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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン9の3 「仏石山と鉄道記念館と市役所」

2017年01月10日 | 倉吉巡礼記

 二日目の朝は晴れでした。朝食は倉吉市卸売市場敷地内の「すずや食堂」でとりました。店名が無くて大きな「食堂」の看板だけが目立つ外観を、Oさんもスマホで撮影していました。


 倉吉の朝ラーをいただこう、と牛骨ラーメンを食べました。このお店の味もまた格別です。Oさんは「労働者のラーメンですね」となかなか核心を突いた評価を述べていました。


 旧市街地へ戻る途中、見日町の巌橋付近にさしかかったので、ちょっと仏石山を見てゆきますか、と提案してそちらに回りました。伯耆守護職山名氏の最初の守護所があったと伝わる田内城跡のある山です。


 山の南側の岩壁に彫られた「岩阿弥陀」こと阿弥陀仏名号碑を撮影するホシノ。(上画像はOさん提供)


 このときホシノが撮影した画像。


 「岩阿弥陀」の裏にあった釈迦堂は、先日の鳥取中部地震にて崩落全壊していました。


 上の道路から改めて釈迦堂の辺りを見ると、山の上の方に積み重なっていた岩石が、土砂ごと崩れ落ちて釈迦堂を押しつぶしたような痕跡がありました。横の「岩阿弥陀」の岩崖はビクともしておらず、土中に隠れている部分の方が大きいように感じられました。


 釈迦堂の崩壊現場を見るOさん。


 旧市街の町並みエリアに戻り、倉吉線鉄道記念館を案内しました。展示写真の数々において、かつての倉吉の各地の風景が、現在とかなり違うのを、興味深そうに見ていたOさんでした。戦前の景色も幾つかありましたが、いずれにおいても打吹山の山容は今とあまり変わらないのでした。


 芽兎めうは今日も元気でした。この日は入口付近に居たので、ドアの外からもよく見えました。


 屋外展示のC11形蒸気機関車を撮影するOさん。


 C11形蒸気機関車の運転席におさまって「にわか鉄オタ」に転ずるOさん。


 続いて纒お姉さんのデスクを見物するべく、倉吉市役所に移動しました。上図は一階エントランスの掲示板にある「ひなビタ」ファン、倉野川市民、ちくわ軍兵士たちの寄せ書きです。似たようなのがガルパンの大洗にもありますね。


 二階の入り口に向かいつつ、北側の景色を見やるホシノ。(上画像はOさん提供)


 久領堤纒お姉さんのデスクです。背後の窓ガラスは地震の際に割れたそうで、応急処置としてベニヤ板が張ってありました。


 纒お姉さんのデスクを撮影するOさん。細部までこだわった演出ぶりに感心していました。

 その後観光交流課の窓口などをのぞいていたら、奥の方から企画振興部の岩本部長さんが「星野さん、星野さんじゃないですか!」と笑顔で近づいてきました。挨拶を返すのもそこそこに、奥の応接室に招き入れられました。
 突然の事態にOさんは面食らっていたようですが、先方は私が数人のガルパン仲間を倉吉観光に案内していることを御存知なので、今回もその一人を案内しているのだろうと察したのでしょう。にこやかに挨拶し倉吉観光の感想などを尋ね、観光資料などを渡していました。

 その際に、今後の「ひなビタ」企画の流れや素案なども語られ、倉吉市当局サイドの基本姿勢などが改めて示されました。この種の話題にはOさんも大いに関心があったようで、真剣に聞き入っていました。


 その際にOさんが撮影した画像です。中央が企画振興部の岩本部長さん、右が観光交流課観光振興課の垣原さんです。
 ホシノ自身は以前にも意見交換会などで二度お会いしているので、この時点では既に顔馴染みでありました。岩本部長さんは、拙ブログも御覧下さっているそうなので、書く方も「倉野川の倉吉を行く」レポートでは忌憚なく意見や感想を書かせてもらっております。忌憚なく、とは言っても内容的には浅いので、汗顔の至りですが・・・。

 京都や奈良、滋賀の各県の観光振興事業の一環として、著名または人気のあるブロガーを公募して観光を自在に楽しんでもらい、その経緯をブログで発表させるというタイプのイベントがあります。近頃はあまり流行らなくなったようですが、平成10年代には有効なコンテンツと目されて色々に展開されていたようです。
 奈良市に長く住んでいた頃、数年にわたって奈良の観光名所や文化財の独自の見聞レポートを綴って一日平均2万4千前後のアクセスを得ていた私は、奈良県や奈良市の観光関連セクションなどからの同様のブロガーイベント企画への参加を打診されたことがありますが、いずれも丁重に辞退しています。私のサイトが知らないうちに奈良県観光ポータルサイトの「観光情報推奨サイト」に登録されており、これに対する説明が全く無いままであったため、相当の不安と不信を抱いたからです。
 幸い、当時の奈良市長が同じ町内であったため、町内会の催しで同席した際に色々と相談にのっていただき、不安と不信の方は解消されましたが、ブロガーイベント企画への打診はずっと辞退し続けていました。当時は、ブログの記事だけで観光振興が成立するのであれば、全国の自治体の観光セクションは必要なくなるではないか、と思っていたからです。同時に、それだけの効果を発揮出来るブロガーは、おそらく日本に一人も居ないだろう、だからこういうブロガーイベント企画はいずれもお粗末な結果となるに違いない、と考えておりました。そして結果的にはそうなったのでした。

 思うに、地域の観光情報や観光案内というのは、その地域の歴史と文化の蓄積を内包し反映しての内容で構築されなければなりません。こんなのがあるよ、見せたい場所があるよ、という表面的なスタンスだけでは魅力の一端すら伝えられないし、その地域の素顔や真実すらも示唆出来ません。
 人々の心は、いつの世にもいずれの地にあっても、人々の心と蓄積をふまえた広く深い生活文化と歴史の交錯が編み出す一種の交響曲に最も敏感に反応するのであり、そこに本当の感動や余韻があるのだろうと思います。その最初の契機となるような、そういった内容をしっかりと取材し吟味したうえでの観光情報というものが、いまこそ、どこでも求められている筈です。
 でも、ブロガーがそんなのを簡単に書けるわけが無いのです。地域を知り尽くした史家や研究者の方でさえ、その地域の観光情報を発信するのに四苦八苦するのです。とくに歴史や文化の深い奈良や京都では、その感がなおさら強かったのですが、その渦中に居て嫌と言うほどの難しさを実感してきたのが、奈良県に25年住んできた私自身でありました。

 例えば、世界遺産にも登録されて国際観光地となった、斑鳩の法隆寺のことを書くとします。見たままに見える対象をそのまま書くだけでも、その基本情報には飛鳥時代以来千三百年の風雪と、斑鳩の里の織り成す歴史的風情と万葉スタイルの季節感をさまざまに盛り込む必要があります。開基聖徳太子の事に触れるのであれば、大国隋を向こうに回して対等外交を成し遂げた青年摂政の覚悟と心意気、そして彼が必死で夢見た古代律令国家の青写真を少しでもイメージ出来なければ意味がありません。それに関してどれだけの勉強と取材と表現力が要求されるのか、考えただけでも気が遠くなりそうです。
 なので、奈良仏教界の重鎮でもあられる法隆寺の貫主さんが「法隆寺の簡単な説明ですら、私にはとても書けません」と淡々と語ったというその言葉を、襟を正し低頭してかみしめるのみです。


 応接室を辞した後、下の階にて上図の応援メッセージボードを見ました。あの地震にもかかわらず、直後のイベント「紅葉まつり」には全国から多数のファンが訪れて相当の賑わいを見せました。当日に私も現地に居たのでよく実感出来ました。
 ひなビタに限らず、こういう盛り上がりはガルパンの大洗でも共通していますので、アニメ等のポップカルチャーをメインに据えたツーリズムというのは、常に一定の集客動員力があるものだなあ、と改めて思います。 (続く)

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2 コメント

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Re. いにしえの鉄道 (ホシノ)
2017-02-10 17:04:02
>鉄道記念館設立にあたっては税的優遇措置や助成金等の運営補助や支援等はあるのでしょうか?

倉吉市の鉄道記念館は市の施設で市が管理運営にあたっています。国鉄倉吉線の廃線跡を公園化する事業の一環として記念館が造られたと聞きました。
「倉吉市緑の彫刻プロムナード公園の設置及び管理に関する条例」というのがあり、緑の彫刻プロムナード公園の中に鉄道記念館とSLの屋外展示があります。

それとは別に、国鉄倉吉線の廃線跡の一部も、駅ホームや線路などが当時のままに残され、毎年春と秋に廃線跡トレッキングイベントが開催されていますが、これも市が開催していると聞きました。
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いにしえの鉄道 (トオル)
2017-02-10 09:31:41
倉吉市は建造物遺産の他にも交通遺産や産業遺産の保全にも力を注いでいるのですね…。画像で見たところ室内保管している様に見えますが、鉄道記念館設立にあたっては税的優遇措置や助成金等の運営補助や支援等はあるのでしょうか?
そうでも無いとこうした設備維持は難しいのでないでしょうか?それにSLの様な大きな展示物は屋根が着いて保管されていても解放展示が当たり前ですし、過去の地方各地所有の大部分のSLは露天状態で保管され、朽ち果てた後に解体の憂き目にあったものも多いです。

SLでしたら私も大井川鉄道のC11 227号機の旧型鋼製車両を牽引してたのを乗った事があります。旧国鉄時代の標準仕様のままで雰囲気が良かったです。

茨城県ですと真岡鉄道(旧国鉄真岡線)もC11を所有していますね。茨城県は常磐線と鹿島線を除けばローカル私鉄を含め非電化鉄道が多く、気動車王国とまで呼ばれていましたが筑波鉄道や鹿島鉄道は消滅してしまいました。まだ遺された観光資産を上手く生かして地方活性化を図って頂きたいものです。
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