曲線が生かされ、丸屋根や尖塔が組み合わさった建築物は、見慣れない私には魅力があり、いったいどうなっているかモスク参りを計画した。
新市街にいるときには近隣を、旧市街にいるときにはその辺りを目安にしてときどき日帰りツアーを組み入れながらイスタンブールで過ごした。
月曜と木曜は観光施設が休みのところが多い。ご丁寧に、博物館は建設中で、入れなかった。
安価な料金で渡る海の移動は爽快で、ミニクルーズをしているようでもあり、(あらまあ、降りるところを通り越したじゃない、と乗り継いだバスの乗客に教えられ)ベイレルベイも庭のみの見学で、カドキョイを歩きまわり、久しぶりにおいしいランチにありついた。
軽いガイドブックなら好しとして持参し、せっかく来たのだから、と掲載されていたトルコ風呂のハマムに出かけた。ホテルの風呂はバスタブとはいえ、半身浴ぐらいの深さで、
しかも栓がなかった。工夫のし甲斐があり、楽しんだわけでもある。
トルコ風呂とは、いったいどんな効能があるだろうか。お代具合で、マッサージなしで自分で湯に入るコースを選び、基本的なアメニティを渡され、入場。
シナンが建築したそうで、お湯を汲む音や湯具さえ、音響効果になって反響し、湯気でかすんだ丸屋根の屋内は、これがオスマン風情だろうかと、音の響きを
楽しんでいた。 時差で疲れていたので、少しばかり暖かな大理石の上で完全に就寝していただろう。人数も少なかったので、気にする必要もなかった。
翌日、ドルマチェホを見学(40TL 。ミュージアムスルーパスカードを利用するなら、ドルマも含まれ、3日間連続利用の当日は85TLぐらいを、フォーシーズンズで、ホテル付属のシラガン宮殿を見学後購入。失敗しました。)後、ニシャンタ(ここで、美しい女性をときどきみかける)へ出かけ、お惣菜を購入し(35TL)、長距離バス会社のメトロを見つけたので、店に入る。
ここでも英語応援してくれたのが、カウンターに居合わせた現地の女性で、女性二人が時を違えて行程をしきりに説明してくれた。
エディルネ行き翌日席(83TL)が確保できたので、思い切って手配。(というわけで、お手頃ミュージアムパスも、連続利用を確認せず、「いつでも使えますね?」の返答に、「一年の内は、使えます」にすっかり安心して満足したのが後の祭り。)
こうしてモスク見学は、エディルネのシナン建築物で、マルマラホテル近く 7:45発の送迎サービスワゴンに乗車し、イスタンブールのオトガルという長距離バス発着所を9:00に出発。
郊外へ進む車窓から見えるイスタンブールには、モスクと尖塔は、いったいどれほどあるだろうか、夜になるとライトが点灯するのだろうか、とひとり発していた。
エディルネ ヴァランパシャに11:30到着。中央観光所に着いたのが昼を過ぎていただろう。それでも、帰りのバス時刻18:30までには6時間ほどの時間があった。
(あまり市内を移動できなかったので、出発までの時間にハマムでマッサージつきバス(50TL)をモスク裏で費やした。やはり、トルコ人は人懐こくて、40代女性主は、ご主人の写真まで携帯で見せてくれ、
大学でだそうで、なかなかのイケメンだった。)
最後尾の席で、隣のおばさん夫婦と、持参した本の古い写真をたよりに交流して、数時間を楽しんだ。「あらまあ、あなたの国の本は字を縦に書いて読むの・・」とか、
おばさんのスカーフをさして「これ、オヤですね」とか疎通を楽しみ、私よりも更に遠くから乗り継いできたおばさん夫婦との出合いに気持ちはほぐれていた。
「こっちがトイレよ」と最終場所で声をかけてくれて、別れた。
初めてのモスクは、シナン建築のモスクで、真夏の夏日で、その姿に一見して圧倒された。
シナンの文言 ー 私はペルシャで多くを見学し、学んできたー とか。
初めは展示物とモスク内部を見学。 当初 惹かれていたモスク建築の半円形の屋根やら尖塔がどうなっているのか、忘れていた。
今、訪問先モスクを改めて調べ始めると、モスクには偉人の墓(ソコルル・リュステム 他 )があり、、それらの偉人は幼いころに連れてこられて改宗された元キリスト教徒だったらしいと知る。
どのようにして、地元ではない場所から見出し、教育したのだろうか。東ローマ帝国、 ビザンチン時代の頃、キリスト教会だったそうだが、
一部のモスク内のモザイクで知るのみである。変形を余儀なくされたた遺物は、いったいどれほど変化したのだろう。
イタリアのラベンナまで当時の勢力範囲だったようで、ビザンチン文化東ローマ帝国なるものを、トルコのイスタンブールに来て想像するのは、アジア人の私には
本が頼りになるだろう。
エディルネ バランパシャを 19:00に出発し、まだ日は沈まなかったが、イスタンブールのオトガルに着いた時には 22:30 頃で暗く、小雨も混じり、それからホテル近くの送迎サービスワゴンを待つことになった。 バスが着いたときは眠くて、小雨に目が覚まされたほどで、持っていた傘をさし、近くの人を招き入れた。 「ふ~ん、バラの香り~」どこかしら。「私の唇よ」とぎゅっと抱きしめられ、トルコ人の屈託ないボディアクションと明るさに「旅っていいわねえ~」と攪生。
翌朝、朝食の受付の女性が、「お元気ですか?」と、いつもよりずっと遅れて入ってきた私に麗しい挨拶が返った。
ーモスクにはさまざまな付属施設がある。学校、研究所、病院、救貧所、無料給食接待所、浴場、キャラバンサライの宿泊、商店などである。ー
現代、観光客が訪れる限りでは、モスクの内部を見学し、建築物を写真に収めるぐらいだけれど、引用にある使われ方が、どんな所で行ったのかは、個個人が知る想像に寄るばかりである。
サンプルとして博物館にでもあるはずだろうが、知りようもなくて残念だ。垂れ幕にでもプリントしてあると丁寧だけれど・・・・
ただ、日本の神社仏閣の沿道に続いて店や宿があったように、立派なモスクの周辺はバザールが発達しているのだけがわかっただけであった。
いくつも連なる半円形の屋根は、光を取り入れるための通路に誂えられた建築物のように見えた。直線よりもお洒落です。どんな使われ方だったのでしょう。
尖塔にも昇れるはずですが、中はどうなっているのでしょう。あれほど高い塔をどんな人が往来したでしょう。 鍛えられたはずです。