新聞もTVも最近の報道はほとんど五輪一色になっている。しかし日本人の成績は今ひとつ伸び悩んでいるような気がするのは、筆者だけではないと思う。それでも、金メダルはともかく、銀メダル、銅メダルをとれるということは大変な努力の結果だろうと感心している。だが他方で、期待するところが大きかったのだと思うが、金メダル獲得数が少ないのは残念なことである。
五輪報道のかげで、学校で起きているいじめ報道が少なくなっている。学校では命の大切さについて、十分な教育をし、考えるように指導していることと思う。しかし、未だにいじめが発生していることには何か外の原因があるのかもしれない。もちろん親の責任も問われなければならないだろう。
筆者の子供の頃にも、前に書いたような気がするが、いじめと似たようなことがあった。それと、今の言葉で言う”ネグレクト”のようなこともあった。
しかし、昔というか筆者の子供の頃にはどこにでもガキ大将という存在があった。ガキ大将には、多くの子供は従うのが不文律のようなものであった。ガキ大将はある程度の分別を持っており、年下の子同士が喧嘩をしているそばにいて、ある程度喧嘩の勝敗が決まりそうになると、必ず仲裁に入り決して最後まで続けさせることはなかった。その後は、何事もなかったように一緒に遊ぶというのが普通のことだった。
筆者の知る範囲では、今は年齢差のある子供たちが一緒になって遊ぶことが少なくなったような気がする。同年代の子供たちだけで遊ぶと、何か行き違いが発生すると、修正されることなくどんどんすすんで溝が深くなってしまう傾向にあるようだ。その結果、重大なことになるのかもしれない。
いわゆる、いじめが行われると、それを止めようとするものが出てこない。それは止めようとした子が次の対象になるからだという。たとえば止める子が出てくると、先にいじめられていた子は、いじめていた子と一緒になって次の子をいじめるという。それは再び自分がいじめの対象にならないためであるという。
このような現象の原因を考えてみると、今の義務教育の教員は忙しくて子供たちの日常生活に目が届かないということにあるらしい。何がそんなに忙しいのか筆者には理解の外であるが、どれほど忙しいのかを数値で表現できることはデータを出して、これだから教員なり事務員なりの人数を増加してほしいという要望を出しているのだろうか。こんなことを書くとそんなことはいつもやっているというかもしれない。しかし一般の人たちはそのような話を聞いたことがない。
基本的な原因は、文部科学省の教育行政がはっきりした目標を持っていないのが原因かもしれない。百年後の世界を考えた教育目標を定め、教員が教育指導だけに専念できる学校作りをしてほしいと思う。
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