for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

どこに行けばいいか・・・

2022年09月30日 17時56分32秒 | 日記
と、出かけた場所で興味深い本を見つけた。
「韓国写真史」1631-1945 
力作の翻訳で、パラパラとページをめくり、おやおや、
<東学指導者 金開男 撮影者未詳 日本軍に逮捕された時の姿>


とあり、ドラマとともに非常にタイムリー。歴ドラの出来栄えは史実脚色キャストともにいい作品だ。俳優の醍醐味ともいえる、時を超えて何度も何人にも生きられる仕事を見せ、オールスタッフにより、歴史事件の中から見出す真価を伝えている。どこのどんな場所の時代においてもこれだけは失うまい、と小説の言葉とは違うわかりやすいエンタメを届けている。

写真の歴史の中で「規制と弾圧」という箇所もあり、その中には間島事件関係者の顔写真や繋がれて公判に行く記録写真も掲載されていた。

そうだったんですね、と言いながら私はページを開くことだろう。

大変な仕事が一冊にまとめられた。


睡眠はちょっとしたお宝だね♪

2022年09月19日 10時39分53秒 | 日記
トーハクで見てきた慶豊図巻 の一場面
この絵巻に本当に多くの人々が描かれ、「ウォーリーを探せ」みたいにAIならこの中の登場人物の家族親戚が分類できるかもしれない、などと考えるほど市民が登場していた。

トラが市中に描かれ、興味深かった。どんな人が飼って引き連れていたのでしょうねエ。

と、今朝思い出した写真があり、

もう自律神経の受難は去った?

2022年09月15日 18時11分20秒 | 日記
天気の変動は意欲さえも影響する、何せ体が資本だから。

セミは一切鳴かず、虫のコーラスが始まりだした。タクトを振らないのに、
雑草郡ではまるでオーケストラのようにテンポの違った昆虫があちこちからリズムを奏でる。「彼女~彼氏~」と!?

彼岸花もむしろ日陰気味なところで密集して緑の葉も持たずに、少しばかり不気味な色で咲き出した。淡いクリーム色のをみるとどこかほっとする。

が、冷気と日暮れの速さに秋を感じはするが、暑さをしのがせるどころか再び夏日のような気温を時々もたらしてくれる台風様がよおくお出ましだ。

と、コロナも落ち着き始めてはいるのに、行楽模様に脚がすっと出ようともしない。連休も不安定な天気のようだ。

小学低学年はマスクをつけて体育の授業に臨んでいる。


気ままに日記をしているけれど、どこか差しさわりがあるように感じる、どこか



寝姿は見ていてほっとする

2022年08月22日 20時53分40秒 | 日記


この時季になると開くもの

2022年08月09日 15時16分40秒 | 日記
昭和万葉集

復員兵の悲しみ  嫁ぎし君を恨むこともなし戦いはかくて終わりしいまを

郷里にもどってみたものの我妻は弟の妻となり、家を保っていた。あるいは遺留品やら事実手違いだったか。

こういう哀れもあちこちであったようだ。ただただ吐露された句を読むなり、
ページを閉じた。

そしてこの本を開くたびに、義父が買った本なのだろうか、と思いやる。同居したことがあり、本人のお姉さんを法事で見かけたことがあるけれど、顔つきはよく似て、がっしりした輪郭に頬骨もあがり、目はくぼみがちだがけして小さい瞳ではなかった。
が、その義父と何かをぽつぽつと交わすのは、こうして残した本によってでもある。昭和万葉集 第7巻は昭和54年4月18日、とあった。この本を初め、どの本も手垢がなくきれいだ。新刊がでると買っていたようなかすかな記憶がある、家具職人をしていた勤め人でもある。議事堂の椅子の張替えもしたそうだ。

父にしても子供とはあまり辛い本当にひどかった話は声にもだせずに,
前に進まなければならない昭和半ば以降を過ごして語れなかったのかもしれない。これほどの本を買ったのは、癒しでもあったに違いない、とは私見でもある。が、本当のところ、この本を買った人は私の推測でしかない。

開墾と赤字で頭出しがあり、

痩せ痩せて金気水沸く我田にはタニシはおらずヒルぞ泳げる

鍬を打つすべまなび得て切り開く黒土の深さ3尺あまり  
                  菊池剣 明治26~昭和52

下に説明がある
食料の増産が急務で未開地の開墾が奨励された。都市の戦災者や外地からの引揚者を入植させ開墾に充てる方策だった。当座の食料や住居も不十分なまま苦しい生活を送ることとなった。飛行場の跡地、演習場などは大蔵省に移管され、開墾が行われた。ただ、生活のスタートが急務で耕作が行われ戦時中に買収されたため、新幹線工事のさい、土地使用権が問題となったところもあった。
とある。まさに、郷里の歴史と一致している。牛で開墾できたのは良い方だ。かの地は牛扱いにとても優れていたそうだ。同類の内容だろうタカかもしれない鳥が高校生の私をつついたのは。


飛行機のやきすてられしかたはらの土くれ拓きて植る甘藷を
         立川 敏子 大正11~
雨によってアルカリ性物質が流失したり、酸性成分が集積した結果耕作には適さない。

開墾後メロンの栽培が評価を受けたところもあったりし、珍しく開拓の歴史にページをめくっていたが、何が効率のよい収穫物になるか、試行錯誤だったのかもしれない。かつて外地の商用レターに●●農場と記された主は、引き揚げ1946年昭和21年3月28日博多より降り、12月に届けを出している。
そしてブドウ園で脚光を浴びたときにはまだ私は母のお腹の中にいた。1949年~1951年の写真が思い出される。仮住まいから始まり3,4年で実ろうとしていた。


一日の務めを帰り新墾の山畑かへすくらしに慣れつつ
               梅田 美保 明40~
拓きゆく山の畑の草陰に蘭のひともとほのかに匂ふ
               野場鑛太郎   大9~昭52

農作業

 麦踏めば麦ぞ可愛ゆし踏むにては非ず頭を撫づる心地ぞ
                小幡重雄 明36~昭47

と、ほっとするが、今や麦の国内生産はどれほどだろうか、この句を想像し同感するのは、はて何パーセント? 

パソコンを閉じるなり、同じページでみかけた。

ミレーの絵のごときやすけき様ならず夫(つま)亡き人が一人麦を刈る
               上村孫作 明28~
まさにリアリズム、よく心情を表し天晴です!