栃尾城で、若いながらも天才城主謙信が活躍をする・・・。
長男で春日山城主の兄、晴景はそれに嫉妬するというか、あんまり面白くないのね。兄弟仲良くせんか!と思うんだけど、これも世間ではよくあるお話みたいで。
長尾家というのは、本家・分家?すじが三つほどあって、栖吉(すよし)長尾、三条長尾、府内長尾・・・てのがいて、晴景、景虎兄弟の確執を見てるの。景虎(謙信ね)は、そのうちの栖吉と三条の支援を得て、病弱でもあった嫉妬しぃの兄・晴景を追い落として、春日山城主となるんです。でもね、相変わらず守護代=副知事のまま。
で、何をするかといえば時の将軍足利義藤の権力にすがって、ちょっと、虎の影を大きくみせちゃったりなんかするのね。
ここでもやっぱり『苦悩の人』頑張っても守護代だし、兄弟仲最悪だし、相変わらず家臣はいまひとつ若造に着いてこない・・・みたいなとこあるし。
もう、イヤになってしうの。やめ!と思ったかどうか、22才で出家して前大徳寺の住職に「宗心」の法号まで貰ってしまう。
このあたりから・・・川中島へと続く戦いの道まっしぐらになるのがいまいち分からん・・・のです、申し訳ない。(寝てたね、おそらく)
とにかく、もういや!なんて思ってるんだけど、時代が・・・周りが・・・それを許さない状況を作ってしまうの。
それが、武田信玄なんだけど。
婚姻関係で仲良しごっこをしていた相模の北条氏や、上野の関東管領(知事よりもっと上の役職で、一帯の長?みたいなものかな)上杉氏や、信濃の村上氏を攻めるものだから、彼らが若きカリスマ謙信を頼って、北へ北へと参ります?
また、なんてのか『義』を重んじる謙信ガクさん? 頼られれば受けてしまう。
というか・・・父を追い払い、我が子まで自刃させてしまうような信玄は一番嫌いなタイプなのよ。「信玄は不義の人」「僕、正義の味方!」
で、川中島はさんで延々5回も合戦が繰り広げられていく・・・。
というのが川中島への道。切りつけた回数が何回あったとか、夜襲を見破ったとか、まあ、これからいろいろ出てくるし、勘介も4回目の合戦あたりで死んじゃうけど、ここらはテレビ見て頂戴・・・ですね。
で、謙信女性説はあっさり×。高野山詣でが確認されているから。女人禁制の高野山に行けたって事はやっぱりオトコだったんだろうって。
でも、○モは確かだったみたいで、血でしたためられたラブレターなんかが残っているの。美男好きは本当だったみたい。美しかったのも本当か? 講師の方はね、「Gacktを起用したのはよく分かります」と。そこで講義を聴いていたシニアな皆様が笑ったりするんですけど、ほんまにガクさんの事知ってるの?と突っ込みたくなる私。
一番なんてのかな?不思議な気持ちになったのは、信玄が亡くなる時、いまわの際で息子勝頼に「これからは上杉謙信を父と思って、謙信を頼るように」といい遺して死んだ事。あんたら命懸けで5回も闘ったんちゃうの? まあいいや。
信長とのかかわりや、その後の江戸中期の米沢藩主・・・上杉鷹山まで話は続いたんだけど、これは関係なさそうだからパスします。
なんていい加減なこと書いてるんだ、私。 あんまり信用せんといてね。三河姫様あたりがご覧になったら「こんなんなら止めとけ~!」って、思うかも。いや、確実に思うだろうね。
でもね、こんなんでも我らHebo大は、ちゃんと史学科卒の証書をくれたんですよ。良い時代に生まれものだわ。30年前の3月17日のことでした・・・。
長男で春日山城主の兄、晴景はそれに嫉妬するというか、あんまり面白くないのね。兄弟仲良くせんか!と思うんだけど、これも世間ではよくあるお話みたいで。
長尾家というのは、本家・分家?すじが三つほどあって、栖吉(すよし)長尾、三条長尾、府内長尾・・・てのがいて、晴景、景虎兄弟の確執を見てるの。景虎(謙信ね)は、そのうちの栖吉と三条の支援を得て、病弱でもあった嫉妬しぃの兄・晴景を追い落として、春日山城主となるんです。でもね、相変わらず守護代=副知事のまま。
で、何をするかといえば時の将軍足利義藤の権力にすがって、ちょっと、虎の影を大きくみせちゃったりなんかするのね。
ここでもやっぱり『苦悩の人』頑張っても守護代だし、兄弟仲最悪だし、相変わらず家臣はいまひとつ若造に着いてこない・・・みたいなとこあるし。
もう、イヤになってしうの。やめ!と思ったかどうか、22才で出家して前大徳寺の住職に「宗心」の法号まで貰ってしまう。
このあたりから・・・川中島へと続く戦いの道まっしぐらになるのがいまいち分からん・・・のです、申し訳ない。(寝てたね、おそらく)
とにかく、もういや!なんて思ってるんだけど、時代が・・・周りが・・・それを許さない状況を作ってしまうの。
それが、武田信玄なんだけど。
婚姻関係で仲良しごっこをしていた相模の北条氏や、上野の関東管領(知事よりもっと上の役職で、一帯の長?みたいなものかな)上杉氏や、信濃の村上氏を攻めるものだから、彼らが若きカリスマ謙信を頼って、北へ北へと参ります?
また、なんてのか『義』を重んじる謙信ガクさん? 頼られれば受けてしまう。
というか・・・父を追い払い、我が子まで自刃させてしまうような信玄は一番嫌いなタイプなのよ。「信玄は不義の人」「僕、正義の味方!」
で、川中島はさんで延々5回も合戦が繰り広げられていく・・・。
というのが川中島への道。切りつけた回数が何回あったとか、夜襲を見破ったとか、まあ、これからいろいろ出てくるし、勘介も4回目の合戦あたりで死んじゃうけど、ここらはテレビ見て頂戴・・・ですね。
で、謙信女性説はあっさり×。高野山詣でが確認されているから。女人禁制の高野山に行けたって事はやっぱりオトコだったんだろうって。
でも、○モは確かだったみたいで、血でしたためられたラブレターなんかが残っているの。美男好きは本当だったみたい。美しかったのも本当か? 講師の方はね、「Gacktを起用したのはよく分かります」と。そこで講義を聴いていたシニアな皆様が笑ったりするんですけど、ほんまにガクさんの事知ってるの?と突っ込みたくなる私。
一番なんてのかな?不思議な気持ちになったのは、信玄が亡くなる時、いまわの際で息子勝頼に「これからは上杉謙信を父と思って、謙信を頼るように」といい遺して死んだ事。あんたら命懸けで5回も闘ったんちゃうの? まあいいや。
信長とのかかわりや、その後の江戸中期の米沢藩主・・・上杉鷹山まで話は続いたんだけど、これは関係なさそうだからパスします。
なんていい加減なこと書いてるんだ、私。 あんまり信用せんといてね。三河姫様あたりがご覧になったら「こんなんなら止めとけ~!」って、思うかも。いや、確実に思うだろうね。
でもね、こんなんでも我らHebo大は、ちゃんと史学科卒の証書をくれたんですよ。良い時代に生まれものだわ。30年前の3月17日のことでした・・・。
謙信のことを調べ始めたdearsさんたちから
【謙信の女性説】は本当なの?って質問をたくさんもらって
7歳で仏門(林泉寺)に入れられてるので
股間にマグナムつけて生まれたのは確かでしょう。と答えました。
女の子だったら政略結婚の道具として嫁がされる時代ですからね。。
謙信の姉もそうでしたね。。。
信玄も謙信も
お互いに敵の情報・精神面での人物像はかなり集めたと思います。
このとき信玄は、自分には無いものをたくさん持ってる謙信の器を
知れば知るほど敵に回す男ではないと思ったかも。
ある意味一国の将として尊敬し惚れ込んでたのかもしれません。
自分は敵に回って戦ったけれど、息子の代には。。。てね。
綺麗なんですよね、色とりどりで。
闘っているうちに男の友情が芽生えたのかと。敵ながら天晴れ!とかなんとか。
まあ、あまり学術的なことは考えず、ひたすらガクさん鑑賞に終始すると思います。
「ぴーたん日和」のブックマークに勝手に登録させていただきました。
No!No!No!オコトワリネ!!
でしたら、お知らせ下さい。順序が逆になってしまいごめんなさい。もし、間違ってたりしたら助言、お願いします☆
そうそう、地震、大丈夫でしたか?
いいですよ!いいですとも!!
岐阜では地震、震度3を記録したらしいです。でも、私は入浴中。全く、揺れなど感じませんでした。かなり危ない人でしょ!?入浴後、携帯を見ると何通ものメールを受信してました。
さとぽん大丈夫??
という、職場の先輩方からのメール。心配かけてすんません。携帯はつながらんかったみたいですけど、家にTELが。
さとぽん、そして私のことを心配してくださってありがとうございます!!う~~(泣)
ミキティは好きですが、フィギュアにはあんまり興味ないのです(なんじゃそりゃ)。
ミキティは同い年だし、がんばって欲しいとは思うけど、やっぱ真央ちゃんです!!
さとぽんよ、早く寝なさい。ハンカチ、はなかみ、ちゃんと鞄に入れましたか??
しかし勘助さんの着物はいつになったら綺麗になるんでしょうね。
昔の浪人者ってこんなみすぼらしい姿でも良かったのでしょうか…皆がそうだったの?
今回の大河は武士の話というより土地の人たちの話って感じがしますね、今のところ。