浅田次郎さんの小説だろう映画作品「壬生義士伝」を見た。私の中にとどまっているものがある。
武士という身分が変わり、それまでの位置が逆転した点を映画作品で描いたことだった。と、後で思い出されたのが、「柘榴坂の仇討ち」(原作は『五郎治殿御始末』)の同じような場面だった。仇討ちをする時代は終わったことを、一騎討ちの最中を設定して、お互い同士が自覚する世の中の変化が映画場面で伝えられた。
「壬生義士伝」では、主君に対する関係力学が社会変化で変わっても、個人(主君に仕えた後に長になった元下僕)は主君への恩をその息子につなぎ続けた。うまい数秒の場面で見せつけられた。
明治という変革の時期に平民になった武士階級がその後、どこにそのエネルギーを向けていったのだろうか、とは、私自身の関心でもある。時の流れに気持ちを任せていったか、新たな職業に向けていったか。
壬生義士伝では、町医院であった武士の息子は「満州に行く」というセリフの筋書きに、更なる未来への一歩への意思決断だと感じた。身内にまつわる主従関係の諸々は、「もうご破算で、懐かしうございます」とでも胸の内で元侍の年長者に吐露しただろうか。
明治の変革の中で人は、どんな風だったか、発展したのは、融通性が利いたのは商売、海外で学んだ人?・それにあやかれなかった人は?ついていけなかった人は?どんどん変化していった・・・気にはなる日本人たちでもある。
☆ 維新後、政府から旧氏族に給付されていた金禄公債というものがあったようだ。
< 金禄公債証書(表)(検索番号8995) 明治9(1876)年
明治政府は華族、士族などには家禄を、維新の功労者には賞典禄を支給していましたが、明治9(1876)年に、数年から十数年分の家禄、賞典禄の価額分の公債証書を交付し、家禄等の支給を廃止しました。ここに掲載している公債証書は、その際に交付された「金禄公債証書」です。>
明治政府は華族、士族などには家禄を、維新の功労者には賞典禄を支給していましたが、明治9(1876)年に、数年から十数年分の家禄、賞典禄の価額分の公債証書を交付し、家禄等の支給を廃止しました。ここに掲載している公債証書は、その際に交付された「金禄公債証書」です。>
まさに渋沢ドラマのタイムリーな事情と一致します。