韓国語のラジオ番組を聞いてもわからないのに、紀行文の音調にどこか惹かれて、ツアーで出かけた丹陽が浮かんだり、歴ドラの自然風景に誘われ、思い立って出かけてきた。
ソウルに着いた夜、テレビのチャンネルを操作していた。BBCだっただろう、アジアで開かれた国際会議だったか、オバマさんが、"every people are equal"皆人は平等じゃないか、と
あの少しばかり口の中でこもるような低めの声で、スーチーさんの背に手を当てて放った画面を目と耳で、確かに私は受け取った。日本のどの放送局がその視線を切り取るだろうか、と
いつもながらの手つなぎポーズ場面が脳裏に浮かんだ。 これも、カメラマンと編集者が成し得た報道の一部である。放送関係者には、志向・思想性という基準が求められているだろうはずだ。
それが、公共放送に求められている。そんなことを考えていた旅先のスタートだった。
バスで長時間揺られた日の次は市内見物をし、バランスをとりながら気ままに行動した。
博物館での模様。KBS社のボランティアガイドさんは、「時間がありますか?」と断りを経てから説明を始めた。初めは、彼がボランティアとは知らず、王宮博物館の歴史の生き字引だと感心して
いたくらいだった。 「王宮の両側にある獅子を見てごらんなさい。これが、外から来る人を受け入れる愛です。これが、元からあったのです。」石造の獅子のお腹の下には乳を飲む赤ちゃんが
いた。大抵の人は気づかないそうだ。 王妃の手紙について、当時は中国語で書くのがハイソ社会の通例だったけれど、ハングルで書かれたのは珍しいそうだ。「王様、贈り物を有難く頂戴しました。嬉しかったけれど、心寂しくなりました。」 古文だから当の韓国人でさえ、わからないそうだが、説明してくれた。「王様、私は直接にお目にかかりたいのです。」とは、本音をしたためた文だったのだろう。
声をかけられたのが、写真が掲げられていたパネルを見ているときで、その中に日本人と思われる女性の顔を見つけていた。その他にも、彼の貴重な説明に感謝している。
夜間まで開館している曜日があって、博物館に帰りに出かけたけれど、歴ドラで登場する高句麗の映像は見かけられない。聞いてみると、北だから、分からないのだそうだ。
全州は、観光づいていたけれど、小高い地点から眺めた墨色の屋根の連なった家屋郡は、期待通りの光景だった。 シャトルバスを知っている人は、多くの人が全州で宿泊したのか、日帰りで市内に戻る人は多くはなかった。
朝鮮王朝の王の背面にはとがった五つの山が描かれている。「ペルシャの細密画」でも「森林飽和」でも語られたように、自然がそう描かせていたのだと、バスの車窓の景色を見ながら納得していた。
朝から救仁寺行きを目指し、3時間の走行。山は岩でできているようで、韓国には地震がないと以前ガイドの話しを聞いたことがあるけれど、木々は岩から根を張って育っている。山の岩肌には
ところどころ茶色や、白い部分も見えて、シンボルの絵の山をひとり思い浮かべていた。
まだ紅葉はまだらで変化があって目に楽だ。濃い緑、オレンジ色の樹木、赤く染まったのも混じり、気候が影響しているからだろうか、違った紅葉樹木の風景が広がる。
樹木琳は河原まで続き、これなら、地崩れは起こらないのだろう。人家は平地が開けた辺りに見えてきた。
それでも、バスが走る岩山の側面では、ひとりで防御ネットを補修・管理してる人もいた。 日本列島と、アジア大陸の生成は違うのだろう。と、思い出した。