私は若い頃SF小説が好きで夢中になって読んだことがあった。特にいわゆるスペースオペラというのが興味深かった。レンズマンシリーズというのがあって宇宙の創造主の意にかなった地球人が宇宙の悪人を退治するという内容だった。未来世界という設定なのに、しかもいろんな宇宙人が出てくるのに悪人のやることは富と権力を求めて強盗や麻薬の売買で金満家になることである。そのやり方は現代社会で行われるような方法を踏襲しているのでおかしくなった。そのときは宇宙時代になっても同じ事をやるのだなあと感心もし進歩がないなーとも考えたものであった。
しかしよくよく考えると、それを書いている作家は当代に生きている人間なのでそれ以上のアイデアが出てこなかったと考えれば当然かと思った。その頃今発生しているようなオレオレ詐欺を使っていたら斬新なアイデアとして流行ったかもしれない。しかしそれでは迫力がないのでやはり使われなかったかもしれない。
歴史は繰り返すという言葉があるが、ヒトはそれ程進歩しないのだと言うことかもしれない。私がまだ現役で仕事をしていた頃、学生を連れて小笠原父島や鹿児島県の与論島や沖永良部島へ調査に行っていた頃(もうかなり前の話であるが)夜浜辺に寝転んで「世界から戦争を無くすことができるか」と質問したことがあった。学生たちは「可能である」との返事をくれた。しかし「その方法は」と聞くと曖昧な言葉しか返ってこなかった。
前述のように未来世界を舞台にしたSF小説の中に登場する悪者も現今と同じ方法で悪事を重ねていたことを考えると人間の心とか考えることはそんなに変化することはないのかもしれない。学生たちは私の考え方を聞きたいというので話をした。
今の精神構造の人間が存在している内は戦争はなくならないだろう。しかし地球規模のすなわち人類が絶滅するかもしれないという危機が来れば人類は団結してその危機を乗り越える努力をするだろう。その結果世界から戦争がなくなる可能性がある。しかし現在も二酸化炭素による地球温暖化対策として二酸化炭素排出量を規制しようということが議論された。その際、現在のようになったのは先進国がの責任であり、発展途上国はの二酸化炭素排出量を先進国と同じように制限するのは納得できないと言って拒否する姿勢を示した。だがフロンガスの使用制限に対しては一致協力した.その結果オゾンホールが縮小したという報告がでたことも事実である。
もう一つは可能性はどれほどあるか不明であるが人類の精神構造というか価値観が変化するときだろうと話した。その方法として共産主義思想とか社会主義思想が誕生した。しかしこれらの思想は指導者たちの富の蓄積と権力獲得のために熾烈な争いを呼ぶことになった。
更にもう一つの可能性は人間が心のよりどころとしてきた宗教である。しかしその宗教も激烈な勢力争いに明け暮れていることを考えると期待することは出来ないのかもしれない。
最も期待されるのは教育である。しかしこれも受験戦争などと言って目に見えない部分での争いが行われている。やはり他人よりよい生活をしたいという願望のために他人から抜け出さなければならない。
いろいろ考えると現代人には世界から戦争を無くすことは不可能なのだろうか。否、それ程人間はどうしようもない存在ではないことを希望するものである。
しかしよくよく考えると、それを書いている作家は当代に生きている人間なのでそれ以上のアイデアが出てこなかったと考えれば当然かと思った。その頃今発生しているようなオレオレ詐欺を使っていたら斬新なアイデアとして流行ったかもしれない。しかしそれでは迫力がないのでやはり使われなかったかもしれない。
歴史は繰り返すという言葉があるが、ヒトはそれ程進歩しないのだと言うことかもしれない。私がまだ現役で仕事をしていた頃、学生を連れて小笠原父島や鹿児島県の与論島や沖永良部島へ調査に行っていた頃(もうかなり前の話であるが)夜浜辺に寝転んで「世界から戦争を無くすことができるか」と質問したことがあった。学生たちは「可能である」との返事をくれた。しかし「その方法は」と聞くと曖昧な言葉しか返ってこなかった。
前述のように未来世界を舞台にしたSF小説の中に登場する悪者も現今と同じ方法で悪事を重ねていたことを考えると人間の心とか考えることはそんなに変化することはないのかもしれない。学生たちは私の考え方を聞きたいというので話をした。
今の精神構造の人間が存在している内は戦争はなくならないだろう。しかし地球規模のすなわち人類が絶滅するかもしれないという危機が来れば人類は団結してその危機を乗り越える努力をするだろう。その結果世界から戦争がなくなる可能性がある。しかし現在も二酸化炭素による地球温暖化対策として二酸化炭素排出量を規制しようということが議論された。その際、現在のようになったのは先進国がの責任であり、発展途上国はの二酸化炭素排出量を先進国と同じように制限するのは納得できないと言って拒否する姿勢を示した。だがフロンガスの使用制限に対しては一致協力した.その結果オゾンホールが縮小したという報告がでたことも事実である。
もう一つは可能性はどれほどあるか不明であるが人類の精神構造というか価値観が変化するときだろうと話した。その方法として共産主義思想とか社会主義思想が誕生した。しかしこれらの思想は指導者たちの富の蓄積と権力獲得のために熾烈な争いを呼ぶことになった。
更にもう一つの可能性は人間が心のよりどころとしてきた宗教である。しかしその宗教も激烈な勢力争いに明け暮れていることを考えると期待することは出来ないのかもしれない。
最も期待されるのは教育である。しかしこれも受験戦争などと言って目に見えない部分での争いが行われている。やはり他人よりよい生活をしたいという願望のために他人から抜け出さなければならない。
いろいろ考えると現代人には世界から戦争を無くすことは不可能なのだろうか。否、それ程人間はどうしようもない存在ではないことを希望するものである。
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