寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

喜寿祝賀同期会(中学卒業)

2012年09月19日 23時00分51秒 | 日記・エッセイ・コラム

 8月末に中学時代の同期会があり出席してきた。いくつか驚いたことを発見したので書いておこうと思う。

 はじめて東北新幹線に乗った。東京駅発青森行き「はやて」に乗った。東京駅を発車すると、すぐ上野駅に停車し、次が大宮駅に停車した。少し文庫本でも読もうかと思って何気なく外を見ていたら、1時間少しして仙台についてしまったので、文庫本を読むことができなかった。なんと、我が家をでて、町の駅から東京駅に着くまでの時間と同じくらいで仙台についてしまった。そこから仙石線に乗って、松島海岸駅へは約1時間かかった。何とも仙台も近くになったものだと思った。

 松島の津波被害はどうだったのだろうかと思って、海岸沿いの店できてみた。なんと、ここでは2メートル弱の波で海岸付近が被害を受けたという話であった。湾内に浮かぶたくさんの島々が波を沈める効果を発揮したようだ。

 同期会は、360人ほどいた卒業生も、喜寿までにはいろんなことがあり、出席者数は50数名になってしまった。さすがに寂しく、年齢を感じる出席者数であった。中には昨年の津波で亡くなった方も数人いたということである。公式?に開く同期会は今回で終了という世話人の話であったが、何とか有志会という形でも続けていきたいと思うのは出席者多数の意見であった。

 翌日、作並温泉の湯ノ原ホテルで二次会を有志でおこなった。このホテルは、ごく緩やかな斜面に沿って、建て増しを重ねてきたらしく数カ所に段差があった。平地の狭小なところでは普通のことであるが、階段ではなくスロープでつないでいるのが変わっていた。

 余談であるが、ホテルの家族の子で2歳になる女児が、じいじ、じいじといってまとわりついてくるのが可愛かった。筆者の孫と同じ年頃だったのでなおさらであった。

 翌早朝、地震が発生した。筆者のいた室では、せいぜい震度3くらいだと思った。ところが朝食の世話をしてくれた従業員の方の話では、非常に大きかったという話だった。従業員宿舎は、ホテル東側の地盤の軟らかいところに建っているので揺れが激しかったらしい。

 地盤の軟弱によって揺れの大きさがそれほど変わるということらしい。 こうしていろんなことを知ることができた同期会は終了した。

 しかし、残念なことがいくつかあった。

 第1は、同期会といえども、金銭が関わることに関しては会計報告が必要なのは当然のことであった。が、これまで会計報告は一切なかった。それはお互いの信頼関係が不要と思い込んでいたのであろうと思う。しかし、中には信頼を傘にして報告をしないのは不正行為があったと見なす人もいるようである。

 会費は、おそらく少し余るような金額を集金することであろうと思う。そして残った会費は次回の連絡費、事務費や会議費などに使用するのでいいだろうと判断したことと思われる。

 ところで、中学同期会の東京支部のようなものがある。ここでもこれまで一度も会計報告が無かった。この会の少し悪質なところは、宿泊代飲食代の50%増ほども集金する。それで二次会の費用を捻出しているような話であった。しかし会計報告が無いので、どれほど余り、どう使用したかは不明である。しかし、金額がどんなに少なくとも、それを働いて得なければならない人にとっては、非常に貴重なものであることは疑いの余地が無い。従って、金銭を徴収して、何かの会を催したら、会計報告をきちんとやる必要があるだろう。

 こんなことが原因になって、これまで一所懸命世話人をやってくださった方が、精神的に困憊し、病院に入院してしまったという。なぜ、いままでご苦労様でした、といって感謝の言葉を贈り、これからは交代してやりますという労りの心が持てなかったのだろうか。そうすれば、入院することも無かったかも知れないし、その方の老後が豊かなものになったのでは無いだろうか。残念でならない。

 


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