for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

大人の母のおままごとみたいだわ

2023年08月18日 08時02分04秒 | 日記
ナスとキュウリにまこもの脚をつけた馬の写真を,お盆の頃にネット上で見た。

私は母と墓参りに行き、提灯を下げ、小川の端の上にナスとキュウリを置きならべた。母は手を合わせた。確か、それは盆送りの頃で、暑い盛りのお盆の最中に、お出でになった我が家の魂を再び送る母なりの季節の風習だった。

亡き人がいらした頃に提灯に灯りを付けて、お墓からお迎えして我が家に行くころだった。「ろうそくの明かりを消さないように」とも聞いていた。あの盆踊りとは、何なんだろう。あの音響と浮かれ様は、と子供心にいつもと違って神妙な心地でいるのに、沸いた感情だった。

そして、お盆の時の様変わり。どこか母は嬉しそうで、いそいそと仏壇を居間に置き替え、赤いほうずきで飾り、3ヶ日は小さな陶器の器に朝晩に食事を備えていた。赤いほうずきの実はお腹の虫下しになる、とか聞いたこともあり、中の実をとりだした後に、舌に当ててほおずきで音を鳴らした。そんな遊びを初めて知ったが、母のように上手にはできなかった。

思えばそんな他愛のない話を交わせたのは、床に伏していた父が亡くなったから時間がそうさせたのだろう。(反対に男兄弟は父がいなくなって、なぜこれほど取っ組み合いのけんかをするのだろうか。と母が二人の仲に入ってけんかを止めようと必死だった。それまで静かだった和室にやまい人のいなくなった家庭の居間に、私はうんざりしながら感じていたこともあった。)

そしていつだったか、和室に母と布団を敷いて寝ていたが、ある晩、ある朝?母が私を覗き込んで「パバちゃんに似ている~」だなんて、泣き声を私の聞こえる枕元で発した。ロウティーンエイジャーが父に似ているなんて・・・ああ、これは母の大いなる哀惜ゆえの錯乱なのだ、と今になって思う。寝ていたのに聞こえてしまい、そのまま今に至る。

盆だなのそうめんなんて、下げる時にはかちかちになって器にはりついていた。それまでお供えしていた、普段口にするナスやキュウリに脚をつけてバランスよく立つ馬にするのには、少しばかり目をぱちくり、わくわくもしていた。

いったいいつ頃までそう母なりの行事を続けていたか、私は確かめようもないが、お盆の頃になると浴衣を着て盆踊りに入り込んでいたのは覚えている。

今になって感じるのは、あのお盆の、いつもと違った居間の空間は特別で、どこか母のおままごとのように、今になって感じている。

そうした風習は私の細胞で再び仏壇で再現されることもあった。








あああ、暑いこと、雪の中に入り込みたいわ~

2023年08月17日 08時16分30秒 | 日記

稚子金盆脱晓冰,彩丝穿取当银钲。
  敲成玉磬穿林响,忽作玻璃碎地声。
  ——杨万里《稚子弄冰》  

これもだいぶ涼しそうな本日の発見。氷と絹糸の関係がわからなかったけれどyutubeを見ると分かった。そんな子供の遊びがねえ。ウルトラ初心者でもパソコン先生は天晴です。
森を突き抜けるような音だなんて、涼しそう、おしゃれだわ。想像する感覚だけでも心地よい。そして創作者の視線が暖かい。

33度-35度の8月17日。
厳しい気温による心身バランスには、どうでもない想像もどうやらプラスに働きそうな気がする。

篤い機会だった

2023年04月28日 20時15分19秒 | 日記
お雛様以来のiPadによる訪問対面だった。
年齢による衰えは、日常生活者とは違うから仕方ない。が、手持ちの写真を画面に映し出して会話を保とうとした。といっても、私の勝手な相槌で、相手からの発話は大方が理解不能。
けれど、通じた。
「ケントンさん覚えている?」
彼女は思い出したか目頭にタオルを持っていき、感激したようだ。
「覚えている、覚えている」と、発話を始め、顔をゆがめるほどだった。
(私自身はケントンさんに逢ったことも見たこともない、彼女からの過去の会話範囲でもある)
彼女がケントンさんの第一のご指名で、他にも贔屓にされたお客は何人もいて、グランドハイツではトップを占めるほどで、(私自身も頼まれてアシスタントにその美容院に行ったこともあった。)クリスマスには自動車に多くのプレゼントやカードが積み込まれ、私や家族を驚かせたものだった。$はその頃360円時代だろう。

その中に私が持っている品として「retirement fund」と書かれた本を老夫婦の陶器人形が洗面所のコーナ-で揃ってみている。
その話題をコロナ以前に教えたところ、「嬉しいねエ」とかすかな声が返ったが、3年の交流無し時代にすっぽぬけたようだった。といっても、すぐに認識確認会話が行われようもないのは、日常でも誰もが経験しているだろう。あははだね。

A氏を紹介したのもケントンさんで、彼女が交流していたケントンさんとのカードを自宅で見たこともあった。

過去の輝かしい時を思い起こし、頭を何とか活性させることができた。

私の髪型を変えると、わからないし、母の写真も話さなければすぐには分からない。それも極めて妥当な声だ。時間の中で見える視界が違うのだから。(自分のことを基準にしてみているものだと、今日は反省させられた。)

それでも「また来てね!」は、彼女の願望として届いた。



絵葉書に描いたけれど、小さくて大変だった。わかったかしらねえ。

新緑の季節は香りも楽しめる

2023年04月25日 19時39分33秒 | 日記
連休の込んだ日を避けて楽しもうと出かけた。
が、チューリップは八分が終わり、例年とは段違いの早い春の変化を目にした。

ネモフィラの海、かわいらしい小花で対面すると口角が延びてくる。(マスク無しは顔の筋肉も解放されてるんるん!)大人にこんな顔はしないだろうに、自然は文句なしの相手でもある。

草原でも、緑の茎に赤・白・黄色・オレンジ・ピンクと腰高ほどのお花畑が広がっていた。

黄色のゾーンは菜の花だろうか、近づくにつれ香りが楽しめる。

緑の樹木も葉をこんもりと、ふさふさ嵩高で、首をあげまわして生命を感じる。ケヤキは何人と手をつなげば周囲を囲えるだろうか。

あっケヤキの枝枝の節辺りに、小さな白いものがついている。手の届く、枝が地面にもつきそうなくらい伸ばしているその白い、ぽっちとした小さなのに触ってみた。これは?ケヤキの花って節と節の、幹とは段違いの大きさで花をつけるの?
そういうことらしかった。

歩いていくにつれ、香りも違うが、それがどの木なのか辺りを見回すが、不明でもある。
が、名前を覚えようか。白雲木というのは、その花つきが白い雲のようだと、なづけられたそうだ。エゴノキの花と似ている。この木のことでかつて教えられたことを思い出す。

合掌造りのように屋根の高いH君の家にA君と泊まりに行った時の翌日のことだった。近くの河原に行き、魚を取るのにこのエゴノキを使うとか、電流を流すとかいう話だった。エゴノキは、たしか石鹸の泡のようなものが生じるのではなかっただろうか。

と、もうひとつ花をつけた樹木があって名前が出てこない。トチノキだった。

出口から遅い昼を食べようと椅子に座ったとき、ヘアアクセサリーがないのに気づいた。あちこち上を眺めまわしていたからきっと外れたのだろう。



言葉の真意に反応して書いておこうと思う話題もあるものだ

2023年04月18日 21時11分04秒 | 日記
現在たいていの物が電子化され、過去の所有資料物など膨大で、どこまで遡れるのかわからない、それほど私たちの歩みは人によって変化変貌され、便利な暮らしになっている。

けれど、刻まれた問題もあるものだ。それが生きている人間に繋がりもし、書いて納まるものもある。

I had once used my e-mail address named, scarlet. Was it the origin of Gone with the Wind?What left in the movie? her spirit , she grasped the soil in her hand with strong emotion, desperate deep anger. Her spirit equals to the land.

I had seen it for the first time at Shinjuke standing with my sister and her boyfriend. Her prosperous, flourish time in her early youth.