これはキザミタバコで非常に細く切
った物が紙袋に入っている物でした。
役所からの指導で個々の家でも防空壕を作ること
になりました。わが家でも今思うと笑ってしまえる
ような話ですが、玄関の上がり口ように2畳間があ
りました。
そこの下に深さ2メートルほどの穴を掘りそれを
防空壕としました。穴を掘っていると土と砂が混ざ
っていて中には大小様々の貝殻が出てきました。さ
すがに蛎殻町という地名だなどとと兄たちが言って
いるのを聞きました。それと困ったことに穴の底か
ら水が少しずつにじみ出してくることでした。その
ためにこの穴には何もいれることができませんでし
た。
隣組では近くにあった空き地に本格的な防空壕
を作りました。地面を少し掘り下げて柱を組み天
井をはってその上に土を厚く掩った造りでした。
この防空壕は遊び場所の一つになりました。
大きな道路の歩道にもあちらこちらに防空壕が出
来て小さな山が出来たと言って子供たちは喜んでい
ました。防空壕は爆弾攻撃に対しては直撃弾でなけ
れば相当の力を発揮したようです。
3月9日。この日は風もなく比較的暖かい日でし
た。たくさんの壊した家の木材をもらってきたので
疲れていたのでしょうか、夕食後すぐ寝てしまいま
した。もちろん避難するときに持っていく物は背負
鞄に入れて枕元に洋服と一緒においてありました。
この頃の夜は灯火管制下にあったので電灯の明かり
が外へ漏れないように黒い布で電灯の下だけが明る
くなるようにしてありました。
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