父が52歳の年に生まれ、中学生で部活をしていても、帰宅が遅くなると心配して、道路まで立って待っている。
そのためにクラブを変えた。
父はチョコレート饅頭がすきだったわねえ。
姉がチョコレートケーキを持ってくると、脛を揺らして喜んでいた。
相撲の懸賞に子供3人の名前で応募し続け、物品が届いたこともあった。
若い時はスマートで、風が吹くと飛んでしまうからと、医者が養命酒を勧めた。
それが命取り、うまくいかない事業にお酒がかさみ、瓶を抱えて幼い頃に暗い板張りを走ったこともあった。
当時こそわからない、更年期の時期だったのでしょう。 現代とは違った暮らし向きだからねえ。
干米も井戸端で☆、がっちゃんぽんぷもあって、冬の風で板戸が音をたてたりもし、私の映像の中だけに残っている。
就学前だっただろうか、陽だまりの冬、綺麗だとおもちゃのように思ったものがあり、丸く菊をかたどった月餅のようで、肥糧だった。
そういうものを作っていたのですねえ。
思い出すまま書くとと、父の初めての益は、植林だったそうだ。k市の街路樹のプラタナスも父の植林だったと母から聞いた。
ある年代の人なら昭和半ばが想像できるかもしれない。
クジラベーコン・学校給食・ギョニクソーセージ・マーブルチョコ・紙石鹸etc