ウォルフ レンという人の名前が浮かび上がったのか、今になって検索をかけた。キーワードはダブルスタンダード。
当時、たぶん?、養老 先生が書評を書いていたので題名に惹かれて読んだのだろう。やっぱり、忘れていた本の題名が出てきた。
それを都立短大の聴講、「文化国際」という科目を受けた時に男性の先生が担当した講義から、「もの・こと」とともに、二重価値を図でプリントに説明した。
そしてその先生は最後の授業の時に学生側に座っていた。体育の先生は学生たちを相撲見学に引率したト、生徒の面前で話していた。
(私には、それが何を意味しているのか、何も分からなかった。議員さんの家が火事になったりした事件や、トイレに札束が置かれたり、「サルにお金をあげた」などという会話も、
私には奇妙な話題だった。)
それ以前に、国際弁護士を探したり、情報に餓えていたり、犯罪被害者に関心を寄せたり、人権の規定を探していたりした。(同じシンボルを使うのは、個人を特定することになる。)
弁護士に3,4度会ったのは、放送の影響からでもあり、yahooで記しただろうけれど・・・1.2.3がわかっていることだろう。
喪中においてしなくてもよいことの数々、そそのかしてくれるあれこれ、職場においても労働基準監督署の人が「それはひどいですね」と返った事実。
参列したクリスチャンも当初の同情からごく一般に並び、放送メディアという権威の力が及びうる、一般の市民を攻撃していた報道に抗した私の動きだった。
だから情報技術研究所という市民夜間聴講にも出かけたのだろう。yahooで記したように「か」からだろう、「院内感染を経験した人は?」と質問した先生もいた。
M市の夜間女性起業講座に出かけもしたけれど、おかしなことが起こる。漫才もあったけれど研究所だけがまあ納得がいく指摘をしていた。典子さんが、ロボットに知能対応を訓練したそうだ。
が、10年経ち、人が変わっても言わなければ分からない番組製作者がいるから影響された視聴者や同級生が「京都だ」とのたもう人がごまんといる。まったくどうしようもないとため息つかせ、記す。
「映像も活字も切り取られた編集よ」と、言っても、会議はどこまで躍ったか?
番組で人が変わって対抗しようとするのは、同じことの繰り返しになる。ともyahooで綴っただろう。横柄で認めようとしないのだから。
それも、過去時点のスタート時に、物事を判断しきれない家族さえも遣ってね。
安易な創作しているんでしょうかね。
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